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チョコレートを食べながら  作者: 藍沢凪
232/250

導きの歌 ※未完

お題:黒い紳士 制限時間:1時間 文字数:1420字


その悪魔と初めて出会った日のことは忘れられない。


あの日の夜もまた、私は確かに憂鬱だった。およそ光の届かない闇の中へずるずると沈みこんでいった私は抜け出そうと足掻く気力もなく、やがてたどり着いた闇の底で蹲っていた。

森の入り口近くに立っている古ぼけた私の家には私以外に住人は誰もいなかった。いや、いるはずがなかった。家族と呼べる人は遠い昔に「買い物へ行ってくるから」と言って家を出たきり、戻ってはこなかった。

代わりに訪ねてくるような人もいなかった。誰かに遊びに来てほしいという淡い期待は初めこそあったけれど、実態と理由を知ってしまった私は現状を改める努力を止めた。ただもう、静かな日々が続くことに妥協して忘却される意味を甘受すると決めた。

夜は毎日丁寧に私の心を抑えつけていく。

森から聞こえてくる梟の鳴き声は形のない不安を掻き立て、木々が風でざわめくとさらに恐怖心が煽られ、ガタガタと窓が鳴ろうものなら家が吹き飛ばされるのではないかとすら思った。


その特筆すべきでもなくありふれて憂鬱だった夜、私は体にストールを巻きつけておもむろに二階のベランダへ出た。最低な気分の夜は風が吹こうと雨が降ろうといつだってベランダに出た。

冬の夜風はあっという間に指先や爪先から体温を奪っていく。見上げた空には星が見当たらず、辛うじて浮かんでいる月はすっかり痩せほそって光なんかほとんど届いていなかった。


私は古い歌を口ずさんだ。


家族だった人が私に残してくれたものは、あたたかくて大きな春色のストールと歌だけだった。一緒に過ごした記憶は僅かで朧気だったけれど、鮮明に覚えているのはただ一つ。月明かりの下、二人で身を寄せあって一つのストールを羽織り、歌を歌った。

あの人の声は覚えていないのに、顔すらあやふやなのに、凛としていた歌声だけは忘れない。


古い歌を歌い終わった私が、ふうと息をついた時、ひときわ大きな風が吹きつけた。肩にかけていただけのストールが宙へ飛ばされてベランダから飛び出ていく。


「あっ」


慌ててベランダの手すりから身を乗り出し手を伸ばしたけれどストールはあと一歩で掴めなかった。追いかけるために部屋へ戻ろうと振り向いた時、ふわりと頭の上から何かがかけられた。

手にとって見るとそれは、先ほど確かに飛ばされたはずのストールだった。

飛ばされたはずなのに、何故、と戸惑っていると背後から声が聞こえた。


「あの方ほどうまくはありませんが、筋は良いと思いますよ」


涼やかな声にビックリして振り返ると、一人の男がベランダの手すりに腰かけていた。

真っ黒な外套のボタンを一番上まできちんと留めて、手すりに置いた手には黒い革手袋、そして同じ色の革靴はつやつやとしていた。外套よりもさらに暗い色の髪は私よりも長く胸の辺りまで伸びており、露出している肌といえば顔だけだった。

男は黒真珠のような瞳を私に向けていて、血の気の引いた唇を動かす。


「少なくとも僕が毎日聞いていて嫌にならない程度には」

「あなたは、一体」


声が震えて言葉が続かない私をよそに男は話す。


「本当は金輪際姿を現すつもりはありませんでした。あなたは私を知らないほうがいいと思っていましたし、現に今まで沈黙していたわけですから。けれど、あなたはどうにも毎日悲しそうです。あの方も世の中の大概のことに対して恨んで憎んでいましたけれど、悲しんではいませんでした」


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