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チョコレートを食べながら  作者: 藍沢凪
207/250

東の森

お題:不屈の草 制限時間:1時間 文字数:1970字


「東の森には行くな」と大人たちは口を酸っぱくして言った。

話を初めて聞く小さな子どもがいれば「なんで?」と必ず理由を聞いた。

大人たちは顔を険しくすると「森には恐ろしい怪物がいて人間を食べてしまう。怪物は特にお前たちのような小さな子どもが大好物だから、見つかったら一口で食べられてしまう」と恐ろしい声で脅した。

「だから、絶対に東の森へは行くな」と大人たちは繰り返した。子どもたちは震え上がって頷いた。

大人たちは子どもたちが怖がる様子を見て満足そうだったが、ただ一人、怯えてすらいない平然とした子どもを見てその子に聞いた。

「どうした。何か気になることでもあるのか」と尋ねられた子どもは素直に「その怪物ってどんな見た目なの?」と尋ね返した。

大人たちは顔を見合わせて、それから一人が「子どもを一口で食べるぐらい口も体も大きいんだ」と答えた。「ふうん」と子どもは頷いた。

「お前たちは知らないだろうが、大人たちはみな怪物の姿を知っている。とても大きくて怖い。大人ですら勝てるか分からない相手だ。だから絶対に東の森には行くな」と大人たちは再度告げて、その話を終わらせた。子どもたちは「はあい」と頷くと、すぐに外へ遊びに出掛けていった。元気な子どもたちの後を追うようにして大人たちもその場から出ていった。

後に残ったのは、「ふうん」と頷いたものの納得していなかった子どもだけだった。


初めて足を踏み入れた森はとても静かだった。顔の間近を虫が飛び過ぎていく羽音、姿の見えない鳥たちの遠くから聞こえる鳴き声、草や木々の根を踏む僕の足音、息遣いはどれも静寂のなかだと大きく聞こえた。

見渡す限りに木々がそびえ立っていたが、葉の間から柔らかな日差しがたくさん降り注いでいたので怖くはなかった。風が吹くと木の葉はざわざわと揺れるのに、木漏れ日はほとんど変わらない。

むせかえる程に濃密な緑の匂いに包まれながら、僕は森を一人で歩いていた。腕時計は持ってこなかったので時間は分からないけれど、もう一時間近く歩き続けているだろう。

森に入った始めこそ、誰かが後を追ってきやしないかと不安で後ろをたびたび振り返っていたが、森の入り口が分からなくなってからは振り向くのをやめた。今は自分がどこにいるのかも分からない。入ったこともない森には道もなく、歩きやすい場所を選びながらひたすら真っ直ぐに突き進んできた。

ちょうど腰かけるのに良さそうな石が現れたので座る。座って、程なく息が整うと、静寂が広がる。


「僕は怪物そのものを見たことがないんだ」とそのお兄さんは明かしてくれた。お兄さんは、弟のように面倒を見ている子どもが一人で不服そうな顔をしていることに気付いて、こっそりと秘密を明かしてくれた。お兄さんは大人たちの仲間入りを果たしていたから、てっきり怪物についても知っているのだと思っていた子どもは驚いた。お兄さんは優しい笑みを浮かべた。

「でもね、怪物を見たことがある人はみんな、怪物の正体を教えてくれない。『恐ろしかった』『怖かった』とうわ言のように繰り返すだけなんだ。怪物は森に入りさえしなければ襲ってこない。怪物は森を出られない。だから、大人たちはみんな『東の森に行くな』って言うんだよ」とそのお兄さんは教えてくれた。

「だから、君も東の森に行ってはいけないよ」


バサバサと大きな羽音がいくつか聞こえた。ギャアギャアと濁った鳴き声も続いた。ざわざわと木々が揺れた。影も形も見えないけれど、鳥たちが一斉に飛び立った証拠だ。それは僕が進もうとしている先の方から聞こえてきた。

身を固くして、前をじっと見つめる。騒がしい心臓とは裏腹に森からはすっかり音が消えていて、うるさいぐらいに聞こえる僕の呼吸さえも森が吸いとっていく。

一分か、二分か、或いはそれ以上。死んでしまったような静けさが続いたあと。

それは音もなく現れた。


近づく気配など全く無かったのにそれは僕から数メートル離れたところで、ぽつんと立っていた。

それは僕を見ると止まった。それと僕と、じっと見つめあう。それは困惑の表情をしていたが襲ってくる素振りは見せず、不思議そうにじろじろと僕を観察していた。

だから、先に行動を起こしたのは僕だった。

僕は石から立ち上がってそれに近づいていった。

それはきょろきょろと周囲を見たけれど、僕以外に人がいないのを見てとると観念したのか近づいてくる僕を再びじっと見た。

手の届きそうで届かない距離までやって来て、立ち止まる。


「あの」と声を発した僕に対し、それは被せるように口を開いた。


「ねえ、君。どうしてこんなところに一人でいるんだ」


美しい声だった。僕が森で出会ったのは、人間をひと飲みできる恐ろしい怪物ではなく、美しい一人の少女だった。


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