胡蝶は幸せな夢を見るか
昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩々然として胡蝶なり。
自ら喩しみて志に適へるかな。周たるを知らざるなり。 俄然として覚むれば、則ち蘧々然して周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。
『荘子』より
「………。」
いや、蝶が人になる夢を見てるってどういうことだよ〜〜!!!
今はっきり目の前に見えてるものが現実で、夢ってのは朧げなものじゃん!?完全に別物でしょ〜〜〜!!
はぁ、とわたしは溜息を吐く。
疲れが溜まってくる3限後の休み時間。わたしはさっき習ったばかりの『胡蝶の夢』についてぐるぐると考えていた。
この話を書いた荘周という人は、寝てる間、蝶として楽しく飛び回るという夢を見ていたらしい。でも目が覚めたら自分は蝶じゃなくて荘周だった。そりゃそうだよね。わかるわかる。
でもその荘周って人、目が覚めたあとに「あれ、もしかしたら今が夢で蝶の方が現実なんじゃね?」って考えたらしいの!いやいやどういうこと〜〜!?
昔の人の考えることはよくわからない。いくら授業で説明されたって、わからないものはわからないのだ。
思想家の人の頭の中ってマジでどうなってんの?これだから歴史や倫理の授業は好きじゃないのだ。
特に、『哲学』は。
「早瀬さん」
「は、はいっ!?…え、桜井さん??え、えーと、珍しいね?なんかあった?」
「さっきの授業、どう思った?」
「どうって、何が?」
「『胡蝶の夢』。どう思った?」
「え、ええ…?」
桜井さん―このクラスで少し浮いてる文学少女―は、正直言って少し苦手だ。いつも教室の隅で難しそうな本を読んでて、誰かと話してるのも見たことなくて、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っている。もちろんわたしだって話したことはない。
…そんな子が、なんで話しかけてきたんだろう?
わたしが返答に困っていると、桜井さんが話し出した。
「私ね、この世界は夢だと思ってるの」
「……はい?」
いや急に何〜〜〜!?!?
本当に何??桜井さんはファンタジーの世界にでも生きてる!?頭の中どうなってるの〜〜!?
あ、でも…
これが『哲学』、なのかな?
「じゃあ、今わたしが桜井さんと話してるのも夢?」
「そう。全部夢。いつもの日常も、幸せも、いずれ訪れる悲しみも、全部。電気信号の見せる、夢幻。」
「でも残酷じゃない?夢ならもっと、大変なことなんてない幸せな人生になってほしいなーなんて」
「そう、この世界は夢なのに、辛いことが多すぎる。」
どこか神妙な面持ちの彼女に、私は何も言えなかった。
彼女は一体、どんな人生を歩んできたんだろう?
「だからね、早瀬さん」
「私、この夢から覚めることにしたの」
次の日、桜井さんは学校に来なかった。
次の日も、その次の日も。
彼女は蝶になれたのだろうか?
やっぱりわたしには、思想家の考えることがどうしても理解できなかった。




