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第65話 デスマーチの遺産と賢者の日誌

王都への凱旋は、私の予想を遥かに超える熱狂をもって迎えられた。

馬車の窓から外を覗くと、大通りを埋め尽くす人々が、私の名前を叫びながら手を振っている。北方の「世界崩壊バグ」を修正したという噂は、どうやら光の速さで拡散されたらしい。

紙吹雪が舞い、ファンファーレが鳴り響く。

前世では、納期に間に合わせたところで「当たり前」という顔をされ、次の仕事が降ってくるだけだった。それがここでは、たった一度のデバッグ作業で国中から英雄扱いだ。

コストパフォーマンスが良すぎる。


「ミカ。君の人気は、もはや皇帝である私をも凌駕しそうだな」


隣に座るアルベルト陛下が、苦笑しながらも嬉しそうに私を見つめる。

その視線は熱く、甘い。


「陛下、からかわないでください。私はただ、散らかったデータを整理しただけです」


「その『整理』が、国を救ったのだ。……さあ、降りよう。私の自慢の筆頭監査官を、皆に見せつけねばな」


馬車が王宮の正面玄関に止まる。

陛下が私の手を取ろうと差し出した――その手を、横から伸びてきた無骨な手が遮った。


「お帰りなさい、ミカ。執務室まで俺が送る」


レオンだ。

彼は馬で並走していたはずなのに、いつの間にか馬車の扉を開け、私をエスコートする体勢に入っている。

陛下の手を物理的にブロックするその早業は、もはや神業の域だ。


「レオン。君は本当に空気の読めない男だな。そこは私の役目だろう」


「陛下の公務は、民衆への挨拶です。彼女の護衛は、騎士団長である俺の専権事項。譲れません」


バチバチと火花が散る。

国のトップ二人が、衆人環視の中で繰り広げる低レベルな争い。

私は小さく溜息をつき、自ら馬車を降りた。


「お二人とも、遊んでいる暇はありませんよ。私には、まだやらなければならない『残業』がありますから」


私の言葉に、二人がハッとした顔をする。

そう、北方の異変は解決したが、その原因となった「システム」の正体はまだ解明されていない。

あの黒い宝玉。そして、ジークフリート王子が持ち込んだ制御盤のプレート。

あれらが示唆するのは、単発のバグではなく、もっと根深い構造的な欠陥だ。


「……そうだな。浮かれている場合ではないか。ミカ、すぐに解析を始めるのか?」


「ええ。鉄は熱いうちに打て、バグは新鮮なうちに叩け、です」


私はドレスの裾を翻し、王宮の奥へと歩き出した。

私の頭の中はすでに、解析モードへと切り替わっている。



執務室に入ると、私はすぐに「黒い宝玉」の欠片を机の上に広げた。

北方の亀裂の底で回収した、あのバグの核だ。

アイテムボックスから取り出したそれは、今なお不気味なノイズを放ち、周囲の空間データを微かに歪ませている。


「スキャン開始。《完璧なる整理整頓》、ディープ・アナライズ・モード」


私の瞳に、青白い光の羅列が走る。

物質の構成要素を分解し、魔力の波長を数値化し、そこに埋め込まれた「意図」を読み解く。

複雑に絡み合ったスパゲッティコードのような術式。

しかし、私の目には、その構造が手に取るように分かる。


「……なるほど。これは『パッチ』ですね」


「ぱっち? 服の継ぎ当てのことか?」


背後で警護に当たっていたレオンが、不思議そうに尋ねてくる。

彼は私が仕事に集中している間、息を殺して見守っていてくれたようだ。


「似たようなものです。既存のシステムに、無理やり新しい機能を追加するための継ぎ接ぎプログラムですわ」


私は空中にホログラムのように解析結果を投影した。


「この世界には、元々『自然の摂理』という名の基本OSオペレーティングシステムが動いています。水は高いところから低いところへ流れる、物は等価交換で生成される、といったルールです」


「ふむ。当然の理だな」


「ですが、この宝玉に書き込まれていたのは、そのルールを無視する命令でした。『無から有を生み出せ』『劣化せずに増殖しろ』……。そんな無理な処理を、強引なコードで実行させようとしていたのです」


いわば、チートコードだ。

世界の物理演算エンジンに対し、不正な値を注入して現実を改変しようとする試み。

北方のガラクタ増殖は、その処理落ちによって発生したバグに過ぎない。


「問題は、誰がこんなものを書いたか、です」


私は投影されたコードの一部を指差した。

そこには、この世界のアカシックレコードには存在しないはずの、奇妙な構文が含まれている。

魔術式ではない。

これは、プログラミング言語だ。

しかも、私が前世で見慣れた、少し古いタイプのオブジェクト指向言語に酷似している。


「……レオン。王宮の地下にある『禁書庫』へ案内してください」


「禁書庫? あそこは建国以来の機密文書や、解読不能な古文書が死蔵されている場所だぞ。埃とカビの巣窟だ」


「そこにヒントがあります。この国の『仕様書』を確認しないと、これ以上のデバッグは不可能です」


私の確信に満ちた言葉に、レオンは少し驚いた顔をしたが、すぐに力強く頷いた。


「分かった。君の勘はいつだって正しい。……俺の権限で開けさせよう」


「ありがとうございます。行きましょう、システムのログあさりに」



王宮の最下層。

幾重もの結界と、物理的な鉄格子に守られたその場所は、冷たく淀んだ空気に満ちていた。

重厚な扉が、錆びついた悲鳴を上げて開く。

レオンが掲げるランタンの灯りが、広大な空間を照らし出した。


「……これは、ひどいな」


レオンが顔をしかめるのも無理はない。

そこは、情報の墓場だった。

数百、いや数千の棚がドミノのように倒れかかり、床には羊皮紙の束が雪崩のように散乱している。

数百年分の埃が厚く積もり、足を踏み入れるだけで灰色の雲が舞い上がる。

管理などという概念が存在しない、カオスの極地。


「素晴らしい……。やりがいのある『現場』ですわ」


私は思わず口元を緩めた。

この絶望的な散らかり具合。私の「お片付け」スキルが疼いて仕方がない。


「ミカ? 笑っているのか?」


「ええ。これだけの未整理データ、宝の山に見えますわ」


私は部屋の中央に進み出ると、高らかに指を鳴らした。


「スキル発動! 《完璧なる整理整頓》、全領域インデックス作成!」


バシュッ!

私の身体から放たれた青い波動が、地下室全体を駆け抜ける。

その瞬間、物理法則が一時的に無視された。

床を埋め尽くしていた羊皮紙の山が、まるで生き物のようにふわりと浮き上がる。

積もっていた埃は一瞬で分解・消去され、カビ臭い空気は清浄なものへと置換される。


「分類キー、『年代』『著者』『重要度』。ソート実行!」


私の号令に合わせ、数万冊の書物が空中でダンスを踊るように整列し、倒れていた棚がひとりでに起き上がる。

それぞれの本があるべき場所へと吸い込まれ、背表紙が整然と並んでいく。

わずか十秒。

ゴミ溜めだった禁書庫は、王立図書館も裸足で逃げ出すほどの、完璧に整頓されたアーカイブへと変貌した。


「……開いた口が塞がらないとは、このことか」


レオンが呆然と呟く。


「君にかかれば、数百年分の歴史整理も一瞬の余興なのだな」


「物理的な整理は下準備に過ぎません。ここからが本番です」


私は整然と並んだ棚に向かい、脳内で検索クエリを走らせた。

キーワードは『異界』『創造』『自動化』。

そして、あの宝玉に残されていたコードの特徴。


ヒット件数、一件。


一番奥の棚から、一冊の古びた革表紙の日誌が、私の手元へと飛んできた。

空中でそれを受け取り、表紙の埃を払う。

そこに刻まれていた文字を見て、私の心臓が早鐘を打った。


『開発日誌 Vol.1 ――管理者:SATO』


「……サトウ?」


日本語だ。

間違いなく、私の母国語。

それも、走り書きのような乱雑な字で書かれている。


「ミカ、どうした? 顔色が青いぞ」


レオンが心配そうに私の肩に手を置く。

その温もりに少しだけ救われながら、私は震える手で日誌を開いた。


『X年X月X日。転生初日。ここはどうやらファンタジー世界らしい。魔法という名の未定義リソースが溢れている。これをシステム化すれば、全自動で快適な世界が作れるはずだ』


『X月X日。王家に取り入ることに成功。「賢者」なんて呼ばれるのはこそばゆいが、予算が出るなら悪くない。まずは天候制御アルゴリズムから着手する』


『X年X月。バグだ。メモリリークが止まらない。増殖した物質がデータを圧迫している。パッチを当てたが、根本解決にはならなかった』


『……もう無理だ。納期に間に合わない。王は成果を求めてくる。俺一人じゃ、この世界の演算領域を管理しきれない。誰か、誰か俺のあとを……』


ページをめくる手が止まらない。

そこに書かれていたのは、かつてこの国に存在した「賢者サトウ」という男の、悲しきデスマーチの記録だった。

彼もまた、私と同じ現代日本からの転生者。

そして、エンジニアだったのだ。

彼はその知識を使って世界を良くしようとした。だが、一人で抱え込みすぎたプロジェクトは破綻し、彼は修正しきれないバグを残したまま、力尽きてこの世を去った。


今、世界各地で起きている異変。

それは、彼が放置した「未完成のシステム」が、数百年の時を経て腐敗し、暴走している結果だったのだ。

北方の宝玉も、ジークフリートが持ってきた制御盤も、すべては彼が残したサーバーの残骸。


「……馬鹿な人。仕様書も残さずに飛ぶなんて、エンジニアとして最低ですわ」


私は唇を噛み締め、日誌を閉じた。

怒りが湧いてくる。

けれど、それ以上に、同じ「社畜」としての同情と、悲しみが胸を締め付けた。

彼は孤独だったのだ。

理解者のいない世界で、たった一人で世界のルールと戦い続け、そして敗北した。


「ミカ……? 泣いているのか?」


レオンが私の頬に触れる。

指先に、冷たい雫が伝った。

私は泣いていたのか。


「……いいえ、泣いていません。これは、悔し涙です」


私は涙を拭い、顔を上げた。

レオンの蒼い瞳が、私を真っ直ぐに見つめている。

その揺るぎない光が、私に力をくれた。


「敵の正体が分かりました、レオン」


「何者だ? どこの国のスパイだ?」


「いいえ。人ではありません。……数百年前の『負の遺産』。管理者を失い、暴走を続ける巨大なシステムです」


私は日誌を強く握りしめた。

サトウ。あなたが残した宿題バグは、私が片付けます。

だって私は、あなたの後輩で、そしてこの国最強の「お片付け」担当なのですから。


「レオン。すぐに出発します。この日誌によると、システムのメインサーバー……『中枢』は、この王都の地下深くに眠っています」


「王都の地下だと……? そんな場所があるなど聞いたこともない」


「隠しフォルダのようなものです。権限のない人間には認識すらできないように設定されています。でも、私なら見つけられます」


サトウが残したマップデータ。

それが、私の脳内地図とリンクする。

王城の真下。そこに、巨大な魔力反応がある。

今まで気づかなかったのは、厳重な認識阻害プロテクトがかかっていたからだ。

だが、同じ「あちら側」の知識を持つ私には、その鍵穴がはっきりと見える。


「行きましょう。過去の亡霊に、引導を渡してあげます」


私はレオンの手を取り、歩き出した。

彼は強く私の手を握り返し、何も聞かずに頷いてくれた。


「ああ。君が行くなら、どこへでも」


最強の騎士が隣にいる。

それだけで、私はどんな強大なバグにも立ち向かえる気がした。

さあ、最後の大掃除の時間だ。

先輩が残した汚部屋を、徹底的にクリーニングしてやる。

私の瞳には、もはや迷いはなかった。

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