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第64話 リカバリー処理と過保護な管理者権限

砕け散った黒い宝玉の破片が、ダイヤモンドダストのようにキラキラと虚空へ溶けていく。

同時に、私の視界を覆っていた赤黒いエラーログ――世界を浸食していた「バグの泥」や「テクスチャの欠落」――が、急速に収束を始めた。


『システム・オールグリーン。全領域の再描画レンダリングを開始します』


私の脳内で、心地よい通知音が鳴り響く。

剥き出しになっていた灰色のワイヤーフレームの大地に、鮮やかな緑の草原テクスチャが高速で貼り付けられていく。欠損していた空には、抜けるような青と、綿菓子のように柔らかな雲が再配置された。

ノイズ混じりだった風の音が、本来の爽やかなそよ風の音色へとチューニングされる。

壊れかけていた世界が、私の記述した修正パッチによって、あるべき美しい姿へと上書き保存されていく光景。

それは、徹夜続きのデスマーチの果てに、バグ一つない完璧なプログラムが稼働した瞬間を見るのと同じ。いや、それ以上のカタルシスだ。


「……ふぅ。リソース消費率九十八パーセント。ギリギリでしたわね」


私は大きく息を吐き出し、張り詰めていた神経を緩めた。

世界の法則を書き換えるという荒療治を行った代償は小さくない。身体が鉛のように重く、視界の端が白く明滅している。CPU使用率が限界を超え、強制的なクールダウンを要求している状態だ。

膝から力が抜け、身体がぐらりと傾く。

地面に倒れ込む――その前に、鋼のような強靭な腕が私の身体を空中で受け止めた。


「ミカ!」


焦燥に満ちた声と共に、視界いっぱいにレオンの整った顔が飛び込んでくる。

彼の蒼い瞳は、先ほどの戦闘中よりも遥かに切迫した色を帯びていた。


「顔色が紙のように白いぞ。……無茶をしすぎだと言っただろう」


「あら、レオン。ナイスキャッチです。処理落ち寸前でしたので助かりました」


私は彼の胸に頬を寄せ、ふふっと笑った。

硬い鎧越しにも伝わってくる、彼の早鐘のような心臓の鼓動。それが、彼がどれほど私を心配していたかを雄弁に物語っている。

心地よい体温と、微かに香る鉄と汗の匂い。それが私のオーバーヒートした思考回路を急速に冷却していく。


「笑い事ではない。君が倒れた瞬間、俺の心臓も止まるかと思った」


レオンは叱りつけるように言いながらも、私を抱える腕の力を強めた。

そのまま彼は、私を軽々と横抱きにする。いわゆる「お姫様抱っこ」というやつだ。

周囲では、騎士団の精鋭たちや、事態の収束を見守っていた村人たちが、驚愕と崇拝の眼差しでこちらを見ている。


「見ろ……あの方が、崩壊する世界を直したのか?」

「女神様だ……。剣の一振りでバグを消し去り、光をもたらした……」

「騎士団長様との、あのお姿……まるで絵画のようだ」


ひそひそとした囁き声が聞こえてくるが、今の私には恥ずかしがる気力すら残っていない。むしろ、この頼もしい「専用サーバー」に身を委ねられるなら、多少の注目など安いコストだ。


「レオン。彼女をこちらへ。風が冷たくなってきた」


威厳ある声と共に、アルベルト陛下が歩み寄ってきた。

陛下もまた、泥と埃にまみれながらも、その王としての輝きはいささかも損なわれていない。むしろ、最前線で剣を振るった高揚感が、彼の美貌をより一層際立たせている。

陛下は私の顔を覗き込み、痛ましげに眉を寄せた。


「すまない、ミカ。また君に過重労働を強いてしまったな。君がいなければ、この国は今頃データの藻屑となっていただろう」


「陛下。これは私の職務です。バグを見つけたら修正する。それがSE……いえ、筆頭監査官の矜持ですから」


「矜持、か。君のその強さに、私はいつも救われている」


陛下は愛おしそうに目を細めると、自然な動作で手を伸ばしてきた。


「さあ、私の馬車へ運ぼう。最高級のクッションと回復薬を用意させてある。揺れも少ない特注品だ。王都までの移動中、君を休ませるには最適だろう」


陛下の手が私の肩に触れようとした瞬間、レオンがすっと身体を引いてそれを躱した。


「お言葉ですが陛下。彼女の護衛は、騎士団長である俺の任務です。このまま俺の馬で運びます」


「馬では揺れるだろう。彼女は今、極限まで消耗しているのだぞ。私の馬車の方が合理的だ」


「陛下の馬車など、警備上のリスクが高すぎます。それに、彼女は俺の腕の中にいる方が安心するはずだ」


「ほう? それは君の願望ではないのかね、レオン」


二人の英雄の間で、バチバチと火花が散り始める。

私の頭上で繰り広げられる、高度な政治的駆け引き――という名の、単なる独占欲のぶつかり合い。

いつもの光景だ。

私はやれやれと溜息をつこうとしたが、その前に強烈な睡魔が襲ってきた。強制シャットダウンのシークエンスに入ったらしい。


「……お二人とも、会議は後にして……今は、スリープモードに……」


私の意識はそこで途切れ、深い闇の中へと沈んでいった。



ふわり、と柔らかな雲の上に浮いているような感覚で目が覚めた。

目を開けると、そこは見慣れない天井――ではなく、豪華な天蓋付きの空間だった。

最高級のベルベットが張られた壁。振動を極限まで吸収する魔法陣が敷かれた床。そして、空調魔法によって快適な温度に保たれた空気。

ここは、陛下の専用馬車の中だ。

どうやら、先ほどの「所有権争い」は、陛下の論理的勝利(あるいは職権乱用)で決着がついたらしい。


「目が覚めたか、ミカ」


すぐ隣から、甘く低い声がかかる。

身体を起こそうとすると、背中にふかふかのクッションが差し込まれた。至れり尽くせりだ。

見れば、アルベルト陛下が執務机代わりのサイドテーブルに書類を広げつつ、優雅に紅茶を飲んでいた。

揺れる馬車の中で平然と公務をこなすその姿は、さすが多忙を極める皇帝陛下といったところか。


「陛下……。どれくらい眠っていましたか?」


「三時間ほどだ。まだ王都までは距離がある。もう少し寝ていても良かったのだぞ」


陛下は書類を脇に置き、ポットから新しい紅茶を注いで私に差し出した。

湯気と共に立ち上る、極上の茶葉の香り。一口含むと、温かい液体が乾いた喉を潤し、身体の芯まで染み渡っていく。


「ありがとうございます。随分と回復しました。OSの再起動完了、といったところですわ」


「それは良かった。君が眠っている間、レオンが窓の外からずっと殺気を飛ばしてきていてね。生きた心地がしなかったよ」


陛下が苦笑しながら窓の外を顎でしゃくる。

カーテンの隙間から外を見ると、馬車と並走する黒馬に跨ったレオンの姿があった。

彼はガラス越しに私と目が合うと、パッと表情を明るくし、口パクで「大丈夫か?」と問いかけてきた。

私が微笑んで頷くと、彼は安堵したように胸を撫で下ろし、再び鋭い眼光で周囲の警戒に戻った。

その過保護ぶりに、私は思わず吹き出してしまう。


「ふふっ。レオンったら、本当に心配性なんだから」


「愛されているな、君は。……もちろん、私からもだが」


陛下が不意に真剣な瞳で私を見つめてくる。

その黄金の瞳に射すくめられ、私は紅茶のカップを取り落としそうになった。


「へ、陛下。今は業務中ですわ。そのような冗談は……」


「冗談ではないさ。君が倒れた時、心臓が凍りつくかと思った。君は私の……いや、この国の心臓そのものなのだからな」


陛下は私の手を取り、その指先にそっと唇を寄せた。

王族としての洗練された所作。けれど、そこに込められた熱量は、単なる主従のそれを遥かに超えている。

私の頬が熱くなるのを察してか、陛下は悪戯っぽく笑って手を離した。


「さて、照れている顔も可愛いが、今は報告を聞こうか。筆頭監査官殿」


瞬時に切り替わる空気。

為政者の顔に戻った陛下に、私も居住まいを正した。

私の脳内フォルダから、先ほどの戦闘データと解析結果を呼び出す。


「はい。結論から申し上げますと、北方の異変は完全に鎮圧しました。原因となっていた『黒い宝玉』は破壊し、バグの発生源となっていた不正なプログラムコードも削除済みです」


「ふむ。あの黒い玉が元凶だったか。あれは一体何だったのだ?」


「あれは……言わば『暴走した端末』です。誰かが意図的に設置した、世界を改変するためのツール。周囲の物質データを読み込み、無秩序に複製・上書き保存を繰り返すという、極めて悪質なウイルスプログラムが組み込まれていました」


私は分かりやすい言葉を選んで説明した。

陛下は顎に手を当て、深刻な表情で考え込む。


「誰かが設置した、か。……ヴァルデマーの残党か?」


「いえ、恐らく違います。ヴァルデマー公爵が使っていたのは、もっと古風で魔術的なアプローチでした。ですが今回のこれは、もっと構造的で、システムチックな……そう、まるで私が使う『整理整頓』のスキルを、悪用したかのような構成でした」


そう。そこが一番の懸念点だ。

あの黒い宝玉の内部構造は、私のスキルと非常によく似ていた。

対象を「データ」として認識し、操作する。この世界のアナログな魔法体系とは一線を画す、デジタルな思考。

それはつまり、この世界に私以外にも「向こう側」の知識を持った人間が関与している可能性を示唆している。


「それに、あれは単なる『受信機』に過ぎませんわ」


「受信機?」


「ええ。破壊する直前、データの流れを解析しました。あの宝玉は、どこか別の場所にある『本体』から命令を受け取って動いていただけです。つまり、ホストコンピュータ……メインサーバーは別にあります」


私の言葉に、陛下の目が鋭く細められた。


「……つまり、北方の異変は陽動、あるいは実験に過ぎず、真の脅威はまだどこかに潜んでいるということか」


「その可能性が高いです。しかも、その『本体』は、もっと強大な権限を持っているはず。今回のような局地的なバグではなく、この世界の根幹……例えば、天候やマナの循環システムそのものに干渉できるレベルの」


もしそんなものが暴走すれば、今度こそ世界はブルースクリーン――修復不可能な強制終了を迎えることになる。

対策を急がなければならない。

私はアイテムボックスから、以前「賢者サトウ」の日誌で見つけた記述を思い出した。

サトウが残した「負の遺産」。彼が管理しきれずに封印した、いくつかの「開かずの扉」。

その一つが、北方の地割れの下にあった。

だとしたら、残りの遺産はどこにある?


「陛下。王都に戻り次第、すぐに大規模なスキャンを行いたいと思います。この国の地下深く、あるいは空の彼方に、巨大な魔力反応が隠されていないか。私の全リソースを使って検索をかけます」


「分かった。王宮の魔導士団も総動員させよう。君の手足として使ってくれ」


「ありがとうございます。それと……」


私が言いかけたその時、馬車がガタンと大きく揺れた。

急ブレーキだ。

外から、レオンの鋭い警告の声が響いてくる。


「陛下! 前方に障害物! 何者かが街道を塞いでいます!」


「何だと?」


陛下が素早く窓を開ける。

私もその隙間から前方を確認した。

夕闇に沈む街道の真ん中に、一台の豪奢な馬車が横たわるようにして道を塞いでいた。

その馬車には、見覚えのある紋章が刻まれている。

双頭の鷲。

ガルニア帝国の紋章だ。


「……ジークフリート王子?」


私の呟きに応えるように、馬車の扉が開き、派手な衣装を纏った男が優雅に降り立った。

仮面をつけたその男――ジークフリートは、こちらに向かって大げさに手を振ってみせる。


「やあやあ、奇遇だねえ! こんなところでクラインハルトの英雄たちとすれ違うとは!」


「……奇遇なものか。明らかに待ち伏せだろう」


レオンが馬を寄せ、剣の柄に手をかけながらジークフリートを睨みつける。

陛下もまた、不快そうに舌打ちをした。


「あの男、また何か面倒事を持ち込んできたな。……ミカ、君は中にいなさい。私が話をつけよう」


「いえ、陛下。彼が用があるのは、間違いなく私ですわ」


私は首を横に振った。

私の「直感」という名の高精度予測アラートが、彼がただの挨拶に来たわけではないことを告げている。

彼もまた、何かを「見つけた」のだ。

この世界のバグに関わる、重要な何かを。


「行きましょう。情報をアップデートする良い機会です」


私は陛下の制止を振り切り、馬車の扉を開けた。

冷たい夜風と共に、ジークフリートの含みのある笑い声が聞こえてくる。


「待っていたよ、ミカ殿。君にどうしても見せたい『面白いオモチャ』を拾ってね」


彼が指差した馬車の荷台。

そこに積まれていたのは、泥と苔にまみれた、古びた金属製のプレートだった。

そこに刻まれた文字を見た瞬間、私の心臓が早鐘を打った。

それは、この世界のものではない。

日本語で、こう書かれていたのだ。


『第三サーバー室 冷却システム制御盤』


やはり。

予感は確信へと変わった。

サトウの遺産は、まだ生きている。そしてそれは、帝国の領内にまで根を張っているのだ。


「……ジークフリート様。そのガラクタ、どこで拾いましたの?」


私は冷静を装いながら、彼に歩み寄った。

レオンが即座に私の隣に並び、陛下もまた背後から無言の圧力を放ちながら続く。

三国のトッププレイヤーが、街道の真ん中で対峙する。

新たなクエストの発生だ。


「北の山脈の洞窟さ。君たちが派手に暴れ回ってくれたおかげで、崩落した壁の奥からこいつが顔を出してね」


ジークフリートはニヤリと笑い、プレートを放り投げて寄越した。

レオンがそれを受け止め、私に渡す。

触れた瞬間、指先から微弱な電流のようなものが走った。

まだ生きている。このプレートは、どこかのメインシステムとリンクしている。


「アクセス解析、開始」


私は小声で呟き、スキルを発動させた。

プレートを通じて、情報のラインを逆探知する。

データが奔流となって流れ込んでくる。

座標特定。

場所は……王都の地下?

いいえ、違う。もっと深く、もっと根源的な場所。


「……見つけましたわ」


私は顔を上げ、王都の方角を見据えた。

その瞳には、次なる戦場がはっきりと映っていた。


「レオン、陛下。急いで戻りますよ。本当の『大掃除』は、これからです」


私の言葉に、二人の英雄は力強く頷いた。

ジークフリートもまた、楽しそうに肩をすくめる。


「おや、私も混ぜてくれるかい? 退屈凌ぎにはなりそうだ」


「働いてくださるなら歓迎しますわ。ただし、私の指示には絶対服従でお願いしますね」


私は不敵に微笑み、再び馬車へと乗り込んだ。

休んでいる暇はない。

この世界に残された最大のゴミ屋敷――メインサーバー室への扉が、今まさに開かれようとしているのだから。

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