第62話 ロジスティクス革命と世界のバグ報告
市場の改革がもたらした効果は、劇的という言葉ですら生温いものだった。
人の流れが川のように淀みなく循環し、金貨の音が心地よいリズムを刻んでいる。
昨日まで閑古鳥が鳴いていた店には行列ができ、商人は嬉しい悲鳴を上げながら商品を補充していた。
たった一日。私が「動線」と「陳列」を少し弄っただけで、この村の経済活動は数倍の速度で回転し始めている。
「ミカ様! これを見てください! 昼前だというのに、もう在庫が空っぽです!」
若い商人が、空になった木箱を抱えて駆け寄ってきた。その顔は興奮で上気し、私のことをまるで女神か何かを見るような目で見つめている。
「当然の結果だ。客の視線誘導と購買心理に基づいた配置にしたのだからな。これまでは商品を探す手間が客の購買意欲を削いでいただけだ」
私は淡々と事実を告げた。
別に魔法を使ったわけではない。人間工学に基づいたUI/UXの改善を行ったに過ぎない。
だが、この世界の住人にとっては、それが奇跡のように映るらしい。
「素晴らしい……。ミカ、君は錬金術師よりも金を創り出すのが上手いな」
アルベルト陛下が、感嘆のため息をつきながら私の隣に立った。
平民の服を着崩してはいるが、隠しきれない気品が周囲の空気を圧倒している。
「錬金術などという不確定な技術と一緒にしないでいただきたいですね。これは純粋な論理と計算の産物です」
「ははは、手厳しいな。だが、そこがいい。君のその怜悧な頭脳が、私は欲しくてたまらないのだよ」
陛下が自然な動作で私の手を取り、指先に唇を寄せようとする。
その動きは洗練されており、周囲の村娘たちが黄色い悲鳴を上げかけた――その瞬間。
ガシッ、と無骨な手が陛下の腕を掴んだ。
「……陛下。公務中はお控えください」
レオン様だ。
その顔は笑っているようで、目は全く笑っていない。背後には、物理的な圧力が感じられるほどのどす黒いオーラが立ち上っている。
「レオン、君は本当に融通が利かないな。これは部下への労いだよ」
「労いにしては距離が近すぎます。護衛対象の安全確保のため、物理的距離の維持を要請します」
二人の英雄が、私の頭上で静かな、しかし激しい攻防を繰り広げている。
いつもの光景だ。私はやれやれと肩をすくめ、二人を放置して歩き出した。
「お二人とも、遊んでいる暇はありませんよ。次は『バックエンド』の最適化です」
私の言葉に、二人が弾かれたように顔を上げた。
「ばっくえんど……? また新しい言葉か」
「表の市場が綺麗になっても、裏の倉庫がカオスならすぐにパンクします。物流の拠点を整備しに行きますわよ」
私が指差したのは、村の外れにある巨大な石造りの建物だった。
村の共有倉庫。
外壁はひび割れ、入り口には壊れた木箱や藁が散乱している。そこから漂う空気は、明らかに「停滞」の色を帯びていた。
「……なるほど。あそこがこの村のアキレス腱というわけか」
陛下が真剣な表情に戻り、顎を撫でる。
「ええ。在庫管理のできていない店舗など、穴の空いたバケツで水を汲むようなものです。今すぐ修復パッチを当てに行きます」
私はドレスの裾を翻し、倉庫へと向かった。
最強の皇帝と騎士団長を引き連れての、大掃除ならぬ「ロジスティクス革命」の始まりだ。
◇
倉庫の扉を開けた瞬間、私は顔をしかめて一歩後ずさった。
酷い。あまりにも酷い。
埃とカビの臭い。そして何より、視界を埋め尽くす無秩序な物体の山。
農具の上に食料袋が積まれ、その隙間に衣類が押し込まれている。奥の方には何十年も前に使われていたであろう壊れた家具が積み上がり、化石のように風化していた。
これでは必要なものを取り出すのに半日はかかるだろう。
在庫の回転率は最悪。デッドストックの山。資産管理という概念が欠落している。
「……ミカ。これはさすがに、手作業では無理ではないか?」
レオン様が呆れたように天井近くまで積まれたガラクタの山を見上げる。
確かに、普通なら絶望して回れ右をするレベルだ。
だが、私の社畜魂に火をつけるには十分すぎる燃料だった。
「いいえ。むしろ燃えてきました。これだけ乱雑なら、整理した時のパフォーマンス向上率は計り知れませんわ」
私は倉庫の入り口に立ち、村人たちを集合させた。
村長をはじめ、力自慢の男たちが不安そうな顔で集まってくる。彼らにとって、この倉庫は「魔窟」のような認識なのだろう。
「皆様。今からこの場所を、村の心臓部へと作り変えます。私の指示通りに動いてください」
私の宣言に、村人たちがざわめく。
「作り変えるって……どうやって?」
「こんなガラクタの山、どうしようもねえよ」
「どうしようもなくありません。ルールがないだけです。今から私が、この倉庫のOSをインストールします」
私は右手を掲げた。
スキル発動。
視界に青白いグリッドが走り、倉庫内の全ての物品がデータ化されていく。
アイテムの種類、鮮度、使用頻度、耐久性。
膨大な情報が脳内を駆け巡り、瞬時に最適解が導き出される。
「まずはゾーニングです! 倉庫内をAからDの四つのエリアに分割します!」
私は足元の石畳に、チョークで線を引いた。
「入り口に近いAエリアは『高頻度出庫ゾーン』! 毎日使う農具や当面の食料はここに集約します! 移動コストを最小限にするためです!」
「なるほど、よく使うものを手前に……理にかなっている」
陛下が感心したように頷き、上着を脱ぎ捨てた。
白いシャツの袖をまくり上げ、やる気満々だ。
「よし、私も手伝おう。どこの国の王が倉庫整理をするのかと笑われるかもしれんが、君の指揮下で動くのは悪くない気分だ」
「陛下!? なりません、そのような汚れ仕事を!」
「レオン、君も動け。ミカの手を煩わせるな」
「くっ……! 承知しました! ミカ、重いものは全て俺に任せろ!」
レオン様も諦めてマントを脱ぎ捨てた。
この国のトップ二人が肉体労働に従事する。前代未聞の光景だが、使えるリソースは全て使うのが私の主義だ。
「では行きますわよ! レオン様は奥の重量物をAエリアへ! 陛下は中層の木箱をBエリア『中頻度ゾーン』へ! 村の皆さんは細かい資材をCエリアへ分類してください!」
私の指示が飛ぶと同時に、倉庫内が劇的に動き出した。
レオン様は人間離れした身体能力で、大の男が四人がかりで運ぶような巨大な棚を軽々と持ち上げ、指定された位置へと移動させる。
陛下も意外なほどの力強さで、テキパキと木箱を積み上げていく。その所作には無駄がなく、優雅ささえ漂わせていた。
「そこの穀物袋! 床に直置きは厳禁です! 湿気で腐りますわよ! 私が用意したパレットの上に積んでください! これは『先入れ先出し』の原則を守るためです!」
私はスキルで解析した湿気マップに基づき、通気性の良い配置を指示する。
古い在庫を手前に、新しい在庫を奥に。単純だが、これを徹底するだけで廃棄ロスは激減する。
「ミカ様、この壊れた荷車はどうしますか?」
「廃棄です。修理コストが新品購入価格を上回っています。サンクコストに囚われてはいけません。場所の無駄です」
私の冷徹な判断により、長年放置されていたゴミが次々と外へ運び出されていく。
倉庫の中に光が差し込み、空気が循環し始めた。
物の住所が決まっていく。
カオスだった空間に、秩序という名の背骨が通っていく快感。
「すごい……。何がどこにあるか、一目で分かるぞ」
作業開始から数時間後。
村長が、生まれ変わった倉庫を見て震える声を出した。
壁には私が作成した在庫管理ボードが掛けられ、どの棚に何があるかが一目瞭然になっている。
通路は広く確保され、荷車がスムーズに行き交えるようになった。
「これなら、出し入れの時間が今までの十分の一で済みます。空いた時間は、生産活動に回してください」
私が告げると、村人たちから割れんばかりの歓声が上がった。
「ミカ様! ありがとうございます!」
「あんたは村の救世主だ!」
口々に感謝を述べる村人たち。
私は額の汗を拭い、満足げに頷いた。
これが整理整頓の力だ。
ただ綺麗にするだけではない。時間という最も貴重な資源を生み出すことこそが、真の目的。
「見事だ、ミカ。君は空間だけでなく、人々の意識まで整理してしまうのだな」
陛下がタオルで汗を拭きながら、眩しそうに私を見た。
その隣で、レオン様が水筒を差し出してくる。
「飲め。喉が渇いただろう」
「ありがとうございます、レオン様」
冷たい水が体に染み渡る。
充実感が胸を満たす。
しかし、作業はこれで終わりではなかった。
私は倉庫の最奥、長年ガラクタの山に埋もれていた壁際に、奇妙なものを見つけていたのだ。
「……お父様。あれは一体何ですか?」
私が指差した先には、壁に埋め込まれた古びた金属製のプレートがあった。
錆びついてはいるが、そこに刻まれた文字は、この世界のものではない。
明らかに、日本語のフォントだ。
『第4セクター 予備資材保管庫 管理者:SATO』
父が近づいてきて、首を傾げた。
「ああ、あれか。曽祖父の代からある『開かずの扉』だよ。鍵穴もないし、壊そうとしても傷一つ付かない。気味が悪いからゴミで隠していたんだが……」
「サトウ……」
私はその名を呟いた。
王都の地下書庫で見つけた、かつての転生者「賢者サトウ」。
彼が残した遺産が、こんな田舎の村にも眠っていたとは。
私のスキルが、プレートの裏側にある微弱な魔力反応を検知する。
これはただの扉ではない。システムの一部だ。
「お父様。この場所、他にも似たような『開かずの扉』があるという話、聞いたことはありませんか?」
「ん? そういえば……昔話だが、北の山脈の洞窟や、南の湖の底にも、同じような『絶対に開かない扉』があるという伝承があったな。ご先祖様が封印した『災いの箱』だとか何とか」
災いの箱。
それはおそらく、サトウが管理しきれずに封印した、システムのバグや未処理データのことだろう。
王都の地下施設だけではない。この世界中に、彼が残した「負の遺産」が点在している。
そして今、それらが限界を迎えて悲鳴を上げているのだ。
「……嫌な予感がしますわ」
背筋に冷たいものが走る。
先日の実家での「豊穣の小箱」の暴走。あれもサトウの遺産の一つだった。
それが連鎖的に起動し始めているとしたら?
その時だった。
村の入り口から、悲鳴のような馬のいななきが聞こえた。
全員が振り返る。
夕闇の中、一頭の早馬が倒れ込むようにして入ってきた。
乗っていたのは、王宮の伝令兵だ。
鎧は泥まみれで、顔色は土気色をしている。
「へ、陛下……! 緊急事態です……!」
伝令兵は馬から転がり落ち、這うようにして陛下の足元へすがった。
「何があった。申せ」
陛下の声が、一瞬で為政者のものへと変わる。
伝令兵は、震える唇で信じがたい報告を口にした。
「北方の国境付近で……世界が、壊れました」
「壊れた? どういう意味だ」
レオン様が鋭く問い詰める。
「文字通りの意味です! 地面が割れたのではありません! 風景が……風景の一部が、ごっそりと消滅しているのです!」
「消滅だと?」
「はい! 山も、森も、空さえも! そこにあるはずのものがなくなり、向こう側が……何もない『虚無』が広がっています! しかも、その『穴』から、見たこともない色のノイズのようなものが溢れ出して……!」
伝令兵の言葉に、村人たちが悲鳴を上げた。
だが、私だけはその現象の正体を正確に理解していた。
テクスチャの欠落。
あるいは、レンダリングエラー。
世界の描画処理が追いつかず、空間そのものがバグを起こしているのだ。
「……ガラクタが増えるどころの話ではありませんわね」
私は唇を噛んだ。
実家の箱は、物質をコピーするだけだった。
だが今度は、空間そのものが崩壊し始めている。
サトウが残したシステムの根幹に関わる致命的なエラー。
それが今、北の地で牙を剥いたのだ。
「ミカ。これは……」
レオン様が、不安げに私を見る。
私は力強く頷き、二人の英雄に向き直った。
「行きましょう。これは私にしか直せません。世界のOSがクラッシュする前に、修正パッチを当てに行きます」
「ああ。君が言うなら、地獄の底でもついて行く」
レオン様が即座に応え、剣を握った。
陛下も、鋭い眼光で北の空を睨む。
「私の国を、バグごときに食わせてたまるか。総員、出発準備だ!」
のどかな村の夕暮れは、一瞬にして戦場の気配へと塗り替えられた。
ロジスティクス革命の次は、世界のデバッグ作業だ。
休む暇などない。
だが、望むところだ。
私の目の前で、散らかったままの世界なんて、絶対に許さない。
私は馬に飛び乗り、北へと向けて手綱を振るった。
その背中には、確かな使命感と、頼もしい二人の気配があった。




