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第61話 田舎領地のボトルネックと皇帝の遠足

窓の外に広がる景色は、一言で言えば「処理落ち寸前のサーバー」だった。


私の実家、アシュフィールド子爵家の屋敷は、先ほどの「お片付け」によって新築同然の輝きを取り戻している。磨き上げられた床は大理石のように光を反射し、空気中には微細な埃ひとつ舞っていない。完璧なクリーンルームだ。

だが、窓枠の向こう側に広がる領地の光景は、それとは対照的にあまりにも雑然としていた。


狭い街道を行き交う荷馬車は互いの車輪を擦り合わせんばかりに密集し、交差点では右往左往する人々が絶望的な渋滞を引き起こしている。建物の配置には都市計画の欠片もなく、まるで積み木を適当にばら撒いたかのような無秩序さだ。

物流の停滞。情報の未達。リソースの無駄遣い。

前世でデスマーチの最中に見た、仕様変更だらけのスパゲッティコードを見せられている気分だ。


「……お父様。屋敷の中は綺麗になりましたが、外の状況は随分と『高負荷』なようですわね」


私は窓枠に手を突き、振り返らずに告げた。

背後では、父が新しくなったばかりのふかふかのソファに深く沈み込み、極上の茶葉で淹れた紅茶をすすっている。屋敷がゴミ屋敷から脱却した安心感で、完全に弛緩しきっていた。


「ああ、ミカの言う通りだ。だが、これでも何とか回ってはいるんだよ。昔からの慣習でね、みんな我慢強いから」


父の呑気な声に、私はこめかみを指で押さえる。

我慢でシステムを維持するなど、破綻へのカウントダウンでしかない。現場の努力と根性だけで回しているプロジェクトなど、いずれ必ず炎上する。それは前世の私が骨の髄まで理解している真理だ。


「慣習ではありません。それは単なる思考停止です。見てください、あそこの交差点。荷馬車が一台通るのに十分もかかっています。これでは新鮮な野菜も市場に着く頃には鮮度が落ちてしまいますわ」


「うぐっ……。し、しかしだな、道を広げるには金も人手も……」


「必要なのは金でも人手でもありません。適切な『ルール』と『配置』です」


私はくるりと踵を返した。

部屋の隅には、この国の頂点に立つ二人の男が、まるで私の実家が自分の城であるかのように寛いでいる。

皇帝アルベルト・フォン・クラインハルト陛下は、楽しそうに瞳を輝かせて私を見ていた。


「面白そうだな、ミカ。王都の予算を一瞬で整理したその手腕、今度はこの田舎の村で振るうつもりか?」


「ええ、もちろんです陛下。目の前に最適化されていないシステムがあるのに、放置して帰るなんて気持ち悪くて眠れません」


「ははは! 君らしい。君が手を加えれば、この寂れた領地も黄金郷に変わるのだろうな。ぜひ見せてもらおう」


陛下は立ち上がり、期待に満ちた目で私を見下ろした。この人は本当に、私が常識外れなことをすればするほど喜ぶ。

その隣で、騎士団長のレオン様が剣の柄に手を置き、鋭い眼光を周囲に走らせていた。


「ミカ。やるなら俺が全力でサポートする。だが、無理はするなよ。君は先ほど魔力を使い果たしたばかりだ」


「問題ありません、レオン様。これからやるのは魔法のような奇跡ではなく、論理的な業務改善ですから」


「……君の言う『業務改善』が、俺たちの想像するそれとは次元が違うことは学習済みだ。とにかく、俺のそばを離れるな」


レオン様の過保護ぶりは、王都にいる時よりも増している気がする。田舎の空気は彼のような堅物には少し刺激が足りないのかもしれない。

私はテーブルの上に、父が蔵から引っ張り出してきた領地の地図と、カビ臭い収支報告書を広げた。


「では、現状分析から始めます。……ああ、もう! なんですかこの非効率な動線は!」


地図を一目見ただけで、私の頭の中で警告音が鳴り響く。

村の中心にある市場へ向かう道が、なぜか一度川沿いを大きく迂回している。しかも、その川沿いの道は地盤が緩く、頻繁に泥濘んで荷馬車の足を奪っているようだ。

さらに悪いことに、住居エリアと商業エリアの区分けが曖昧で、鍛冶屋の隣にパン屋があり、その向かいに肥料置き場がある。騒音、悪臭、粉塵。環境最悪の立地条件だ。


「これでは住民のストレス指数が限界突破してしまいます。よくこれで暴動が起きませんでしたね」


「そ、それは……みんな顔見知りだし、なあなあで……」


父が冷や汗を拭いながら言い訳をする。

田舎特有の「なあなあ」という名のバグ。まずはこれを修正しなければならない。


「決定しました。今から村へ視察に行きます。現場を見ずして改革なし、ですわ」


私が宣言すると、レオン様と陛下が同時に動いた。

まるで私の親衛隊のように、左右を固める。


「馬車を用意させよう」


「いや、歩きだ。細かい路地を確認する必要がある」


私が言うと、レオン様は即座に頷いた。


「分かった。足元の悪い場所も多いだろう。俺の手を離すな」


「レオン、君ばかりいい格好はさせないぞ。私もミカの手を引く権利があるはずだ」


「陛下は大人しく後ろをついてきてください。護衛対象が増えると面倒です」


「なんだと? 私は剣の腕も一流だぞ」


また始まった。この国最強の二人が、私の左右で子供のような言い争いを始めている。

私はため息をつきつつ、その頼もしさに口元が緩むのを止められなかった。

最強の騎士と最高の権力者を従えての、領地改革。これほど贅沢なプロジェクトチームは、世界中どこを探しても存在しないだろう。


屋敷を出て村のメインストリートに足を踏み入れると、独特の湿った土の匂いと、家畜の糞の匂いが鼻をついた。

すれ違う村人たちが、私たちの姿を見てギョッとして立ち止まる。

無理もない。泥だらけの田舎道に、王都の流行最先端を行くドレスを着た少女と、見るからに高貴なオーラを纏った二人の美丈夫が現れたのだから。


「あ、あれは……領主様のお嬢様か?」

「なんて綺麗なんだ……隣にいるのは誰だ? 王子様みたいだぞ」


ひそひそ話が聞こえてくるが、私は構わず歩を進めた。

私の視界には今、現実の風景の上に青白いグリッド線が重なって見えている。スキル《完璧なる整理整頓》による、空間スキャンモードだ。


「……あそこの角。あんな所に古井戸が放置されています。子供が落ちたらどうするんですか。撤去対象」


指差した先には、蔦に覆われた危険な古井戸があった。


「それから、あの家の軒先。荷物が道路にはみ出しています。道幅の三十パーセントを占有している。これでは馬車がすれ違えません。収納スペースの確保が必要」


私はブツブツと呟きながら、脳内のマップに次々と赤いチェックマークを入れていく。

ボトルネックの特定。リスクの可視化。

改善すべき点は、歩けば歩くほど湧いてくる。


「ミカ様! お帰りなさいませ!」


不意に、一人の初老の男性が駆け寄ってきた。この村の村長だ。

彼は私の後ろにいる陛下とレオン様を見て腰を抜かしそうになっていたが、なんとか私に向き直った。


「こ、これはこれは……屋敷が綺麗になったと思ったら、今度は村の見回りですか?」


「ええ、村長。この村、少し『重い』と思いませんか?」


「は? 重い、でございますか?」


「動きが鈍いということです。無駄な脂肪がつきすぎていますわ。今から少し、シェイプアップさせていただきます」


私はニッコリと笑い、村の中央広場へと向かった。

そこは市場として使われている場所だが、その惨状たるや凄まじいものだった。

テントが無秩序に乱立し、客の通り道は迷路のように入り組んでいる。どこに何が売っているのか、看板すら出ていない店も多い。

これでは購買意欲が湧くどころか、遭難しに来たようなものだ。


「レオン様、陛下。あそこの高い台の上まで連れて行ってくださいますか? 全体を見渡したいのです」


「お安い御用だ」


レオン様が私の腰に手を回し、軽々と抱き上げる。

一跳びで、広場の隅にある見張り台の上へと移動した。

陛下も軽やかな身のこなしで後に続く。


高台から見下ろすと、市場のカオスっぷりが一目瞭然だった。

人の流れが数箇所で完全に滞留している。

人気の肉屋の行列が、隣の八百屋の入り口を塞ぎ、そのせいで八百屋の客が通路に溢れ、通行人をブロックしている。典型的なデッドロック状態だ。


「……美しい配置とは言えんな」


陛下が眼下の光景を見て呟いた。


「ええ。美しくないものは、機能的ではありません。今すぐ修正パッチを当てます」


私は大きく息を吸い込み、腹の底から声を張り上げた。

魔力を少し乗せた声は、広場全体にクリアに響き渡った。


「皆様! 注目してください! アシュフィールド子爵家長女、ミカです!」


広場の喧騒がピタリと止む。

数百人の視線が、見張り台の上の私に集中した。


「今からこの市場のレイアウトを大幅に変更します! 売上を倍にしたいお店の方は、私の指示に従ってください!」


「う、売上が倍だって……?」

「あのお嬢様、何を言ってるんだ?」


ざわめきが広がるが、私は間髪入れずに次の言葉を放つ。


「嘘ではありません! この村の物流効率は現在、本来のポテンシャルの二十パーセントしか発揮できていません。配置を変えるだけで、劇的に改善します!」


私は右手を掲げた。

スキル発動。

私の脳内で、市場の全ての屋台、商品、そして人の動きがデータ化される。

シミュレーション開始。

肉屋をあちらへ。八百屋はこっち。通路の幅を二メートル拡張。休憩スペースを中心ではなく四隅に分散。

数千通りの組み合わせを瞬時に演算し、最適解を弾き出す。


「そこの赤い屋根のお店! 三メートル右へ移動してください! 西日が当たって商品が傷みます!」


「えっ、わ、わしですか?」


「そうです! そしてそちらの青いテント! 入り口を南に向けて! 風通しを良くして客を呼び込みます!」


私の矢継ぎ早な指示に、最初は戸惑っていた商人たちも、レオン様と陛下が放つ無言の圧力――「従わなければどうなるか分かっているな?」というオーラ――に押され、慌てて動き出した。


「お、おい! 手伝え! お嬢様の言う通りに動かすぞ!」

「へい! よっと!」


市場全体が、巨大なパズルのように動き出す。

私はその中心で指揮者のようにタクトを振るった。


「その荷車は邪魔です! 裏のスペースへ!」

「乾物屋と鮮魚店は離して! 湿気厳禁です!」


私の指示通りに配置が変わるたび、淀んでいた人の流れがサラサラと流れ出すのが目に見えて分かった。

まるで詰まっていた血管が開き、血液が勢いよく循環し始めたかのような快感。


「すごい……。人が、ぶつからなくなったぞ」

「商品が見やすくなった! これなら客も立ち寄りやすい!」


商人たちの顔色が、疑念から驚きへ、そして歓喜へと変わっていく。

変化は即座に現れた。

渋滞が解消されたことで、客の回転率が上がり、今まで奥にあって気づかれなかった店にも人が入り始めたのだ。


「ミカ様! ありがとうございます! 在庫があっという間になくなりそうです!」


一人の果物売りが、涙目で手を振ってくる。


「当然ですわ。あなたの店の林檎は色艶が良いのに、日陰にあって見えなかっただけですもの」


私は満足げに頷いた。

これこそが、整理整頓の力。

物の価値を正しく評価し、あるべき場所へ導くことで、埋もれていた可能性を最大限に引き出す。


「見事だ、ミカ。君は人の流れさえもデザインするのか」


陛下が感嘆のため息を漏らした。


「私がデザインしたのは流れではありません。人々の『快適さ』ですわ」


ストレスのない環境は、人の心を豊かにし、財布の紐を緩める。

経済活動の基本中の基本だ。


「ミカ。そろそろ降りよう。風が出てきた。君の体が冷えてしまう」


レオン様がマントを広げ、私を包み込むようにして抱き寄せた。

市場の改革が一段落したのを見計らって、即座に過保護モードを発動させる。この切り替えの早さはさすがだ。


「ありがとうございます、レオン様。でも、まだ終わりではありませんわ」


「まだあるのか? もう十分すぎるほど成果は出ていると思うが」


「いいえ。これはハードウェアの整備に過ぎません。次はソフトウェア……つまり、人々の意識改革が必要です」


私はレオン様の胸に寄りかかりながら、次なるターゲットを見据えた。

村の外れにある、巨大な倉庫。

あそこには、村の備蓄食料や資材が保管されているはずだが、外観からして管理が行き届いていないのが丸わかりだ。

在庫管理の不備は、緊急時の命取りになる。


「あそこも『お片付け』します。徹底的にね」


私が指差すと、陛下が楽しそうに笑った。


「君の辞書に『妥協』という言葉はないようだな。いいだろう、付き合おう。この村がどこまで変わるのか、最後まで見届けさせてもらおうか」


「俺もだ。君が行くなら、地獄の底だろうとゴミ溜めだろうとついて行く」


二人の英雄の頼もしい言葉に、私は不敵な笑みを返した。

この最強のパーティがいれば、どんなカオスな現場も怖くない。


「では、参りましょうか。次は在庫管理システムの構築ですわよ!」


私はレオン様に抱えられたまま、高らかに宣言した。

アシュフィールド領の改革は、まだ始まったばかりだ。

私の頭の中にはすでに、この領地を王国一の生産拠点へと変貌させるための、完璧なロードマップが描かれていた。


村人たちの活気ある声が、夕暮れの空に響き渡る。

それは、長い停滞から抜け出し、新たな時代が動き出したことを告げるファンファーレのようだった。

私は心地よい達成感と、レオン様の体温に包まれながら、次の現場へと視線を向けた。

さあ、残業時間の始まりだ。私は最高の笑顔で、二人の腕を引いた。

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