表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/66

第60話 無限コピーのバグを修正せよ

「……『豊穣の小箱』? 何よ、その大層な名前は」


私は目の前に転がる古びた木箱を見下ろし、呆れた声を漏らした。

父が『幸せの箱』などと呼んで大切にしていた、この粗末な木箱。

これこそが、アシュフィールド領をゴミの海に沈めた元凶である。

私のスキル《完璧なる整理整頓》が、冷徹な解析結果を弾き出した。

視界に浮かぶ青いウィンドウには、信じられない文字が並んでいる。

かつては食料を増やすための、ありがたい魔道具だったらしい。

種を入れれば十倍に、パンを入れれば五倍に増えるという。

飢饉に苦しむ領民を救うための、素晴らしい古代の遺産だ。

しかし、今のこの箱はただのバグ製造機に成り下がっている。

内部の魔力回路が焼き切れ、制御プログラムが完全に暴走していた。

近くにある物体のデータを無差別に読み込み、複製し続けているのだ。

石ころ、枯れ葉、埃、そして壊れたガラクタ。

価値のないデータを無限ループでコピーし、実体化させて吐き出す。

いわば、ウイルスに感染してスパムメールを撒き散らすサーバーだ。

放置すれば、領地どころか国中がゴミで埋め尽くされるだろう。

私は溜め息をつき、お父様の方を振り返った。


「お父様、こんな危険なものを放置していたの?」


「いや、先祖代々伝わる家宝だと聞いていたんだ。使い方も分からんが、とりあえず蔵にしまっておけばいいと、おじい様から言われておってな」


父は困ったように頭を掻き、視線を泳がせている。

管理マニュアルのないレガシーシステムほど、恐ろしいものはない。

メンテナンスもされずに数百年も稼働していれば、バグらない方がおかしい。


「幸せどころか、ゴミ屋敷の元凶ですわ。今すぐシステムをシャットダウンします」


私は宣言し、不気味に明滅する箱へと歩み寄った。

紫色の光が、ドクンドクンと脈打っているのが見える。

まるで、生き物のような悪意を感じる光だ。

私が手を伸ばそうとした、その瞬間だった。


「危ない! ミカ、直接触れるな! 魔力が暴走している、目に見えるほど濃いぞ。君の精神まで汚染されたらどうするつもりだ」


横から伸びてきた強い力が、私の手首を掴んだ。

騎士団長レオン・アークライトだ。

彼の蒼い瞳が、私を案じて激しく揺れている。

彼の言葉は正しい。

普通の魔術師なら、触れた瞬間に廃人になるレベルの魔力密度だ。

だが、私には関係ない。

私は、この世界の理すら整理する管理者なのだから。

私はレオン様の手を優しく解き、余裕たっぷりに微笑んでみせた。


「大丈夫です、レオン様。私のスキルは、混沌を拒絶しますから。整理整頓の極意は、まず元を断つことですわ」


私の言葉に、レオン様は一瞬だけ躊躇した。

しかし、すぐに私を信じて手を離してくれる。

これを止めなければ、アシュフィールド領はゴミに沈む。

私は意を決して、光り輝く箱に両手をかざした。

手袋越しでも分かる、ビリビリとした不快な振動が伝わってくる。

データが悲鳴を上げているのだ。


「システム介入、開始」


私が呟いた瞬間、バチリと激しい衝撃が指先を襲った。

脳内に、ノイズ混じりの不快な音が響き渡る。

視界を埋め尽くす、膨大なエラーログ。

無数の「スプーン」「皿」「布」「石ころ」という文字。

それらが猛烈な勢いで流れ去っていく。

箱が、自分自身の存在を維持しようと抵抗しているのだ。

私という異物を排除しようと、大量のジャンクデータを送りつけてくる。

一秒間に数億件もの処理落ち寸前のデータ。

普通の人間なら、脳が焼き切れて即死するだろう。

だが、私にとっては慣れ親しんだ光景だった。

前世のデスマーチに比べれば、こんなものはそよ風だ。


「……甘いですわね。この程度のデータ量で、私をパンクさせられるとでも思って?」


私は不敵に笑い、さらに強く意識を集中させた。

私の脳内で、最強のセキュリティソフトが起動する。

スキルの出力、全開。

情報の奔流を、真正面から受け止めてねじ伏せる。

私の指先から、清浄な青い光が溢れ出した。

その光は紫色の淀みを侵食し、瞬く間に箱全体を包み込む。

私の意思が、箱のコアシステムに到達した。

見つけた。

暴走しているコマンドラインだ。

『COPY』の命令が、無限に繰り返されている。

私は脳内の仮想キーボードを叩き、その命令を書き換えた。


「不要なコピー命令を全て停止! 無限ループを解除! ついでに、キャッシュも全消去です!」


私の叫びに呼応するように、箱から溢れていた光が収束していく。

暴れていた魔力の奔流が、一箇所に集まり、静かになっていった。

エラー音が消え、クリアな通知音が鳴り響く。

『処理完了』。

その文字が、脳内に浮かんだ。


「システム、正常化。バグを修正しました」


最後の一押しをすると、箱はパタンと音を立てて閉まった。

漏れ出していた紫色の光は消え、ただの古い木箱に戻った。

周囲に漂っていた重苦しい空気も、一瞬で晴れていく。

圧倒的な静寂が、蔵の中を満たした。


「……終わりましたわ。ふぅ」


私はその場にへたり込んだ。

全身の力が抜け、汗が滝のように流れる。

作業時間はわずか数秒だったが、濃密な時間だった。

その間に処理した情報量は、国家図書館数個分に匹敵するだろう。

さすがに、少し疲れた。


「ミカ!」


倒れそうになった私を、逞しい腕が受け止めた。

レオン様だ。

彼は私を抱きかかえ、自分の胸に顔をうずめさせた。

硬い鎧越しに、彼の激しい心臓の音が聞こえる。

それほどまでに、私を心配してくれていたのだ。


「よく頑張ったな。君の勇気には、いつも驚かされる。あれほどの魔力の暴走を、一瞬で鎮めるとは」


彼は私の髪を、愛おしそうに撫でた。

その手つきは優しく、私の疲れを溶かしていくようだ。


「……恥ずかしいです、レオン様。みんなが見ていますわ」


私は真っ赤になって抗議したが、彼は離してくれなかった。

むしろ、さらに強く抱きしめられる。


「素晴らしい。ミカ、君はまたしても世界を……いや、我が領地を救ったのだな」


背後から、感嘆の声が聞こえた。

アルベルト陛下だ。

彼は歩み寄り、私の手を取って跪いた。

まるで、女神を崇める信徒のような眼差しだ。


「君の力は、やはり規格外だ。この箱、調査のために王宮へ持ち帰ろう。君のスキルで、安全に保管しておいてくれ」


陛下の判断は的確だった。

こんな危険物、実家に置いておくわけにはいかない。

父がまたうっかり開けたら、今度こそ屋敷が沈んでしまう。


「分かりました。私の『アイテムボックス』の中なら、暴走することはありません」


私は箱を無造作に掴み、空間の裂け目へと放り込んだ。

私のアイテムボックス内は、時間が停止した絶対安全圏だ。

どんな危険な魔道具も、ここではただの置物に過ぎない。

これで、ゴミが自然発生することはない。

お片付けの第一段階、完了である。

私はレオン様の腕の中で、大きく息を吸い込んだ。

蔵の外に出ると、空は澄み渡り、心地よい風が吹き抜けていた。

ゴミの山で見えなかった空が、今はこんなにも青い。


「お父様、もう大丈夫よ。これからはゴミが増えることはないわ」


私が告げると、父はその場に泣き崩れた。

長年の悪夢から解放された安堵で、顔がくしゃくしゃになっている。


「ああ、ありがとう、ミカ。お前は本当に我が家の誇りだ。こんなに立派になって……」


父は涙を拭い、感極まった様子で私を抱きしめようとした。

だが、その腕が私に届くことはなかった。

横からスッと伸びてきた腕が、父の身体を物理的にブロックしたからだ。


「……気安く触れるな。彼女は今、魔力を使い果たして疲れているんだ」


レオン様が、私を背後に隠して父を牽制する。

その眼光は、魔王を前にした時よりも鋭い。


「な、なんだと! わしは父親だぞ!」

「俺はただ、彼女の安全を最優先しているだけだ」


過保護な騎士団長と、娘離れできない父親。

二人が子供のような言い争いを始めた。

陛下はそれを楽しそうに眺めている。

なんて平和な光景だろう。

私は呆れて、空を見上げた。

だが、感傷に浸っている時間はない。

バグの根源は断ったが、物理的な問題はまだ残っている。


「さて、次は屋敷の中の『お片付け』ですね」


私は袖をまくり、屋敷の中を見回した。

魔法で作られたコピー品は消えたが、元からあったガラクタはまだ残っている。

壊れた家具、古い書類、用途不明の道具。

長年蓄積された、正真正銘のゴミたちだ。

これらを全て整理し、領地全体の効率を上げなければならない。

私の中の社畜魂が、再び燃え上がった。


「レオン様、陛下。お手伝い、お願いしますわね」


私の言葉に、言い争っていた二人がピタリと止まった。


「えっ、俺たちがやるのか?」


陛下が驚いたように聞き返した。

目を丸くして、自分の豪華な服を見下ろしている。

皇帝に掃除をさせるなど、不敬罪で斬首されても文句は言えない。

だが、今の私は最強の現場監督だ。

遠慮などしない。


「当然です。視察に来たのでしょう? 領民の苦労を知る絶好の機会ですわ。さあ、まずはこの埃まみれのカーテンを外しますよ」


私は二人に、ほうきと雑巾を差し出した。

にっこりと、有無を言わせぬ笑顔で。


「……分かった。ミカが言うのなら、俺はやるぞ」


レオン様は真面目な顔でほうきを受け取った。

愛する人の頼みなら、たとえ火の中水の中。

掃除だろうと全力で挑むのが、騎士道らしい。


「私も、たまには汗を流すのも悪くないな。君との共同作業だと思えば、雑巾がけも悪くない」


陛下も楽しそうに雑巾を受け取った。

面白がっているだけかもしれないが、戦力としては十分だ。

最強の掃除部隊の結成である。

私たちは一日かけて、屋敷の中をピカピカに磨き上げた。

私はスキルの『鑑定』を使い、本当に必要なものだけを選別していった。


「これは修理可能、これはリサイクル。……このエロ本は即、廃棄処分です」


私は父の書斎から出てきた、怪しげなタイトルの本を手に取った。

『魅惑の女騎士・夜の特訓』。

こんなものを娘に見られるなんて、教育上よろしくない。


「ひ、ひえぇ! それはわしの宝物がぁ!」


父の悲鳴が屋敷に響く。

必死に手を伸ばしてくるが、遅い。


「不要なデータです。完全削除」


私は無慈悲にゴミ袋へ詰め込んだ。

容赦のない断捨離である。

隣でレオン様が、真っ赤な顔をして咳払いをしていた。

陛下はニヤニヤしながら、表紙を盗み見ている。

男なんて、みんなこんなものだ。

部屋から物が減るにつれ、家の中の空気がどんどん軽くなっていく。

風通しが良くなり、光が部屋の隅々まで届くようになる。

夕暮れ時、屋敷は見違えるように綺麗になった。

床は鏡のように輝き、窓からは夕焼けの光が美しく差し込んでいる。

埃っぽかった空気は、清涼な森の香りに変わっていた。


「ああ……こんなに綺麗な我が家は、何年ぶりだろう。まるで、新築の屋敷のようだ」


父が感動して、床を撫でている。

その背中は、朝よりもずっと小さく見えた。

ゴミという重荷を下ろして、ようやく安心できたのだろう。


「お父様。これからは、物を増やさないでね。一つ買ったら、一つ捨てる、それがルールよ」


「肝に銘じておくよ」


父は深く頷き、私に手を合わせた。

神様か何かだと思っているのだろうか。


「ミカ、よくやった。君の仕事ぶりは、いつ見ても完璧だ」


レオン様が、私の顔を優しく拭いてくれた。

彼のハンカチからは、良い香りがした。

一日中掃除をしていたはずなのに、彼は爽やかなままだ。

さすがは、最強の騎士様である。


「ありがとうございます。でも、これで終わりではありませんわ」


私は新たな企画書を、脳内に描いた。

実家の掃除は、ほんの序章に過ぎない。

私の視線は、窓の外に広がる領地全体へと向けられていた。


「実家の屋敷が綺麗になったのなら、次はこの『領地全体』の最適化です」


アシュフィールド領は、まだまだ非効率な部分が多い。

物流のルート、農作業の手順、税金の管理。

古臭い慣習や、無駄な手続きが山のようにある。

私が整理すべき場所は、見渡す限り広がっているのだ。


「……君は、休むということを知らないのか?」


陛下が、呆れたように、でも嬉しそうに言った。

彼は私の、仕事に燃える瞳を見るのが好きらしい。


「仕方がありませんわ。お片付けを待っている場所があるんですから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ