第59話 ゴミに埋もれたアシュフィールド家
王宮の執務室は、重苦しい沈黙に包まれていた。
私の手の中にあるのは、実家のアシュフィールド子爵領から届いた一通の手紙だ。
見慣れた父の筆跡は、恐怖で震えているように見えた。
そこに書かれていたのは、「助けてくれ」という悲痛な叫びだった。
「家の中に、得体の知れないゴミが溢れ出している」という一文が、私の思考を停止させる。
前世でも、実家がゴミ屋敷化したというニュースはよく耳にした。
まさか、異世界の私の家族までそうなってしまうとは思いもしなかった。
私は頭を抱えて、深い溜め息を吐いた。
せっかく王宮の予算を最適化し、国のシステムを正常に戻したばかりだというのに。
次から次へと、新たなタスクが私の前に積み上がっていく。
まるで、終わりのないデバッグ作業のようだ。
「ミカ。顔色が悪いぞ。どうしたんだ?」
隣に控えていたレオン様が、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
彼の蒼い瞳には、私への深い懸念と愛情が滲んでいる。
私は彼に手紙を見せて、事情を説明した。
「お父様から手紙が来たんです。実家が大変なことになっているみたいで。」
「ゴミが溢れているだと? 魔物の仕業か、それとも何らかの呪いか。」
レオン様は驚き、すぐに騎士団長としての鋭い顔つきになった。
彼は腰の剣に手をかけ、見えない敵を警戒する。
「分かりません。でも、放っておくわけにはいきませんわ。」
「当然だ。実家の危機を見過ごすわけにはいかないだろう。」
私はすぐに、休暇の申請を出す決意を固めた。
お片付けのプロとして、家族の危機を見捨てることは絶対にできない。
これは、私にしか解決できない重大なシステムエラーなのだから。
「私も行く。君を一人でそんな危険な場所へ行かせるわけにはいかない。」
レオン様が、即座に同行を申し出た。
彼の声には、一片の迷いもなかった。
「レオン様、お仕事はいいんですか? 騎士団長が不在だと困るでしょう。」
「緊急事態だ。君を守るのが俺の最優先任務だからな。」
彼は頑として譲らなかった。
その瞳には、私を独り占めしたいという欲求も見え隠れしている。
物理的な危険からも、他の男からも、私を守るつもりらしい。
その過保護さが、今の私にはとても頼もしく感じられた。
「おやおや。楽しそうな遠足の計画だな。私も混ぜてほしいものだ。」
突然、皇帝執務室の重厚な扉が開かれた。
そこには、楽しそうな笑みを浮かべたアルベルト陛下が立っていた。
彼は護衛もつけず、身軽な格好で現れた。
「陛下! 隠れて聞いていたんですか?」
「人聞きが悪いな。廊下まで君たちの声が響いていたのだ。」
陛下は悪びれる様子もなく、私の手を取った。
その手は温かく、王としての威厳と包容力に満ちている。
「アシュフィールド領の視察。名案だ。私も同行しよう。」
「陛下までですか? 政務はどうされるのです。」
「問題ない。君が予算を綺麗にしてくれたおかげで、今は暇なのだよ。」
陛下はさらりと、とんでもないことを言ってのけた。
そんなわけがないだろうと、私は心の中でツッコミを入れた。
きっと、宰相閣下が後で泣きながら書類を処理することになるに違いない。
こうして、私と騎士団長、そして皇帝陛下という、あり得ないメンバーで実家へ向かうことになった。
最強の布陣だが、実家の片付けには過剰戦力すぎる気もする。
「地方の領地の視察という名目にすればいい。誰も文句は言わんさ。」
陛下は勝手にそう決めて、出発の準備を命じた。
レオン様は面白くないといった様子で、舌打ちをしていた。
「陛下、あまりミカに近づかないでください。俺が護衛するんですから。」
「堅いことを言うな。私は彼女の主君だぞ。労うのは当然だ。」
二人の英雄が、また私の両側で火花を散らし始めた。
馬車の中は、ものすごい緊張感と、甘い空気に包まれている。
私はその中心で、ひたすら実家の惨状を想像して頭を悩ませていた。
ゴミが溢れる実家。
それは物理的なゴミなのか、それとも魔力的な何かなのか。
どちらにせよ、私のスキルで一掃してやる必要がある。
数日間の旅を経て、私たちはアシュフィールド領に到着した。
懐かしい景色が、車窓の外に広がっていく。
緑豊かな森、澄んだ小川、そしてのどかな田舎町。
ここは、私が生まれ育った平和な場所だ。
しかし、我が家の屋敷が見えた瞬間、私は言葉を失った。
「……何よ、あれ。」
私の口から、乾いた声が漏れた。
屋敷の窓という窓から、得体の知れないガラクタが溢れ出している。
玄関のドアは完全に塞がれ、庭には謎の壺や古い布が山積みになっていた。
屋敷全体が、ゴミという名の巨大な腫瘍に飲み込まれているかのようだ。
それは、私の想像を遥かに超える、絶望的な光景だった。
「ミカ様! おお、ミカ! お帰りなさいませ!」
屋敷の前で、父が泣きながら駆け寄ってきた。
その服はボロボロで、顔も煤で汚れている。
「お父様! これ、一体どういう状況なの?」
「分からないんだ! 朝起きたら、屋敷の中に知らない道具が増えていて……。」
父はパニック状態で、身振り手振りを交えて説明した。
ゴミの山をかき分けて生活しているせいで、疲労困憊の様子だ。
「捨てるそばから、また新しいゴミが湧いてくるんだ! どうすればいいんだ!」
「湧いてくる……? 自然発生しているというの?」
私は目を細めて、屋敷の惨状を観察した。
これは単なる片付け下手や、怠慢ではない。
何らかの致命的なバグが、この屋敷で発生している。
物理法則を無視した、異常な増殖現象だ。
「レオン、警戒しろ。周囲の魔力濃度が異常だ。」
陛下が鋭い声で警告した。
二人の英雄が、即座に私の前で壁を作った。
「ミカ、下がっていなさい。俺がこのゴミを斬って道を作る。」
レオン様が剣を抜き、殺気を放つ。
「待ってください、レオン様。力技では解決しませんわ。」
私はレオン様の腕を掴んで止めた。
ゴミを斬ったところで、原因を消さない限りまた増えるだけだ。
それは、対症療法に過ぎない。
「まずは現状を把握します。スキル発動、《完璧なる整理整頓》。」
私は屋敷に向かって、右手をかざした。
視界が一気に、鮮やかな青いグリッド線に包まれる。
屋敷全体の構造と、中にある物の情報がデータとして読み込まれていく。
膨大な情報量が、私の脳内を駆け巡った。
「……ひどい。これはまさに、メモリリークのような状態ですわ。」
解析結果を見た私は、顔をしかめた。
「めもりりーく……? また、君の不思議な言葉か。」
レオン様が不思議そうに首を傾げた。
私は説明を省き、解析を続けた。
屋敷の中には、同じようなスプーン、同じような皿、同じような服が何千、何万と存在している。
それらは全て、本物ではなく魔力で作られた複製品だった。
何らかの装置が暴走し、同じデータを無限にコピーし続けている。
それが、物理的なゴミとなって溢れ出しているのだ。
これは、現実世界におけるバグだ。
「お父様、最近、何か新しい道具を拾ってこなかった?」
私は確信を持って、父に問いかけた。
この現象には、必ずトリガーとなったアイテムがあるはずだ。
「ああ……。そういえば、蔵の奥で見つけた古い箱を開けたよ。」
父が、思い出したように指を立てた。
「その箱から、綺麗な光が出てきて……。それからだ。道具が増え始めたのは。」
「犯人はその箱ね。お父様、蔵はどこ?」
「屋敷の裏だよ。でも、今はゴミに埋まって近づけない。」
父が絶望的な顔で、ゴミの山を指差した。
物理的に道が塞がれている。
普通の人間なら、ここで諦めるところだろう。
でも、私には最強のスキルがある。
「私に任せてください。お片付けのプロの本気、見せてあげるわ。」
私は一歩前へ出た。
レオン様と陛下が、私の背中を頼もしそうに見つめている。
「ミカ、君の力が必要だ。この混沌を、整理してくれ。」
陛下の期待のこもった声が聞こえる。
私は深く息を吸い込み、集中力を高めた。
「不要なデータの削除を開始します。フィルター設定、複製物を全て対象。」
私の意思に呼応して、世界がデータとして書き換えられていく。
「ゴミよ、消えなさい!」
私が叫んだ瞬間、屋敷から溢れていたガラクタが、一斉に光の粒子となって消滅し始めた。
ピコン、ピコンと、私の脳内だけで軽快な削除音が響く。
これこそが、私の真骨頂。
不要なものを消し、世界を最適化する力だ。
屋敷を埋め尽くしていたゴミが、面白いように消えていく。
窓が姿を現し、壁が見え、ついには玄関の扉が解放された。
数秒前までの惨状が嘘のように、屋敷の前は綺麗に片付いている。
「おお……! 屋敷が見える! 私の家が戻ってきた!」
父が感極まって叫び、地面に膝をついた。
「すごいな、ミカ。君は本当に、魔法使いよりも魔法使いだ。」
レオン様が感心したように、私の肩を抱いた。
彼の体温が、私の達成感をさらに高めてくれる。
「魔法ではありません。ただの『削除』ですわ。」
私はにっこりと笑って答えた。
「いえ、まだ一時的な削除に過ぎません。根本的な原因を消さないと。」
私は気を引き締め直した。
ゴミが消えたことで、屋敷の裏にある蔵への道が開けた。
そこからは、不気味な紫色の光が漏れ出している。
あれが、諸悪の根源だ。
「行くわよ、レオン様、陛下。バグの元を叩きに行きますわ。」
「ああ。君の隣は、俺の指定席だ。」
レオン様が力強く頷き、剣を構え直した。
「私も忘れないでほしいな。私の騎士たちよ。」
陛下も楽しそうに続いた。
最強の布陣で、私たちは蔵へと向かう。
光り輝く蔵の前まで来ると、空気が重く淀んでいた。
強烈な魔力が渦巻いているのが分かる。
蔵の扉は、魔力の圧力でガタガタと震えていた。
中にある何かが、外に出ようと暴れているのだ。
「ミカ、下がれ。俺が壊す。」
レオン様が剣を振り上げた。
「待って。私がロックを解除します。物理的な破壊は、データの破損を招きます。」
私はレオン様を制止し、扉の鍵穴に手をかざした。
力任せに壊せば、中の魔力が暴走して被害が拡大する可能性がある。
スマートに、論理的に解決するのが私の流儀だ。
「解除コード、照合完了。オープン。」
カチリ、と心地よい音がして、扉がゆっくりと開いた。
中には、まばゆい光を放つ一つの箱が置かれていた。
その箱から溢れ出る魔力が、周囲の空気を物質化させ、適当な道具に作り替えていたのだ。
目の前で、何もない空間からスプーンがポコポコと生まれてくる。
シュールで、恐ろしい光景だった。
「これが、無限ゴミ生成マシンね。とんでもない迷惑ツールだわ。」
私はその箱を、スキルの『鑑定』で詳しく調べた。
そこには、驚くべき事実が記されていた。
「……『豊穣の小箱』? 何よ、その大層な名前。」
私は箱の詳細データを読み取った。
本来は、食料や種を少しずつ増やし、領民の生活を助けるための魔道具だったらしい。
しかし、長い年月を経て、内部の魔力回路がボロボロになっていた。
制御機能が完全に壊れ、近くにあるあらゆる物のデータを適当にコピーするようになっている。
いわば、コンピュータウィルスに感染して暴走したサーバーのようなものだ。
「お父様、こんな危険なものを放置していたの?」
「いや、先祖代々伝わる『幸せの箱』だと聞いていたんだ。」
父が困り顔で言った。
昔の人は、これが壊れるなんて思っていなかったのだろう。
「幸せどころか、ゴミ屋敷の元凶ですわ。今すぐシステムをシャットダウンします。」
私は箱に直接触れようとした。
このまま放置すれば、領地全体がゴミに埋もれてしまう。
私が止めるしかない。
「危ない! ミカ、直接触れるな!」
レオン様が私の手首を強く掴んだ。
「魔力が暴走している。君の精神まで汚染されたらどうする。」
彼の顔は、真剣そのものだった。
私を心配するあまり、少し怒っているようにも見える。
「大丈夫です。私のスキルは、混沌を拒絶しますから。」
私はレオン様の手を優しく解き、安心させるように微笑んだ。
「整理整頓の極意は、まず元を断つこと。これを止めなければ、アシュフィールド領はゴミに沈みます。」
私は意を決して、光り輝く箱に両手をかざした。




