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第58話 教育改革と騎士のやきもち

財務局の大掃除が終わり、王宮の空気は見違えるほど綺麗になった。

窓を開けると、爽やかな風が吹き込んでくる。

澱んでいた不正の気配は消え、書類の流れもスムーズになった。

私のデスクに届く決裁書も、以前とは比べ物にならないほど整理されている。


「これでようやく、次のステップに進めますね。」


私は満足げに頷き、新しい企画書を広げた。

次のターゲットは、この国の未来を作る『教育』だ。

人材こそが国力の源泉であり、最も投資対効果の高い資産である。

そこへ、ノックの音が響いた。


「失礼します、ミカ様。本日からよろしくお願いいたします。」


入ってきたのは、ガルニア帝国の第二皇子、クラウス殿下だ。

彼は今回の教育改革プロジェクトの、共同責任者として招かれている。

銀縁の眼鏡をかけ、知的な雰囲気を漂わせる好青年だ。

手には大量の資料を抱え、やる気に満ち溢れた目をしている。


「お待ちしておりました、クラウス殿下。」

「あなたの知識が、この国の子供たちを救うのです。」


私が笑顔で迎えると、彼はパッと顔を輝かせた。

少しだけ頬を染めて、照れくさそうに視線を逸らす。

その初々しい反応を、私の隣で見ていた護衛役が鋭く見逃さなかった。

騎士団長レオン・アークライトが、音もなく一歩前へ出る。


「……殿下。あまりミカに近づきすぎないでいただきたい。」


レオン様の声は、氷点下のように冷え切っていた。

その蒼い瞳から放たれる圧力は、物理的な重みさえ感じさせる。

彼は私とクラウス王子の間に、壁のように立ちはだかった。

まるで、自分の大切な宝物に触れさせまいとする猛獣のようだ。


「彼女は、国家最高顧問として非常に多忙な身ですので。」

「あ、あはは。これは申し訳ありません、騎士団長殿。」


クラウス王子は苦笑いを浮かべ、慌てて数歩後ろへ下がった。

彼はレオン様の、私に対する凄まじい独占欲を察知したらしい。

賢明な彼は、無用な争いを避けるために両手を挙げて降参のポーズをとる。

私は呆れて、レオン様の硬い腕をそっと叩いた。


「レオン様。お客様に対して失礼ですわ。」

「……君が無防備すぎるんだ。自覚してほしい。」


彼は不満そうに鼻を鳴らし、私の腰をぐっと引き寄せた。

耳元に唇を寄せ、甘い声で囁いてくる。

その吐息が肌にかかり、私は思わず背筋を震わせた。

周囲の文官たちが、見ないふりをして書類に顔を埋めている。


「自分がどれほど魅力的か、分かっていない。」


レオン様の言葉に、私は顔が熱くなるのを感じた。

クラウス王子は、天井の模様を数えるふりをしている。

気まずい沈黙が流れる前に、私はパンと手を叩いて空気を変えた。


「さあ、本題に入りましょう。教科書の改訂案ですわ。」


私は気を取り直し、スキルを発動させた。

空間に青い光の粒子が集まり、巨大なスクリーンが形成される。

そこには、私が夜なべして設計した、新しい学習カリキュラムが映し出された。

従来の詰め込み型教育を廃止し、効率的な学習法を取り入れたものだ。


「これまでの教育は、一部の貴族だけのものでした。」

「でも、これからは違います。全ての子供に機会を与えます。」


平民の子供たちも、貴族と同じ知識を得られるようにする。

それが、国全体のレベルアップに繋がるはずだ。

読み書き、計算、歴史、地理。

そして、私が最も重要視している、新しい科目を追加する。


「……『整理整頓』ですか?」


クラウス王子が、リストの一番上にある項目を見て目を丸くした。

教科書の表紙には、『お片付けの魔法』と書かれている。

彼は不思議そうに首を傾げ、私に問いかけた。


「お片付けを、学校の教科にするのですか?」

「そうです。これは単なる掃除ではありません。」


私は胸を張り、力説した。

情報の整理、思考の整理、そして環境の整理。

必要なものと不要なものを見極める判断力。

それは、全ての学問、いや、人生における基礎となる能力だ。


「論理的に物事を考える力を、養うのです。」

「混沌とした情報を整理し、最適解を導き出す。」

「それができれば、どんな難問にも立ち向かえます。」


私の熱のこもった説明に、クラウス王子は深く頷いた。

彼の瞳に、尊敬の色が浮かび上がる。

メモを取る手も、興奮で少し震えているようだった。


「素晴らしい。さすがはミカ様だ。」

「これは世界を変える、革新的な試みですね。」


彼と私の議論は、白熱していった。

歴史の解釈についても、私たちは意見を戦わせた。

古い教科書には、勝者の都合の良い嘘がたくさん書かれている。

私はスキルを使って、正しい歴史的事実を次々と提示した。


「ここ、地質のデータが少し古いですわね。」

「シレジア公国の最新の調査結果を、反映させましょう。」

「ああ、なるほど。海水の影響も考慮すべきですね。」


私たちは一つの資料を覗き込み、顔を近づけて話し合った。

知識の交流は楽しく、時間はあっという間に過ぎていく。

互いの熱意が共鳴し、素晴らしいアイデアが次々と生まれる。

その距離が、自然と近くなっていたことに、私は気づいていなかった。


「……ミカ。そろそろ、休憩の時間だ。」


突然、低い声が頭上から降ってきた。

レオン様が、背後から私の肩をガシッと掴んだのだ。

彼の顔を見ると、今までに見たことがないほど不機嫌だった。

その整った眉間には、深い皺が刻まれている。


「もうそんな時間ですか? まだ話し足りないのに。」

「ダメだ。君の集中力は、もう限界を超えている。」


レオン様は有無を言わせぬ力で、私を椅子から立たせた。

これ以上、他の男と楽しそうに話すのは許さない。

そんな無言の圧力が、彼の全身から放たれている。

彼は私を自分の背後に隠し、クラウス王子を睨みつけた。


「クラウス殿下。本日の会議は、これまでにしましょう。」

「彼女には、休息が必要です。即刻、解散してください。」


その言葉は丁寧だが、拒絶の意志は明確だった。

クラウス王子は苦笑いしながら、資料をまとめた。

彼は賢い人なので、これ以上ここにいると命が危ないと悟ったようだ。


「ええ、もちろん。無理をさせてしまいましたね。」

「では、失礼します。ミカ様、また明日。」


クラウス王子は、逃げるように部屋を去っていった。

バタンと扉が閉まると、広い執務室に静寂が戻る。

私とレオン様、二人きりの時間が訪れた。

彼は無言で振り返ると、私を強く抱きしめた。


「……レオン様?」

「……俺以外の男と、楽しそうに笑うな。」


彼の声は低く、少しだけ拗ねたような響きを含んでいた。

天下の騎士団長ともあろうお方が、まるで子供のようだ。

その腕の力は強く、私を絶対に離さないという意志を感じる。

彼の心臓の音が、私の体にトクトクと伝わってきた。


「お仕事の話をしていただけですわ。」

「嫉妬なんて、あなたらしくありません。」


私が苦笑しながら言うと、彼はさらに強く抱きしめてきた。

首筋に顔を埋め、深いため息をつく。


「俺は、君にとって唯一の存在でありたい。」

「君の『整理整頓』の中に、俺以外の男を入れたくないんだ。」


そのあまりにも重く、そして深い愛情。

私は胸がいっぱいになり、自然と笑みがこぼれた。

この強くて逞しい騎士が、私一人のために心を乱している。

それは、何よりも贅沢で幸せなことだ。


「レオン様。あなたは私の、一番大切な『特別枠』ですわ。」


私は彼の方に体を預け、優しく背中を撫でた。

誰にも譲らない、私だけの特別な場所。

そこには、彼以外の誰も入ることはできない。


「データベースの、一番深い場所に、保存しています。」

「あなただけを、大切にしまってありますから。」


私が冗談めかして言うと、彼はようやく顔を上げた。

少しだけ耳を赤くして、バツが悪そうに視線を泳がせる。

そして、愛おしそうに私の額にキスをした。


「……本当だな? 削除したり、アーカイブにしたりするなよ。」

「しませんわ。永久保存版です。」


私たちは見つめ合い、穏やかな時間を過ごした。

窓の外では、夕焼けが美しく輝いている。

明日もまた、忙しくなりそうだ。

でも、この人がいれば、どんな困難も乗り越えられる。


翌日。

教科書編纂委員会の部屋は、朝から大騒ぎになっていた。

新しい客人が、嵐のように現れたからだ。

ガルニア帝国の第一皇子、ジークフリート様だ。

彼は派手なマントを翻し、豪快に笑いながら入ってきた。


「やあ、ミカ殿! 君に会いに、わざわざ海を越えてきたぞ!」


彼の後ろには、山のような贈り物が運ばれている。

宝石、ドレス、珍しい果物、そして巨大な花束。

部屋の半分が、彼の持ち込んだ品物で埋め尽くされた。

文官たちが、置き場に困って右往左往している。


「ジークフリート様!? また、どうしてこちらに……。」


私は頭が痛くなるのを感じて、こめかみを押さえた。

ただでさえ忙しいのに、一番厄介な人物が来てしまった。

隣にいるレオン様の殺気が、昨日よりも数倍強く放たれる。

執務室の温度が、一気に下がったような気がした。


「教科書の編纂だろう? 手伝いに来てやったぞ。」


ジークフリート様は悪びれもせず、私の前の席に座った。

足を組み、自信満々の笑みを浮かべる。

彼は自分こそが、この場に相応しいと思っているようだ。


「我が帝国の、武術のページは俺が監修してやろう。」

「俺の最強の剣技を、子供たちに教えてやるのだ。」

「ついでに、君を俺の妃にする話の続きもしようかと思って。」


彼は私の手を取り、強引に引き寄せようとする。

その動きは素早かったが、それよりも速い影があった。

音もなく現れた人物が、ジークフリート様の手首を掴んだのだ。

この国の頂点に立つ男、アルベルト陛下だ。


「お断りしますと言ったはずですわ!」


私の叫び声は、誰にも届いていなかった。

男たちの視線がぶつかり合い、火花を散らしている。

アルベルト陛下は、絶対零度の瞳で皇子を見下ろした。


「ジークフリート皇子。私の国で、無礼は許さん。」

「私の臣下に手を出すのはやめていただきたい。」


陛下の声は静かだが、王者の威厳に満ちていた。

その背後には、黄金のオーラが見えるようだ。

彼は私を背中に庇い、毅然とした態度で告げた。


「彼女は、私の宝なのだ。誰にも渡しはしない。」


その言葉に、ジークフリート様は目を丸くした。

しかしすぐに、好戦的な笑みを浮かべる。

彼は権力者に怯むような男ではない。


「おやおや、皇帝陛下自らのお出ましとは。」

「これは、ますます面白くなってきたな。」

「だが、恋の勝負に身分は関係ないだろう?」


ジークフリート様は立ち上がり、陛下と対峙した。

皇帝、騎士団長、そして帝国の二人の王子。

私の周りは、いつも嵐のような男たちで溢れている。

書類が風圧で舞い上がり、部屋の中がカオスになる。


「皆さん、喧嘩なら外でやってください!」

「ここは、神聖なる勉強の場ですわよ!」


私の怒鳴り声が、ようやく彼らの耳に届いた。

英雄たちは一斉に肩を震わせ、私を見た。

私は腰に手を当て、彼らを一列に並ばせた。

今の私は、国家最高顧問ではなく、厳しい教師だ。


「陛下、あなたは公務に戻ってください。」

「決済書類が、山のように溜まっていますわよ。」

「レオン様、あなたは警備の訓練を。」

「部下たちが、あなたを待っています。」


私は次々と指示を出し、彼らを本来の場所へ戻そうとする。

しかし、ジークフリート様だけは、まだニヤニヤしている。

彼は自分が叱られるとは、微塵も思っていないようだ。


「ジークフリート様、あなたは……そこに座りなさい。」

「そして、この算術のドリルでもやっていてください!」


私は分厚い問題集を、彼の目の前に叩きつけた。

それは、子供向けの計算ドリルだ。

最強の皇子は、目を点にして固まった。


「ど、ドリルだと……? この俺に?」

「そうです。全問正解するまで、立ってはいけません。」


私の有無を言わせぬ迫力に、彼は渋々ペンを取った。

世界各国の要人が、私の前では大人しくなる。

私は深いため息をつき、散らかった資料を拾い集めた。

教育改革の道は、私が思っていたよりも険しそうだ。


そんな時、一人の伝令が部屋に飛び込んできた。

彼は息を切らし、泥だらけの姿をしていた。

手には、封蝋された一通の書簡が握られている。


「報告します! 緊急の書簡が届きました!」

「西の果ての、アシュフィールド領からです!」


その言葉に、私は書類を拾う手を止めた。

アシュフィールド領。

それは、私の生まれ育った実家の領地だ。

貧乏だが平和な、あの田舎から緊急の知らせ?


「実家から? 何事かしら。」


私は不吉な予感を感じながら、手紙を受け取った。

封を開けると、見慣れた父の筆跡が目に入る。

文字は震えており、父の動揺が伝わってくるようだった。

そこには、ただ一言、こう書かれていた。


『ミカ。助けてくれ。』

『家の中に、得体の知れないゴミが溢れ出しているんだ。』


私は手紙を持ったまま、呆然と立ち尽くした。

ゴミが、溢れ出している?

それは物理的なゴミなのか、それとも比喩なのか。

もしかして、家の誰かが片付けられなくなったのだろうか。


「……実家の片付けまで、私がやらなきゃいけないの……?」


私の声が、静まり返った部屋に空しく響いた。

国家の危機を救った次は、実家のゴミ屋敷化。

私のスキルは、どこまで行っても『お片付け』からは逃れられないらしい。

その時、横から力強い手が伸びてきた。


「よし、俺も行くぞ。」


レオン様が、即座に出発の準備を始めた。

彼は迷うことなく、私の荷物をまとめ始めている。

その顔には、新たな冒険への決意がみなぎっていた。


「君の実家のピンチだ。婚約者として、見過ごせない。」

「いいえ、まだ婚約はしていませんけど……。」


私のツッコミも虚しく、彼は私の手を引いて歩き出した。

どうやら、次の戦場は私の実家になるようだ。

私は天井を仰ぎ、これからの苦労を思って遠い目をした。


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