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第54話 恵みの雨と騎士の溺愛

遺跡の裏側に広がる滝を抜け、私たちは外の世界へと踏み出した。

頭上から降り注ぐのは、この国が何年もの間、焦がれるように待ち望んでいた恵みの雨だ。

冷たい雫が頬を打ち、火照った体を心地よく冷やしてくれる。

私のシステム最適化が成功し、空調設定が正常に戻った証拠である。


「ミカ。少し待ってくれ。あそこに怪しい人影がいる」


レオン様が足を止め、鋭い声で警告を発した。

雨に煙る山道の前方に、数人の男たちが亡霊のように立ち尽くしている。

彼らは、あの忌まわしいオリオン商会の制服を身に着けていた。

レオン様が即座に私を背後に庇い、剣の柄に手をかける。

その全身から、雨粒さえも弾き飛ばすほどの凄まじい闘気が立ち上った。


「まさか。まだヴァルデマーの残党が潜んでいたのか」

「待ってください、レオン様。彼らの様子が、明らかにおかしいです」


私はレオン様の腕をそっと抑え、自身のスキルを遠隔で発動させた。

視界に青いグリッドが走り、雨の中に立つ男たちの情報を瞬時に解析する。

彼らは武器を構えるどころか、泥だらけの地面に力なく膝をついていた。

その瞳には戦意など微塵もなく、ただ絶望と恐怖の色だけが濃く焼き付いている。


「助けてください……。私たちは、あの男に酷く騙されていたんです」


一人が、震える声で訴えかけてきた。

指先は寒さと恐怖で白く硬直し、地面を掻きむしるように泥を掴んでいる。

彼らはヴァルデマーの野望を知らされぬまま、ただ使い捨ての駒として配置された末端の雇われ人に過ぎなかった。

私のスキルが弾き出した感情分析の結果も、彼らの言葉が真実であることを示している。

そこにあるのは、自分たちが加担してしまったことへの後悔と、ただ生きて帰りたいという哀れなほどの執着だけだった。


「レオン様。彼らは、ただ利用されただけの『不要ファイル』です。脅威レベルはゼロ。駆除する必要はありません」


私は冷静なトーンで、彼に告げた。

レオン様はしばらくの間、険しい顔で男たちを睨みつけていたが、やがて小さく息を吐いて剣から手を離した。


「……ミカがそう言うのであれば、信じよう」


彼は私の判断を、何よりも尊重してくれた。

私は男たちに一歩近づき、淡々と事実を告げた。


「あなたたちの主人は、遺跡の奥で自滅しました。オリオン商会というシステムは、もう強制終了したのです」


私の言葉に、男たちは驚きのあまり口を開け、そして次瞬、腰を抜かしたようにその場に崩れ落ちた。

彼らにとって絶対的な恐怖の対象だったヴァルデマーの死。

それは、彼らを縛り付けていた呪縛からの解放を意味していた。


「あ、ありがとうございます……! これで、故郷へ帰れます……!」


男たちは何度も地面に頭を擦り付け、這うようにして山道を逃げていった。

彼らの背中を見送った私は、天を仰いで大きく伸びをした。


「ふぅ。これで、全てのタスクが完了しましたね」


私は達成感と共に明るく笑おうとした。

その瞬間、視界がぐらりと大きく歪んだ。

地面が急に柔らかい綿になったかのように、足元の感覚が消失する。

魔力枯渇による強制シャットダウンの合図だ。


「――ミカ!」


倒れ込む寸前、鋼のように逞しい腕が私の体を支えた。

レオン様が、私の体を軽々と宙へ抱き上げる。


「やはり、限界まで無理をしていたのだな。顔が、紙のように真っ白だぞ」


「すみません……。少し、リソースを使いすぎたみたいです……」


私は彼の広い胸の中に、力なく顔を埋めた。

そこからは、雨の匂いと鉄の匂い、そして彼自身の陽だまりのような体温が伝わってくる。

その安心感に、張り詰めていた神経が一気に緩んでいくのを感じた。


「当たり前だ。世界の設定を一人で書き換えるなどという大業を成したのだ。普通の人間の精神なら、とっくに壊れ

ている」


レオン様は叱りつけるような厳しい口調で言った。

だが、私を抱くその腕は、小刻みに震えているのが分かった。

彼がどれほど私を失うことを恐れていたのか、その震えが痛いほどに伝わってくる。


「ごめんなさい、レオン様。ご心配をおかけしました」

「分かればいい。ここからは、君を一歩も歩かせるつもりはない」


彼は宣言通り、私を大切そうに横抱きにしたまま歩き出した。

いわゆる『お姫様抱っこ』という、非常に恥ずかしい体勢である。

後ろには、任務を終えた部下の騎士たちが続いているというのに。


「レオン様。さすがに恥ずかしいので、下ろしてください。自分で歩けます」

「ダメだ。これは騎士団長としての、絶対命令だ。大人しく、俺の腕の中で再起動まで待機していろ」


彼は私の抵抗を一蹴し、力強い足取りで山道を降りていく。

部下の騎士たちが、後ろでニヤニヤと何かを囁き合っているのが聞こえた。


「団長も隅に置けませんな」

「ミカ様には、それくらいの献身的なメンテナンスが必要ですよ」


私は恥ずかしさのあまり、レオン様の胸に顔を押し付けて視界を遮断した。


山を降りるにつれて、雨足は次第に弱まっていった。

分厚い雲の切れ間から、黄金色の光の柱が地上へと差し込んでくる。

その光は雨に濡れた木々の葉を宝石のように輝かせ、世界を鮮やかに彩り始めた。


「見てください、レオン様。あそこに、大きな虹が」


私は顔を上げ、空を指さした。

そこには、七色の美しい架け橋が、澄み渡る空を横切っていた。

それは、システムが正常化したことを告げる、祝福のサインのようだった。


「綺麗だな。君が、この世界のために描いた虹なのか」

「私が作ったのではありません。世界が、正常な動作を取り戻して喜んでいるんです」


私は幸せな気持ちで、その虹を眺め続けた。

この国は今日を境に、新しく生まれ変わる。

不毛だった大地は潤い、作物は育ち、人々の暮らしは豊かになるだろう。

私の『お片付け』が、確かにこの世界を救ったのだ。


私たちは山の麓にある、小さな村に到着した。

そこでは、雨を喜ぶ大勢の村人たちが、狂喜乱舞していた。

老若男女が手に手を取り合って踊り、天からの恵みを全身で受け止めている。


「雨だ! 本当に、空から水が降ってきたぞ!」

「作物が生き返る! 神様、ありがとうございます!」


村人たちの歓喜の声が、谷間に木霊している。

私たちの一行に気づいた一人の老人が、杖をつきながら近づいてきた。

村長と思われるその老人は、私たちの姿を見るなり、その場に崩れるように跪いた。


「あんたたちが、あの山へ向かった騎士様たちかね……?」


震える声で問われ、レオン様は静かに頷いた。


「ああ。もう大丈夫だ。遺跡の呪いは、全て解いた」


「おお……! やはり、あんたたちが救い主様だったのか!」


老人は涙を流し、地面に額を擦り付けた。

それを合図に、村人たちが次々と私たちの周りに集まり、感謝の祈りを捧げ始める。


「ありがとうございます! 英雄様!」

「この御恩は、一生忘れません!」


熱狂的な感謝の渦に、私は居心地の悪さを感じて身を縮こまらせた。


「私は、ただシステムのバグ取りをして、部屋を片付けただけなのに」


私が小さく呟くと、レオン様が耳元で甘く囁いた。


「それが、世界を救う鍵だったんだ。自分を、もっと誇っていいんだよ、ミカ」


彼は私の額に、そっと熱い唇を寄せた。


「ひゃっ……!」


私は驚いて、素っ頓狂な声を上げてしまった。

衆人環視の中で、堂々と何をしているのか、この人は。

顔から火が出るほどの熱さを感じる。


「レオン様! みんなが見ています!」

「構わない。俺のミカがどれほど素晴らしい女性か、世界中に見せつけたい気分なのだ」


彼は全く悪びれる様子がない。

この過剰なまでの溺愛設定は、どうやらデフォルト仕様になってしまったらしい。


村人たちの厚意で、私たちは村で一番大きな家の一室を借りることになった。

こじんまりとしているが、掃除の行き届いた清潔な部屋だ。

窓からは夕暮れの穏やかな光が差し込み、穏やかな時間が流れている。

レオン様は私をベッドの上に優しく下ろすと、私の前に跪いた。

そして、私の汚れたブーツに手をかける。


「じ、自分でできますから! レオン様!」

「いいから。今はじっとして、俺に身を委ねろ」


彼は私の泥だらけの足を、温かい布で丁寧に拭い始めた。

その手つきは驚くほど繊細で、聖遺物を扱うかのような慎重さだ。

普段は剣を振るう無骨な指先が、今は優しさに満ちている。


「君の白い足が、こんなに傷だらけだ。……守りきれなくて、すまない」


小さな擦り傷を見つけ、彼は痛ましげに眉を寄せた。


「大丈夫です。これくらい、エラーログにも残りませんわ」

「次は、もっと俺を頼ってくれ。いいな?」

「はい。次は、必ずリクエストを送ります」


私が素直に頷くと、彼は満足そうに微笑み、私の隣の椅子に腰を下ろした。


「少し、眠れ。俺がずっと、君の常駐監視プロセスとしてそばにいるから」

「……レオン様も、休んでください」

「俺はいい。君の寝顔を見ているのが、一番の回復魔法になる」


彼はそう言って、私の髪を愛おしそうに撫でた。

その心地よいリズムに誘われ、私の意識は急速にスリープモードへと移行していく。

戦いの緊張と疲労が、泥のように私を眠りの底へと引きずり込んでいった。


深い眠りに落ちようとした、その時だった。

窓の外から、けたたましい叫び声と、地鳴りのような音が聞こえてきた。


「大変だ! 帝国の武装部隊が、こちらに向かってきているぞ!」


その不穏な警告に、私の意識は強制的に再起動した。

レオン様も弾かれたように立ち上がり、鋭い眼光で窓の外を睨みつける。


「帝国が? どうして、こんな場所に……」

「ジークフリートか。まさか、あの男は我らを裏切ったのか」


レオン様の声に、殺気が宿る。

窓の外には、土煙を上げて迫る大軍の影が見えた。

平和を取り戻したはずの村に、新たな、そして厄介なバグが発生しようとしていた。

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