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第51話 均衡を司る男

勝利の歓声と安堵の息遣いが響く広間に、不釣り合いなほど乾いた拍手の音が響き渡った。

私たちが死闘を繰り広げた闘技場の奥、闇が最も深い場所から、一人の男がゆっくりと姿を現す。

その人物の姿を認めた瞬間、私とレオン様、そして生き残った騎士たちの間に、先ほどとは全く質の違う戦慄が走った。


「素晴らしい。実に素晴らしい連携だった。我が遺跡の守護者を、こうも鮮やかに打ち破るとは。さすがは我が国の誇る騎士団と、噂の聖女殿だ」


そこに立っていたのは、優雅な貴族の衣服を纏った、白髪の初老の男だった。その顔立ちは理知的で、穏やかな笑みを浮かべている。しかし、その瞳の奥には底知れぬ闇と、全てを見下すかのような冷たい光が宿っていた。

その顔には、見覚えがあった。あまりにも、ありすぎた。


「……ありえない。あなたは……ヴァルデマー公爵……!?」


レオン様が、絞り出すような声でその名を呼んだ。

ヴァルデマー・フォン・クラインハルト。現皇帝アルベルト陛下の叔父君にあたる人物。二十年前、落馬事故で命を落としたと、公式には発表されていたはずの男だった。


「いかにも。久しぶりだな、レオン・アークライト君。赤子の頃に抱いてやったのが、昨日のことのようだ」

ヴァルデマーは、旧知の仲であるかのように親しげに言った。しかし、その声には一片の温かみもなかった。彼の言葉に、レオン様の脳裏にかすかな記憶が蘇る。幼い頃、父に連れられて謁見した先帝の隣で、優しく微笑んでいた王弟の姿。その記憶と目の前の男がどうしても結びつかなかった。


「なぜ、あなたがここに……。あなたは死んだはずでは!」


「死んだことにしたのだよ。この腐敗しきった王国と、愚かな我が甥に絶望してな」

彼は、心底楽しそうに肩をすくめた。

「私は、この二十年間、影から全てを見てきた。王家が堕落し、貴族が私腹を肥やし、民が苦しむ様を。そして、この大陸全体の均衡が、少しずつ崩れていく様をな」


彼の言葉に、私はハッとした。

天秤の紋章。大陸全体の均衡。

「……あなたが、『天秤の徒』の、本当の指導者……!」


私の言葉に、ヴァルデマーは満足げに頷いた。

「いかにも。私が『オリオン商会』を創設し、『天秤の徒』を束ねる者だ。我らの目的は、この大陸に真の『均衡』を取り戻すこと。そのためには、一度全てを破壊し、ゼロから再構築する必要がある。腐った大木は、枝葉を刈るのではなく、根元から断ち切らねばならんのだよ」


その歪んだ正義。壮大すぎる理想。彼は、自分をこの世界の調停者だと、本気で信じているらしかった。


「アッシュフォードの小僧や、ヴァイスハイトの残党どもは、私の壮大な計画のための、ほんの駒に過ぎん。そしてミカ・アシュフィールド君。君もまた、私の計画を加速させるための、興味深い駒だった」


彼の冷たい瞳が、私を射抜く。

「君のその規格外のスキル。実に素晴らしい。君が国の膿を次々と暴き出してくれたおかげで、私の仕事もずいぶんと楽になった。感謝しているよ。君の改革という名の『整理』は、私がこの国を更地にするための、丁寧な下準備に他ならなかったのだからな」


彼は、私のこれまでの働きが全て、彼の手のひらの上で踊らされていたに過ぎないと、そう言っているのだ。その事実に、私の背筋を冷たい汗が伝った。必死で積み上げてきた成果が、目の前で砂の城のように崩れていくような感覚だった。


「だが、君は少し、優秀すぎた。もはや駒として使うには、危険すぎる存在となった。故に、ここで消えてもらう」


ヴァルデマーが、そう宣言した瞬間。

彼の足元から、禍々しいほどの濃密な魔力が、黒い霧のように溢れ出した。それは、ライナスが放っていたものとは比べ物にならない、圧倒的な力の奔流だった。


「レオン様!」

私は叫んだ。しかし、レオン様は動けなかった。

彼だけではない。その場にいた騎士たち全員が、まるで金縛りにあったかのように、身動き一つ取れずにいたのだ。


「無駄だ。この空間の『均衡』は、私が支配している。お前たちの筋肉を動かすための神経伝達物質の濃度も、呼吸をするための酸素の量も、全て私の意のままだ」

ヴァルデマーは、こともなげに言った。

彼の能力。それは、特定の物質やエネルギーの量を自在に操作する、まさに神の領域の力。


「さて、ミカ君。まずは、君のその忌々しい騎士から片付けてやろう」

ヴァルデマーが、レオン様に向かって、ゆっくりと指を向けた。

「彼の鎧を構成する金属の強度を、ガラスと同じレベルまで下げてやろう。そして、彼の骨の密度を、鳥の骨のように軽く、脆くしてやる」


「やめて!」

私が叫ぶ。しかし、私の声は届かない。

レオン様の全身を包む白銀の鎧に、ピシリ、と蜘蛛の巣のような亀裂が入った。

「ぐっ……あ……!」

レオン様が、苦悶の声を上げる。彼の体が、内側から軋むような音を立てていた。膝が折れ、彼は苦痛に顔を歪めながらその場に片膝をついた。


「ミカ嬢……逃げろ……!」

彼は、極限の苦痛の中で、それでも私を守ろうと、そう叫んだ。

その姿を見て、私の頭の中で何かが、プツリと切れた。

怒り。

前世でも、今世でも、感じたことのないほどの、激しい怒りが、私の全身を駆け巡った。


(……ふざけないで)

私の大切な人を、私の目の前で、傷つけるなんて。

それだけは、絶対に許さない。

私の心の奥底で、何かが目覚めるような感覚があった。それは、ただの怒りではなかった。混沌を許さず、秩序を求める強烈な意志。システムエンジニアとしての私の本能が、目の前の理不尽なエラーを『修正』せよと叫んでいた。


「スキル、発動」

私は、静かに、しかし鋼の意志を込めて、呟いた。

私の視界の中で、この広間を構成する全ての情報が、光の粒子となって分解され、再構築されていく。

ヴァルデマーの能力の本質。それは『均衡』を操る力。何かを減らせば、必ずどこかで何かを増やしているはず。完全な無からの創造ではない。これは、私のスキルと同じ、情報操作系の能力。

ならば、必ずシステムの穴がある。


私は、彼の能力の源を探った。

そして、見つけた。

彼が立っている足元。その一点だけ、この遺跡の魔力の流れが、不自然に集中している。彼は、この遺跡そのものを触媒として、力を増幅させているのだ。


(……見つけたわ。あなたのシステムの、脆弱性を)


「レオン様の体の『均衡』を乱すというのなら」

私は、ヴァルデマーをまっすぐに見据えて言った。

「こちらも、あなたの立っているその場所の『均衡』を、少しだけ『お片付け』させていただきますわ」


私は、スキルを使い、彼が立つ足元の石畳、その一点の分子結合の情報を、書き換えた。

『石』としての強度情報を、『水』としての流動性情報へと、強制的に置換する。


「な……!?」

ヴァルデマーの足元が、何の前触れもなく、ズブリと液体のように沈み込んだ。

彼の体勢が、大きく崩れる。

その一瞬。

ほんのコンマ一秒にも満たない、その一瞬の隙。


彼が足元に意識を向けたことで、レオン様たちを縛っていた力の均衡が、わずかに乱れた。

その好機を、レオン・アークライトという男が見逃すはずがなかった。


「おおおおおおおっ!」

拘束から解放された彼が、獣のような雄叫びを上げて動いた。

その動きは、もはや人間のそれを超えていた。床を蹴る音すら聞こえない。まるで、瞬間移動したかのように、彼はヴァルデマーの懐へと飛び込んでいた。


陛下から賜った、私が最適化した特別な剣。その白銀の刀身が、ヴァルデマーの胸を、深々と貫いていた。

「……馬鹿な……。この私が……こんな、小娘の、小細工に……」

ヴァルデマーは、信じられないという顔で、自分の胸に突き刺さる剣を見下ろした。

彼の体から、黒い魔力が霧のように霧散していく。


レオン様は、冷たい声で言った。

「彼女は、小娘などではない。この国を、そして俺の未来を照らす、光だ。お前のような闇に、触れさせてなるものか」

彼は、容赦なく剣を引き抜いた。

ヴァルデマーの体は、力なくその場に崩れ落ちる。


大陸を影から操っていた巨悪は、こうして、あまりにもあっけなく、その野望の幕を閉じた。

広間には、再び静寂が戻った。

騎士たちが、拘束から解放され、次々と立ち上がる。

皆、何が起きたのか理解できず、ただ呆然としていた。


レオン様が、私の元へと歩み寄ってくる。

その顔には、安堵と、そして今まで見たことのないほどの、深い愛情の色が浮かんでいた。

「……ミカ。ありがとう。また、君に救われたな」

「いいえ。私を救ってくれたのは、レオン様です」


私たちは、見つめ合った。

もう、私たちの間を遮るものは、何もなかった。

彼が、ゆっくりと顔を近づけてくる。

今度こそ、私たちの唇が重なる、その瞬間。


ゴゴゴゴゴゴ……!

遺跡全体が、地響きを立てて、激しく揺れ始めた。

ヴァルデマーが死んだことで、彼が無理やり押さえつけていた、この遺跡の古代の力が、暴走を始めたのだ。


「まずい!このままでは、遺跡ごと崩壊するぞ!」

騎士の一人が叫んだ。

天井から、巨大な岩が次々と降り注いでくる。

まさに、絶体絶命のピンチ。


(……本当に、ゆっくりさせてくれないわね、この世界は!)


私は、頭を抱えそうになるのをこらえ、目の前にある、最後の、そして最大の『お片付け』の対象へと向き直った。

広間の中央に鎮座する、禁断の兵器『天候制御装置』。

その青白い水晶が、暴走するエネルギーを吸収し、不気味な脈動を繰り返している。

あれを、どうにかしなければ。


「レオン様!騎士団の皆さん!」

私は、叫んだ。

「今から、この遺跡全体のシステムを、私が完全に掌握します!皆さんは、私を絶対に守ってください!」


私の言葉に、レオン様は一瞬の迷いも見せず、力強く頷いた。

「御意!総員、ミカ嬢の周りに円陣を組め!何があっても、彼女に指一本触れさせるな!」

騎士たちが、私を中心に、鉄壁の守りを固める。


私は、その輪の中心で、静かに目を閉じた。

そして、私の意識を、この暴走する古代遺跡のシステム全体へと、解き放った。

これから始まるのは、私の人生で最大規模の、そして最も危険な『整理整頓』だった。

この遺跡の全ての情報を、あるべき正しい姿へと、最適化するのだ。

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