第50話 筆頭監査官の戦場分析
滝の裏側に広がっていたのは、まるで巨大な生物の体内に入り込んだかのような、異様で荘厳な光景だった。
壁はぬめりを帯びた黒い岩でできており、まるで呼吸しているかのように、かすかな魔力の光が明滅している。天井からは鍾乳石のように鋭く尖った岩が無数に突き出し、その先端から滴り落ちる水滴が、不気味なほど静かな空間に規則的な音を響かせていた。
足元には人の手によって磨かれたと思われる石畳の道が、闇の奥へと続いている。道の両脇には苔むした石像が等間隔に並び、人間とも獣ともつかない奇妙な生物が口を開け、侵入者を無言で威嚇していた。
「……これが、古代遺跡か」
騎士の一人が畏怖の声を漏らした。
その場にいる誰もが、そのあまりにも非現実的な光景に息を呑む。ライナスの地図がなければ、ここが人工的な建造物だとは到底信じられなかっただろう。
「ミカ嬢、大丈夫か?」
レオン様が心配そうに私の顔を覗き込んだ。彼の蒼い瞳が、遺跡の不気味な光を反射して揺れている。
「はい。ですが、少し気味が悪いですね」
私はスキルを最大限に集中させ、この空間全体の構造をスキャンしようと試みた。しかし遺跡全体が強力な妨害の力に包まれており、私の能力でも全容を把握することはできない。まるで遺跡そのものが生き物のように、私の侵入を拒んでいるかのようだった。
「……ダメです。奥に進まなければ詳細は分かりません。ですが、この先に強力な罠がいくつも仕掛けられていることだけは確かです」
私はライナスの地図と、自分の肌で感じる危険な気配を頼りに進むべき道を探った。
「全員、俺から離れるな。ミカ嬢の指示があるまで一歩も動くなよ」
レオン様が騎士たちに厳しい声で命じた。彼の背中からは、部下たちの命を預かる指揮官としての強い覚悟が感じられた。
私たちは一列になり、慎重に石畳の道を進み始めた。私の頭の中ではライナスから送られてきた膨大な罠のデータと、目の前の状況が高速で照合されていく。
「止まってください!」
私が叫ぶと、全員がぴたりと足を止めた。
「この先の床。十メートルにわたって色が少しだけ濃くなっています。これは『重力操作の罠』です。踏み込んだ瞬間、通常の百倍の重力がかかり圧死します」
私の言葉に、騎士たちがごくりと喉を鳴らした。見た目には何の変哲もない石畳にしか見えない。
「どうやって進むのだ?」
「この罠の解除コードは、壁にある石像の目に隠されています。右から三番目の石像の左目。そこに特殊な魔力の石が埋め込まれているはずです。それを正しい順番で押す必要があります」
私はライナスの古文書から解読した解除方法を伝えた。
騎士団の中でも特に手先の器用な者が、慎重に石像に近づき、私の指示通りに石を押していく。
カチリ、と小さな音がした瞬間、床の色の濃い部分がふっと元の色に戻った。
「……すごい。ミカ殿の言う通りだ」
騎士たちが驚嘆の声を上げる。
私たちはその後も次々と現れる巧妙な罠を、私の解析と指示によって一つ、また一つと解除していった。
毒ガスが噴き出す通路。幻影を見せて惑わす広間。そして侵入者の記憶を奪おうとする精神攻撃の呪い。
どれもが一歩間違えれば全滅しかねない危険な罠だった。しかし私の《完璧なる整理整頓》の前では、どんな複雑な罠もただのパズルに過ぎなかった。
数時間が経過しただろうか。
私たちはついに遺跡の最深部と思われる、巨大な円形の広間へとたどり着いた。
広間の中央には祭壇のような石の台座があり、その上にそれは鎮座していた。
高さは五メートルほどだろうか。黒い金属と青白く脈動する水晶でできた、巨大な機械。複雑なパイプが絡み合い、無数の古代文字が刻まれている。
あれが伝説の禁断兵器『天候制御装置』。
その禍々しい威容に私たちは言葉を失った。
「……ついに、見つけたな」
レオン様が絞り出すように言った。
しかし安堵したのも束の間だった。
私たちが装置に近づこうとした、その瞬間。
広間全体が轟音と共に激しく揺れた。
「な、なんだ!?」
壁が崩れ、天井から岩が降り注ぐ。
そして祭壇の周りの床が円形にせり上がり始めた。私たちはあっという間に円形の闘技場のような場所に閉じ込められてしまったのだ。
「罠か!」
レオン様が叫び、剣を抜く。
そして闘技場の四方から、それは現れた。
石でできた巨大なゴーレム。その数は四体。それぞれが私たちの身長の三倍はあろうかという巨体で、その手には巨大な石の斧を握っている。
ゴーレムの目である部分が、不気味な赤い光を放っていた。
「……遺跡の守護者か。お出ましのようだな」
レオン様が吐き捨てるように言った。
騎士たちが即座に円陣を組み、私を中央に守るように配置される。
「ミカ嬢は下がるんだ!」
「ですが、私も……!」
「君の仕事は敵の弱点を分析することだ!戦闘は俺たちの仕事だ!」
レオン様は私の反論を許さなかった。彼の蒼い瞳には絶対的な覚悟が宿っている。
「総員、戦闘開始!絶対にミカ嬢に指一本触れさせるな!」
レオン様の号令と共に、騎士たちが雄叫びを上げてゴーレムへと突撃していった。
壮絶な戦いが始まった。騎士たちの剣はゴーレムの硬い石の体にはじかれ、なかなかダメージを与えることができない。逆にゴーレムが振り下ろす巨大な斧は大地を揺るがし、騎士たちを次々と吹き飛ばしていく。
あまりにも戦力差がありすぎた。
私は歯がゆい思いでその戦いを見つめていた。
(……落ち着け、私。感情的になるな。分析しろ。敵の弱点を、行動パターンを、全て整理整頓するんだ)
私はスキルを最大限に集中させた。
ゴーレムの動き、騎士たちの攻撃、そしてこの空間全体の魔力の流れ。その全てを私の頭の中でデータとして再構築していく。
そして私は見つけた。
ほんのわずかな、しかし決定的な『バグ』を。
「レオン様!聞こえますか!」
私は魔法の通信でレオン様に叫んだ。
『ああ!何だ、ミカ!』
激しい戦闘の最中、彼の息の上がった声が返ってくる。
「ゴーレムの弱点は胸にある紋章です!ですが、ただ攻撃しても意味はありません!」
「どうすればいい!」
「四体のゴーレムは魔力でリンクしています!一体を倒してもすぐに他のゴーレムから魔力が供給され再生してしまうのです!」
私は解析したゴーレムのシステム構造を彼に伝えた。
「四体の胸の紋章を、全く同時に、寸分の狂いもなく破壊する必要があります!それがこの守護者を倒す唯一の方法です!」
「……同時に、だと?そんな芸当、できるわけが……!」
彼の絶望的な声。
しかし私は諦めていなかった。
「できます!あなたたちなら!」
私は騎士たち一人一人の動き、呼吸、そして癖までを完全にデータとして把握していた。
「今から私がカウントをします。私の合図に合わせて四人が同時にそれぞれのゴーレムの胸を突いてください!タイミングのズレはコンマ一秒も許されません!」
それはもはや人間の領域を超えた、神業の連携を要求する作戦だった。
しかしレオン様は一瞬の躊躇の後、力強く答えた。
『……分かった!君を信じる!』
彼は仲間たちに私の作戦を伝えた。騎士たちの顔に決死の覚悟が浮かぶ。
私は深呼吸を一つした。
これから先の数秒間に私たちの全てが懸かっている。
私は戦場全体の全ての情報を一つの完璧なシーケンスとして頭の中に描き出した。
そしてその時を待つ。
ゴーレムが四体同時に攻撃後の硬直を見せる、ほんの一瞬の隙。
「……今です!」
私は叫んだ。
「3……2……1……ゼロ!!」
私の声に合わせ、レオン様を含む四人の騎士が閃光のように動いた。
それぞれの剣が完璧なタイミングで、ゴーレムの胸の紋章へと吸い込まれるように突き刺さる。
時間が止まったかのように感じられた。
そして次の瞬間。
四体のゴーレムの全身に亀裂が走った。
胸の紋章からまばゆい光が溢れ出す。
轟音と共に巨大な石の体はガラガラと音を立てて崩れ落ち、ただの瓦礫の山へと変わった。
広間には静寂が戻った。
騎士たちの荒い息遣いだけが響いている。
「……やった……のか?」
誰かが信じられないという声で呟いた。
私たちは勝ったのだ。
絶望的な戦力差を私の情報分析と彼らの完璧な連携で覆したのだ。
騎士たちが雄叫びを上げて喜びを爆発させる。
私も安堵のあまり、その場にへたり込みそうになった。
レオン様が私のそばに駆け寄ってきた。
「ミカ!よくやった!君のおかげだ!」
彼は感極まったように、私を強く抱きしめた。
彼の温かい胸の中。汗と土の匂い。そして生きているという確かな感触。
私は彼の胸に顔をうずめたまま、こくりと頷いた。
しかし私たちの戦いはまだ終わってはいなかった。
私たちが守護者を倒した、その瞬間を待っていたかのように、広間の奥の闇から一人の人物が拍手をしながらゆっくりと姿を現した。
その人物の姿を見て、私たちは絶句した。
そこに立っていたのは死んだはずの、あの男だったからだ。




