第43話 真珠の姫と影の商人
数日間の快適な船旅を経て、私たちの船は南の海洋国家『シレジア公国』の首都アクアリアの港へと到着した。
潮の香りと、異国の香辛料の匂いが混じり合った空気が鼻をくすぐる。
港は活気に満ち溢れていた。様々な国から来た船が行き交い、色鮮やかな帆が空を飾り、市場には異国情緒豊かな品々が所狭しと並んでいる。
しかし私の能力は、その華やかな光景の裏に潜む経済的な淀みを敏感に感じ取っていた。
きらびやかな真珠商の店構えとは対照的に、多くの個人商店は閑散としている。人々の表情にはどこか不安げな影が落ち、活気のある市場のすぐ裏手では、痩せた子供たちが物乞いをしていた。
富が一部の場所に極端に偏っている証拠だった。
私たち使節団は公国の儀仗兵に丁重に迎えられ、陽光を浴びて輝く白亜の美しい公爵城へと案内された。
謁見の間で私たちを待っていたのは、この国の次期元首セシリア公女殿下その人だった。
波打つような金色の髪に、海の底のように深い青色の瞳。
彼女はまるで古い物語に出てくる人魚姫が、そのまま人間の姿になったかのような儚げな美しさを持っていた。しかし、その背筋は凛と伸び、この国を背負う者としての気高さを感じさせる。
「ようこそ、クラインハルト王国の使節団の皆様。そしてあなたが、国家最高顧問ミカ・アシュフィールド殿ですね」
セシリア公女は私を見ると、安堵と期待が入り混じった表情を浮かべた。
その青い瞳の奥には、年齢に不相応な深い疲労と諦観の色が滲んでいた。だが私を見るその視線には、最後の藁にもすがるような必死の光が宿っている。
「お初にお目にかかります、セシリア公女殿下。この度はお招きいただき光栄ですわ」
私たちが形式的な挨拶を交わした後、彼女は人払いをして私とレオン様だけを自室へと招き入れた。
二人きりになると、彼女は張り詰めていた糸が切れたように、か弱い表情を見せた。
「……単刀直入に申し上げます、ミカ殿。我が国は今、滅亡の危機に瀕しております」
彼女は切実な声で語り始めた。
やはり私の予測は正しかった。
「全ての元凶は半年前、どこからともなく現れた『トリトンの手』と名乗る謎の商人組合です。彼らは圧倒的な資金力と非情な手口で、瞬く間にこの国の生命線である『魔法真珠』の市場を独占してしまいました」
「独占、ですか」
「はい。彼らは最高品質の真珠を育てるために不可欠な特殊な海域を全て買い占めてしまったのです。そして真珠の供給量を自在に操り価格を吊り上げ、我々公国の経済を根底から揺さぶっています」
セシリア公女は悔しそうに唇を噛んだ。
「逆らおうとした商人たちは皆、謎の事故に遭ったり、一夜にして破産に追い込まれたり……。もはや誰も彼らに逆らうことはできません」
「父である現公爵は病に伏せっており、有効な手を打てずにいます。組合の背後には強大な黒幕がいるようですが、その正体も掴めません。……ミカ殿、どうかあなたのその類稀なる力で、我が国を救っていただけないでしょうか」
彼女は深々と私に頭を下げた。その姿に、私はこの国の未来を一身に背負う若き姫君の覚悟を見た。
「お顔をお上げください、セシリア公女殿下。そのために私はここに来たのですから」
こうして私のシレジア公国での秘密の調査が始まった。
私とレオン様は商人や船乗りに扮し、アクアリアの街へと繰り出した。
市場を歩き真珠の品質を鑑定する。港で荷運び人足に紛れ込み物流の経路を把握する。そして夜は酒場で商人たちの愚痴や噂話に耳を傾ける。
私の能力は街に溢れる膨大な情報を次々と整理し、分析していった。
その中で、私は一つの確信を得た。
「レオン様。やはりこの『トリトンの手』のやり方は巧妙です。彼らはただ真珠を独占しているだけではない。彼ら自身が真珠の品質を意図的に落とし、そしてごく一部の最高級品だけを法外な値段で売ることで市場に『飢餓感』を生み出しているのです」
「……なんと悪質な。だがどうやって品質を?」
「問題は真珠を育てる『海水』です。彼らが独占している海域の海水には特殊な力を持つ微生物が含まれており、それが真珠の輝きを生み出している。彼らはその微生物の濃度を調整することで品質を制御しているのです」
「そんなことまで分かるのか、君は……」
レオン様はもはや驚くことも忘れ、ただただ感心していた。
「ええ。そしてこの問題を解決する方法も見つけましたわ」
私は不敵に笑った。
(要するにこれは、特定の企業が基本ソフトを独占して市場を支配するのと同じ構造。ならば私たちがやるべきことは一つ。もっと高性能で誰でも使える無料の『オープンソース』を開発して市場に投入すればいい!)
「彼らが真珠の源を独占しているなら、その独占を無意味にするような、全く新しい価値を生み出せばいいのです」
「新しい価値、か。君らしい発想だな」
レオン様が感心したように頷いた。
調査の途中、私たちは港の裏路地でいかにも柄の悪いならず者たちに絡まれた。彼らは『トリトンの手』の下っ端らしく、嗅ぎ回るような私たちの行動を不審に思ったのだろう。
「お嬢ちゃん、ちょっとツラ貸しな」
男が下卑た笑いを浮かべ、私の腕を掴もうとした。
その手が私の肩に触れる、まさにその寸前。
空気が凍った。隣にいたレオン様の気配が、穏やかな春の日差しから、全てを凍てつかせる冬の吹雪へと一変したのだ。
閃光が走った。
私が瞬きをした時には、ならず者たちは全員地面に伸びていた。
その中心には剣を抜き放ち、絶対零度の視線を放つレオン様が立っている。
「……虫けらが。ミカ嬢のその白い肌に指一本でも触れてみろ。その腕ごと塵にしてくれる」
その静かだが底知れぬ怒りを秘めた声。
私は彼の私に対する猛烈な庇護欲に背筋がぞくりとした。そして同時に、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「レオン様、やりすぎですわ」
「……すまない。だが君に害をなそうとする者を見ると、どうにも冷静でいられなくなる」
彼は気まずそうに剣を鞘に収めた。その不器用な優しさが、たまらなく愛おしい。
調査を終え城に戻った私は、セシリア公女にある提案をした。
「公女殿下。『トリトンの手』の組合長が主催する盛大な夜会が三日後に開かれるそうですね」
「ええ。我が国の貴族や有力者たちを招き、その財力と権力を誇示するための悪趣味な宴ですわ」
「その夜会に私たちも出席いたします。そしてその場で彼らの不正を全て白日の下に晒し、この茶番を終わらせましょう」
私の大胆な提案に、セシリア公女は息を呑んだ。
「……正気ですの? それはあまりにも危険ですわ」
「ご心配なく。私には完璧な計画がありますから」
私は最高の笑顔で言った。
「いわば、大掛かりな公開システム監査ですわね」
私のその自信に満ちた言葉に、絶望に閉ざされていた彼女の青い瞳に、数ヶ月ぶりに確かな光が灯った。
それはこの国の夜明けを信じる、希望の光だった。




