第42話 海洋国家からの招待状
王都スラム街の改革は軌道に乗り、かの地に蔓延していた闇組合『黒蛇の牙』は、血を見ることなく内部から崩壊した。私の企画はまたしても大きな成功を収め、民衆は私を『戦わずして勝つ聖女』などと、少し気恥ずかしい二つ名で呼ぶようになっていた。その評判は日に日に高まっているらしい。
しかし、私の心には一抹の不安が残っていた。
『黒蛇の牙』の崩壊劇が、あまりにもあっけなさすぎたのだ。まるで巨大な獣が危険を察知し、追手に捕まる前に自らの尻尾を切り離して逃げるかのように。彼らはただの末端組織であり、本体はまだどこかで息を潜めている。そんな予感が、私の胸に黒い染みのように広がっていた。
その懸念が現実のものとなったのは、王宮に一通の親書が届けられた時だった。
南方に位置する海洋国家『シレジア公国』からの使者がもたらした、緊急の書簡だった。
「シレジア公国のセシリア公女殿下が、君との緊急会談を熱望している、だと?」
皇帝執務室でアルベルト陛下は届けられた親書を読み上げ、訝しげに眉をひそめた。私の隣に立つレオン様も、その美しい顔に緊張を走らせている。
「シレジア公国……。商業と貿易で栄える中立の海洋国家。我が国とはこれまで特に深い交流はなかったはずだが」
陛下の言葉に、私は静かに頷いた。
「はい、陛下。ですが私の『目』にはいくつかの不穏な兆候が見えております」
私はそう言うと、特別牢にいるライナスから得た情報と、私の能力で解析した王国の貿易記録を魔法の画面に表示した。
「こちらをご覧ください。シレジア公国の主要な輸出品である『魔法真珠』。その価格がここ半年で異常な高騰を見せています。それと同時に、市場に出回る真珠の品質は著しく低下している。これは明らかに市場が何者かによって人為的に操作されている証拠です」
私は次に金の流れを示す複雑な図を映し出した。
「そしてこれが、シレジア公国から流れている不審な金の流れです。複数のダミー会社を経由し、巧妙に洗浄されていますが、その最終的な行き先は……先日私たちが壊滅させた闇組合『黒蛇の牙』の、さらにその上に存在する正体不明の組織へと繋がっています」
私の言葉に、陛下の金の瞳が鋭く光った。
「……なるほど。『黒蛇の牙』はやはり末端組織に過ぎなかったというわけか。そしてその本体は、シレジア公国を新たな拠点にしていると。面白い」
陛下は椅子に深く腰掛け、不敵な笑みを浮かべた。彼は困難な課題を前にすると、逆に燃え上がるタイプの君主だ。
「ミカ。君はどうすべきだと考える?」
「受けて立つべきです、陛下。これは単なる会談の要請ではありません」
私はきっぱりと答えた。
「私の推測では、これはシレジア公国の、いえ、セシリア公女殿下からの悲鳴にも似た救難信号です。そして私たちにとっては、見えない黒幕の尻尾を掴む絶好の機会でもあります」
私の言葉に、陛下は深く頷いた。
「よろしい。ならばこれは単なる会談ではない。我がクラインハルト王国の正式な外交使節団として、シレジア公国へ向かってもらう」
「えっ、私が使節団を率いるのですか?」
「君以外に誰がいる。これは君にしかできない『お片付け』だ。国家最高顧問として我が国の威信をかけ、シレジア公国の問題を見事に整理整頓してきなさい」
陛下はそう言うと、私の肩に力強く手を置いた。その瞳には絶対的な信頼が宿っている。
「もちろん、最高の船と最高の随行員を用意させる。そして……」
陛下はレオン様へと視線を移した。
「騎士団長レオン・アークライト。君には使節団の首席護衛官としてミカに同行することを命じる。我が国の至宝である彼女の身に万が一のこと……いや、指一本触れさせることすら許さん。これは皇帝命令だ」
「はっ! このレオン、命に代えましてもミカ嬢をお守りいたします!」
レオン様は力強く胸を叩き、恭しく頭を下げた。その蒼い瞳は、私を守るという固い決意と、そして私と二人きりで旅ができるという、ほんの少しの喜びの色に揺らめいていた。
こうして私の新たな国際企画、『シレジア公国・経済流通最適化計画』が正式に発足した。
出発までの数日間、私は準備に追われた。シレジア公国の歴史、文化、そして主要な貴族や商人たちの情報を、ライナスの協力も得ながら徹底的にデータベース化していく。
「まずは企画の全体像を把握し危険性を洗い出す。次に主要な関係者を特定し、それぞれの利害関係を整理する。重要業績評価指標は、魔法真珠市場の安定化と黒幕組織の特定。完璧な計画ですわ」
私が専門用語を並べながら羊皮紙に詳細な計画書を書きつけていると、レオン様が感心したように、それでいて少し呆れたように私を見ていた。
「君は本当に楽しそうだな」
「ええ、もちろん。だってこれは、最高にやりがいのある『お片付け』ですもの」
数日後。王都の港には国王の紋章を掲げた、白く美しい大型帆船が停泊していた。私がシレジア公国へと向かうための使節団の船だ。
私はこの旅のために陛下が特別に作らせてくれた、動きやすくも気品のある紺青の旅装に身を包んでいた。
港には陛下自らが見送りに来てくれていた。
「ミカ。君の留守は私がしっかりと守る。だから何も心配せず、君の思うままに力を振るってきなさい」
「はい、陛下。必ずや良い結果を持ち帰ります」
「ああ、待っている。……君がいない王宮は、少しだけ寂しくなるな」
そう言って寂しそうに微笑む陛下の姿に、私の胸がきゅんと痛んだ。
「レオン。頼んだぞ」
「御意」
短い言葉を交わし、私とレオン様は船のタラップを上がった。
大きく帆が張られ、船はゆっくりと岸壁を離れていく。遠ざかる王都と、手を振り続ける陛下の姿。
私はこれから始まる新たな冒険に胸を躍らせていた。隣には最強の騎士がいてくれる。そして遠い王都からは、最高の王が私を信じ見守ってくれている。
ならば何も恐れることはない。
私は南の海の向こうに広がる新たな『お片付け』の舞台へと、決意を新たにするのだった。




