第40話 筆頭監査官の秘密の視察
私の立案した『国家教育システム最適化計画』は、ガルニア帝国のクラウス王子を編纂委員会の団長に迎えることで、順調な滑り出しを見せていた。彼は水を得た魚のようにその膨大な知識と情熱を、新しい教科書作りへと注ぎ込んでいる。その真摯な姿を見ていると、私も自分のことのように嬉しくなった。
しかし、企画が軌道に乗る一方で、私は新たな課題に直面していた。それは机の上の情報だけでは決して見えてこない、この国の深い影の部分だった。
特別牢にいるライナスから提供された情報の中に、特に気になる記述があった。
王都の最下層に位置するスラム街。公式な記録にはほとんど残されていない、忘れられた土地。そこでは多くの孤児たちが劣悪な環境で暮らし、その日の食事にも事欠いているという。
どんなに立派な教育制度を作っても意味がない。その教育を受けることすらできない子供たちがいるのなら、それはただの絵に描いた餅だ。
私は意を決した。自分の目で、その現状を確かめなければならない。
「スラム街へ視察に?」
私の計画を聞いたレオン様は、案の定、猛反対した。
「危険すぎる。あそこは王国の法も届かぬ無法地帯だ。君の身に何かあってからでは遅い。絶対に許可できん」
彼の蒼い瞳が、私の身を心から案じていることを物語っていた。
「ですから、お忍びで行くんです。それに、レオン様が一緒なら大丈夫でしょう?」
私が上目遣いでお願いすると、彼はぐっと言葉に詰まった。彼は私のこの『お願い』に、めっぽう弱いのだ。
「……分かった。だが、絶対に俺のそばから離れるな。これは命令だ」
彼は大きくため息をつくと、しぶしぶ頷いてくれた。
翌日、私とレオン様はみすぼらしい旅人の服に着替え、人目を忍んでスラム街へと足を踏み入れた。
そこは私が今まで見てきた華やかな王都とは、まるで別世界だった。
狭く汚れた路地。淀んだ空気と、人々の目に宿る希望のない光。そして、痩せこけた子供たちがゴミを漁っている。その光景は、私の胸を強く締め付けた。
私たちはライナスの情報にあった、スラム街で一番大きな孤児院へと向かった。
今にも崩れそうな古い建物。中からは子供たちの泣き声と、男の怒声が聞こえてくる。
中に入ると、そこはさらに悲惨な状況だった。
十数人の子供たちが、薄汚れた一枚の毛布を分け合い、固い床の上で震えている。食事も、水で薄めたような汁物だけ。
そして院長らしき男は子供たちを怒鳴りつけながら、彼らが稼いできたわずかな金を巻き上げていた。
その光景を見た瞬間、レオン様の全身から殺気にも似た怒りの雰囲気が立ち上った。
「……許せん」
彼が剣に手をかけようとしたのを、私は慌てて手で制した。
「待ってください、レオン様。ここで騒ぎを起こしてはダメです」
「しかしミカ嬢!」
「大丈夫です。こういう手合いには、もっと効果的な『お片付け』の方法がありますから」
私はにっこりと微笑むと、院長の前に進み出た。
「これはこれは、ご立派な院長様。子供たちのために日々ご尽力されていらっしゃるご様子、感服いたしましたわ」
私はあえて、どこまでも丁寧な言葉で話しかけた。
院長は私たちの身なりを見て、ただの旅人だと思ったのだろう。汚い歯を見せて、せせら笑う。
「なんだ、お前ら。見物料でも払うってのか?」
「ええ、もちろん。ですがその前に、一つご提案がございますの。私、少しばかり経営の心得がありまして。この孤児院の運営を、もっと効率的に、もっと儲かるように改善して差し上げますわ」
「……儲かる、だと?」
男の目が、いやらしく光った。
私はスキルを使い、この孤児院の劣悪な会計記録を一瞬で読み取った。そして、その不正と無駄を次々と指摘していく。
「まず食費。この人数であれば、本来の半分の費用でもっと栄養のある食事を提供できます。近隣の農家と直接契約し、市場を通さないことで仕入れ値を30%は削減できるでしょう。いわゆる供給網の最適化ですね」
「次に光熱費。この建物の構造では熱がすぐに逃げてしまいます。壁に安価な断熱材を導入し、窓を二重にするだけで冬の薪代は四分の一になりますわ」
「そして何より、この子供たちという『資産』の活用法。彼らに物乞いや盗みをさせるのではなく、簡単な手内職の技術を教えるのです。例えば、私が考案した『蜜晶花』の茎を使ったカゴ作り。これは王都の富裕層に高値で売れます。子供たちの労働環境を改善し、正当な対価を支払ったとしても、今の十倍以上の利益が見込めますわ」
私のあまりにも具体的で、非の打ちどころのない経営改善案。それは、院長の男の強欲な心を鷲掴みにした。
「……お、お前、一体何者だ……」
「ただのお節介な経営相談役ですわ」
私は彼に一枚の契約書を突きつけた。
それは、私がこの孤D児院の経営権を一時的に預かり、収益を改善するという内容だった。そして、収益の七割は子供たちの生活環境の改善と教育に充て、残りの三割を彼の報酬とするという条項も盛り込まれている。
男は目の前の莫大な利益に目がくらみ、二つ返事でその契約書に署名した。彼にはこれが、自分自身の首を絞めることになるとは夢にも思っていなかっただろう。
孤児院を出ると、レオン様が感嘆と、そして少し呆れたような顔で私を見ていた。
「……君は、悪党さえも手玉に取るのだな」
「人聞きの悪い。私はただ、双方に利益のある関係を提案しただけですわ。彼も儲かる。子供たちも救われる。完璧な解決策でしょう?」
私が悪戯っぽく笑うと、彼はふっと優しい笑みを浮かべた。
「ああ、そうだな。君のやり方はいつも正しい。……そして、誰よりも優しい」
その言葉に、私の胸が温かくなる。
私たちはその後も、スラム街の視察を続けた。
衛生問題、治安の悪化、そしてそれらを支配する闇組合の存在。問題は山積みだった。
しかし、私は絶望しなかった。
どんなに複雑で根深い問題も、一つ一つ丁寧に整理整頓していけば必ず解決できる。そして私の隣には、この最強の騎士がいてくれる。
「レオン様。次の企画が決まりましたわ」
「……聞かなくても分かる。このスラム街全体を『お片付け』するつもりだろう?」
「ご名答です。目標はこの国から『貧困』という言葉をなくすこと。壮大な企画になりそうですわね」
私の言葉に、レオン様は楽しそうに笑って頷いた。
「望むところだ。君と一緒なら、どんな困難な任務もきっと楽しいだろうからな」
彼のその言葉が、どんな褒美よりも私の力になる。
私たちは夕日に染まるスラム街を背に、次なる戦いへの決意を新たにするのだった。




