第32話 逆ハッキングとアッシュフォードの答え
「……危険な賭け、だと?」
アルベルト陛下の声が、硬直した作戦室に響いた。
彼の金の瞳が、私の覚悟を問うように鋭く見つめている。
通信機の向こう側からは、レオン様の押し殺したような叫びが聞こえてきた。
『ミカ! ダメだ! 聞こえているのか!? 君をそんな危険な目に遭わせるわけにはいかない! 俺が今すぐ奴を斬る!』
彼の必死な声が、私の胸を締め付ける。
「レオン様の剣では間に合いません」
私は冷静に事実を告げた。
「あなたが彼を斬る前に、ライナスは王都の魔力を停止させるでしょう。そうなれば全てが終わります」
「彼らが魔力ネットワークをハッキングしたというのなら、こちらもそのネットワークを逆にハッキングし返します。それしか方法はありません」
「逆ハッキングだと……? そんなことが可能なのか」
宰相閣下が、信じられないという声で呟く。
「はい。私のスキル《完璧なる整理整頓》の本質は情報の最適化です。魔力の流れもまた、エネルギーという名の情報。私が直接魔力ネットワークの奔流に精神をダイブさせ、アッシュフォード家が作り上げた制御プログラムを内側から破壊し、上書きします!」
私のあまりにも荒唐無稽な作戦。
それは例えるなら、巨大なダムの放水口に生身で飛び込み、その激流を素手で変えようとするようなものだった。
一歩間違えれば、私の精神は膨大な魔力と情報の奔流に飲み込まれて引き裂かれ、二度と元には戻らないだろう。
「……許可、できない」
陛下が絞り出すように言った。
「君を失うくらいなら、私はこの玉座を明け渡そう。民には済まないが……君を犠牲にすることだけは、断じてできん」
その言葉。
それは王としてではなく、アルベルトという一人の男としての、偽らざる本心だった。
彼の私に対する深い愛情が、ひしひしと伝わってくる。
その想いは嬉しかった。
でも、ダメだ。
ここで彼を王でなくしてしまったら、私がこれまで頑張ってきた全てが無意味になってしまう。
私は首を強く横に振った。
そして前世でどんな無茶な仕様変更を突きつけてくるクライアントにも見せたことのないような、最高に不敵な笑顔を作ってみせた。
「いいえ、陛下。それでは彼らの思う壺です。それに、私を信じてください。私は負け戦はしません。勝算のないプロジェクトは受注しない主義ですので」
私はそこで一度言葉を切り、まっすぐに陛下の瞳を見つめた。
「……なぜなら、私はこの国で一番優秀な、SEですから」
私の最後の言葉に、陛下はハッと息を呑んだ。
彼はしばらく何かをこらえるように目を閉じていたが、やがて諦めたように、しかしどこまでも深い信頼の眼差しで私を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。行け、ミカ。君の勝利を信じている。必ず生きて私の元へ帰ってこい。……これは、業務命令だ」
私は陛下のその言葉を胸に刻み、作戦室を飛び出した。
向かうは王宮の地下最深部。
この国の魔力供給の心臓部である『王宮大魔導炉』だ。
巨大な青白い水晶の塊が、轟音と共に脈動し、王国中に魔力を送り出している。
その圧倒的なエネルギーの塊を前にして、一瞬恐怖で足が竦んだ。
しかし、私の背中には二人の英雄の想いがある。
私は覚悟を決めると、魔導炉にそっと手を触れた。
「スキル、発動! 精神ダイブ、開始!」
その瞬間、私の意識は光の奔流に飲み込まれた。
目を開けると、そこは物理的な空間ではなかった。
無数の光の線が縦横無尽に走り、交差し、渦を巻く壮大な情報の海。まるで電子の宇宙だった。
ここがこの国の魔力ネットワークの中枢。
私はその圧倒的な光景に一瞬我を忘れたが、すぐに本来の目的を思い出した。
(……探さないと。アッシュフォード家の黒いプログラムを)
私は情報の海を泳ぐように進んでいく。
そして、見つけた。
ネットワークの中心で、まるで巨大な黒い蜘蛛のように巣を張る、禍々しい魔力の塊。
あれがライナスが作り上げた制御プログラム。王都の全てを蝕む、悪性のウィルスだ。
私がそのウィルスに近づいた、その時。
『――来たか。我が愚かなる妹よ』
ライナスの思念が直接、私の頭の中に響いてきた。彼もまた、この情報の海に精神を接続しているのだ。
『その地味なスキルで、この私が数十年かけて作り上げた完璧な芸術品を、破壊できるとでも? 身の程を知るがいい』
『身の程を知るのは、あなたの方よ、お兄様』
私も思念で応えた。
『あなたの作ったこのプログラム……確かに強力だわ。でも、あまりにも無駄が多くて非効率的。構造が古すぎるのよ。いわばスパゲッティコードの塊ね。こんなレガシーシステム、私の『最適化』の前ではガラクタ同然です!』
『なにぃ!?』
私の挑発に、ライナスの思念が激しく揺らぐ。
そこから、壮絶なサイバーバトルが始まった。
彼は複雑な防御魔法の壁を次々と作り出し、私を排除しようとする。
しかし私は、その壁の構造的な脆弱性を一瞬で見抜き、スキルの力でその結合を解体していく。
「そんな力技、通用しないわ! もっとスマートにやりなさい!」
私は彼の攻撃をひらりとかわしながら、逆に彼のプログラムの核心部分へと侵入していく。
『ば、馬鹿な……! 俺の完璧な防御が、まるで紙のように……!』
ライナスの焦りの思念が伝わってくる。
『だから言ったでしょう? あなたのやり方は古いのよ。これからの時代に必要なのは力ではなく、情報の最適化。効率的な整理整頓なの!』
私はついに、彼のプログラムの中枢――黒い蜘蛛の心臓部へと到達した。
『やめろぉぉぉぉ!』
ライナスの悲鳴のような思念を無視して、私はその心臓部に私のスキルの全ての力を叩き込んだ。
「――『完全なる、整理整頓』!!」
その瞬間。
黒く禍々しかったウィルスは、まばゆい光に包まれてその邪悪な構造を失った。
そして無数のクリーンな光の粒子となって、情報の海へと溶けるように消滅していった。
魔力ネットワークの制御権が、完全に王家の元へと戻ったのだ。
ネットワークから強制的に弾き出されたライナスは、膨大な情報のフィードバックに耐えきれず、修道院の金庫室で血を噴き出して気絶した。
レオンたちが即座に彼の身柄を確保する。
作戦は、成功した。
しかし、私もまた限界だった。
全ての精神力を使い果たした私は、光の海の中で意識を手放した。
遠くに私を必死に呼ぶ、皇帝と騎士の声が聞こえる。
(……ああ、私、ちゃんとお片付け、できた、かな……)
その思いを最後に、私の意識はどこまでも深く、静かな闇の中へと沈んでいった。
私の異世界での最大にして最後のプロジェクトは、こうして幕を閉じた。
……はずだった。




