第18話 亡霊の調査と王宮図書館の夜
グラシエ伯爵との対峙から数日が過ぎた。
王宮は表面上の穏やかさを取り戻していたが、水面下では新たな脅威への対策が急ピッチで進められていた。
『ヴァイスハイト公爵家の亡霊』。その正体不明の敵を前に、私の執務室は事実上の対策本部と化していた。
「三十年前に断絶したはずの家が、今も活動を続けているとは。由々しき事態だ」
皇帝陛下自らが私の執務室を訪れ、厳しい表情で告げる。
彼の隣ではレオン様が腕を組み、険しい顔で壁の地図を睨んでいた。
「はい。彼らの目的は王家への復讐、そしてヴァイスハイト家の復興でしょう。そのためにはまず現体制を混乱させる必要があります。グラシエ伯爵とは利害の一致で手を組んでいる可能性が高いと推測されます」
私はスキルで整理した相関図を指し示しながら説明する。
「問題は彼らのアジトがどこで、どれほどの戦力を保持しているかです。三十年間、全く表に出てこなかった。これは非常に用意周到で統率の取れた組織であることを示しています」
「うむ。騎士団の諜報部にも徹底的に調査させているが、今のところ有力な情報は掴めていない」
レオン様が悔しそうに答えた。
「普通の探し方では見つからないでしょう。彼らは三十年間、記録に残らない方法で生き延びてきたはずですから」
私はそこで、ふっと笑みを浮かべた。
「ですが、どんなに隠れても人は痕跡を残すものです。特に貴族という人種は、ですね」
「何か策があるのか、ミカ」
陛下が期待の眼差しで私を見る。
「ええ。物理的な痕跡がないのなら、情報の痕跡を探すまでです。私は今夜、王宮図書館に籠もろうと思います」
「図書館に?」
レオン様が不思議そうな顔をした。
「はい。ヴァイスハイト公爵家が断絶した三十年前。その前後のあらゆる記録を洗い直すのです。貴族たちの手紙や日記、社交界の記録、果ては流行歌の歌詞まで。どんな些細な情報にも、彼らの影が潜んでいる可能性があります。膨大な文字の海から、関連する言葉を拾い集める作業ですわ」
私の説明に陛下とレオン様は真剣な表情で頷いた。
その夜。
私は膨大な書物が眠る王宮大図書館にいた。
もちろん護衛のレオン様も一緒だ。私が危険な調査をすると言うので、何があってもそばを離れないと頑として譲らなかったのだ。
「本当にこんなものから情報が見つかるのか」
天井まで届く本棚を見上げ、レオン様が呆れたように言った。
古い紙とインクの匂いが、静寂に満ちた空間に漂っている。
「見つかりますよ。人の感情は、こういう何気ない記録にこそ滲み出るものですから」
私は図書館の全ての書物をスキルのスキャン対象に設定した。
そして複数の検索キーワードを頭の中に打ち込む。
「『ヴァイスハイト』『残党』『復讐』『隠れ家』……。そして関連性の高い感情ワードとして『悲嘆』『怒り』『忠誠』『希望』。これらのキーワードが、特定の地域や人物と不自然に高い頻度で結びついている箇所を抽出します」
スキルを発動させると、私の頭の中に三十年分のありとあらゆる人々の記録が怒涛のように流れ込んできた。
それは凄まじい情報量だった。普通の人間なら一瞬で意識を失うだろう。
無数の文字が奔流となって私の精神を削っていく。頭の奥がズキズキと痛み始めた。
私のスキルは、その情報の濁流を瞬時に解析し整理していく。
「……ミカ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
隣で見ていたレオン様が心配そうに私の肩に手を置いた。
彼の大きな手が温かい。その温もりに少しだけ意識が現実へと引き戻される。
「……大丈夫です。もう少し……」
私は情報の海にさらに深く潜っていった。
貴族令嬢の他愛ない恋文。商人の生々しい取引記録。吟遊詩人が残した名もなき詩。その全てが私の頭の中で分解され、再構築されていく。
数時間が経っただろうか。
夜が更け、静寂に包まれた図書館で私のスキルがついに一つの『解』を弾き出した。
ピコン、とクリアなシステム音が頭の中に響いた。
「……見つけました」
私は顔を上げた。
「何がだ?」
「彼らの隠れ里の場所です」
私の言葉にレオン様が息を呑んだ。
「それは北方に広がる『嘆きの森』。その奥深くにある廃村です。三十年前、ヴァイスハイト家と親交の深かったある小貴族が反逆の濡れ衣を着せられて領地を追われました。その村人たちがヴァイスハイト家の残党を匿い、森の奥で独自の共同体を作って三十年間息を潜めていたのです」
決め手となったのは当時その村で詠まれていた一編の詩だった。
表向きは不作を嘆く農民の詩だったが、私のスキルで文字の並びを解析したところ、その詩には全く別のメッセージが隠されていた。
『白き賢者の帰還を待つ。我らの忠誠は北の森にて、永遠に』
「白き賢者とはヴァイスハイト公爵家の紋章である『白フクロウ』のこと。これは彼らが、いつか自分たちの主君が返り咲く日を信じて潜伏していることを示す動かぬ証拠です」
「……信じられん。詩からアジトを特定するなど」
レオン様はもはや驚きを通り越して呆然としていた。
「これでようやく反撃の狼煙を上げられますね」
私が安堵の息をついた、その時だった。
連日の調査と膨大な情報処理の負荷が、私の精神力の限界を超えたらしい。
ぐらり、と視界が大きく傾いた。目の前が真っ白になる。
「ミカ!」
意識を失う寸前、私を力強く支えてくれたのはレオン様の腕だった。
そのまま私は彼の胸の中に崩れ落ちるようにして倒れ込む。
彼の硬い鎧の感触と鍛え上げられた体の熱。そして私を心配する彼の焦った声。
それが私のその夜の最後の記憶だった。
次に目を覚した時、私は自分の執務室の長椅子に横になっていた。
肩には見覚えのある騎士団長のマントがかけられている。
そばの椅子に腰かけていたレオン様が、私の目覚めに気づき安堵の表情を浮かべた。
どうやら彼がここまで私を運んできてくれたらしい。
その事実に気づいた瞬間、私の顔にカッと熱が集まった。
「す、すみません! 私としたことが……!」
「気にするな。君がどれだけ無理をしていたか、俺が一番よく分かっている」
彼は静かに言うと、私の額にそっと手を当てた。
ひんやりとした大きな手。その不器用な優しさに、私の心臓がまたうるさく鳴り始める。
「……少し熱があるな。今日はもう休め。陛下の許可も取ってある」
「ですが……」
「これも君の護衛である俺の、命令だ」
彼の有無を言わせぬ、しかしどこまでも優しい声。
私はもう何も言い返せなかった。
彼の温かい視線に包まれながら、もう一度静かに目を閉じる。
レオン様がそばにいてくれる。その安心感が疲労しきった私の心を溶かしていく。
今はただ、この温もりに身を委ねていたい。そう、ぼんやりと考えていた。




