第17話 黒幕の正体と王宮の茶会
王都に戻った私たちは、休む間もなく皇帝陛下の執執務室へと向かった。辺境伯領での計画の滑り出しと、道中で起きた襲撃事件の顛末を報告するためだ。
バルツァ辺境伯領でのプロジェクトが順調な滑り出しを見せたこと。そして試作品である『蜜晶花』から作ったクッキーを献上すると、アルベルト陛下はその甘さと豊かな風味に目を丸くしていた。
「なんと……。これが、あの花の蜜から作られたというのか。砂糖よりも風味が複雑で、後味がいいな」
「はい。これなら王都の菓子職人たちも、新しいお菓子を次々と考えつくでしょう。新たな産業が生まれ、経済効果は計り知れません」
私の言葉に、同席していた宰相閣下も満足げに頷いている。和やかな雰囲気は、しかし話が襲撃事件に及ぶと一変した。
「私の不徳の致すところです。筆頭監査官殿を、危険な目に遭わせてしまいました」
レオン様が深く頭を下げる。彼の声には、自らを責める響きと抑えきれない怒りが滲んでいた。
「いや、レオン。君を責めているのではない」
陛下は静かに首を振った。その金の瞳が、冷たい光を宿す。
「敵が本格的に動き出したということだ。我々の改革が彼らにとって、それほどまでに脅威だという証拠でもある」
「ミカ嬢。襲撃者について何か分かることはないか?君のスキルなら、何か見つけられるかもしれん」
「はい。実は一つだけ、気になるものが」
私はアイテムボックスから、襲撃者のリーダーが持っていた短剣を取り出した。それは男が自決する間際に、レオン様が弾き飛ばしていたものだ。私はその短剣に、静かにスキルを発動させた。
私の視界にだけ見える青白いグリッド線が短剣を包み込み、その情報を解析していく。
【黒鉄の短剣】
状態:良好
来歴:約五十年前、王都の武具工房『黒鉄鎚』にて製造。
特記事項:柄の部分に微かな魔力反応を検知。肉眼では視認困難な紋章が刻印されている。
「……紋章?」
私は柄の部分を凝視した。そこには肉眼ではほとんど見えないほど小さな、しかし複雑な紋章が確かに刻まれていた。私はその紋章のデータを、頭の中の貴族名鑑データベースと高速で照合する。
そして、検索結果に息を呑んだ。
「……陛下。これは、グラシエ伯爵家のものではありません」
「何だと?」
「この紋章は……『ヴァイスハイト公爵家』のものです」
その名を聞いた瞬間、執務室の空気が凍り付いた。陛下と宰相閣下の顔色が一変し、レオン様も驚きに目を見開いている。
「ヴァイスハイト公爵家……。馬鹿な。三十年前に、先帝陛下への反逆の罪で爵位も領地も全て没収され、断絶したはずではなかったか!」
宰相閣下が信じられないという声で呟く。
「ええ。記録上はそうなっています。しかしこの短剣は、彼らの残党が今も水面下で活動していることを示唆しています」
グラシエ伯爵だけではない。私たちの改革は、眠っていたさらに古く根深い『亡霊』を呼び覚ましてしまったのかもしれない。事態は我々の想像以上に、複雑で危険なものになりつつあった。
その数日後。
王宮の庭園でささやかな茶会が開かれた。主催者は皇帝陛下。招待されたのは私とレオン様だけだった。
「今日は堅苦しい話はなしだ。ただの慰労会だと思ってくれ」
陛下は穏やかに微笑む。美しく手入れされた花々に囲まれ、侍従が淹れてくれた極上の紅茶とお菓子をいただく。それはつかの間の、平和な時間だった。
しかし、その平和は一人の男の登場によって唐突に破られた。
「これはこれは陛下。優雅なティータイムですな」
現れたのはふくよかな体に高価な絹の服をまとった、人の良さそうな笑顔を浮かべた老人。彼こそが砂糖市場を独占する、グラシエ伯爵その人だった。
「グラシエ伯。何の用だ」
陛下の声が一瞬で低くなる。庭園の穏やかな空気が、彼の登場で張り詰めた。
「いやなに、王宮に新しい賢者様がいらっしゃったと聞きましてな。一度ご挨拶を、と」
伯爵の狐のように細い目が、私に向けられる。その笑顔の裏に隠された冷たい刃を、私は敏感に感じ取っていた。
「あなたがミカ・アシュフィールド殿ですかな。いやはやお噂はかねがね。若い娘御の単なる思いつきで、我が一族が百年かけて築き上げてきたこの国の砂糖の秩序をかき乱してくださるとは。感心、感心」
その言葉は丁寧なようでいて、強烈な皮肉と明確な敵意に満ちていた。これがこの世界の権力者の戦い方。言葉という毒を塗った刃で、相手の心を試すのだ。
私は静かにティーカップを置くと、笑顔でまっすぐに彼を見つめ返した。
「初めまして、グラシエ伯爵。その『秩序』とやらは、一般的には『不当な独占』と呼ぶのではないでしょうか?」
「……ほう?」
伯爵の笑顔が、わずかに引きつった。
「私は市場というものは、常に公正な競争によって活性化されるべきだと信じております。私のしていることは古いシステムをより良いものへと『最適化』しているにすぎません。これも国に仕える者としての、当然の務めですので」
私の一歩も引かない態度に、伯爵の目が危険な光を宿した。
その時だった。
「――そこまでだ、伯爵」
静かだが絶対的な威圧感を込めた声が響いた。声の主はアルベルト陛下だ。
「筆頭監査官は私の勅命によって動いている。彼女への侮辱は、この私への侮辱と受け取るが、よいかな?」
「……これは失礼いたしました」
グラシエ伯爵は一瞬で人の良さそうな笑顔に戻ると、深々と頭を下げその場を去っていった。嵐のような老人が去った後、庭園には再び静けさが戻った。
「……ミカ嬢」
隣に座っていたレオン様が、心配そうな顔で私を見ていた。
「大丈夫か? あの男に、何かされなかったか?」
「ええ、大丈夫です。口先だけの威嚇なんて、前世で慣れていますから。ああいう手合いはむしろ分かりやすいです」
私が強がって見せると、彼は安心したように、それでいてどこか悔しそうに唇を噛んだ。
「ミカ」
不意に陛下が、私の名前を呼んだ。
「君は自分が思っている以上に、多くの敵を作っている。そして、多くの者を魅了している」
その金の瞳がまっすぐに、私を射抜く。
「君の行く道は決して平坦ではないだろう。だが忘れるな。君の隣には、この私がいる。そしてこの国最強の騎士もだ」
その言葉は、絶対的な王の約束だった。
グラシエ伯爵。そしてヴァイスハイト公爵家の亡霊。敵は次々と姿を現す。
でも不思議と、怖くはなかった。
右には私を絶対的に信頼してくれる若き皇帝がいる。
左には私を命懸けで守ってくれる最強の騎士団長がいる。
この二人と一緒なら、どんな困難なプロジェクトだってきっと成功させられる。私は新たな決意を胸に、甘い蜜晶花のクッキーを一口かじった。




