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第1話 過労死聖女と開かずの倉庫

私の人生は、キーボードを叩く音、鳴り止まない電話、そして積み上がった書類の山でできていた。


佐藤美佳子、二十八歳。

都内のIT企業に勤める、どこにでもいるシステムエンジニア。いや、訂正しよう。どこにでもいる「社畜」だ。


月の残業時間は軽く三桁を超える。

最後にカレンダー通りの休みを取ったのはいつだったか、もう思い出せない。

栄養はゼリー飲料で、睡眠は会社の仮眠室で。


そんな生活の果てに、ある日の深夜、私は自分のデスクで静かに突っ伏した。


視界の端で、作りかけの仕様書が白く光っていた。

ああ、これ、明日の朝イチで提出しないと……。


それが、私の最後の記憶だった。


次に意識が浮上したとき、私はふかふかのベッドの上にいた。


(……あれ? 私は生きている?)

(天国にしては、ずいぶん豪華な部屋ね)


見知らぬ天井。繊細な刺繍が施された天蓋。

窓から差し込む光は、やわらかく空気を満たしている。

私の知っている殺風景なワンルームとも、無機質なオフィスとも全く違う景色だ。


混乱する頭でゆっくりと体を起こすと、視界の隅に半透明のウィンドウのようなものが浮かび上がった。


【ミカ・アシュフィールド】

年齢:16歳

身分:アシュフィールド子爵家令嬢

スキル: 《完璧なる整理整頓》


「……は?」


思わず声が出た。

ミカ・アシュフィールド? 令嬢? スキル?


まるでゲームのステータス画面だ。

状況を飲み込むのに、さらに数日を要した。


どうやら私は、過労死した挙句、異世界に転生してしまったらしい。

佐藤美佳子ではない。ミカ・アシュフィールドという十六歳の貴族の娘として、新たな生を受けたのだ。


そして、神様がくれたらしい転生特典が、これ。


《完璧なる整理整頓》


「……よりにもよって、お片付けスキルって……」


前世で、散らかり放題の自分の部屋を見て見ぬふりし続けた私への皮肉だろうか。

あるいは、混沌としたプロジェクトのデスマーチを整理しきれずに死んだ私への、哀れみか。


試しに、ベッドサイドの少し乱れたリネンに意識を向けてみる。

すると、頭の中に「シーツの最適な畳み方」「枕の最も心地よい配置」といった情報が流れ込んできた。

勝手に手が動き、あっという間に完璧なベッドメイキングが完了してしまった。


便利ではある。

あるけれど、この世界は剣と魔法のファンタジー世界なのだ。

街では屈強な冒険者が剣を佩き、市場では魔法使いが不思議な光を放つ薬を売っている。

そんな世界で、「お片付け」が何の役に立つというのか。


攻撃魔法でも、回復魔法でも、せめて鑑定スキルでもあれば人生の選択肢も広がっただろうに。


「まあ、いいか」


私は早々に諦めた。


幸い、アシュフィールド子爵家は田舎の小さな領地を持つだけの貧乏貴族だ。暮らしは質素だが穏やかだった。

優しい父と母、そして元気な弟。前世では得られなかった温かい家族が、ここにはあった。


もう、あくせく働くのはやめよう。

今度こそ、のんびりと、穏やかに、人間らしい生活を送るんだ。


そう、固く誓ったはずだったのに。


その平穏は、一通の王家からの手紙によって、あっけなく打ち破られた。


「王宮への、出仕命令……?」


父が、青い顔で呟く。


手紙の内容はこうだった。

近年、近隣諸国との緊張が高まっている。有事に備え、国内の『特殊技能』を持つ者を王宮に集め、その能力を国の発展に役立てよ。

そういう勅命だった。


対象は、貴族平民を問わず、十六歳から二十五歳までの男女。

アシュフィールド家では、唯一の該当者である私がその対象だった。


「そんな……! ミカはまだ十六だぞ!」

「ですが、勅命に逆らうわけには……」


父と母が悲痛な声を上げる。私も、血の気が引くのを感じた。


王宮へ行く? 私が?

この《完璧なる整理整頓》スキルで?


一体、王宮で何をさせられるというのだろう。王様の書斎でも掃除させられるのだろうか。

いや、それなら専門のメイドがいるはずだ。


考えれば考えるほど、ろくな未来が想像できない。


でも、この命令を断ればアシュフィールド家は王家への反逆と見なされ、爵位を取り上げられるかもしれない。

ただでさえ貧しい我が家が、路頭に迷うことになる。


「……私、行きます」


気づけば、声が出ていた。


「ミカ!?」

「大丈夫よ、お父様、お母様。私のスキル、知ってるでしょ? 《完璧なる整理整頓》なんて、きっと何の役にも立たないわ。どうせ、すぐに『使えない』って判断されて、追い返されるに決まってるもの」


私は、必死に笑顔を作って両親を安心させた。


そう、これが最善の策だ。

私のスキルは、どう考えても国家レベルで役立つ代物じゃない。

面接か何かでスキルを披露すれば、担当者も呆れて「お引き取りください」と言うに違いない。


そうすれば勅命には応えたことになり、家の面目も立つ。私はすぐに田舎に帰ってきて、また穏やかな日常に戻れる。

完璧な計画だ。


そう、信じていた。

王都に到着し、担当の役人に連れて行かれた、その場所を見るまでは。


「ここが、君の職場となる『王家第一倉庫』だ」


役人は、巨大な鉄の扉を指して、そう言った。


ギィィ……と、錆び付いた蝶番が悲鳴を上げる。

開かれた扉の向こうに広がっていたのは――絶望だった。


体育館がいくつも入りそうな、途方もなく広大な空間。

その天井まで届くほどに、ありとあらゆる物品が、無秩序に、暴力的に山積みになっている。


壊れた武具、年代物の家具、用途不明の魔道具、山のような古文書、謎の剥製。

それらが絡まり合い、圧縮され、一つの巨大な「ゴミの山脈」を形成していた。


「……ここを、どうしろと?」


私の声は、震えていた。


役人は、同情するような、それでいて諦めたような目で私を見た。


「整理してほしい。ここは、通称『開かずの倉庫』。建国以来、数百年分の王家の備品が眠っている。あまりに混沌としすぎて、もはや何がどこにあるのか誰も把握できていない。最後に調査隊を送ったのは十年前だが、三日後に泣きながら逃げ帰ってきたそうだ。『あそこはダンジョンだ』と言い残してな」


ダンジョン。言い得て妙だ。

足元には、埃とカビと何か得体の知れないものの匂いが混じり合った空気が淀んでいる。


「君のスキルは《完璧なる整理整頓》だったな。これほど、君の力にふさわしい場所もあるまい。期待しているぞ、ミカ・アシュフィールド嬢」


そう言って、役人はさっさと立ち去ってしまった。


一人、巨大なゴミの山脈の前に取り残される。


(……追い返されるどころか、とんでもない場所に放り込まれた)


計画は、初手から壮大に破綻していた。


しかし、ここで逃げ出すわけにはいかない。家族の顔が脳裏に浮かぶ。


私は、ぎゅっと拳を握りしめた。


(やるしかない……)


前世で培った、不屈の社畜魂が、かすかに燃え上がる。

納期前の絶望的な状況なんて、慣れっこだ。


私は、目の前のガラクタの山に向かって、そっと手をかざした。


「スキル、発動――《完璧なる整理整頓》!」


その瞬間。


私の視界に、青白い光のグリッド線が走った。


目の前のガラクタの山が、まるで解析されるかのようにスキャンされ、一つ一つのアイテム情報が、頭の中に流れ込んでくる。


【錆びた鉄の剣】

価値:鉄くず同然


【欠けたティーカップ】

ブランド:王室御用達『セーブル』初期モデル

価値:歴史的資料として極めて高い


【埃をかぶった小箱】

内部に魔力の反応あり。開封には注意を要する。


そして、視界の右下に、新しいウィンドウがポップアップした。


《アイテムボックスに収納しますか? YES / NO》


ピコン、と。


まるでゲームが始まったかのような、軽快なシステム音が静かな倉庫に響き渡った。

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