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三十話 影


 ヘルガさんはアルバーン伯爵家との縁を切った。両親からのサインは時間内に貰えなかったが、もうすぐいなくなる人に時間を割いてもどうにもならない、と割り切っていた。



 そして、双子の弟とは家族の縁を切った後、和解したそうだ。


「やっぱり僕も兄ですね。自分を殺そうとした人間なのに、可愛く見えてしまうなんて」


 清々しいといった風に笑うヘルガさんを見て、介入しなくて良かったと改めて思う。



 もし俺やその他アルバーン伯爵家の人間以外が過度に介入していたらヘルガさんは弟と和解することもなく、アッサリ別れていただろう。


「そういえば、ヘルガはその弟に何かする気はあるのか? 明日には当主夫妻が流刑執行でいなくなるしそれと同時にコリア・アルバーンもただのコリアとして貴族社会から永遠に追放される。もう一度会える可能性はかなり低いぞ」


「今まで貯めていたお金の一部を餞別として渡してほしい、と看守に伝えておいた。あれなら生活水準を平民に落として最低一週間、生きられる。宿代と食費分を入れておいたからね。一週間あれば簡単な仕事は見つかるはずだよ」

「じゃあ見送りなどはしないんですね」

「はい、もう縁切りしましたし心残りはもうありません。あの子なりに幸せを見つけてくれたらそれで良いです」



 慈愛に満ちたヘルガさんの瞳を前に、俺とレオンは何も言えなかった。しかし、これが神に仕える者の目か。そう思ったことは確かだ。


「ハルさん。じゃあ新メニュー、考えましょう!」

「はい! それじゃあレオンはシルヴィと試食ね」


 ヘルガさんのことを事後報告したせいでシルヴィが若干怒っている。ご機嫌取りも兼ねようじゃないか。



「俺食ってばっかだな。大丈夫か?」

 試食ばかりで一度もキッチンに立っていないレオンが自身の腹に手を当てた。


「俺の場合は魔力消費が一番良いダイエット。魔法使いまくれば取り込んだカロリー以上は消えてくよ」

「マジで? じゃあ擬似治癒師量産するかあ」

「どうぞ、魔石達」



 俺は腕まくりをしたレオンに食事前後の運動(?)としてAランク魔石を四十個程贈呈しておいた。これでスイーツ五、六個分くらい。

 初めて城に連れて行かれた時から毎日練習して、魔法を使ってもお腹が減らなくなった。



 カロリーは消費されて、食べた分のお腹は減らない。大量に食べる必要がないし、何よりも太らない。俺の顔はそれなりに良いから体型には気を遣いたいのだ。そのための努力なら何でもやる。



「ありがとう! よし、やるぞ!」


 レオンは試食室の奥に設置された作業部屋に入り、擬似治癒師の量産を始めた。俺は化け物だけどレオンも負けず劣らずだな。作ろうって言ってすぐ作れるとか。まあ、見た目のためなら苦労は惜しまんって精神なんだろうけど。





「今度は何を作りましょう……」 

「大分お金も貯まったのでいつか屋台から実店舗にもシフトしたいですね。店舗ならではの何かがあれば良いんですが……」


 いつか王都に一号店を作りたい。今は平民向けに屋台をやっているけどそれも小さめの店舗を借りてスイーツショップを開きたい。識字率が上がったらそこでレシピ本を売っても良い。




『詰まってるならシフォンケーキとかどう? 紅茶のシフォンケーキとかあるし材料は簡単に揃うわよ。甘さも従来のクリームケーキに比べて控えめだし甘いものが苦手な人にもウケが良いスイーツの一つよ』

「じゃあそれ作るか。レシピ教えて」

『了解!』


 そういえば、神は何で俺にレシピを教えてるのに同じ立場のフェリーチェはスイーツのレシピを知らないんだろう。五十年くらいずっと改革でそれどころじゃなかったのかなあ。


 まあ良いか。今の俺はまだ平民だし時間がある。やるべきことをやりつつ、分業体制が整ったから趣味をやる時間もできた。


 今日の時間くらい余計なことを考えずに好きなことやろう。

 先にレシピを教えてもらって、ヘルガさんが材料を揃えている間に俺が紙にメモしていく。メモ用紙も大分増えてきたな。余裕ができたらお弁当のレシピ本なんかも作りたい。



 あまり馴染みのないものだけど俺はいつも学園で弁当を食べているからいつか手に入れる領地で売り出したり。夢が広がるな。


「ハルさん、材料準備できましたよ」

「はい、こっちもメモ終わりました」


 メモと睨めっこしながらひたすらそれ通りに材料を混ぜていく。これが結構楽しい。紅茶のシフォンケーキだし紅茶をケーキにするって発想がまず面白い。それを今から作っているのだと思うとワクワクが止まらないのだ。



 茶葉を生地に混ぜる段階になると、紅茶特有の香りがキッチンに充満する。俺はこの香りが結構好きだ。昔はそうでもなかったのだが、最近になって紅茶も美味しいと感じるようになったし、この匂いにも抵抗がなくなった。


 焼くのが今から楽しみだ。

 然るべき手順を踏み、予熱したオーブンにぶち込んで三十分くらい焼く。オーブンは屋台じゃできないから店舗実装の後かな。確かペステッド商会が調理器具を扱っていたから実装する時にテリーに相談してオススメの調理器具を聞いておこう。



 待っている間は店舗実装についてヘルガさんと相談する。今はメモ用紙にどんなレイアウトが良いか、とかメニューはどうするか、とかについて話している。


 屋台よりも選択肢が広がる分、悩みも増える。それに王都に一号店を出したとして、従業員は雇うか問題、雇うなら給金や休暇問題も浮上する。



 暫くは二人で回せても、いつかは回らなくなる。スイーツ作りとなると専門性も高いから研修も必須事項。他にも礼儀作法だったり包装技術だったり警備だったりと様々な問題が次から次へと出てくる。


 それを一つひとつ書き出すだけで小さいメモ用紙はパンパンだ。



 再び頭を抱え始めるが、砂時計が三十分の経過を訴えた。どうやらシフォンケーキが焼き上がったようだ。オーブンからはフワリと紅茶の香りがする。

 切って更に持って予め淹れておいたお茶と共に試食室に向かう。



「あれ、ヘンリー。いつの間に来てたんだ」

「図書館に用事があって来てみたら二人がいるって聞いて来ちゃった」

「ハルさん、僕もう一セット用意してきますね」

「ありがとうございます、お願いします」


 試食目当てだと一瞬で察したヘルガさんは気を利かせてくれて保冷庫からもう一切れ持ってきてくれた。無限収納ではなく保冷庫に入れたのは、冷めても美味しいかどうか後から確かめるためだ。

 冷めても美味しいならそれは本当に美味しいやつ。



「お待たせ」

「ありがとう。今回のも美味しそうね」

「ああ、華やかさはショートケーキとかタルトに比べたら劣るけど美味いはずだよ」


 なんせ、神の友達の世界で人気のレシピを使ったんだから。一回会ってみたい。あんな神と友達って相当な変わり者なんだろうな。それか暇人か。



 まあ会えるわけないんだけどね。まず住んでる世界が違うんだから。比喩表現とかじゃなくて本当に住んでる世界が違う。


「ん! 美味しい! 美味しいわ! いつも食べているものより甘さは控えめだけれど凄く上品な味ね!」

「良かった。口にあったみたいで」


 貴族の甘味は甘ければ甘い程良いみたいな空気感あるからな。少し心配していたのだがそれは無用だったようだ。



「確かに美味いな。出てきた時は正直皿洗い用のスポンジみたいだと思ってたけど、食べてみたら想像の何倍も美味かった」

「見た目に反して、だな。めっちゃ美味い」


 スポンジ……不憫だな、コイツ。どう返答して良いかわからなかった俺はとりあえずスポンジ呼ばわりされたシフォンケーキに憐れみの視線を送った。改めて見ると僅かに哀愁を感じなくもない。


「お兄様ら要らないなら私が食べてあげますわよ」


 いつの間にか皿を空にしていたシルヴィが二人に手を差し出す。寄越せと言わんばかりに。



「要らないとは言っていない」

「ああ、これはやらん」


 このままでは食べ物が有り余るはずの城内で食卓戦争が始まってしまう。速やかに二皿目を出して事件は未然に防いでおいた。


 皆幸せそうに食べてくれるから作りがいがあるな。やっぱり淡々と食べられるよりも美味しそうに食べてもらえる方が嬉しい。



「ハルもヘルガも良い嫁になるな」

「「……よ、嫁!?」」


 平民の生活について学び、料理は女性がやることが多いと知ったレオンがぶち込んできた。


「ああ、色々な家庭を見たが夫が家庭で料理を振る舞う例はほとんどなかった。つまり料理ができる人間は嫁になるってことだろう?」

 何か変な方向に解釈してるってことはわかった。ドヤ顔でとんでもない方向に持っていくな。


「妻より料理ができる夫もいるし料理ができることと妻になることは直結しないよ。男はどう頑張っても妻にはなれないんだからね」


「……? ヘルガ、何かあったか?」

「うん? 何もないよ」



 少し影のある笑みを浮かべたヘルガさんに、その場にいた全員が気付いたと思う。でも、誰も心当たりがないし、文脈から考えてヘルガさんの元家族に関することだとも思えない。何より本人に「何でもない」と言われてしまえばそれ以上の追求はできなかった。


 俺に言えないようなデリケートな話題なのかもしれないし、いつか話してくれるのを待とう。

 今はとりあえずシフォンケーキでも食べて落ち着こう。

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