ドッグイヤーに関する一考察
◆若年寄り
この言葉を初めて聞いたのは、一九九〇年前後だったと思う。
IT(Information Technology=情報通信技術)関連の講演会だった。ITの進歩が長足であることを犬の寿命に例えたものだ。
同じようなきっかけで「ドッグイヤー」という言葉を知った人も多いだろう。
本来のざっくりした意味はこうらしい。
小型犬は一年半ほどで成犬となり、後は年に四歳ずつ年を取る。
中型犬は一年半ほどで成犬となり、後は年に五歳ずつ年を取る。
大型犬は二年で成犬となり、後は年に七歳ずつ年を取る。
◆半信半疑
ピンと来なかった。何か理論的な根拠でもあるのだろう。十分に納得できないまま、安易に多用していた。
それは五年前、盲導犬・エヴァンが我が家の一員となってからでも、変わらなかった。エヴァンも筆者も、同じ時間軸を生きていると思っていたのである。
最近、ベテランの盲導犬ユーザーの来訪があった。
筆者と違って、彼女は若くして視力を失い、現在、四頭目の盲導犬と暮らす。
盲導犬は生後一年の仔犬時代はパピーウオーカーさんのもとに預けられ、基本的なしつけを受ける。
その後、訓練所に戻り、盲導犬としての本格的なトレーニングに入る。
たいていは二歳でデビューする。
◆鉛筆時代
盲導犬ユーザーの会合などに行くと、パピーも参加していることがある。けっこうにぎやかだ。
ところで、彼女は県の盲導犬界の生き字引みたいな存在であり、個々のパピーのことまで知り尽くしている。
その彼女が、こんなことを言っていた。
「この間は鉛筆みたいなシッポだったのに、何か月かして会うと、ふさふさした立派なシッポになっている」
何ら説明を要さない。パピーは人間の何倍速もの時間の流れの中で、生きているのだ。
犬歴でいくと、我が家のエヴァンはこの五月で五四になる。わずか七年ほど前、鉛筆のようなシッポを振り振り、走り回っていた姿は想像もできない。
◆ゆっくりズム
人間歴、ヒューマンイヤーを考えてみる。
社会人デビューするまでの年月がだんだん長くなっている。高学歴化がそれに拍車をかける。
では、人間がその後もゆっくり年を取っているかというと、むしろ逆ではないか。日々の忙しさに命を擦り減らし、抜け殻のようになってないだろうか。
馬に関しても、筆者は無知である。改めて調べてみた。一説によると、馬は四歳で人間の二〇歳になり、後は二歳半ずつ年を取るらしい。
いずれにしても、それぞれの動物なりの寿命がある。「馬齢を重ねる」などとは、おくびにも出せない。今の世の中、元気に長生きできれば言うことはない。「無病息災」とはよく言ったものだ。