7.パン屋でのアルバイト!?
「ルナの村はどのあたりにあるの?」
朝食を終えた三人は、宿を出て街の広場に立っていた。マルジョンスの質問に、ルナは少し考え込む様子を見せた。
「えっと…ここから北西に三日ほど歩いたところ…」彼女は少し不安そうに答えた。「でも、魔王軍がいるから、直接向かうのは危険かも…」
「そうね」ライラは頷いた。「準備が必要ね。食料や薬草、それに…」
「お金が足りないな」マルジョンスはポケットの中身を確認して言った。「昨日、宿代で結構使っちゃったし」
「私のせいね…」ルナは申し訳なさそうに俯いた。
「いや、そうじゃないよ」マルジョンスは手を振った。「とにかく、出発前に少し稼ぐ必要があるかな」
「街で何か仕事を探す?」ライラが提案した。
「そうだね、何か短期でできるバイトとか…」
三人は中央広場から商店街へと向かい、求人の張り紙などを探しながら歩いていた。朝の商店街は活気に溢れ、多くの店が開店準備を始めていた。
「あれ、なんかいい匂いがする」マルジョンスは鼻を鳴らした。
確かに、甘くて温かいパンの香りが漂ってきていた。三人は香りに導かれるように進むと、小さなパン屋の前に出た。
「ワールドブレッド」という看板が掲げられた店の前には、まだ温かいパンが並べられていた。
「うわぁ、おいしそう…」マルジョンスはよだれを垂らしかけた。
「本当ね…」ライラも目を細めた。
店の中からは、忙しそうに働く中年の男性が見えた。彼はせわしなく前の準備台を行き来し、パンを並べたり、オーブンを確認したりしていた。
「あ、お客さんかい?」男性は三人に気づくと、笑顔で声をかけた。「今日は特別なクロワッサンができたばかりだよ。よかったら試してみるかい?」
「ぜひ!」マルジョンスは即答した。
男性はクロワッサンを三つ渡してくれた。マルジョンスは一口かじると、目を丸くした。
「うまっ!こんなおいしいパン、日本でも食べたことないよ!」
「日本?」男性は首をかしげたが、気にする様子もなく笑った。「ありがとう、若者!」
ライラとルナも満足げな表情でパンを頬張っていた。しかし、男性の視線がルナに止まると、彼の表情がゆっくりと変わっていった。
「君は…」男性は眉をひそめた。「どこかで会ったことがあるような…」
ルナは緊張した様子で、口から半分かじったクロワッサンを離した。
「え?い、いえ、初めてだと思います…」
「うーん…」男性はじっと彼女を見つめていた。「確かに見たことがある気が…」
突然、男性の顔が驚きに変わった。
「あっ!そうだ!君は前に私の店のパンを盗んだ子だ!」
「えっ!?」三人は同時に声を上げた。
「間違いない!あの灰色の耳と尻尾、それにその目!」男性は指をさした。「先月、朝早くに店先からパンを持っていった盗賊だよ!」
ルナの顔が真っ青になった。「あ、あの、それは…」
「盗賊!盗賊がいるぞ!」男性は大声で叫び始めた。
通りにいた人々が振り返り、三人に視線を向け始めた。
「ちょ、ちょっと違うんです!」マルジョンスは慌てて手を振った。「彼女は確かに昔は…」
「昔?つい先月のことだぞ!」男性は怒りを露わにした。「衛兵を呼ぶぞ!」
「あの、すみません」ライラが一歩前に出た。「彼女が過去に何をしたかは分かりませんが、今は私たちと一緒に旅をしています。きっと何か誤解が…」
「誤解じゃない!」男性は頑として譲らなかった。「あの子が盗んだ高級小麦粉のパンは、王都からの特別注文だったんだ!賠償金を払ってもらうぞ!」
人だかりができ始め、状況は悪化する一方だった。マルジョンスは状況を見て、深く考え込む素振りを見せた。
「そうですか…」彼はゆっくりと頷いた。「確かにこの子は怪しい行動をしていました。実は私たち、このスリを捕まえたところだったんです」
「え?」ルナは驚いた表情でマルジョンスを見た。
「そうなんです」マルジョンスは真面目な表情で続けた。「私は勇者で、彼女は私が捕まえた盗賊です。ちょうど罪を償わせるために連れていくところでした」
「勇者?」男性は驚いた様子で言った。
「マルジョンス…何を…」ルナは小声で言ったが、マルジョンスは彼女を無視した。
「この通り」マルジョンスは光剣を少しだけ見せた。「正義の勇者です。この盗賊はいろいろなところで悪さをしていたようですね。では、私がしっかり罰を与えますので、彼女を私に任せてください」
「ちょっと!」ルナは慌てた様子で声を上げた。
「静かに、盗賊」マルジョンスは厳しい口調で言った。「罪を認めて従うのだ」
「罰を与えるのはいいが」男性は腕を組んだ。「賠償金はどうするんだ?あの高級パンは50金貨の価値があったんだぞ」
「50金貨!?」マルジョンスは目を見開いた。「そ、それは…」
彼はポケットを探ったが、そんな大金があるはずもなかった。彼は突然、ライラの肩に手を置いた。
「彼女が払います」
「え!?」ライラは驚いた表情を見せた。
「この優秀なエルフの魔法使いが、この盗賊の監視人です」マルジョンスは真面目な顔で言った。「彼女が責任を取ります。私はこれから他の悪い奴らを捕まえに行かなければならないので…」
そう言うと、マルジョンスは突然、ルナを押しのけて走り出した。
「ライラちゃん、後はよろしく!」
「ちょっと!マルジョンス!」ライラは怒りの声を上げた。
しかし、マルジョンスはすでに人混みの中に消えていた。ルナとライラは取り残され、困惑した表情で顔を見合わせた。
「あの…」ライラは男性に向き直った。「実は私たちにはそんな大金は…」
「払えないのか?」男性の表情が厳しくなった。「だったら、衛兵を呼ぶしかないな」
「待ってください!」ルナが急に声を上げた。「私、働きます!パン作りの手伝いをします!その代わりにお許しください!」
「え?」男性は驚いた様子を見せた。
「私、パン作りなら少しできるんです」ルナは真剣な表情で言った。「村にいた時、よく作っていたから…」
男性は疑わしげにルナを見た。
「本当に?」
「はい!」ルナは力強く頷いた。
ライラは状況を理解し、急いで付け加えた。「私も手伝います。何もできませんが、力仕事なら…」
男性は二人をじっと見つめ、しばらく考えた後、ため息をついた。
「…わかった。今日は特別に忙しいんだ。王都からの客人のために大量のパンを用意しなきゃならないんだが、助手が病気で休んでいてね」
彼はさらにため息をついた。
「もし本当に役に立つなら、今日一日働いてもらおう。それで帳消しにしてやる」
「ありがとうございます!」ルナは深々と頭を下げた。
「本当にありがとう」ライラも礼を言った。
「でも、あの勇者とかいう逃げた奴は?」男性は尋ねた。
「あいつは…」ライラの目が鋭くなった。「後で私が必ず連れ戻します」
一方、マルジョンスは街の別の場所に隠れていた。彼は小さな路地の陰から、状況を窺っていた。
「はぁ…まさかルナがそんなところでも悪さしてたとはな」彼は呟いた。「でも、50金貨なんて払えるわけないし、ちょっと逃げるしかなかったよね」
彼は自分の行動を正当化しようとしたが、少し罪悪感も感じていた。
「まあ、ライラちゃんなら何とかしてくれるだろう…」
しかし、その時、彼の背後から冷たい声が聞こえた。
「何とかしてくれる、ですって?」
振り返ると、ライラが腕を組んで立っていた。彼女の目は怒りで燃えていた。
「げっ!ライラちゃん!どうやって見つけたの?」
「エルフの耳は優れているのよ」ライラは冷たく言った。「それに、あなたの逃げ方はいつも同じパターンだわ」
「そ、そうかな…」マルジョンスは汗を流した。
「とにかく、戻りなさい」ライラはきっぱりと言った。「私たちは今日一日、パン屋を手伝うことになったわ」
「え?」マルジョンスは驚いた。
「50金貨の代わりよ」ライラは説明した。「ルナが提案したの。彼女、パン作りができるらしいわ」
「そうなんだ…」マルジョンスは少し安心した。「じゃあ、俺は…」
「あなたも手伝うのよ」ライラは微笑んだが、その目は笑っていなかった。「店の前で呼び込みをすることになったわ」
「呼び込み?俺が?」マルジョンスは目を丸くした。
「ええ、マスターがそう言ってたわ」ライラは満足げに言った。「勇者なら、人を集める才能があるでしょう?」
「うっ…」マルジョンスは反論できなかった。
パン屋の店内では、ルナがすでにエプロンを着けて働き始めていた。彼女は慣れた手つきで小麦粉を扱い、生地をこねていた。
「おや、本当に上手いじゃないか」店主のヨハン(彼の名前だった)は感心した様子で言った。
「村では、みんなの分のパンをよく焼いていたんです」ルナは少し照れながら言った。
ライラとマルジョンスが戻ってくると、ヨハンはマルジョンスを見て眉をひそめた。
「逃げた勇者か」
「す、すみませんでした」マルジョンスは頭を下げた。「勇者として恥ずかしい行動でした…」
「まあいい」ヨハンは手を振った。「今日は特別に忙しいんだ。君は店の前で呼び込みをしてくれ。人が集まれば、それだけ早く賠償金分を稼げるからな」
「はい…」マルジョンスは渋々同意した。
彼はエプロンを渡され、看板と宣伝用のパンのバスケットを持って店の前に立った。
「さあ、元気よく呼び込みをするんだぞ」ヨハンは励ました。「あ、そうだ。もし売り上げが特別良かったら、ボーナスも出すからな」
「ボーナス?」マルジョンスの目が輝いた。
「ああ、旅の資金の足しになるだろう」
その言葉を聞いて、マルジョンスの態度が一変した。
「よーし、任せてください!」
彼は急に元気になり、店の前に飛び出した。
「いらっしゃーい!世界一美味しいパンはここだよー!」
マルジョンスは予想外の大声で呼び込みを始めた。彼は看板を持ち上げ、通行人に向かって笑顔で声をかけていた。
「おーい、お腹空いてない?このパンを食べれば、明日の朝まで元気いっぱい!恋人とのデートも成功間違いなし!」
彼の奇抜な呼び込みに、最初は人々が怪訝な顔をしていたが、その独特の雰囲気と明るさに、徐々に足を止める人が増えてきた。
「ほら、試食もあるよ!一口食べれば、あなたも虜になること間違いなし!神様もビックリの美味しさだよ!」
マルジョンスは自ら試食のパンを切り分け、通行人に配っていった。彼の明るさと押しの強さに、断りきれずに試食を受け取る人も多かった。
「どう?美味しいでしょ?ほら、今なら特別価格だよ!買わないと損するよ!」
彼の熱意に押され、次々とパンを購入する客が現れ始めた。
店内では、ルナとライラが忙しく働いていた。ルナは次々と新しいパンを焼き上げ、ライラは包装と会計を手伝っていた。
「すごいわね、あの人…」ライラは窓から外を見ながら呟いた。「意外と商才があるのね」
「マルジョンスって、本当に不思議な人…」ルナも小さく笑った。「あんなに人を引き付ける力があるのに…」
「そうね」ライラは同意した。「見かけによらず頼りになる時もあるわ」
二人は少しの間、仕事の手を止めて、外でハイテンションに呼び込みをするマルジョンスを見つめていた。
「ねえ」ルナが突然声をかけた。「マルジョンスって…怖い人?」
「え?」ライラは驚いた表情を見せた。「怖い?あの人が?」
「うん…」ルナは少し躊躇いながら言った。「あの夜、私が裏切ったとき…すごく怖かった」
「どういうこと?」ライラは興味を示した。
ルナは顔を赤らめながら、あの夜のマルジョンスの「拷問」について話し始めた。彼の冷酷な表情や、耳や尻尾を切ると脅されたことなど…
「そうなの!?」ライラは目を見開いた。「あの人が?」
「うん…」ルナは小さく頷いた。「最後に『演技だった』って言ったけど…本当かどうか…」
ライラは一瞬黙った後、突然笑い出した。
「ぷっ…あはははは!」
「え?なに?」ルナは混乱した様子で尋ねた。
「ごめんなさい」ライラは笑いを抑えようとしたが、失敗した。「でも、マルジョンスがそんな恐ろしい顔をしているところが想像できなくて…」
「でも、本当に怖かったんだよ?」ルナは少し不満げに言った。
「信じるわ」ライラは深呼吸して笑いを抑えた。「でも、あの人はきっと本当に演技だったのよ。彼、日本という世界では『演劇部』に所属していたって言ってたから」
「演劇部?」
「役者の勉強をする場所みたい」ライラは説明した。「とにかく、あの人は見た目も行動も不真面目だけど、どこか憎めないのよね」
ルナは少し考え込み、小さく頷いた。
「そうかも…私を仲間にしてくれたもんね」
その時、外からさらに大きなマルジョンスの声が聞こえた。
「特別セール!今だけ!二つ買うと、一つおまけ!さあ、並んで並んで!」
「え!?」ヨハンが慌てて外に飛び出した。「そんなサービスは言ってないぞ!」
しかし、すでに長い行列ができていた。
「これはすごい…」ヨハンは呆然と言った。
店内は急に大忙しになり、三人は休む間もなく働き続けた。
夕方になって、ようやく客足が落ち着いたころ、ヨハンは疲れた様子で椅子に座り込んだ。
「まさか一日でこんなに売れるとは…」彼は呆然と言った。「いつもの三倍以上だ…」
「どうですか?これで帳消しですよね?」マルジョンスはニヤリと笑った。
「帳消しどころか…」ヨハンはポケットから財布を取り出した。「約束通り、ボーナスだ」
彼は100金貨を取り出し、マルジョンスに渡した。
「100金貨!?」三人は驚いて声を上げた。
「ああ、今日の売り上げのおかげで、あの高級パンの損失なんて問題じゃなくなった」ヨハンは笑顔で言った。「それに、この子のパン作りの腕前は本物だ」
彼はルナを見て微笑んだ。
「もし望むなら、いつでもここで働いてもいいぞ。盗みなんかしなくても、正直に生きていける」
ルナは嬉しそうに頬を赤らめた。
「ありがとうございます…でも、私たちには行かなきゃいけないところがあるんです」
「そうか」ヨハンは少し残念そうに言った。「また立ち寄るといい。いつでも歓迎するよ」
三人はお礼を言い、店を後にした。
「よし!これで旅の資金は十分だね!」マルジョンスは満足げに言った。「明日、出発しよう!」
彼らが街の中心に向かって歩いていると、突然背後から声が聞こえた。
「待て!あの狼の子だ!」
振り返ると、衛兵らしき人々が指をさして近づいてきていた。
「パン泥棒を見つけたぞ!」
「え?」三人は驚いた表情で顔を見合わせた。
「でも、さっきのパン屋では解決したはずでは…?」ライラは混乱した様子で言った。
「違うパン屋でもやったのか…?」マルジョンスはルナを見た。
ルナは汗を流しながら小さく頷いた。
「あ、あの、それは…」
「逃げるぞ!」マルジョンスは突然叫んだ。
「え?また?」ライラは呆れた表情を見せた。
「議論している時間はない!」マルジョンスは二人の手を取った。「さあ、走れー!」
彼らは全力で街の出口に向かって走り出した。衛兵たちも追いかけてきている。
「快速アルルカンだ!」マルジョンスは意味不明なことを叫びながら走り続けた。
「なにそれ!?」ライラとルナは同時に尋ねた。
「知らない!でも、かっこいいでしょ!」マルジョンスは笑いながら叫んだ。「走れー!」
日が沈む街の外れで、三人の姿が夕日に照らされながら遠ざかっていった。