医師・2~死神 (3)
「お役に立てずに済みませんが、お茶だけはご馳走できたということで勘弁してもらえませんか」
「どうすればいいんだ…俺は…」
「知りません、私は」
「怖い」
「死ぬことよりも?」
「死ぬのも怖い。でも、俺は、…あんたの云う通り、生きているのかどうかも分からない」
「はあ」
「だったら、俺は、何なんだ…」
「知らないです」
死神は、人を殺しにいくのではない。
生が終わる瞬間を、見届けにいく。
死神は、その生が、終わる瞬間までの生を、見届けにいくのだ。
命を生きる人間を、とても愛して、最後の瞬間の生までを見届ける、たった一人の伴侶として、迎えにいくのだ。
だから、死神は死を恐怖する人を特に愛する。
死を望む人を、とても悲しむ。
死神は、片想いの宿命を授けられている。
とても、人を愛して嫌われる死神になる。
「殺されるほどに嫌われていたって」
天使が、濡れた目で医師を見る。
「Dは、無理矢理につれていくことも出来ないくらいに、愛しているの、勇を」
「……」
「天に向かい別れる瞬間まで、嫌われることが分かっていたって、迎えに行ってつれていく、死神はそういうものなのに」
「私は」
「Dは、勇が、死を望むことを望んだのではなくて、生きて欲しかったの」
「それが、勇の苦痛となったのに?」
医師が呟く。
「死にたいんですか、勇君、君は」
「……」
「死ぬのは、生きている人だけです」
「……」
「死なない人は、生きていると云えるんでしょうか」
「……」
「かと云って、死にたいと思う必要は無い。死神は、死にたいと思う人を、迎えに行くのがとても辛いから」
死神は、最期の最期までの生をいとおしむために、死神になる。
殺されるほど、嫌われていたって。
死にたいと…、死神を殊更に、愛するというのでもなく望む人より余程に
「勇を私は、とても愛しいと思うよ」
Dが云う。
死神が愛するのは、生きている人間ということだ。
「私が勇君を治療する余地なんか無いじゃないですか」
勇は、天使に抱きしめられたまま、顔を上げて怯えた表情を作る。
「君はもう、充分に、生きるということがどういうことか、分かったでしょう」
あ…、と唇が何か云おうと形作り、でも、何も云えなかった。
何を云ったって、何も出来ないことには変わりないと思ったので…。
「生きてなかったら、死にたいと思う資格だって無いんだ。死にたいと思うということは生きてる証拠。だけど、死なないものは生きてなんかいないんだ。これから死ぬ人間を、生きているというのだ。死ぬことが怖いのは生きている証拠。でも、君は死なないから、生きているのかどうかどうも分からない。だから」
医師が、ふーっと息を吐いてから、続けた。
「君のためには、私の出る幕なんか無い。そもそも医者というのは、患者を殺すために居るのではないし」
「……」
「患者というのは、生きている人のことを云う。医者は、患者に用がある。私が用があるのは、生きている人だけです」
それは、死神に愛された人間にしか用が無いということでもある。
言葉だけで反芻すれば、なんと皮肉なことだろう。
「……俺はこれから、どうすればいいんだろう」
「とりあえず、ここを出ることになるでしょうね」
「……」
「医者は、生きるための手助けはしますけど、どう生きるかの手助けまで、全ての患者さんに施せるとは限りません。…君に対しては、私は何も出来ませんよ、申し訳ありませんが」
「全く回りくどいな、どうして私が一番教えてあげたいことを、この医者は云ってくれないんだろう」
死神が呟く。
医師は、
「自分が照れるからって私に云わせようとしないで戴きたい」
と呟く。
「君がまだ、死ぬことが怖いなら、望みはあるかもしれない」
「……」
「いくら、この私に対して、殺してくれなどと云うのであっても」
医師は、引き出しの中からケースを取り出して、その中からメスを取り出した。
そして、勇の前にゆっくりと突きつける。
勇は、は…、と目を見開き、咄嗟に、ジーンズに突っ込んだ拳銃に触れようとした。
医師が、微かに笑う。
「望みはあるかもしれないよ」
「……」
「殺されそうになって咄嗟に相手を殺そうとする、そういう執着があるなら」
「……」
「死神は生き返るかもしれない」
天使が、きゅっと、200回の誕生日を数えた若者の頭を抱きしめる。
「その時にまた、やっぱり君が死神を殺すなら、その先に何があるのかは分からないけれどもね」
死神が、苦笑して若者を見下ろす。
若者は、
「地獄に、落ちるのが、怖い」
と呟く。
「俺は、人を、殺した…。俺が死ぬのが怖いように、俺は死ぬのを望んでいたのではない人間を何人も殺した。きっと地獄に落ちる」
「地獄なんか無いんだから、それは杞憂です」
と医師が云う。
「君が殺さなくたって、誰だって怖いんだ、死ぬのが。最期までそんな執着を見届けるのが死神の役目」
「……なんで、もっと的確に云ってくれないんだろうな、この医者は」
死神の不平に、医師が呟く。
自分で云ってください、こっ恥かしい。
「君がまだ、死ぬのが怖いなら、ここを出るべきです」
「……」
「ここにずっと居たって、私は君を殺してあげられないのだし」
「……死神を、俺は、殺した…」
「ふん、脈を取りましたか? 瞳孔は見たんですか、脳波は。大体、死神の生命活動なんてどうなんだかしれません。生き返って君の周辺をうろうろしているかもしれませんよ」
何となく皮肉めいた言葉で云って、ちらりと横目に死神を見る。
天使が、そっぽを向いて、勇の頭を撫でた。
「…そろそろ生き返るかもしれません、死神は。…私も、もう許してあげる、罰はこれ以上、受けなくていいわ、勇…」
きゅっと抱きしめて、頭を撫でる。
死神は、苦笑した。
勇はゆっくり立ち上がり、
「死ぬのは怖い。でも、死なないのも怖い…」
と呟いた。
「つまり、君は生きていることを好くことが出来たのでしょう」
「……」
「君は、自分の生命を、今、恐らく…、いとおしんでいるんですよ」
医師が云う。
ああ、どっちにしてもクサい台詞を吐いた気がする、と軽く自己嫌悪する。
「死なない者は生きていると果たして云えるのか分からない。死なないのが怖い君は、生きるということが、好きなんだ」
「…ああ…、そういうことかな…」
力なく笑って、若者は
「コーヒーをありがとう」
と云って、診察室を出た。
「全く回りくどい。もっと率直に云えばいいのに」
「だから自分で云えばいい」
死神が医師を睨んで云い、医師は死神に目もくれず、手にしたままだったメスの刃を見つめた。
「そうでなけりゃ意味が無い。大体死神というのは、シャイだからいけないんだ。もっと率直に、自分で『アイシテル』と云えばいいのに」
「死神にアイシテルなんて云われて喜ぶ人間は居ない。一層嫌われるだけだ」
「だからシャイだと云っているんですよ。率直に、私に云って欲しかった台詞を自分で云えばいいんだ」
「……」
「勇に罰を与えたのはあなたなんだから、勇にくらいは云ってもいいかもしれないと、私も思います」
天使が云う。
ふん…、と死神が鼻を鳴らして、
「では、生き返りにいこうかな」
と云って出て行った。
天使もペコリと頭を下げて、出て行った。
医師は、椅子に座ってまた目を閉じる。
たったった…。
走っている。
何かから逃げているような足音が聞こえる。
ずだん。
これは銃声だろう。
同時に、死神の鎌が空を切り、勇の首を狩った。
実際に胴と首が離れた訳ではない。死因は、警官の銃弾が心臓を貫通したことによるショック死か失血死か何かだ。
死神の鎌が振るわれるのは、象徴に過ぎない。
怯えた顔をしている若者が、
「俺が、殺した人間も、こうだったのかと思うと、怖くて、死にたくない」
掠れた声で呟く。
同じところに行ったら、俺はもう一度、仕返しに殺されそうだ。
「そんなことにはならないよ」
と死神が云う。
「安心して」
「安心なんて出来るか…、死にたくない」
「ああ、良かった」
死神が安堵する。
死神は、生きたいと思うものを愛しているから。
「私はね、勇」
「……」
「死神はね…」
死を、君にもたらすのではなくて、
死なせに来るのでなくて、
決して…、君たちが、死ぬのを望んでいるのではなくて、
「命を、生き尽くすのを、見届けに来るだけなんだ」
そして君の魂を、もう一度生まれるために、天へ連れて行く。
「死神は、生きてる人間のことしか、愛せないよ」
医師は目を開けて、幻想を見る。
死神の中の死神の腕の中で、死ぬ人間は、死神のことを嫌っているのに、何故か安らかに笑う。
死ぬのじゃなくて、
生き尽くすのだ。
だから、最期の最期まで、死ぬのが怖くて、別に構わない。
誰より、君の命を好いている私を、憎悪したって構わない。
そんな君を、愛してるよ。
だから、最期まで、
死ぬのじゃなくて、
生き尽くせ---------。
云えるわけないじゃないか、恥かしくて…。
果たして今回の患者さんに、本当に私が必要だったのかどうか、どうも釈然としませんね。
ロマンチストの死神が、荒療治を施したせいで尻拭いをさせられたような、そんな気分です。
何だって「医者」が死神の尻拭いをしなくちゃいけませんか、全く…。
何だかんだ云って、私は医師なんですから、死神なんか嫌いなんですよ、本当は。
「私だっておまえのことは嫌いさ」
と死神が云った。
2002.12.16
[作者が高校生の頃に書いた戯曲を散文に焼き直して書いたものです。戯曲には「医師」は出ていませんでした]




