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医師・2~死神 (2)

 若者も医師も黙っていて、コーヒーを啜る音ばかりが二人には聞こえる。

 天使が焦れた顔をしていた。

 死神は、ふわぁ、と欠伸をした。

 そうして、二つのカップが空になり、若者が黙って医師にカップを返した。

「お礼の一つも云えないのかしらね、勇ったら!」

「おまえね、そうやって目くじらばかり立てるんじゃないよ」

「だって、D、私、怒っているんですもの」

「やれやれ。お医者様の邪魔になるだろう、黙ってなさいよ、A」

 死神Dと天使Aしか言葉を交わしていないとても静かな診察室に、若者の溜息が響く。

 はぁ…と息を吐いて、前かがみになり、肘を膝について、上目遣いに医師を見た。

「あんた、俺がいくつに見える」

「さあ…。何ですか、その答えによっては、整形でもしたいんですか?」

「茶化すなよ」

「別に茶化しては居ませんけど。私は医者なので、そういうことかと」

「あんた、整形外科医か」

「とは限りませんけど」

「じゃあ、何だ」

「専門なんか知りません」

 平然と云い、こちらはまだ残っているコーヒーを啜る。

 若者は呆れた顔をして、「なんだ、ヤブか」と云った。

「モグリかもしれません」

 皮肉めいた声に平然と医師は返す。平然とされると却って戸惑う。

 若者は、軽く首を振って、だから、茶化すな、と云った。

「いくつに見える、俺」

「さて…。外見だけで云えば、ハタチかそこらではないですか。25となると見えませんね」

「そうか…、そうだよな、そうだろう…」

 誰かにいいきかせるように云い、若者は自分の顔を擦った。

「あと何年、生きると思う、俺?」

「知りません。明日死ぬかもしれないし、ハタチとしてあと60年生きられるかもしれない」

「俺は今すぐにでも死にたい」

 医師が、目をぱちくりさせて、やれやれ、と首を振った。

「医者の前で何を云うんでしょう」

「…俺、ハタチだよ、その通り」

 独り言のように、勇とか天使が云っていた若者が云う。

「サバを読むのにもほどがあるわ」

 ふん、と天使が鼻を鳴らす。

「そうか?」

 死神が指を折る。

「いや、勇は辛未だから、ハタチでいいんじゃないか?」

「……ジョークだとすると、分かりにくいですよ、D」

「冗談じゃないぞ、だってそうじゃないか」

「どちらにしても分かりにくいです」

 DとAがそんなことを医師の両脇で云っていて、勇は相変わらず独り言のような口調で続ける。

「でも、本当は違うんだと思う」

「誕生日を知らないとか?」

 医師が云うと、勇は首を振った。

「数え切れなかったんだ」

「今日が何日かは分かりますか?」

「それも分からないから、もう齢も分からなくなるってもんだ」

「成る程」

「130までは数えた」

 勇という若者が呟く。

「でも、…日付が変わるのももう意味が無いと思って、…数えきれなかったっていうより、数えるのを止めた」

「そうですか」

 勇は顔をあげ、医師の顔を、まじまじと見つめた。

「驚かないんだな、あんた…」

「驚いた方が良かったですか?」

「……」

「私も自分の齢なんて数えてないから、どうだっていいです、そんなこと」

 そういう問題じゃないんじゃなかろうか、と勇は思う。

 それとも、自分が知らない間に、人間の寿命は随分延びているのだろうかと考える。

「…センセイよ」

「何でしょう?」

「今の平均寿命ってどのくらいなんだ?」

「さあ…。知りたいですか?」

 医師が、ずずずと底まで啜ったカップを盆に置きながら、横目でチラリと若者を見て云う。

 若者は、ゾクリと背筋が寒くなり、ぶるると首を振る。

「いや、いい」

「そりゃあそうでしょうとも」

「A、だから黙ってろよ」

「D、云っておきますが、あなたも随分と意地悪をしているんですよ、勇に」

「分かってるさ」

「あなたが与えた罰のようなものでしょう、これは」

「そうだな」

「無理矢理つれていくのもイヤなくらいに愛しているのでしょうけれども、酷なことをしていることには違いないです」

「可哀想だと思う訳だな、おまえも」

「可哀想とは思いませんよ、罰は受けるべきだもの。…ただ、私は」

「いつまでも勇に煩わされるのがイヤだ、っていうんだろ」

 Dがクスクスと笑いながら云う。Aは不貞腐れた顔で、そうです、と云う。

「そういうことにしといてやろう」

 Dが相変わらずクスクスと笑う。Aが、「何ですか、それ」と高い声で云った。

 煩わされているのは私も同じでは、と医師が思う。

 だが、煩わされていると、本気で思うことは無い。勇が患者ならば、治療するだけだ。

 別に可哀想とも罰を受けるべきだとも思わず。

「俺は犯罪者だ」

 ポツリと勇が云う。

 医師は「そうですか」と頷いた。

「懺悔するには場所が違うんじゃないかと思われますが?」

「懺悔なんて出来ない。したって、どうしようもないんだから」

「まあ、吐くことで楽になれるなら、医者の仕事ですかね。カウンセリングということで」

「……聞きたくないなら聞かなくていい、黙る」

「それは私の台詞なんですけど。云いたくないなら云わなくてもいいですよ」

 医師は云って、勇の背後を指差す。

「あなたはここにお茶を飲みに来たということでしょう。一休みできたなら、どうぞお帰りなさい」

「ちょっと、お医者様…」

 天使が焦った声で云う。

「だから黙ってろよ、おまえ」

「……」

「聞いちゃいないよ、この医者は」

 天使は黙りこむ。

 勇は、そう云われて振り返りはしたものの、立ち上がりはしなかった。

 ただ、医師の指が後ろを指したから、それを追いかけただけだった。

「俺は…、盗みをして、人を殺した」

「はい」

「かなり凶悪な犯罪者だったので、警察は、拳銃を抜いた」

「そうですか」

「俺も、拳銃を持っていたから」

 そう云うと、若者はジーンズの腰の辺りを探って、拳銃を出した。

 そして銃口を医師に向ける。

 若者は、微かに笑った。

「少しはビビれよ」

「何で」

 平然とした医師に、何でもなにも、と若者の方がうろたえた表情を作り、拳銃を下ろす。

 そして、またジーンズに突っ込んだ。

「普通、ビビり入るだろ」

「弾装填してからだったら」

 平然と云う。

 勇は、くっく…と喉を鳴らして、「ああ…」と呟いた。

 はぁ…と息を吐いて、また膝に肘をつく。

「それがどうかしましたか」

 医師が訊く。

「それはどうでもいい。前置き」

「ああ、そうですか」

「俺は、警官に撃たれて死ぬはずだった」

「そんなことなんで分かるんです」

「死神が云った」

「死神…ねぇ」

 俺だ俺、とDが自分を指差す。やっと、勇の口から自分のことが出てきたのが、嬉しいとでも云いたそうな顔をして。

 天使は、苦虫を噛み潰した顔をしている。

「信じなきゃ信じなくてもいいけど」

「云いたければ云えばいいです」

「死神は俺を迎えに来たんだな。…俺は、死にたくなかったから」

「そういうもんでしょう」

「死神を殺したんだ」


 天使Aが、自分の肩を抱いて身を縮ませる。ぎゅっと目を閉じて、首を振る。思い出したくない。

 殺された当の死神Dは、うんうん、と頷いている。


 死神は、そんなに死にたくないのなら私を殺せばいい、と云ったんだ。

 そんなに私が嫌なら殺せばいい。

 そうしたら、勇、おまえの死ぬ瞬間はやってこないのだから、時は止まる。

 年も取らず、死にもしない。

 そう云って死神は、ほら、と俺の両手を首にあてた。

 死神は俺よりも背が高かったから、わざわざ中腰になって。


 力を込めると、死神の口と鼻から、血が出た。

 もう何人も殺していたから、別にそれが怖くは無かった。ただ、死神の血が赤いということに、少し驚いて、一緒に居た天使が何度も、

「やめなさい!」

と怒鳴っていた。

「頼むから、やめて、勇!」

と悲鳴を上げた。

 とてもうるさくて、俺は重くなった死神から手を離し、

「うるさい、おまえも殺してやろうか?」

 と云って笑った。

 天使は、泣きそうな顔をして小さく首を振り、俺を、哂った。

「おめでとう、勇。あなたはもう死なない、決して」


「そうして…」


「130までは数えていたんですね」

「…そうだ」

「でも、それ以上は数えるのが面倒になった、と」

「そう…」

 1日が、朝が来て夜が来るだけになったから。


「俺を殺してくれ、あんた」

「医者は人を殺すのが仕事じゃないです」

「……医者に殺されてダメなら、俺も諦めるから」

「だから、医者は人を殺しません」

 医師は相変わらず、淡々とした口調で云う。

 若者は、Tシャツの襟をグイっと伸ばし、首を反らした。

「気づいてるだろう、あんた。この手首もずっと見えてたんだろう。しらばっくれるなよ、見ろよ、この首。何べん切ったんだ、俺は。だのに生きている俺は、何なんだ。ハタチのままなのに、もう…本当はその十倍も生きて」

「数えてたんじゃないですか」

 動じずに医師は云う。

「ほら、やっぱりハタチでいいんだって。60かける3プラス20だから」

「……」

 死神Dの言葉に、天使Aは何も返さない。

「医者に殺されてダメなら、諦めるから…、殺してくれよ、あんた」

「ヤブって最初に云ったのは君ですよ」

「毒でも、切り刻むんでも、何でもいいから。医者でダメなら、俺も諦めるから…」

「諦めた後でどうするんです?」

 医者が、困った顔をして溜息をつく。

 勇は、頭を抱えて項垂れた。

「夢を見ているみたいだ」

「そうでしょうよ」

「目を覚ましたら、俺は…、まだ死神も、人も殺していないんじゃないだろうか…。そうだ…まだ、生まれてもいないのかもしれない」

「そうだったらどんなにかいいでしょうね」

 医師は呟き、天使が

「虫のいいことを」

 と吐き捨てる。

「そんな哀しいことを云うな、勇。おまえは確かに母親から生まれて生きていたのに」

 死神が、とても哀しそうに云う。

「俺はいつまで生きていればいいんだ…」

 頭を抱えて、ぶつぶつと呟く。

 医師が静かに云った。

「死なない者は生きているんでしょうか」


 勇は、顔を上げて医師の顔を見た。

 薄く笑いが張り付いているように見える、医師の顔を。

 絶望を通り越して、呆れたような、表情をして。

 死神が、とても哀しそうな顔をしている。眉を寄せて、少し怒っているようだ、多分、医師を、睨みつけていた。

 今度は天使も、とても哀しそうな顔をしている。その顔を医師から背ける。

 ぽかん、としていた勇の額に、汗が滲んだ。


 医師は立ち上がり、若者の胸倉を掴んで立たせた。

 ぐい、と片方の手で頭を押して、首を傾ける。

 勇の首筋には、赤黒い切り傷の痕が、いくつかあった。横にも、顎の下にも。切り傷だけじゃなくて、突いたらしい痕も。

「痛かったですか」

「……」

 勇は、ああ、と云おうとしたけれども、声が出なくて、頷いた。

「痛いなら生きてる証拠でしょうけども」

「……」

「ならば何故、君は死なない?」

「……」

「死なない者は生きているんでしょうか」

「……」

「君は生きているんですか?」

「……」

「ねえ、勇君、どうなんです、君は生きているんですか。いつまで生きていればいいなんて、私は分からないですよ」

 何故名前を知っている、そんな疑問すらも思い浮かばず、勇は何も云えない。

「医者は、患者を殺しはしません。生きてる人にしか用が無いんです。私に何かして欲しいのなら、君が生きていることが前提です。さて、勇君、君は生きているんですか?」

「もうやめてくれ」

 声を絞り出し、勇はそれだけ云った。

 医師が、ぱっと手を広げると、勇は重力に従って「落ちる」という表現が尤もらしく、椅子に戻る。

「生きてる人をしか、殺せないんですよ」

「……」

 頭を抱えて、勇は何も云えない。

 そんな若者を、死神と天使が見下ろしている。

 死神と天使がひざまずいて、両側から勇を抱きしめた。

「もうやめてやってくれ」

「お医者様」

 死神と天使が医師を見て云う。

 医師は、返事が出来ないので、無視をすることにした。

「君は今、死にたくてしょうがないのでしょうけども、生きていなけりゃ死ぬことも出来やしませんよ」

「俺は、死ぬのが怖かっただけなんだ」

「ならば、それでいいんじゃないんです? もう怖いことは無い」

「だけど、もう、生きているのは嫌だ。時が止まっている中で」

「だから、君は生きているんですか?」

「……」

「死ぬ人のことしか、生きているとは云わないですよ」

 肩を竦めて、医師が云う。

 堂々巡りじゃないか、と溜息をつく。

 天使が首を振り、泣きそうな顔をして勇を抱きしめる。

 死神が立ち上がり、医師を睨んで云う。

「堂々巡りじゃなくて、おまえは回りくどいんだ」

 だったら、私に託すんじゃないよ。

「云ったでしょう、医者は生きてる人にしか用が無いんです」


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