表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

医師・2~死神 (1)

 たったったったったった…っ。

 これは、足音である。

 恐らく、走っている。

 こちらに向かって。

 椅子に座って、寝ているように目を閉じていた白衣の男が、ゆっくりと瞼を上げた。

 患者さんでしょうか。

 扉の前を素通りするということもあってくれたら、自分としては好ましいことだと男は思う。

 医者というものは、居なければ居ない方がいいのだ。

「だけど、多分、彼はここに来るのだと思います」

 男の隣に立っていた、天使が云う。

 真っ白い衣に身を包んでいる。そして翼が生えている。

 絵に描いたような天使が立っている。

 絵に描いたような格好をしていた方が、人に対して認識をさせやすいからだろう。

 男は、首をそちらに向けて彼女の顔(性があるのかどうかは知らないが、顔と体つきで云えば、彼女だった)を見、苦笑しながら頷いた。

「そうでしょうねぇ」

 患者以外が、ここへ向かう筈がないのだ。

 患者本人に自覚は無くても、患者以外がここへ向かってくることはない。


 天使は苦々しく眉を寄せ、「治療なんか、して欲しくないです」と呟く。

「もう少し、時間を置いて欲しい。罰は、もっと与えられるべきです」

「発狂するほどの時間を?」

 男は相変わらず苦笑を浮かべる。

「それが患者ならば、私は治療しなくてはならないと思うんですけど、医師だから」

「それは分かっています。患者以外が、ここに招かれることはないのだし」

「招くとは少々、おかしな云い方ですね」

「……発狂して、地獄に落ちればいい…」

「天使の云うことじゃないですよ」

 医師が云う。

「どうせ、地獄なんか無いんだから、あり得ない望みなんか云うんじゃありません」

「だから、もう少し長く、罰を受ければいい」

「相変わらず天使の云うことじゃない」

「天使だからです」

「そうなんですか?」

「天使は、人間がそんなに好きじゃない」

 男が苦笑する。

「好きだから厳しいというのではない?」

「嫌いではいられませんけどね」

 今度は天使が苦笑する。

「彼ほどには、人間を愛してません」

 天使が、男を挟んで向かいに立っている黒衣の者を眺めて云う。(天使が「彼」と云うということは、こちらには性別があるらしい)

 男は、天使と反対側に立っている黒衣の者を見上げた。

 大きな鎌を肩にかついだ、絵に描いたような死神も、肩を竦めて苦笑した。


「人間を、より愛している方が、死神になるんですもの」

 天使が云う。

「嫌われるだけなのに」

 医師が笑う。

「愛し合えたら、時は止まる」

 独り言のように死神は云う。

「今からここにやってくる患者さんは」

 医師が云う。

「かりそめの永遠だ」

 死神が医師の言葉尻を追いかける。

「彼は私を愛していないからね」

 少し寂しそうに笑う死神。

「それに、あなただって、彼一人を愛してはいないものね。何せ、死神の中の死神だもの。あなたは人を愛しているのであって、ただ一人を愛することと愛されることは出来そうにない」

 天使が少し、皮肉めいた声で死神に云った。

 医師は、これからやってくる患者は男性らしい、と思った。


 かちゃり、と遠くで扉の開く音が聞こえる。

「来たようですね、あなたの恋敵が?」

 医師が、天使に向かって云う。

 天使が首を傾げて、「恋敵って変な云い方」と頬を膨らませた。


「やあ、こんにちわ」

 土間に立っていた若者に、白衣の男が微笑を浮かべて云う。

「何か御用ですか? 診察?」

「……」

 若者は何も云わない。

 額と頬に玉の汗が浮かんでいる。ただ走ってきたからとは思えない、顔色が良くない。

 はあはあと、ただ息を乱して、何も云わない。

 薄汚れたジーンズとTシャツを身につけた若者…、少年というにはトウがいっているように見える、青年と云うには(その言葉の印象から)爽やかさが足りない男性だ。

 土間から一段高い板の間に立っている男から見ると、頭一つ分背が低い。

 多分、自分と同じくらいか、ちょっとだけ低いくらいの背丈だろうと、白衣の男は思う。

 死神よりは低い。天使よりは高い。

「ここに御用ではないんでしょうか?」

「ここは」

「はい」

「病院か」

「まあ、医者が居ますから」

 白衣の男が、肩を竦める。

「……」

 若者は、どうしていいのか分からない、という顔をしている。

 暗く険しい顔つきに、戸惑いという表情が浮かぶ。

「ここに用は無い?」

「何でここに居るのか分からない…」

「道に迷ったんですか」

「さあ、どこに行ったらいいのか分からないし…」

 声まで戸惑いがちである。

「では、ここ以外に用がある訳でもありませんね。お茶でも飲んで行きませんか」

「……」

「あなた、随分走っていたようですから、一休みしに来たんでしょうよ」

 白衣の男はそう云って、くるりと背を向け「土足で構いませんよ」と云う。

 そして真直ぐに伸びている廊下を歩いていく。

 途中立ち止まり、左の壁を指して、「ここに入って待っててください」

 と云った。

 若者は、戸惑った表情のまま、板の間に足を下ろした。


 若者は白衣の男が指差した扉を開けて、中に入った。

 机と椅子がある。椅子は二つ。机に向かって背もたれと肘掛のあるもの、もう一つはそれらが無い円座の。医者が座るほう、患者が座るほう、どちらがどちらかすぐに分かる。

 白い布を張ったついたてもある。診察室なのだろうか、と思う。

 病院というのは、白…青白い、という印象があったのだが、ここは、木造だったからだろうか、何となくセピアがかった風景に見える。

 自分以外に、誰も居ない。

 立ち尽くしていると、時が止まったように思える。

 時が止まった……

 最初ノスタルジィを感じて、次には恐怖を覚え、若者は、ブルリと身を震わせると自分の肩を掴んだ。

 カチャリ。

 ぴく、と若者は背を強張らせ、振り向く。

 扉が開いて、さっきの男が入ってきた。

「どうぞ、そちらの椅子にかけてください?」

 円い方を指して、医師が云う。

 患者が座るほうの椅子だ。

 若者が座り、医師は机に盆を置いて、もう一つの医者が座るほうの椅子に座った。

 盆の上のカップを一つ取り、若者に渡す。

 中身はコーヒーである。

 濃い茶色。

「お砂糖とミルクは必要ですか」

「要らない…」

「そうですか」

 頷いて、医師は自分のカップを取り、ずずず、と啜った。

 それを見て、倣うように若者が啜る。

 医師は肘掛に肘をかけ、カップを両手で掴み、脚を組んで若者を見た。

「お茶まで出さなくったっていいのに」

 医師の隣に立っていた天使が不貞腐れた声で云う。

「お茶じゃないよ、コーヒーだ」

 同じく、天使とは反対側で医師の脇に立っていた死神が云う。

「同じです」

「いいじゃないか、別に。この医者はいつもこうだ」

「私達には無かったわ」

「だって、患者じゃないだろう、私達は」

 ということは、やっぱり若者は患者なのだ。

 医師は、やれやれ…と息を吐く。


 医者と云うのは本来、患者を生かす仕事をするのであって、死なせてあげるために居るのじゃないのだが。

「でも、患者を『助ける』という表現をしたらば、おまえも立派な医者だぞ」

 と死神が云った。

「おまえは立派な死神になれるぞ」

 などとも。

 それは無理だろう、この医師は、この死神ほど、別に人間を愛してはいなかったので。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ