幕間。その頃、母は
春瀬樹雫の元にその大群が押し寄せたのは、11時半過ぎの事。
母、繭雫の家の隣に併設された姉、花雫の事務所でコーヒーを飲んでた時だった。
突然目の前の壁を通り抜けて、虹色がかった白い鳥の大群が、こちらに向かってやってきた。
そして肩に頭にと止まり、ぴいぴいぴいぴい鳴き出した。
まるで、鳥の送り主の状態をそのまま真似てる様だ。
「・・・何があったのか、なんとなくわかるわね」
鳥の送り主は娘の癒雫だ。
虹色がかった白は、癒雫のマナの色だから。
マナとは、説明すると長くなるので省略するが、ここでは魂の事を意味する。
主に一族間の間で使われている言葉だ。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫とその中間色のいずれかの色に分類され、基本的には1色のみを持つ。
例外は、癒雫と、樹雫の母、繭雫ぐらいだ・・・が、そんな事より。
今は、どうにかして、この鳥の大群の送り主を宥めなければ。
樹雫が、ぴいぴい鳴く一羽を手に乗せようとした時、
「どうしたの樹雫、ソレ」
そう言って、2階の階段を降りて来た者がいた。
事務所の主である姉、花雫だ。
豊満な樹雫とはタイプの違う、ほっそりとしたスレンダーな姉の花雫は、樹雫より2つ上。
腰まである長い髪に、優しげな丸目が特徴だ。
対する樹雫は、顔こそ花雫と似てるが、少しやんちゃそうな人相に、髪は肩までの長さと、微妙な差異がある。
「癒雫がよこして来た手紙鳥。・・・さっきスーパーにケチャップ買いに行ってくるって連絡来たから、多分そこで何かあってパニックになったんだと思う。」
説明し終えた樹雫は、残ったコーヒーを一口で飲み干した。
手紙鳥とは、樹雫達の一族やその他親族の者達が使う通信手段で、伝えたい相手を想う事によって生じるマナの電磁波のような物を、イメージした物に形作り飛ばす術だ。
慣れると、一度に複数の相手に飛ばす事も出来るようになる。
大抵の者は容易に出来るようになる事だが、癒雫には、それがうまく出来ない。
2人同時までならなんとか送れるが、飛ばす相手が3人、4人、5人同時となると、必ず2人か3人は取りこぼす。
おそらく、一度に複数の事が出来ない特性が関係してるのだろう。
「・・・癒雫ちゃん、相変わらず?」
花雫が心配そうにポツリと尋ねる。
「・・・うん、でも、仕事行ってた頃よりは少しだけ落ち着いてる」
樹雫は、そう言って、少し前の癒雫の事を思い出しはじめた。
はじまりは、最初の職場を辞めてすぐの頃。
茶の間で、樹雫と癒雫と息子の雅都の3人で食事していた時、突然癒雫が泣き出した。
聞くと、樹雫がいつも足を癒雫の方を向けて座るからだそうだ。
自分の事が嫌いだからそうするんだろうと、そう言って癒雫は大泣きしていた。
ある時は、樹雫がトイレに行った時の事。
用を足している最中に、外から癒雫の泣き声が聞こえてきた。
慌てて外に出ると、癒雫は泣きながらこちらを睨んでいた。
なぜ睨むのか理由を聞くと、お母さんはわたしと顔を合わせたくないからトイレに籠もってるんだと、想像もしていなかった事を言ってきた。
そうじゃないと言い聞かせたが、なかなか納得してくれなかった。
仕事に出かける時も似たような理由で泣き出す事があり、ひどい時は仕事を半日休まなければいけない時もあった。
またある時は、買い物の時の事。
風邪っぽい人が多い時期だったと思う。
スーパーで癒雫と2人で買い物していると、突然癒雫が樹雫の服をくいくい引っ張ってきた。
どうしたの?と樹雫が聞くと、さっきから通り過ぎる人がみんなが自分に咳をして威嚇してくると言うのだ。
そんなわけないでしょ、と樹雫は言ったが、癒雫は絶対そうだと言って、その場で泣き出した。
あの時は困った。
最初は、こんな被害妄想のような事がしばらく続いたが、しばらくすると、今度は奇妙な言動までするようになった。
ある日、服屋に買い物に行った時、癒雫がか細い声で言った。
あそこの店員さんが、さっき通り過ぎる時、出ていけ、失せろと暴言を吐いたと言うのだ。
その時、樹雫も近くにいたが、そんな言葉はおろか、声すら聞こえて来なかった。
というか、あの店員さんは、さっきからひと言も喋ってすらいなかった。
一体癒雫は何を聞いたのだろうと、不安に思った。
別の日、今度は喫茶店での事だ。
食事を終え、店を出た時、「あの人、ちょっと変だったね〜」と、癒雫が言って来た。
樹雫が、何のことかわからず聞くと、隣に座っていたカップルの男性の方が、大きな声で知り合いの誰かを口汚く罵倒してたと言うのだ。
頼んどいた壁を運ぶのが遅い、とか、脳みそが足りてないんだろう、とか、しまいには恋人がいないから食欲で性欲発散させてるんだろう、とか、まるで居酒屋か何かのノリで彼女に喋っていたという。
樹雫は目を剥いた。
なぜなら、樹雫も隣で、そのカップルを見ていたからだ。
初々しい、初デートだったのか、2人ともはにかみながら食事していた。
これはちょっとおかしいぞ、と樹雫はその時の癒雫を見て思った。
今までの被害妄想は、中学の時から度々あったが、こんなタイプの妄想は経験が無かったからだ。
まさか、癒雫の病に新たな症状が出たのでは?
信じたくないが、その可能性を疑った。
そしてその心配はほぼ確定した。
ある日、買い物をしに行った時の事、癒雫が、あそこから誰かが大きな声でわたしの悪口を言っている、と言って来た。
どこから聞こえるの?と聞くと、あそこ、と、ある場所を指さした。
そこは無人の冷蔵庫だった。
あー・・・これは・・・。
樹雫は察した。
癒雫は幻聴を聞いているのだ、と。
そんな事ばかりが数カ月続き、ついに癒雫は外に出られなくなった。
車で移動するだけならなんとか出られるが、車の外に出る事が出来ないのだ。
それまでは、散歩するのも好きだったのだが、車が襲って来そうで怖いと言い出し、まったくしなくなった。
仕事にも出られなくなり、退職した。
障害年金が降りたのは幸いだった。
今も、たまに外に出れば、このようにパニックになって、こうなる。
「ちゃんと返事してあげなさいよ」
花雫が急かすように樹雫に言った。
「わかってるわよ」
樹雫は少しうっとおしそうにそう返すと、鳥の中の1羽を手に乗せ、両手で包んだ。
鳥は両手の平の中で溶け、樹雫の中に、癒雫の声が届く。
(おかあさん、たすけて・・・)
「・・・お馬鹿」
樹雫は呟いた。
鳥たちは、まだ送られて来る。
いつもなら、さっきの呟きが癒雫に届いて、鳥の大群は治まるのだが、今日はそうならない。
「聞こえてないのね」
そう言うと、樹雫は目をつむり、両手を器のように合わせ、癒雫の顔を思い浮かべながら、念じた。
(大丈夫だから。落ち着いて帰っておいで。)
そして目を開けると、赤い卵が、両手の器にころんと転がっていた。
卵は、ぴききっ、とひび割れ、程なくして、中から、卵と同じ色のウグイスのような鳥が生まれた。
鳥は壁を通り抜けると、猛スピードで癒雫の所へ飛んで行った。
「ー一ーさてと!お姉ちゃん、今日のごはんはオムライスとナポリタン、どっちかしらね」
樹雫が伸びをして尋ねると、
「あんたきのう癒雫ちゃんと一緒に決めたんじゃないの?」
花雫が不思議そうに返す。
「ん?そう言えばどっちだっけ??忘れちゃったー」
あははっ、と樹雫は笑う。
「そう言えば、冬崎さんへの花の納品、今日までだったわよね、癒雫、ちゃんと花作ってる?今日も午前中寝てたけど」
「大丈夫、昨日の内に、今日の分も頑張ってくれたからいつでも納品に行けるわ。癒雫ちゃん真面目だから」
「それは知ってるけど」
はて?
樹雫は首を傾げる。
なんで今日の分を昨日・・・?
「もうすぐお昼だし、残りの仕事、一段落させましょう」
「うぃーっす、姉上〜」
樹雫は再び仕事に戻った。
気づくと、鳥の大群は、もう跡形もなくいなくなっていた。
癒雫の気分が落ち着いて、どこかに飛んでったのだろう。
きっと今頃、どこぞで虹にでもなってる筈だ。
カタカタと、キーボードを叩く音が響き出す。
外では、粉雪が舞っていた。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
今回は母親視点から見た主人公の様子を書きました。
これからも頑張っていきたいです。




