9 縄張り争い
「まぁまぁ、なんて美しいの!リューイの気持ちも分かるわ。人猫が傾国の美女だなんて大袈裟ね、と思っていたけれどそれ以上ね」
夜になり、皇后様は私を見て、ずっと同じ台詞を繰り返した。
目はギラギラしているし、ハッキリ言って怖い。思わず後退る。
「皇后陛下、落ち着いて下さい。アリス様は人見知りなので、あまり興奮なさると逃げてしまいます。人間の姿であっても猫だと思って下さい」
「あらまぁ。ではこうしましょう」
ゼフィーの言葉に、皇后様はパンと手を打ち、カラに指示をする。
カラはテーブルの端と端に食事の用意をした。
「これなら、距離があるでしょう?ってあら?アリスちゃん、テーブルマナーもきちんとしてるわね~」
「シャラ…ドラゴンが、教えてくれました。他にも、色々」
「あら。お喋りも上手」
ただでさえ、食事の時は無防備になるのに、人間の姿で食べるのは集中出来ない。苦痛だ。
「シャラはいい親だったのね」
「え?」
急な皇后様の言葉に、思わずじっと見つめてしまう。
「将来アリスちゃんが困らないように、躾してくれた訳でしょう?素晴らしいと思うわ」
「でも私、人間になるつもりない、です」
「あら、そうなの?でもね、未来なんてどうなるか分からないわ。だから、ありとあらゆる事を教えて経験させてあげるのが親の役目だと思うの。助けてあげるだけじゃなくてね。自分が死んだ後、困らないようにね。実際にあなたは今、私とこうやって食事が出来ている」
シャラを誉めてくれる人間がいるとは思わず、ただただ驚いた。
でもすごく嬉しい。
人間にとって、ドラゴンは悪。
人間にとって、ドラゴンは害をなすもの。
全ての人間がそう思っていると思っていたから。
「そうだわ。ここにいる間だけでも、もっと色々お勉強しましょう」
皇后様が目を輝かせる。
「お勉強?」
「えぇ。知識や常識は身に付けておいて損はないわよ。いつ役立つか分からないもの」
「それは、シャラも良く言ってた」
「そう。じゃあ決まりね」
皇后様は、楽しそうにカラに色々指示してる。
それを見たゼフィーが慌てた。
「こ、皇后陛下。勝手に決められては…」
「あらなぁに?先生は全部女性よ。雄猫じゃないわ。リューイの意思に反してないでしょう?」
「で、ですが…」
「アリスちゃんの為よ。知識はあった方がいいわよ」
「しかし、あまり厳しいと嫌になっていなくなってしまうのでは…」
「あら、私は鬼じゃありませんわよ。楽しくお勉強しましょうね」
ゼフィーがあわあわしてる。
皇后様は人間の雌のボスかもしれない。
「ふふっ。楽しみね。リューイの妃としてアリスちゃんを夜会デビューさせるの。絶世の美女よ。元皇后や側妃の悔しがる様が見れそうねぇ」
「…やはり狙いはそれですか。無理です、人の多い所なんて」
「あらっ、妄想を楽しんでいるだけよ~なぁに、それもいけないの?」
「ドラゴンの話は、全てこの為の布石ですか」
皇后様はうふふと笑った。
ボスは楽しい事が好きらしい。
でも、どのあたりが楽しいんだろう。
やっぱり、人間って分からない。
***
それから、リューイはモンスター討伐へと旅立っていった。
行く前には出陣式が行われたらしいが、勿論私は行けなかった。
その場所には沢山の人間がいたらしいから、行かなくて良かったのだけれど。
ただ、リューイとジルベールが怪我しませんように、とそれだけは願った。
皇后様は、皇帝陛下の仕事を手伝ったり忙しいみたいで、あまり会わなかった。
リューイと違って、ベタベタ触って来ない。
お勉強も、夕方の人間の姿の時に少しする。
何だか快適だった。
その快適さを打ち破るように、訪問者が現れたのは昼過ぎだった。
「こんにちは」
玄関の陽当たりの良い場所で昼寝をしていた私は、突然声をかけられ飛び起きる。
気配を全然感じなかった。
何故?
恐る恐る見上げると、そこにいたのは皇太子だった。
近寄っては駄目、というリューイの言葉を思い出して、慌てて逃げようとする。
が、すぐに捕まってしまった。
体が上手く動かない。
…魔法?
皇太子は私を軽々と抱き上げた。
「久しぶりだね。目が合った夜以来かな」
そう言って、目の高さまで持ち上げる。
強制的に目が合った。
「ふふ。あの時は、君に見られていると思うと興奮したよ」
妖しく笑うと、私を抱えたまま歩き出した。
「このまま連れて帰りたいけど、首輪もしているし問題になるだろう。まずは皇后にご挨拶かな」
途中、幾度となく触ってくる。
顔や頭も嫌だけど、しっぽの付け根なんて問題外。
イヤだ。嫌い、嫌い、人間嫌い。
「皇太子殿下?こんな所で何をされていらっしゃるのですか」
ゼフィーの声だった。
私が捕まっているのを見て、微かに息をのむ。
「副団長。貴殿は討伐にいかなかったのか?」
「留守を預かっています」
「…なるほど」
「そちらは…リューイ殿下の猫では?」
「あぁ。うろうろしていて迷い猫かと思った」
嘘つき!
私がマッタリしてるとこ捕まえたんだよ。
しかも、魔法かけて逃げられないようにしてあるの。
「まぁ、殿下。ウチの子を保護して頂きありがとうございます」
皇后様の声もした。
皇后様は扇子で口元を隠している。
それがマナーなんだって、昨日習ったばかり。
皇太子は皇后様に膝を折る。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
「弟の猫では?」
「えぇ。ですから、今預かっていますのよ。リューイのものは、私のものですからね」
皇后様がパチンっと扇子を閉じた。
と、同時に魔法が解けて、体が自由になる。
慌てて、皇太子の腕から逃げ出して、高い棚の上へと飛び乗った。
流石ボス!
「皇后様はお忙しいようですね。この猫は私が預かりましょうか」
皇太子が変なことを言い出した。
嫌だ。絶対嫌。
うっかり人間にされちゃう。
出口を見つめると、ゼフィーが立ちふさがった。
「あら、心配には及びませんわ。猫ちゃんはいいこですし、私、子育ては得意ですもの」
「そうですか。私も動物は好きなんですよ」
「あら意外。皇太子殿下の興味は、人間の女性だけかと思っていましたわ」
「人間も動物ですからね」
皇后様と皇太子が、お互いに笑いながら縄張り争いをしてる。
「ところで、私の宮へ何かご用かしら?」
「あぁ、失礼致しました。宰相から弟の縁談の催促を受けましてね、皇后様にご相談をと」
「まぁ、宰相もお節介ねぇ。あの子は騎士団長になったんですから放っておけばよいものを」
「そうはいかないでしょう。ドラゴンの力を継承した皇族など、周りが放っておかない」
「では、私の縁者の娘を妃候補にしますわ」
皇后様の言葉に、ゼフィーと皇太子が同時に驚く。
そう言えば、皇后様は隣りの国の王女様で、この国に嫁いできたんだって。
皇后様の身分が高過ぎて、それまで皇后だった、皇太子のお母さんは皇妃という、第2の位になったんだっていってた。
ボスの交代みたいなものかな。
「なぁに?大国の王女であり、現皇后の私の血筋は気に入らないかしら?」
「…とんでもございません」
「良かったわぁ。なら宰相に伝えて下さる?第2皇子の妃候補探しは無用。私や大国の意向を無視して勝手に話を進めるなどと、面子を潰さないで下さいね、と」
皇后様は、再び扇子で口元を隠し、微笑んだ。