6 猫と人間の諸事情
「猫ちゃん。服着たら、部屋から出てきてね。あっ、勿論ドアからね」
家に着くのと日が暮れるのは、ほぼ同時だったと思う。
私をリューイの部屋に押しやり、ジルベールが外から声を掛けてきた。
「カラさんは、食事の用意をしに行っちゃったし。主のいない部屋に、僕が入るわけにもいかないでしょ」
そういうものなのか。
つくづく人間のルールは面倒だし、よく分からない。
仕方なく言われた通り服を着て、部屋の外に出た。
「どうすればいいの?」
「応接間で殿下を待とう」
そう言われて、ジルベールについていった。
この家で、リューイの部屋以外にいるのは初めてかもしれない。
「猫ちゃん、ドキドキした?」
ソファーに座るなり、目を輝かせながらジルベールが問いかけてくる。
「ドキドキって?」
「殿下に助け出された時に、心臓の鼓動が早くなった?」
「したよ。あ、死ぬんだなって」
「えっと、そっちじゃなくて…あっ、じゃあ抱っこされてる時とかは?」
「ドキドキしなかった」
「あ、そうなんだ…」
うーん手強い、などとブツブツ言ってる。
「そういえば」
「なになに?」
私の言葉に、ジルベールが身を乗り出して来た。
近い。思わず後ずさる。
「発情期じゃないかな、と思うんだ」
「…は?」
「さっきの人間のメス達だよ。声も高いし、目もギラギラしてた。だから怖くて逃げちゃったけど、リューイに求愛してたから、交尾すればいいと思うんだ。そしたら落ち着くよ」
だって、リューイに抱っこされていた時は平気だったのに、人間の女が触れた時は嫌悪感が身体中に巡った。
あれって、相手が興奮状態だったからだと思う。
「…それ、殿下にも彼女達にも絶対に言っちゃ駄目だよ。というか誰にも。もうカオスになっちゃうよ」
「そうなの?まあ興味ないから」
気づいてなさそうだから、言った方がいいと思うけどね。
はぁぁ、と深い溜め息を付きながらジルベールが両手で顔を覆った。
やっぱり、変な人間だ。
でも、ここまで、どうしたら、とまたも1人でブツブツ言ってる。
「あれ?でも、その…猫ちゃんも発情期ってある?」
「私はまだ体験してない。半分人間だからかな?不快だけど」
「そうなんだ。じゃあ、そうなったらリューイ殿下に言ってね」
「は?何で人間なんかに言わないといけないの?」
冗談じゃない。
「え、だって困るでしょ」
「何にも困らないよ。自分で相手探すし。でも、この辺って猫1匹いないね、縄張りあるの?」
「野良猫ちゃんの管理は殿下が徹底して…って、それは置いといて。自分で探さないで?こっちが困っちゃうんだよ、君の保護者は殿下でしょ」
「リューイにどうにか出来ないでしょ」
「いや、リューイ殿下しかどうにか出来ないよ。だって他の人じゃ」
「別にいいじゃない。どっちにしたって猫になるんだし」
この人間は何を言っているんだろう。
人間のくせに、人間の言葉が不自由すぎる。
「とにかく、えぇと、そう。人間の姿の時に発情しだすと困っちゃうでしょ」
「まぁ、確かに」
「うっかり人間になりたくないんでしょ?」
「それはそうだね」
私が頷くと、ジルベールはほっとした顔をした。
「じゃあ、そういう事でお願いね。あっ、この前、猫に大人気の爪とぎボード見つけたの。殿下がプレゼントするからさ、よろしくね」
「分かった」
とりあえず返事はしたが、いまいち納得出来ない。
何でそんな事まで人間に管理されなきゃいけないの?
リューイが、猫達の管理してるって言ってたから、発情したら、その場所まで連れていってくれるって事?
今日行った保護区みたいな所にいるのかな。
じゃあ、さっさと猫になって、そこで暮らしたいな。
あぁ。シャラとの約束を守りたいんだっけ。
うーん…。
「楽しそうだな」
リューイとゼフィーが応接間に入ってきた。
「リューイ殿下。どうだったの?皇太子は」
「怪しんでいるが、まだ気づかれていない」
「なんだかね。女性の事ばっかじゃなくて、皇太子なんだから他にやることいっぱいあると思うんだけどね」
「まぁ。それよりも」
リューイが私を見ながら聞いた。
「怪我はしていないか?」
「してない。ありがとう」
「良かった、今回のことは私の配慮が無かった。令嬢達がまさかアリスに触れるとは思わず…悪かった」
「あ、それなら」
「猫ちゃん!」
私が口を開き掛けたら、ジルベールが大声を上げる。
一生懸命、首を横に振っている。
言うな、ということ?求愛に応えてあげれば手っ取り早いと思うんだけどな。
「なんだ?」
「いや、えーと。で、殿下から爪とぎボードをプレゼントするって話を、さっき猫ちゃんとしてたの。いいよね?」
「勿論。いくらでも用意しよう」
「良かったね、猫ちゃん」
「…ありがとう」
なんだかな。
でもリューイが嬉しそうに笑うから、言うのを止めた。
「それから、もう2度と飛び出したりしないでくれ」
真剣な顔で言う。
その圧のまま近寄ってくるから、すこし逃げた。
「っ、すまない。でもお願いだ、目の前で死んでしまう姿をみたくない。今日はたまたま私がいたが…」
それって。
マイアの事を思い出しているのかな。
すぐに死んでしまったという猫。
「…マイアは幸せだったって、言ってたよ」
リューイを見つめながら、言った。
驚いたように、じっと見つめ返してくる。
「何故、マイアを」
「今日、メルが言ってたの。リューイに伝えてって」
「は?え…?メル?馬の?」
リューイは訳が分からないって顔してる。
私が猫だって忘れてるの?
仲間2人も、ぽかんと私を見つめている。
「私は猫だよ。動物と話、出来るんだよ。メルも話せないけど、人間の言葉が分かるって」
「ちょっ、ちょっと待て!」
慌てたように、リューイが変な動きをした。
いや待て、でも、そうか、と1人で何か言いながら。
ジルベールといい、リューイといい、人間はやっぱり変わっている。
「メルは、他に何か言ってか?」
「他にって?」
「いや、例えば…」
そう言い、リューイは黙り込んだ。
「お母さんの為に、シャラの涙を取りに来たって話は聞いたよ…それでリューイのお母さんは治ったの?」
「あ、あぁ。お陰で元気になった」
「ふぅん」
「…他には?」
しつこいなぁ。他に?何か言ってたかな。
…あ。
「好き」
「え!?」
3人同じように目を大きくして、こっちを見る。流石仲間。揃ってる。
「あそこにいる保護区の皆、好きなんだって。リューイの事が」
「あ、そっち」
「他はもうない」
「…そうか…」
リューイは呟くと、溜め息をつき、手で顔を覆った。
何で動物の皆に好かれているのに、悲しむことがあるの?
本当に人間って分からない。
「このあと、この国の第2皇子が動物達に口止めして歩き回る姿なんて、僕はもう見ていられないよ。憐れすぎて」
「そして、それが英雄となった我らの騎士団団長ですからね」
そう言って、仲間2人も同じ様に溜め息をつき、手で顔を覆った。