10 夜明け前の逃避
「一体どういう事です?私の妃候補というのは!」
討伐から帰ってきたリューイは、皇后様に詰め寄りめちゃくちゃ怒っている。
リューイもジルベールも怪我は無さそうだ。
良かった。
そして帰って来てそうそう、ジルベールが猫じゃらしの戦いを挑んでくる。
「あら、早いわね。討伐も情報もここへ来るのも」
「誤魔化さないで下さい!妃など不要だと申し上げたはずですが!」
「宰相がうるさいんですって。人気者は辛いわねぇ」
「無視しておけばいいんです。そんなもの」
「あらぁ、売られた喧嘩は買いたいじゃない?」
「頭がおかしいな…撤回して下さい」
「やぁよ。もう言っちゃったもの」
「何故、あなたの縁者などと?」
「国内はちょっとねぇ」
ジルベールは、猫じゃらしを左右に振る。
近頃、私はダンスなるものを習っている。
リズムを取ることには慣れてきた。
対して、ジルベールはモンスターとの戦いで疲れている。
勝機は私にあるだろう。
「良いこともあるわよ。女性が誰も近寄ってこなくなるわよ。3後日の祝賀会も。良かったわね」
「…この宮に皇太子が来たと聞きましたが」
「ねぇ、びっくり」
「ねぇ、びっくり。じゃありません!アリスが拐われそうになった上に、あちこち触られて…っ!」
「だから愛妾にして守ってあげれば早いわ」
「…愛妾なんかでは、守れません」
「では正妃に?いくらなんでも、人猫のままでは正妃なんて無理よ。人間にならないと。皇族継承権がない騎士団団長になったといえどもね」
「だから結婚などしません。くだらない」
「もう自由にしてあげたらどうかしら?何かしら理由をつけて囲い込んで。猫になりたいと望んでいる以上、あなたに出来る事はないわ。お互いに、もういい時期じゃないのかしら?」
ぱしっと猫じゃらしをふんだ。
やっぱり、圧勝だった。
だって、最後の方は、何にも手を動かしていないんだもの。
疲れているなら、帰って寝た方がいいよ、ジルベール。
「…話になりません。帰ります」
リューイが私を抱き上げた。
心なしか元気がない。
疲れているのかな。
それはそうだろう。強いモンスターとの戦いだったもの。
リューイの家は懐かしい匂いがした。
でもリューイは元気がない。
ご飯も食べすに、部屋に籠って、私をギュッとしている。
シャラもそういう事がたまにあった。
本当は人間を傷つけたくないって。
私が知らないだけで、モンスターとも戦っていたのかもしれない。
戦いたくないけど、戦わなければならない。
それって、とても辛いことなんだろう。
リューイとシャラが戦った時も、そうだったのかな。
夜がきて、人間になった私には、リューイは触れなくなった。
それは、ほんの少し淋しい気持ちがした。
でも、そうか。
リューイは猫の時の私の方が安心するのかもしれない。
「リューイ眠れないの?」
夜明け近くになっても、リューイの寝息が聞こえない。
私はリューイに向かって問いかけた。
返事がない。
「ね。今からメル達の所いかない?」
「…は!?何で、急にそんな…っ!」
大きな声がした。
やっぱり起きていたみたい。
ガバッと起き上がって、そのままの勢いで私の手首を掴む。
勢いあまって、ベッドに押し倒された。
「…母上から何か言われて…?それとも、もう出ていく…とか」
質問のような、独り言のような言葉だった。
でも、真剣な目だった。
「メル達になら、話せるでしょ?」
「…え?」
「辛い事、人間には話せないけど、動物には話せるでしょ?」
私を掴むリューイの手が、微かに震えている。
「リューイ、元気ない」
リューイは何も喋らない。
夜が怖いのかな?
私も昔あった。
どうしてか、どうしようもなく怖い夜がたまにあった。
そんな時はいつも、シャラが傍にいてくれた。
「大丈夫だよ、私もついてくから」
「…こんな夜に危険だ。お前に、もしもの事があったらどうすればいい」
「大丈夫。最初に会った日の夜も私は1人で森に行けたし、最近はずっと服も着てるし、お勉強もした」
「お勉強?」
「リューイが居ない時、人間について勉強した」
「…ますます人間の事を嫌いになっただろう」
うっすらと笑いながらリューイが言った。
「それは分からない。でも、好きになった人間もいる」
「え?」
「皇后様、カラ、仲間達、あとリューイも」
リューイが目を見開く。
「だから、大丈夫だよ。手を繋いでいってあげるから怖くないよ」
「…支度をする。外はもう寒いから、アリスも上着を着てくれ。フード付きのを」
「分かった」
何回も大丈夫、と言った。
リューイはやっと頷いた。
2人でそっと部屋を抜け出す。
リューイの家なのに、コソコソしなければならないなんて変な感じだ。
それはきっと、私が人猫だから。
人間か猫だったら、もっと堂々としていたのかもしれない。
リューイの手をギュッと握る。
少し歩いて、馬舎についた。
「馬で行こう。その方が早い。馬には乗ったことあるか?」
「人間の時はない」
「…私に掴まっていてくれ」
私を馬に乗せた後、リューイも馬に跨がった。
馬によろしくお願いします、と言ったけれど返事はなかった。
小さい頃は、人間の姿でも動物の皆の言葉が分かった。
今はもう、分からない。
ここにきて、急激に人間と猫との境目がハッキリしてきた。
猫の時に出来ていた事が、人間になると出来ない事が増えてきている。
逆もまたしかり。
もしかしたら、分化する時期なのだろうか。
今までは絶対に猫になる、って思っていたけれど、正直今は分からない。
人猫でいられたらいいけれど、人猫の雄なんてみたことないし。
でも、人猫の雄と交尾するのも嫌だな。
馬がスピードを上げた。
リューイにギュッとしがみつく。
昔、シャラの背中に乗って、空を飛んだことがあった。
あの時も背中にしがみついていたけれど、今日はちょっと違う。
そうか、体温か。
シャラと違って、リューイの背中は暖かいな、と思った。
「メル、私アリスだよ。分かる?」
保護区に着いて、メルの姿を見つけた。
人間の姿で会うのは初めてだ。
ドキドキしながら声を掛ける。
やはり、返事はなかった。
リューイは少し離れた所で、動物達の様子を見て回っている。
「やっぱり、メルと話せなくなるのは淋しいね」
メルは静かに立っていた。
「もし、人間になったらメルと話せなくなっちゃうね。でも猫になったらリューイ達と話せなくなっちゃう。だからこのままでいいかな、って思う時もあるんだよ。でもね、予想だけど、分化の時期がきているような気がするんだ。最近、猫と人間の境界がハッキリしてきて、猫の五感が人間の時と全然違うの」
メルに一方的に話していた。
リューイも、こんな風に動物達に話をしていたのだろうか。
「うん、でもやっぱり、猫になろうかな。動物の皆に嫌われたくないし。リューイもね、猫の時の私には触るけど、人間の時には全然触らないんだよ。だから猫の時の私の方が好きなんじゃないかな」
「そんな事はない…っ!」
いつの間にかリューイが後ろに立っていた。
全然気づかなかった。
やっぱり、人間の時には聴力と嗅覚が衰える。
では、勝っているものって何だろう。
リューイが私を抱きしめ、そしてそっと頬に触れた。
「私が、人間のアリスに触れないのは」
言いかけた所で陽光が差し込んだ。
瞬間に、私はリューイの腕からするりと抜けて、猫へと変化する。
着ていた服もパサリと落ちた。
リューイは口を閉じ、その場に立ち尽くしている。
「…さっきの話だけれどね」
リューイではなく、メルが口を開いた。
「これは、リューイから聞いた話じゃなくて、私の考えね。リューイはあなたに嫌われるのが怖いのよ。あなたが人間が嫌いって言ったから。あなただって、さっき言ったじゃない。人間になって動物に嫌われるのが怖いって」
「私と、同じ」
「そうよ」
「でも、じゃあ何で人間の時には触らないのかな」
「それはリューイに聞かないと分からないわ。でもね、アリスが人間であれ猫であれ、嫌いになるはずないじゃない。同じ生き物なんだもの。覚えておいてね。もしあなたが人間になっても、例え会話が出来なくなっても、私達はあなたの言葉が分かるんだから。沢山話して。あなたの話、ずっと聞くから」
「…私が人間になる、みたいに話さないで」
「じゃあ、もしもの時は合図を決めましょうか」
「合図?」
私の問い掛けに、メルが、微かに笑った気がした。