共和国とエメル
婚約してからはスピード婚だった。大会の受賞式は元々、出場者の怪我が治るまでは行わないという決まりだったらしく一週間後に行う予定だった。その場で僕とエレーナ嬢の婚約が発表され、一旦控室に戻って再び闘技場に上がると、模様替えした会場は結婚式会場に変わっていた。
まぁ、要するに嵌められたのである。エレーナ嬢は純白のドレスに身を包み、僕は銀色のタキシードに身を包んでいた。ナイロン繊維まで開発されたらしく、服飾の技術は前世地球に追いついたなと感嘆した。
そのまま結婚式を挙げ、数万人の観客が見守る中で僕たちの門出を祝われたのだった。僕らのネームバリューも素晴らしかったこともあって、王国中に結婚の話が轟いた。片やメイアール家の家督継承者の長女で、片や歴史上の黑い英雄様だ。噂にならない訳がない。
あの優勝者との決闘戦の後、国中の貴族達に情報が渡ったらしく(無線放送まであるらしい)、その情報を確かめるべく多数の貴族が観客席に居たというのだから驚きだ。
それから一か月ほど、毎日のようにメイアール家の本邸でパーティが開かれて、僕は知らな貴族達の見世物と化した。お陰で変な天恵もいっぱい覚えたよ。全く戦闘技術に関わりのない奴ばかりだったけどね。
それがこちらです。はい、どうぞご覧あれ!
■■■ステータス■■■■■■■■■■■■
名前:ゾクオーン=テンプラー
年齢:416歳 性別:男 種族:光竜
天恵:転族の神殿(天上の華:練度3/10)
光輝の光(練度10/10)
状態:健康
加護:豊穣の手9、剣豪の風10、渇望の本7
妙薬の器10、暗殺の帳10、狩人の棘9
至高の舌7、悪戯の口6、大海の波6
甲羅の盾9、暴威の腕9、頑健の腸9
閃光の足9、顕微の指10、天翼の空10
多頭の眼10、地獄の耳2、万花の鼻1
不動の意3
特殊:鑑定、収納、観察、念話、遠見
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目新しいのは【地獄の耳】、【万花の鼻】、【天上の華】、【不動の意】だろうか。それぞれ耳が良くなったり鼻が良くなったり、見栄えが良くなったり、動揺しなくなったりする天恵らしい。何だか近づき難い空気になったりするらしく、最初の挨拶以外では殆どの人が僕に近付いてこなかった。あれかな、伝説上の人物がいるから遠くから眺めたいってヤツかもしれない。
とにかく疲れたもう。しばらくエレーナといちゃいちゃしたい。あ、エレーナは妊娠しました。ありがとうエレーナ、おめでとう僕。
◇◇
結婚して十年も過ぎた頃だろうか。子供が七人生まれて、子育て奮闘記の書籍が売れ出して、僕らの生活が赤裸々になっていた時に知らせが届いた。
「共和国が宣戦布告してきたね」
「ええ、そうよ。我がメイアール家も馳せ参じる事になったわ」
「じゃあ、以前に取り決めた通りにするけど、構わないね?」
「……正直、参戦出来ないのは悔しいけれど、子供を放って行けないわね」
「ま、吉報を待っててよ。子供達を頼んだよ」
「ええ、無事で帰ってこないと、承知しないから」
「それは怖いね」
優しく抱き合って口づけを交わすと、僕はメイアール家の兵を引き連れて共和国との国境線に出陣した。
国境は旧帝国から見て北西。王城から見て真北に位置する。国境が東西に広がっており、深い森と深山幽谷に挟まれて、人類が進める場所は国境線が張ってある草原地帯しかない。なので国境付近の要塞も草原地帯に位置している。僕らは要塞で防衛線に従事する事となった。
各家が集まる中にあってメイアール公爵家の軍は目立つ。引き連れて来た兵数は一万と少なめだが、その一人一人は僕が十年かけて鍛え上げて来た。精鋭中の精鋭である千人に至っては個別に王城付近のダンジョンに潜らせて最下層まで到達させた。一人一人が天恵を二つ持つ強者である。
因みにあのダンジョンの最下層ボーナスは、到達者によって報酬が異なるらしい。僕の場合は天恵【光輝の光】だったけれど、人によっては【灼熱の手】だったり【魅惑の眼】だったりする。その際、随分と天恵神殿の研究者にはお世話になった。全部が全部知ってる訳じゃないからね。
彼らにはそれぞれ九人の部下を持たせ、それぞれ小隊を持たせて、軍の形を整理した。流石に天恵二つ持ちには敵わないらしく、強者が一人いるだけで小隊戦闘力は随分と変わる。僕との模擬戦が日に日に楽しくなっていくのだから、配下たちに戦闘狂呼ばわりもされるはずだよね。
そんな化け物集団が放つ威圧感は凄まじく、他家の兵士体からは随分と遠目に見られていた。意気込むのは良いけど入れ込み過ぎるのは良くないなぁ。居並ぶメイアール家の配下たちを整列させると、僕はその前に箱を置いて乗った。
「ハイ注目! 全員リラックスだ。肩の力を抜くと言い。今から殺し合いが始まるんだ。そんなに固まってたら、直ぐに死ぬぞ。お前らの姫は何と言っていたか忘れたのか。エレーナが何といっていたのか、もう忘れたのか」
「生きて帰って来いと厳命されました!!!」
兵士の一人が叫ぶ。その通りだ。
「そうだ!一万人全員が生きて帰る。それが最低目標だ。敵の首なんて引き潰してやれ。お前らの最大の評価は生きて帰る事だ。指揮官の首なんて微塵切りにしてやれ。お前らの最大目標は生きて帰る事だ。居並ぶ敵兵など踏みつぶしてやれ。お前らの栄誉は生きて帰る事だ。どうだ、解ったか!!」
「「「「「「「「「「「「サー、イエス、サー!」」」」」」」」」」」」
「その調子だ、楽に行こう。力を抜いてな」
リラックスは大事だ。攻めも受けも脱力していないと上手に出来ない。上手に出来ないって事は死にやすいって事だ。生き残る為にはリラックスが重要だ。
◇◇
メイアール公爵軍が士気を上げている間、共和国軍との開戦が近付いてきていた。広い草原にポツンと建てられた要塞が左右に壁を伸ばして佇んでいる。僕らはその前に立ち、共和国軍と前線で戦う。故に、装備は大盾と短槍だ。スパルタ形式で行こう。守って突いて、守って突いてだ。
戦列を象ると暫くしてから要塞の角笛が鳴った。共和国軍が戦列を保ったまま突撃してきたらしい。トランプルが地面を揺らし、万の声が空気を揺らす。これはすさまじい圧力だね。暗殺者との戦いとは違った意味で圧迫感がある。
「全員、構え!」
「「「「「「「「「「ほぅ!!!」」」」」」」」」」
大盾を地面に突き刺し対ショック姿勢を取る。こうする事で突っ込んでくる自動車も耐えられる。
「全員、叫べ!」
「「「「「「「「「「ほぅ!!!」」」」」」」」」」
直後、共和国軍の戦列が僕らを押しつぶして後方に引き摺らせた。だが、それだけだ。僅か二メートル程後方に引き摺った後で、その勢いは完全に停止した。いける。
「押せぇ!!!!」
ごぅっ、と大盾が地面から抜き放たれ、一万人のシールドバッシュが前方に向かって暴発した。共和国軍の敵兵最前列が上空を舞い飛ぶ。流石、一万人全員を【暴威の腕】で揃えただけはあるぜ!しかも全員が第八位階以上だ。
「挽き潰せぇ!!!」
僕の掛け声が周囲に轟くと、一万人が短槍を突き出した。二歩、三歩と敵兵を刺し殺して進むと、直ぐに敵の勢いが戻ってくる。
「構えぇ!!!!」
「「「「「「「「「「ほぅ!!!」」」」」」」」」」
ドズンと地面を揺らしながら一万人が大盾を地面に固定する。
「払え!!!!」
「「「「「「「「「「ほぅ!!!」」」」」」」」」」
大盾が一斉に払われてシールドバッシュの効果が発揮する。また共和国軍の兵士た舞い飛ぶと、二歩三歩と短槍で死骸の山を作り出した。後はこの繰り返しだ。どれだけ敵兵が居ようと関係ない。崩れなければ負けない。この世界における物量戦はそういう戦いだ。
◇◇
共和国の第一波は全滅し、メイアール家の損害は皆無だった。ただ、メイアール公爵軍だけで要塞線の全てを防備できるはずもなく、他家の軍は幾つか壊滅的な被害も出たらしい。
共和国は土地が広い為に人口も多い。ただ、四百年前は技術力が低くて人口も少なかったせいか、帝国のように攻め入ってくる事も無かった。時期尚早だった訳だね。
だが今は違う。技術も人口も戦力も物資も、あらゆるものが共和国に揃った上で王国に勝てると踏んだのだろう。この戦争の口火を切るだけのものが相手国には有ると言う事だ。まぁ、最もメイアール公爵軍の戦力は予想外だったようだが。
作戦本部がある要塞に行くと、他家からは褒められまくった。損害軽微どころか損害皆無だものな。それだけじゃなく、敵軍は最も戦力を集中していたにも関わらず全滅判定が下されるほどの死者を出している。ざっと数えただけで十万は居たそうだよ。凄いね、メイアール公爵軍。その敵を蹴散らしたのだから、仲間から褒めちぎられるのも納得だ。反対に憎しみの眼を込めて睨んでくる別派閥の貴族諸侯も居るけれど、その辺は無視だ。政治はエレーナとエレーナの兄弟姉妹にお任せである。
さて、作戦本部は先の戦闘で十万人以上の戦力を削れた事から、敵の補給基地である街を攻め落とす判断を下した。その先兵が我らメイアール公爵軍である。だが、ちょ、待てよ、オイという話である。
「済まないがウチの兵たちは攻城戦の用意をしていない。依って彼らには街を包囲してもらい、攻め込むのは僕一人でやらせてもらおう。それでも構わないかな」
「隊長!?そりゃ無理ですって!!死にに行くつもりですか」
副官にしている元探索者の彼が呻る。いや、あの程度じゃ死ねないし死なないよ。
「あはは、大丈夫。あの程度なら百万来たって死なないから」
「おっ、おう…相変わらずの化け物だな」
「まぁね」
こうして反転攻勢が本決まりとなり、明朝の日が昇る前に出兵が決まった。まぁ、僕は先に街の方に攻め込むけどね。
◇◇
暗殺者の真似事をするのは久しぶりだ。空から敵補給拠点の街に侵入し、キーマンとなる者達を始末していく。地面スレスレの空中を闊歩し、音も匂いも気配さえも消し、順に建物の中を無人に変えていった。
いや、ヒトだけじゃない。モノも全て回収し、敵拠点の内部を空っぽにしていく。何も残さない。まるでホラーのように、全てを収納へと収めていった。
明け方、外部の人間が迎えに来るまで続き、街中で待機している敵兵たちは、出兵の命令がいつ出て来るのかとヤキモキしている。そんな中、見張りの兵が慌てて伝令を走らせた。メイアール公爵軍が打って出たのだ。街を囲むように現れ、そして監視の弓兵の攻撃を盾で防ぎ続けている。
僕はそれを聞き、若干焦りながら外壁内部にある開門装置を制圧していた。制御装置を操作し外壁門を開く。重苦しい音が外壁内にも響き渡り、微かに歓声と怒号が聞こえ始めた。確認の為に外壁内部に現れる敵兵を蹴散らし、収納し、制御装置を破壊してから退出した。これで離れても門を閉められる事は無いだろう。
その後、すんなりと街を制圧する事に成功した。余りに抵抗の少ない敵兵を訝しみながらもメイアール公爵軍は戦勝の喜びに勝ち鬨の声を上げたのだった。
◇◇
「認められるか!メイアール家は共和国軍と通じていたに違いない!でなければ、アレほどまで簡単にバルクルスの街が落ちる訳がない!」
「どう言われようとも落としたのはメイアール公爵軍であり、その第一の功績は内部に侵入して扉を開け、要人を全て暗殺せしめたゾクオーン殿のものである。総指揮官たる私の決定が不服とするならば、即刻城に赴き陛下に申し立てするが良い」
敵対派閥の公爵と、総指揮官である第一王子殿下が口論を繰り広げている。その場に居合わせている各軍団長は僕を含めて白けた顔だ。
「それでしたら、次の侵攻作戦はパルクール公爵閣下にお任せしては如何でしょう。我々メイアール公爵軍も後方支援に当たりますので、もし仮に、万が一、無いとは思いますが、パルクール公爵軍が敵の防衛隊に惨敗するような事があれば参戦させていただきます」
「ふむ、まぁ、良いだろう。皆のもの聞いたな。ゾクオーン殿の案で行く。ブラッシュ=パルクール公爵、それで良いな。精々、手柄を立てられるように勝利へ邁進せよ」
「御命令、承知いたしました。ぽっと出のメイアール公爵軍など不要である事を証明して見せましょう」
この人、有能なんだろうけれど、一言余計なんだよなぁ。第一王子殿下(三十九歳)を険しい顔にさせてどうするんだか。
◇◇
結論から言おう。パルクール公爵軍は撤退した。なんからの魔導具を使って空から街に侵入しようとしたらしいのだが、悉く対空砲火に晒されて飛び上がった兵士は高価な魔導具ごと外壁の外に落ちたらしい。しかも、敵と味方の衆人環視の中で。
代わりの策とばかりに遠距離砲撃で外壁上の敵軍を牽制しつつ梯子を掛けて登ろうとしたのだが、それらも失敗。そもそも、この街には前回の街よりも大量の敵兵が居る上に、智将で有名な軍師が居るらしいので、この程度の浅知恵では何の効果も無かったようだ。
すごすごと逃げ帰って来たブラッシュ=パルクール公爵は現在、僕の対面の席で赤い顔をしながら僕を睨んでいる。
「それでは、ゾクオーン=メイアールよ。出陣してまいれ」
「はっ、それでは行って参ります」
「……くっ」
くっ、じゃないんだよなぁ。アンタはまず負傷兵の事を気にして欲しいよ。奇策が通じなかった時点で戻るべきだろうに。余計な損害を出してるから、第一王子殿下に怒られるんだよ。それで僕に恨みをぶつけても意味が無いだろうに。
命令を受け取った僕は速やかに群を展開し、収納から鋼鉄製の長弓を取り出した。長さ五メートル、台の上に立って放たなければならない程の大きな弓だ。しかも弦が硬い。十人張りを優に超す硬さで、常人ではまず弓を引けない。
だが、これを持つのは【暴威の腕】第九位階の僕だ。ぎりりと音を立てながら太さ三センチ、長さ三メートル、鏃に爆発物を取り付けた、自作の特性爆裂矢を力強く引いた。
バァン!と弓?と疑問に思う音を発しながら、特大の矢が飛んで行き、木と鉄で出来た外壁門に数秒後到達する。矢が刺さり、木材を抉ると同時に轟音を上げながら閃光を放ち、鉄材を溶かしながら大爆発を起こした。
おぉ…流石、前世地球でも使われたテルミット反応弾。いわゆる焼夷弾だ。二千度を超える高熱と光を発しながら、鉄材を溶かし、木材を木っ端みじんに消し飛ばして大扉の中心に大穴を開けている。
「続けて撃つ。突撃の用意をしたまま待機だ!」
「「「「はっ」」」」
二発目、三発目と続けて撃つと、中心と蝶番が見える当たりの鉄材が消えて無くなると同時に、大扉は門の内側へと倒れ始めた。
「突撃する!僕に続け!!」
「「「「「「「「「「ほぅ!!!」」」」」」」」」」
いつもの怒号で部下たちが返事を返す。ほんとスパルタ族だよね、君ら。一万人のトランプルは大地を揺らし、第一王子殿下から借りた先頭の戦車が走る。まるでペルシア軍の重戦車をスパルタが追いかけているかのようだ。いや、一番先頭に居るのは僕だけど。まるで馬に追い立てられている兎のように。
重武装した四頭立ての馬引き戦車は、後方に乗っている弓兵と槍兵が敵に見えてくる不思議さがある。僕、嫌われてないよね?
一番後ろに続く、約一万人の配下たちはタワーシールドを担ぎながらも、凄まじい勢いで弓を弾いて追い縋ってくる。これ、上から射かけて来る敵兵より怖いんだけど。後ろを向くとそんな楽しい景色が拝めた。
◇◇
一言で言えばゴリ押し。【暴威の腕】第七位階以上の敵兵一万人以上に加え、僕という化け物が一匹加わった事で、あらゆる策を食い破って共和国軍の智将を打ち破る事に成功した。最早、「智将?居たっけ?」というレベルで可哀そうなくらいだ。
その内、精鋭の中の精鋭と呼ばれる一千人の小隊長たちは、二つの天恵を持っている。中でも【甲羅の盾】と合わせて所持している兵士は縦横無尽に敵軍を駆けまわり、連れまわされる部下がちょっとだけ悲惨だった模様。特殊部隊でも作ったほうが、安定運用するかもしれない。
そんなこんなで作戦本部に戻ると、ブラッシュ=パルクール公爵は既に国王陛下に呼び出されて帰国したらしかった。逃げるように帰って行ったらしい。ざまぁ、とはこういう事か。
◇◇
その後、順調に逆侵攻作戦は続き、有名無名な敵将たちを破り、共和国軍は滅んだ。何度か降伏勧告もしたのだけれど、国王陛下が諦めなかったらしい。最後の最期というところで、僕たちが王城に到達する前に国王たちは王城から脱出し、現在は行方が知れていない。残った場所から察するに、共和国で最も高い山がある、休火山の施設に逃げ込んだと思われたと第一王子殿下が会議で発言していた。
僕らは王城を最後に攻略したため、周囲の街を打ち破ってきたのだが、その一つ一つで激しい抵抗にあった。調略にも屈さず、最後の最後まで各将軍たちや町を納める貴族達は戦っていたのだ。
「流石におかしい。この国のやり方に心酔している者ばかりとは思えない。何故、最後まで抵抗を続けて来たのか、その動機や目的が不気味だ」
「しかし殿下、僕らは勝ちました。姿勢の民には特段、おかしな様子はありませんし、貴族達だけが洗脳でもされていたのではありませんか」
「ゾクオーン殿が言う通りかもしれないが、王城の内部で妙なものを見つけておる」
「妙な物、ですか」
騒めく作戦会議室のテーブルに王子殿下が何かの紙束を拡げた。
「ここに書かれている事が真実ならば、この戦は大いなる贄だと、そう書かれているのだ。ゾクオーン殿、貴殿は様々な知識に精通していると聞くが、これに心当たりは有るか?」
「…拝見させていただきます」
様々な知識というのは前世の科学知識なのだけれど、その点は妻のエレーナにも黙っている。今ある技術というのは魔法陣を用いた魔導具の技術によって齎されたものだけれど、基本的な考え方は科学と変わらないから、僕の科学知識と、世間一般の魔導知識はとても似通っているのだ。だからこうして勘違いされやすいのだが、魔導知識に関して僕はど素人なんだよね。期待されても困る。
「これは…」
「なにか、解るのか」
五芒星の端に書かれた名詞は、これまで僕らが制圧してきた街の名前だ。その中心点は王城ではなく、休火山の名が書かれている。というか王城自体も五芒星の中に書かれた一つの要素に過ぎないらしい。中心に贄を食らう、エネルギーを食らう何か、それが居るとしたらどうだろうか。とんでもないものが出てくる気がして、何やら寒気を覚えた。
「…休火山には何が眠っているのですか。まるでそこに居る何者かに命を注ぎ込むかのように見えます」
「やはり、貴殿もそう思うか。なんだと思う。ああ、私も休火山の事は良く解っておらぬぞ。もちろん魔導士達も同様の意見だった」
「であれば、急ぎ確認に向かうべきかと思います。逃げ出した王が自ら向かったという事も、ほぼ確実に関わっているでしょうし、何より胸騒ぎがしてなりません」
「軍を向かわせるべきか。どう思う」
この人は本当に僕を重用してくれているのだけれど、こればかりは行ってみないと判らない。何が出て来るのかサッパリだ。そう伝えると第一王子殿下は軍を向かわせるよう、僕に命令した。
「いえ、まずは僕が一人で向かいます。正直なところ、全力で戦うのであればメイアール公爵軍でも邪魔にしかなりません」
「そ、それほどか貴殿は。ふむ、………あい、解った。エレーナ殿に頼まれた手前、単独で向かわせるわけにはいかぬ。信頼できる偵察兵だけ連れて行ってくれぬか。私はエレーナ殿に斬られたくないのでな」
「心配性な妻が御迷惑をおかけします」
「ふっ、斯様に愛されるとなかなか大変だな貴殿も」
普段の様子を知られているので、僕は照れながら出発した。同行を許したのは二人。精鋭兵の中から【閃光の足】を高位階で修めている小隊長だけだ。それ以外は邪魔になると正直に伝えて休火山へと出発したのだった。
◇◇
休火山とは要するにマグマが尽きてはいないけれど、時間経過で火山活動を再開するような山である。この部分が死火山とは違う。共和国内はこうした火山の被害が度々あるらしく、地質調査の技術が他国よりも秀でているらしい。打音調査や掘削調査で地下空洞確認や採取を行い、国内の地盤は全て把握されているらしい。この国だけ地震が多いのも、大陸プレートが重なっているからなんだそうな。王国はこう言うところを見習うべきだね。
そんな地震大国にある休火山は既に三百年近いお休みを頂いているらしく、いつ噴火してもおかしくないらしい。共和国の王が逃げた施設も、それらを調べるための場所なんだそうだ。
半日ほど【閃光の足】持ちの二人のペースに合わせて走ると、休火山の麓にある施設に辿り着いた。コンクリによく似た外壁の建物で、耐震性は低そうだ。ひびが入って苔が生えてるし、そこそこ年代物なのかもしれない。
侵入口の確認をしている部下二人を余所に、僕は巨峰を見上げた。見事な冠雪の休火山だ。
「将軍閣下、地下への入り口がありました。どうやら山の方へ続いているようです。恐らくですが、地下施設の方が本拠地で、地上の施設は見せかけのように思われます」
「やっぱりだったね。あの魔法陣の中心地点なんだから、ただの施設である訳がない」
「内部は明かりが点灯したままです。施設から魔線を引いているのでしょう」
「そのままで良いよ。一人はこの場で待機。もう一人は全速力で報告に戻る事」
「「はっ」」
報告に走った部下を見送ると、使節内部に残る部下と別れて僕は地下へと潜った。何だか重要な局面になると地下に潜ってばかりじゃないか、と思わず溜息を吐いてしまった。
◇◇
地下に潜り、真っすぐな地下道を進んだ先は広い空洞が幾つかの部屋を成していた。随分と古いレンガの外壁が年代を感じさせる。もしかしたら共和国や王国が建国されるよりも前の物かもしれない。見た事の無い建築様式に不安を覚えながら、次々と部屋を暴いていく。どこもかしこも天井に張り付けられた魔力線を伝って明かりが灯されている。
ここ数日は人が居た形跡もある。それに一番豪華な部屋にはつい先ほどまで誰かが居たかのように温かいカップがコーヒー入りで置かれていた。カップは三つ。書類が幾つか散乱していた。随分と慌てていたらしい。しかし、ヒトの気配自体は感じなかった。
「神隠しにでもあったみたいじゃないか…」
思わず呟いてしまったが、誰も返事はしてくれない。閑散とした地下を早足で歩くと、一番奥に位置する部屋は大きな螺旋階段があった。まだ降りるのか。
螺旋階段は真っ直ぐ穴を掘ってから作ったのではなく、穴自体を階段状に掘っていった物だ。下を見ても次の階段しか見えない。
素早く降りる、降りる、降りる、降りる、降りる、………長いな。エレーナが横を歩いていたらブツクサと不満を言いそうな長さだ。
一千回も折り返しながら降りると、最下層には何処かの部屋へと続く扉の無い入り口に遭遇した。その入り口から漏れる赤い光は熱気を孕んでいた。まさか、マグマか。そう危ぶみつつ背を壁に付けてチラリと顔だけ出してみた。
当たりだ。巨大な空洞が地下深くまで続き、少し階段を降りた先には丸いステージがある。だが、入り口からずっと深くに見えるマグマから届く赤い光に照らされて、そのステージは
まるで宙に浮いているような見た目をしていた。
「入りたまえよ。吾輩の降臨を祝いに来たのだろう。そんな所に隠れていては満足に賛辞も述べられまい」
視界には入っていたが、幾人も倒れて壁となっていて見逃していた人物からお声が掛かった。黑い髪と背中に生える蝙蝠の羽根。まぁ、誰がどう見ても悪魔だ。耳の後ろからは下に渦を巻いて、先っぽが前を向く形で捩じれた角が特徴的だね。
「クオンだ。アンタは悪魔かな?」
「その通りだ。吾輩はエメルという。よろしく、クオン君」
エメルと名乗った悪魔は黒く長い髪を真ん中分けにして、サラサラと熱風に揺らしていた。まるで熱気など何も感じていないかのようだ。
「男性か女性か、生憎と悪魔の性別は存じ上げないのだけれど、エメルさんはどちらでもないのかな」
「そうか。吾輩のような存在を知っているとは面白い。既にこちらの世界では絶えて久しいと思っていたのだが…、ああ、そうだね。吾輩は女性であるよ。お望みとあれば男性になるがどうするかね」
「女性のままで構わないよ。エメルさん」
とても残念だといわんばかりに、エメルは苦笑いをしつつ首を振って笑う。ああ、悪役のそれがとても似合うね。悪魔らしいとすら感じる。
「これらの死体はエメルさんを呼ぶために使われたのかな」
「そのようだ。この程度の封印術をたった数十万の命で鍵を破ろうなどと、考えが浅いとしか思えないがね」
「エメルさんは封印されていたんだね」
「分かりやすい理由があるだろう」
「さて、悪魔に遭ったのは初めてだからなんとも言えないけどね。人々に好かれていたのに封印されたって感じじゃないのは、何となく解るよ。たとえそれが誤解であっても、封印した連中の動機は想像がつく」
「理解ある返事で助かるのである。それで、クオンは私をどうする。どうしたい。否、どうされたいのかな」
ゾクリと背筋が凍る笑顔を向けられた。口元は裂け、目を細めて壮絶に笑うエメルは、その眼光にとても暗いものを感じた。
キリキリと音を立てながらエメルの両手の黑い爪が伸びていく。アレが武器か。引っ掻かれたら痛いじゃ済まなさそうだ。
「戦うのなら是非も無いが、せめて理由は欲しいね。エメルが降りかかる火の粉であるならば剣を振るおう。そうでないのなら君とティータイムでも始めたい気分だ」
収納から椅子を出してステージ上に置くと、詰まらないとばかりにエメルは無表情になり左腕を素早く払った。咄嗟にしゃがみつつ横に飛ぶと、出した椅子が五分刻みで解体されてしまった。ああ、高い椅子なのに。
「ご挨拶だね、エメルさん」
「人間如きが、吾輩と杯を交わすだなんて。侮辱でしかない。その罪は死で購え」
どうしてこうなるのか、と内心で溜息を吐きつつ僕は剣を抜いて光を走らせた。
◇◇
所謂、悪魔というのは僕の転属候補にも挙がっていた気がするのだけれど、まさかこれほどまでに強いとは思わなかった。そんな風に感心していると、きっと同じことを思ったエメルも驚いた顔で目を見開いていた。僕も同じ顔をしているに違いない。
「これはこれは、面白い人間だ。まさかまさか、吾輩と五合以上も打ちあえる人間がいるとは驚きだ。賞賛、いや絶賛に値する!!!」
「お褒め頂きありがとうございます。とでも言えば良いのかなっ、と」
無駄口を叩いている間も攻防が続く。多数のフェイントと山を崩さんばかりの無数の斬撃が僕に襲い掛かってくるのだ。躱すだけでも精一杯、反撃は死力を尽くす必要がありますよね!
「その上、今この時においても成長を続けているのが一撃ごとに感じられる!クオン。君は本当に人間か?精霊か竜の類では無いだろうかな?どうかな?」
「ノーコメントと言っておこうかな」
「のーこめん?ああ、何か新しい種族?ではないかな?んふふ、面白いよクオン。君の力は面白い!!!」
前世地球の言葉が通じないのは悲しいが、この非常時にいちいち説明するのも面倒くさいよね。全く、ここにきてこんな戦いを繰り広げることになるなんて。最高に面白いじゃないか。
「僕も同感だよエメル。君は最高に面白い。もっとずっと戦っていたい気分だ」
「吾輩もだよ。気が合うのである、クオン!」
まるで運命の出会いを果たしたかのように恍惚の表情になったエメルと更に激しくぶつかり合う。凄まじいエネルギーの奔流が、僕とエメルの間で剣筋となってぶつかり合った。振動が大きなステージを走り、熱量が周囲のマグマ蒸気を消し飛ばす。天井のレリーフが少しずつ砕けていくと、次第に壁の岩模様も剥がれ始めた。
「もっとだ、もっとだクオン。吾輩と共に楽しむのである!」
更にテンションの上がったエメルが高笑いしつつ両手の爪で攻め掛かってくると、その斬撃が四方八方に飛び散っていった。もう全方位斬撃と言っていいくらいな自由奔放な攻撃は、次第次第に足元のステージすらも破壊していく。ゆっくりと足場が破壊され、数分もすればマグマの海の上で僕らは戦っていた。
既に足場は粉々に破壊され、マグマが少しずつせり上がってきている。数十メートルは下にあった筈のマグマが登ってきているのだ。
「ちょっと待て!何で、マグマが、登って、きて、いるんだい!?」
「あはははは!当然である。吾輩を封じていた楔が、同時に噴火を抑制していた楔でもあるのだから、火山活動を再開させるのは自明の理である!」
である、じゃないが。どんどんマグマが噴出する量が増えてきてスピードアップしてるんですけれど。このままだと飲み込まれるしかなくなる。いや、マグマに浸かっても多分死なないから僕は良いけどね!?光竜だし!
しかしながら、この旧火山が噴火して山体が崩れるような事態になるほどの破滅的な噴火規模だったら共和国の民は全員死ぬかもしれない。隣国である王国全土も多大な影響を受けるだろう。ど、どうしよう?
「ちょっと待ったエメル。この火山を鎮静化させる手はないのか?」
「待ったも参ったも無しである!どちらかが死ぬまで、噴火しようがどうなろうが終わりにはならぬのである!!もっと吾輩を楽しませてみよ!魔王エメロードの血を滾らせてみるのである!!!」
「アンタ、魔王かよ!!!」
どうりで無茶苦茶なくらい強いわけだよね!いや、それよりも噴火が。って同時に対処できるような規模じゃなさそうだし、まずはエメルだ。いや、エメルを火山に叩き込めば案外エネルギーが分散して治まらないかな。そのままエメルは火山の中に閉じ込められれば良いのだけれど。そんな手段があっただろうか。
無いな。そんな都合のいい手段は持ち合わせていない。この地に張り巡らされた封印陣は最早破壊されたと考えても良いだろうね。それも僕が即席で張り直せるようなモノじゃない。つまりはエメルを倒さない事には噴火も対処できない。自然と優先順位が決まってしまう。しかしそうすると、このマグマが地上で噴出して国家修了のお知らせだよ。
一番優先すべきは火山エネルギーの分散化、或いはゆっくりと噴火させるか、その方法は………ああ、大穴を開けて、ヒトの体から膿を出すかのようにマグマを流してやれば良いのか。そうと決まれば話は早い。盛大な一発を天にかましてやろうじゃないか。
防御し続けながら思考を巡らせていた僕は、エメルを【閃光の足】で蹴り上げて天井にめり込ませると、岩の隙間からエメルが這い出てくる時間を使って光竜へと変じた。
「クオン、そなた……!」
「悪いが続きは外でだ。ぶっ飛べ」
光のブレスを天に向かって放つと、山体を突き破ってエメルを大空へと放った。そして僕は背後のマグマに飲み込まれていった。
◇◇
ゴ〇ラの映画を見た記憶が僕にはある。大量のマグマの中から這い出てきて背中のヒレをビカビカと輝かせるあの姿だ。同じように崩壊した山のてっぺんから光る竜が姿を現すと、その角と翼が輝いて巨体を天へと跳ねさせた。突撃目標はエメルだ。
「ガウゥオオオオオオオオオオオ!!!!!」
「まさか聖竜だったとは驚きであるな!!はあぁ!!」
大きく広げたエメルの蝙蝠羽は巨大化を続け、折りたたまれて彼女の身を覆って守る。僕はその羽根に突進しながらブレスを吐いてやった。マグマが飛び出す轟音と、天で衝突するエネルギーの奔流が合わさると、二つのエネルギーが天地を揺るがした。自分でやっておいてなんだけれど、怪獣映画そのままだね。
「かっはははは!恐ろしい化け物になったなクオン!!吾輩の翅を焼くとは恐れ入った。ぐっぅぅう」
光が治まると穴だらけになった蝙蝠羽を広げてエメルが僕を睨む。その眼を睨み返すと僕は空を蹴りながら爪で斬撃を繰り出した。竜の姿でも格闘術は使えるんですよ。しかも光を纏った尻尾まであるので、実質五回連続で攻撃が可能だね。噛むのは止めで良い。
「ぐぅがぁあ!? なんという、なんという力であるか……、クオン、それほどの力を持ちながらどうして人間の側に立つ? どうして君臨せぬのだ。何故、力を持って支配しない。吾輩には理解できぬのである」
「安寧の中で生きるのは、混沌の中で生きることよりも苦しい戦いだと言う事だよ、エメル。全てを力で解決しようとする者には理解できないかもしれないけどね」
「………其方は元より竜ではないな? およそ竜族が持つ価値観ではないのである。吾輩のような悪魔とも違う。人間から竜に変じたか!」
「どうとでも見極めるが良いよ。僕は僕だ。人であろうと竜であろうと、その思いは変わらない。ただ人間の中で生きる一つの命に過ぎないって事だね」
「一つの…命か……ならば、同じ命を持つ者として生存競争に勝たねばならぬのである。吾輩こそが、この世界の王であると。塵芥共に知らしめて見せようぞ」
「否定はしないよ。魔王エメロード。さぁ、決着といこうか」
力を消耗させて翼を直したエメルは、見て判るほどに体力を失っている。さぁ、何を狙う?何を狙ってくる?周囲を利用してくるか。それとも僕の力を利用するか。観察していると遂にエメルは突進してきた。両手の爪は黒い光を放っている。まるで呪いのような斬撃が僕を襲うと、食らう瞬間に光竜の姿を解除した。
面食らったようなエメルの顔を目掛けて竜の体内から彼女に向かって空を蹴る。振り被った輝く剣は、脳天から股下まで一気に切り裂いていた。
◇◇
黑い塵を撒き散らせながらエメルが落ちていく。塵になり切らない肉体が溢れだすマグマに着水すると、そのまま飲み込まれていった。それを見届けた僕は空中で深く溜息を吐いた。何アレ。何であんなのを復活させたの。共和国の王と側近たちは馬鹿なの。世界を滅ぼしたいのかって言いたいよ。
「………帰ろ」
マグマは観測施設とは反対側に流れ出し、川を下って焼き尽くしながら海に流れ込んでいった。とめどなく流れるマグマは、海に触れると爆発するような水蒸気を作り、空に大きな噴煙を登らせていく。やがてそれが雲になると、河川の流れ着く先から黒い雨を降らせていった。それはとても黒く、そして泥のような雨だった。
火口から膿まで真っすぐ続くそれは、まるで生きているかのようにドロドロの黒い雨を降らせていく。僕はそれを空中から小一時間も眺め続けて、嫌な予感に胃を痛くしていた。
「まさかね」
ドロドロとした雨はやがて地に積もり、海に流れ出して一つの塊になる。そしてスライムのように膨れ上がって海の底へと落ちていった。まるで「自分の意思でそうしていたかのように」移動していたかに思えてならなかった。
「まさかねぇ……海の中までは追えないよ。嫌だよ、本当に」
紅く焼けた河を見ながら僕は呟くしかなかった。ああ、どうしよう。でも、手段がないわけじゃないから悩む。【魚蛙】に転属してしまえと囁く声が聞こえてくる気がした。
◇◇
僕が光竜の姿になって戦う様子は遠くから見られていたらしい。作戦本部では謎の竜と共に戦い、最後には僕が何者かを倒した事で此度の戦争は終わりを見た。まだマグマが流れ出しているけれど、元共和国の地質調査員たちを派遣して様子見をすることになった。あと数年したら噴出量が減り、観光資源になる可能性もあるとか言ってたね。川下の村も避難が終わっているので、民の被害は軽微だったという。
元共和国は全て王国の土地になったので、この地は第二王子殿下が治めていくことになったらしい。此度の戦勝を功績として、第一王子殿下は戴冠する事となった。現国王は六十を超えているので心配だっただけに一安心である。これで派閥争いも落ち着いてくれればいいのだけれどね。ついでにメイアール公爵家が筆頭を務める派閥が肥大化しているので、これを機に敵対派閥をぶっ潰すことになりそうだ。戦争中に大敗して逃げていったパルクール公爵は真っ先に標的になるだろう。政治はエレーナに任せるから、僕は陰から応援ですけどね。
そうして順調な生活を送って五年程経った頃だろうか。成人した息子や娘たちの激励をして送り出したりしていると、気になるニュースが僕の耳に入った。
「黒い海が襲ってきた、ね」
心当たりがあり過ぎる。エメルの残滓は海をさまよって怪物と化したのかもしれない。流石は魔王様と言っておいてやろう。どうしようかな。
被害は港町一つ分で、なんとフリンが眠っている筈の、あの港町である。古き良き港湾都市として栄えていたのだけれど、その全てを飲み込まれてしまったらしく、今となっては何も残ってはいない、という連絡が王家から入った。ついでに何とかしてくれと泣きつかれた。
「なんとかって、どうするつもりなのですか。あなた」
「どうしようね。消し飛ばせるものなら消し飛ばしたいけど。ひとかけらでも残ってたら再生出来てしまうというのなら、封印が一番いいのだろうね」
「どうやって、封印するのですか、お父様」
「皆目、見当がつかないねぇ」
エレーナの補佐をしている末の娘が僕を見上げて聞いて来る。あ、一応、血は繋がってますよ。僕は光竜であると同時に人間の変身体でもあるので、子も残せます。ドラゴンの体でも残せるかどうかは知らない。というか他にドラゴンなんて見た事ないし、試したいとも思わない。
「あなた、旧共和国の国土封印魔導陣は使えないのですか」
「あれは贄と火山のエネルギーを利用するものだったらしいから、気軽に使えるものじゃないよ。使い方は調べ尽くされたけど、おいそれと手を出して良いものじゃないね。やるなら僕が負けて死んでからにして欲しいよ」
「縁起でもない事を仰らないで頂戴な」
「ごめん」
両親の「夫婦の遣り取り」を見て娘がクスクス笑っている。見世物じゃありませんよ。それよりエメルの奴をどうしてくれようか。そっちを考えよう。
◇◇
エメルスライムと名付けられた怪物は、現在も港湾都市を覆い尽くしたまま移動していないという。体の一部が海に浸かっているので、其処から栄養を取っているのではないかと言われているが、詳しい生態は判明していない。その間に僕は王城の禁書庫を開放してもらって、封印方法や討伐方法の参考になるものを探す日々を送っていた。こういう時は天恵【渇望の本】が大活躍だね。
エメルスライムが現れてから一週間が経過した頃、僕は禁書庫から得た封印方法について新たな国王陛下と内密の話をしていた。方法は見つかったが、とても正気とは言えない内容だからだ。
「つまり、火山を使って封印されていた様に、その場の力を流用して封印する為にダンジョンを使用したいという事か?」
「はい。ダンジョンの持つエネルギーで封印し、エメルスライムの力を分散させ、探索者たちの手で分散した力の結晶、つまりボスモンスターを倒させます。ダンジョンには元々そういった仕組みがあるのですが、何故か現在のダンジョンにはその仕組みに則ってボスが配置されていません」
「それを利用してしまえば、あの巨大な怪物を小さくして倒してしまえると? その根拠は何処から出てきたのだ」
「これです。古文書にダンジョンの仕組みを解明した内容が記載されています。これを記した賢者は人生を賭してダンジョンの謎を解き明かしたようですね。筆者に感謝を捧げたいくらいです」
「なるほど…可能なのか」
「可能です」
直ぐに許可が下りて、僕は飲み込まれた港湾都市を中心として、超巨大な捕獲魔導具を作ってもらった。エメルスライムは体が青く透き通っている為、核となる部分が丸見えだ。これを僕が取り出して、捕獲魔導具で捕える。後はそれを持ってダンジョンに向かい。最下層のシステム、つまり祭壇でダンジョンの仕組みを変更するように設定を行い、エメルスライムをダンジョンボスとさせて設置してしまえば良い。
事前にダンジョンの仕組みを変更可能かどうかは確認済みなので、準備は抜かりない。どうやら以前に踏破した事が者なら誰でも設定可能らしい。と言っても一時設定に過ぎないので、定期的に確認しておかないと誰とも知らない踏破者がエメルスライムを介抱してしまいかねない。
「という訳で、僕らの出番だよ。メイアール公爵軍総出でエメルスライム討伐を駆逐しようじゃないか。出現場所はランダムだ。最後の一体まで倒しつくそう」
「「「「「「「「「「ほぅっ!」」」」」」」」」」
それから一か月間、ダンジョンは閉鎖された。どうしてエメルスライムが現れたのか、本当に魔王エメロードの成れ果てなのか、同じような個体が再度現れないのか、等々の疑問は尽きないが、現時点の最良の策だと思って、僕らはダンジョンのエメルスライムを駆逐し尽くした。
◇◇
最期の子供が成人式を迎えて家から巣立っていく。それをエレーナとともに見送った僕らは、執事たちと一緒にリビングに戻った。エレーナも今や素敵なおばさまである。齢四十を超えた。最後に産んだ十人目は二十代後半だったものなぁ。年を取る訳だ。
「貴方だけ年を取らないのは理不尽ですわね」
「これでも四百歳越えなんだけどねぇ」
「ま、伝説の英雄様で、伝説の聖竜様ですものね。仕方がありませんか」
「あれ?その事、話したっけ」
「あの時、施設に残っていた部下が居たのでしょう。こっそり報告を受けましたよ。他言無用にするように口止めしておきましたが、言わずとも感付いている部下は多いのではなくて?」
「あぁ~」
言われてみれば、妙な視線を感じる時はあるなぁと思った。僕も結構、脇が甘いらしい。知られたからなんだという話ではあるのだけれど、子供たちが竜の血族だと騒がれるのはちょっとねぇ。
「私や子供達に特に影響はないようですし、貴方が竜でも構いませんけれどね」
「はは、いや、ごめんね。言ってなくて」
「良いのですよ。沢山の人々を救ってこられたのでしょう。だから、貴方が謝る事ではありませんわ。あなたの長い生涯で、私と子供たちがあなたの傍に居られるというだけで、凄く嬉しいのですから。まぁ、孫の孫世代まで見ることが出来ないのは、ちょっとだけ嫉妬しますけれどね?」
「代わりにっ守っていくと誓うよ」
「ええ、遠くからでも構いません。見守ってあげてくださいな」
エレーナはダンジョン最下層には到達した事が無い。そうじゃなくても、精鋭たちの中の誰一人も天恵【光輝の光】を受け取った者は居ない。恐らく、この天恵が無いと光竜には種族が変化できないし、更に言うと大本の要因である【転族の神殿】も誰一人として取得できていない。
この世界に生まれ変わった時、僕は何者かの声を聞いた。あの存在が僕にこんな天恵を与えたのならば、もしかするとエレーナも…。何て事も考えた時もある。でもそれじゃ、人生を楽しめないだろう。人は死ぬ時まで一生懸命に生きるからこそ、人生が輝くのだと思うね。ありふれた答えかもしれないが、何よりも真実に近い答えだと思う。それに、強制的に転属させられたお陰でエレーナと結婚するに至ったのだから、感謝こそすれ恨んでも憎んでもいない。
また転族してしまう時もあるだろう。その時はまた、誰かと出会い、誰かと共に生きて行こう。どれだけ強くなろうとも、この変わらない思いだけ大切にしていれば、僕はきっとずっと生きて行けるだろう。
◇◇
【お気の毒ですが転族しました】
いやぁ、だからってスライムは無いんじゃないかな。粘体って項目が入ってたのは知ってるけどさぁ。魔王エメロードもこんな気分だったのかな。でもやっぱり人間の方が、って収納どこ行った?収納!?収納さぁぁぁん!
了