王狼討ち
天恵を得た人間とそうで無い人間。つまり八歳の誕生日を迎えた人間と、それ未満の人間では大きく身体能力が異なる。それは体力だったり器用さだったり、何よりも今現在の自分の能力を知っているか否か、これが最も大きい。
「シッ」と息を吐き出しながら木刀を叩きつけると、野犬が悲鳴を上げながら転がっていく。片手に松明を持ちながら木刀を振り回す。これが如何に無謀な事かと思うだろうが、僕の天恵の場合は有利に働く。
夜の間も走り続けていると、野犬の群れに襲われた。その数は八頭。人間と同じで親世代と子世代が集い暮らしているようだ。一匹が後方で動かない。多分アレが司令塔だろう。木刀を振り回して周囲の野犬を牽制しつつ倒し、素早く司令塔役の犬に木刀で殴りかかると、驚きつつも躱された。それで不利と悟ったのだろう。奴は配下の群れを引き連れて逃げて行った。残ったのは二匹の倒れ伏した野犬。今日はご馳走だ。
僕が貰った天恵は狩りが上手くなるものではない。というより、これ一つだけというものではなかった。天恵の名は【転族の神殿】。種族を変更できるというものだ。職業じゃなくて種族? と最初は困惑したものだが、ステータス表示にはこのように表れている。
■■■ステータス■■■■■■■■■■■■
名前:ゾクオーン=テンプラー
年齢:8歳 性別:男 種族:人間
天恵:転族の神殿(狩人の棘:練度1/10)
状態:健康
加護:豊穣の手3、剣豪の風3、渇望の本4
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
どうやら僕は複数の天恵を切り替えて鍛えることが出来るらしい。但し、それには人間種限定のという制限が付く。種族を切り替える候補は以下のようだ。
・人間(変更しない)
・魔獣 / 龍竜 / 精霊 / 魚蛙 / 粘体
真面な選択肢がない。というか粘体って、変更したら戻れるか心配なだけに絶対に選びたくない。一生スライミーな生活なんて御免だ。
もし、他の種族でも複数の天恵を選べるのだとしたら、それはすさまじい事になるのではないか。そういう期待感と、バレたらどんな目に遭うか分からないという、言い知れない恐怖感に襲われる。このステータス画面を見る度に考え込んでしまいそうになるのだ。
それは兎も角として、加護に関しては過去に鍛えた内容が反映されていると考えれば良いのだろう。つまり、天恵を切り替えなくとも、一度加護を得た天恵に関しては以降も加護の形で効果を発揮すると考えて良さそうだ。実際に狩人の棘と剣豪の風が同時に発揮していた感覚はあった。
僕は八歳の誕生日にこれを知ってワクワクした。一体どこまで僕は強くなるのだろうと、一体どんなことが出来るようになるのだろうと。野犬の群れを棒切れ一本で追い払い、あまつさえ二匹を倒して食う事すら可能としている。何という事だろう。大人になった時の自分が楽しみで仕方ない。犬肉を食みながら山中の夜闇で煌々と輝く焚火を睨む僕は、自然と頬が上がるのを自覚していた。
◇◇
技術的な面は別として、この世界は割と文明的だ。前世の知識基準には達していないが法治国家が存在し、昭和時代の日本に近い文化もある。本屋に並ぶ書籍は漫画もあるし小説もある。好きにモノが書ける時代というのは嬉しい。
世間一般では都市から外れた村だというのに、食料は店先に並ぶほどにある。果物、肉、野菜、養殖だろうか、魚まである。辿り着いた村の大通りには店先にある服を体に当てて、鏡を見てにこやかに笑う母娘が居た。雑貨を売る店には父親と祖父だけが着ていた和服っぽい衣装の男が数人で品定めしている。かと思えば、量販店だろうか、瓶に詰められた酒をいっぱいに入れた木製の箱を肩に担ぐ男が出て来る。店員が頭を下げて礼を言っているので、あの男は買い出しの使用人か何かだろう。そういえば、祖父母の屋敷には数人の使用人が居た事を思い出した。
ごく当たり前の風景の筈なのに、こうしてみていると全く違う国に来たかのように感じてしまう。これは前世の僕ではなく、今世のゾクオーン=テンプラーとしての気持ちだろうか。見ていてワクワクするのは子供心に踊り出したい気持ちなのだろう。そういえばまだ八歳だったと、自嘲してしまう。
僕が向かうのは狩人組合だ。残念ながらこの世界に牧畜は囲いの中でしか存在しない。だから、大きな肉塊が店先に並んでいたならば、それらを供したのは全てが狩人だ。僕の実家の集落にも数人が居たが、全て農協のような所に卸されて各家庭が買っていた。子供に人気の天恵かと言えばそうでもない。祖父の命令で、基本的に狩人は子供に接する事を禁じられていたからだ。僕も五歳くらいまで、彼らの存在すら知らなかったほどだ。
その狩人に僕は成りに行く。これから一、二年程だけ、狩人として村で生計を立てて行こうと思っている。その為の手土産は既に腰に下げている。昨夜の野犬の肉を持って狩りが出来ることの証明としよう。
◇◇
無事に狩人としての腕を認められた僕は、特にテンプレ展開が始まる事もなく狩人になることが出来た。名前だけ登録し、顔写真を撮影され組合に登録された。登録外の人間が獲物を下ろすことが出来ないようになっているのだ。一般家庭に流れて行く肉なので、悪くなっていたり、何の肉だか良く解らない者を市場に流すわけにはいかない。売り手の証明の為の登録でもあるらしい。何か作物の生産者を明確にするアレと同じだなと妙に納得してしまった。
組合で手に入れたドッグタグのような物を首から下げて宿を探す。月単位で長期利用するなら、何処其処が良いという情報も組合で手に入った。あとは狩って狩って狩りまくるだけだ。それが許されるのかというと許されるのだ。
野犬を始めとした魔獣と呼ばれる連中は、とにかく繁殖力が高い。周囲に生存競争相手となる同種が居ないと、爆発的に子を産み育て始めるらしい。普段は数匹しか生まないのに、競争相手が居ないと通常と比べて十倍近い子を引き連れている事など、良くあるらしい。
程なくして宿を見つけ、三か月ごとに更新料を払う事で話を付けることが出来た。宿に訪れた八歳児は妙な存在だったのだろう。怪訝な顔をした宿の店主に組合のドックタグを見せれば身分証明にもなって信用してもらえる。便利だ。
早速とばかりに狩りに行き、野犬を二匹だけ両肩に担いで儲けを得た。二匹丸ごとで一万六千ゼン。宿三か月の前金がお小遣いを溜めて作った内から九万ゼンで支払っている。案外、生活そのものは余裕そうだ。鍛錬に時間を費やすのも現実的だろうと、今後の計画を立て直すのだった。
◇◇
朝早くに宿から出て狩りに出かける。この村にいる間に狩人の仕事を極めてしまいたい。十歳でこの村を出発できるように心掛けよう。そう思いながら矢を取り出し素早く放つ。今度は野犬ではなく鹿だ。これも一応、魔獣の仲間である。因みに魔獣と動物に境は無い。魔力を持ってそうな動物が全て魔獣と呼ばれているだけであるし、何なら知ってる動物は全て何らかの魔力を扱うのを見た事がある。
矢が鹿の耳に入り、そのまま脳を破壊すると悲鳴を上げる事無く巨体がどさりと倒れ伏した。ロープを取り出し、目星をつけておいた大木に括り、端を鹿の両後足に括り付けて巨体を逆さ釣りにする。腰のナイフを抜いて首を引き裂くと、バケツを溢したようにドバドバ血が流れる。さぁ、ここからは剣の鍛錬だ。
鹿を背後にびちゃびちゃと血の流れる音を聞きながら、周囲の様子を具に探る。そのまま三十分もしない内に客が来た。野犬の群れだ。木刀を両手で持ち構える。そこからは楽しい楽しい殺し合いだ。
◇◇
三匹の小ぶりな野犬が倒れている。他は逃げて行った。アルファ犬は知った顔なので昨日今日と同じ群れを相手にしていたようだ。前回は八匹襲ってきて二匹倒した。ならば六匹になっている筈なのに、今回は九匹になって襲ってきた。つまり、奴の塒にはそれ以上の待機組が居るという事になる。鍛錬が進んだら塒に襲撃を掛けてみようか。などと、挑発的な事を考えながら野犬の肉を捌いた。これもお金に変えてしまおう。
血が流れきった鹿の代わりに野犬を吊るして帰った。犬じゃ届かない所まで上げているので、再度訪れる時にも残っている事だろう。血を溜めておいた穴には鹿の血液に続いて犬の命が注がれている。ソレから目を外して鹿を担いで村に戻った。
村に着くとやたら注目を浴びた。八歳の子供が鹿を丸のまま担いでいたら目立つか。気にせず組合に行くと、其処でも目立った。まぁ、六万ゼンの代わりと思えば我慢できる。
そのまま犬を吊るしたところに向かうと、既に犬は何者かに食われた後だった。大人が飛び掛かっても届かない高さに、口が届く生き物がいるらしい。ロープがぶら下がったまま残っているのを見る限り、熊だろうか。いや、鷲のような肉食の鳥類が食べたのかもしれない。警戒しつつ帰ろう。
ゆっくりと来た道を自分の足跡を踏みながら戻ると、不意に周囲の気配が薄くなっている事に気付いた。虫や小鳥が近付かないような何かが居る。そう感じ取った瞬間にその場に伏せた。
がさり、がさりと音を立てながら歩いているのは、王者の風貌を纏った大きな狼。ダイアウルフだ。まぁ、勝てない。何といっても、まず大きい。体長二メートルを少し超える長さで、後ろ足の太さは僕の胴体程もある。幹に手を付けて後ろ足で立てば、頭部が三メートル近い位置に上がるのだ。なるほど、アレが下手人か。食ってやろうかと思った瞬間に、奴の眼がこっちを向いた気がした。
そのまま目をこちらに向けて動きを止めたダイアウルフは、暫くこちらを見ると、のそのそと去っていった。
「………ふぅ。匂いを覚えられたか」
厄介な事に、この辺りは奴のテリトリーらしい。組合に戻って情報を集めよう。一人じゃ勝て無さそうだ。
◇◇
宿に戻った僕は夕食を食べて満腹感に酔いしれつつ風呂に入っていた。極楽である。一日の疲れと死臭が溶けて行くようだ。
組合で聞いたところによるとダイアウルフは以前から確認されていたらしい。とてもじゃないが倒せる相手ではない為、現在、村では索敵に留めている程度らしい。倒せるとしたら二十年か三十年、ああいった化け物を相手に鍛えた人間じゃないと無理だろうと言っていたな。はやい話が、大勢で襲い掛かっても大半は食い殺されるのがオチだろうから、組合からは率先して狩り出す訳にはいかない。というのが最終回答だった。
「当面の目標としては打って付けだな。週一で狩り、五日鍛錬、一日休み。これで行こう」
今は未だ、奴と相まみえた時は逃げられるように準備をしておこう。キツイ匂いを出す道具でも準備しておくか。塩漬けの魚とかはどうだろう。前世知識でもあった筈だ。オイルサーディン的なアレ。自分にもダメージが来そうだけど、相手はこっちの比じゃないくらいの大ダメージだろうよ。
思い立ったが吉日。次の日から僕は準備と鍛錬に明け暮れた。獲物も森の表層部分の野犬や野兎に留めることにした。雑貨屋で壺を買い、大量の塩を買い、川で取れた魚を詰め込んでいく。塩、魚、塩、魚、塩と詰めて自室の棚に並べて行く。
同じく雑貨屋で薄焼きの手りゅう弾サイズの器を二つセットで買い、上と下で球体になるように対に被せる。花火の火薬球を作っているかのような見た目だ。この中に塩漬け魚を入れて投げる。すると投げ当たった場所に割れ開いて、匂いが周囲に爆発するという魂胆だ。ただ、元々器としてつくられていたせいか、結構作りがしっかりしていて割れ難い。
「窯元に行って自作するのもアリだな。もっと、こう、ペットボトルのキャップみたいに回せば閉まるような感じのが良い」
そうして雑貨屋の紹介で弟子入りした僕は、週に一日は窯元で素焼きの爆弾ケースを作る事にした。もちろん授業料は払っている。
「本日もよろしくお願いします!」
「ああ、よろしくね」
背が低く細い体の親方でも、八歳児の俺と比べたら大きな人だ。見上げたまま挨拶して今日も今日とて素焼き爆弾ケースを作成していった。釉など関係ない。投げて壊す用途なのだから、上手くいけばこれが新しい狩りの道具になるし、もしかしたらペイントボールのようなモノも作れるかもしれない。夢が広がる。
「上手い事考えたものだね。たしかに、手投げ爆弾としては有効かもしれない」
親方が試してみたいと言っていた塩漬け魚のツボを開けると、屋外とはいえ周囲に凄まじい異臭を放った。苦み走った顔で言う親方は苦笑いが止まらない。僕もコレを戦闘中に使うのかと思うと若干憂鬱だ。
◇◇
一日狩り、四日鍛錬、一日窯元、最後に休みというサイクルを繰り返して早一年。今ではそこそこ名の知れた小さい狩人となり、村でも名を知る者が増えた。だからだろうか。地元の集落から来た従兄と顔を合わせたのは。
集落にも農協のような組合があったが、この村程大きなところじゃない。なんせあの集落には僕の一族しか居ないのだから。必然的に年上の従兄弟が組合員になっていても不思議じゃないし、同じ組合がある村に来ても何ら不思議じゃない。
「ゾクオーン、この村に居たのか」
「やあ、組合に入ったんだって? 狩りにでも行くのか。昔は良く僕を追い回してたじゃないか。今は何も追い回してないのか」
「………いや、今日はただの連絡に来ただけだよ。邪魔したな」
「あっそ」
腰に金属製の山刀を佩いた僕を見て腰が引けたのか、従兄はさっさと職員用通路から組合の二階に上がっていった。木刀はこの村に来て一か月で卒業した。鍛冶師の所で頑丈で切れ味のいい肉厚の刀を打って欲しいと言って出てきたのかコレだ。野犬の首を一刀両断できるし、なんなら人間の胴体も一刀両断できる。別名「肉切り包丁」だ。
腰にぶら下げ革を括ってあるが、刃の部分だけで他は丸見えだ。雨が降る日?そもそも、そんな日に森に入るバカは居ない。
いつものように獲物を金に換えて宿に戻ると、夕飯を食べに宿の食堂のテーブルに着いた時に客が来た。伝言に来た店員さんが言うには組合の人間らしい。
「よぅ。ちょっと良いかい」
「組合長じゃないですか。どうしたんですか」
「ちっと頼みがあって来た。巨狼の話、聞いたか」
「いえ、アレがどうかしたんですか。また出ましたか」
「ああ、どうもお前の実家の方に出たらしい」
「あ、それで昼間に従兄弟が?」
「そうだ。んで、助けを出してくれないかって話だったんだが、どうだ」
「やりませんよ。一年後くらいなら挑戦しても良いかなと思ってます」
邪魔したな、と短く断って組合長は去っていった。集落にも狩人は居るんだ。僕よりもしっかりした大人の狩人が数人は滞在しているし、それらは名も知られてない僕の親族らしいから、その人たちの顔を潰す事にもなる。彼らが全滅したとかなら考えなくもないが、如何せん今の僕では勝てるか怪しい。漬物爆弾は完成したけれど、アレが効くのは野犬までしか試せていない。ダイアウルフに通用するのかも微妙だし、腰の山刀で歯が立つのかどうか分からない。一年経った僕のステータスなら或いは可能かと、ボンヤリと夕飯を口に運びながら、視界のそれを見て考えた。
■■■ステータス■■■■■■■■■■■■
名前:ゾクオーン=テンプラー
年齢:9歳 性別:男 種族:人間
天恵:転族の神殿(狩人の棘:練度6/10)
状態:健康
加護:豊穣の手3、剣豪の風5、渇望の本5
妙薬の器2、暗殺の帳1
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暗殺の帳というのは夜間にコッソリ行動する間に身に着けていたらしい。妙薬の器は塩漬け魚の試作を繰り返していたら覚えた。料理じゃなくて薬扱いなのが笑える。
現状で最も伸びているのが狩人の棘だ。これは弓の扱いや追跡の技術に直結する。5を超えた辺りから弓が思いのまま当たるようになったし、若干だが矢の軌道を操れるようになった。その内、百八十度以上も曲げられるようになりそうだ。
「やれる…か? いや、安全マージンは取ろう。命は一つだ。あんなの噛みつかれたら一瞬で死ぬ。即死、だよね」
布団で横になっていると考えながら寝入ってしまっていたらしい。満腹なのも相まって気付いたら朝になっていた。
◇◇
三か月後、いつものように組合に肉を卸しに行くと、またも従兄弟が現れた。ただ、その表情は憎しみに満ちて険しい。なんだろうか。一年で少しは身長が伸びた僕だけど、その僕よりも従兄弟の方が身長は上だ。険しい表情のまま僕に近付いて来ると、いきなり殴りかかろうとしたので、腕を取って足を払った。なんだコイツは。
「お前が依頼を受けなかったせいで、大勢死んだ!俺の母ちゃんも、お前の母ちゃんも、みんな死んだ!!責任を取れ!」
「なんだって…!」
僕に押さえつけられたまま大声で叫ぶ従兄弟の言葉を上手く飲み込めない。母親が死んだ?何故?どうして?
母親は基本的に刈り入れ時しか農作業に出ないし、基本的に家の内の仕事を仕切る立場だ。祖母の後釜なのだから当然だ。必然的に、祖母は?まさか祖母も死んだのか。
「…死んだ人間の名を一人一人教えろ。言えないのなら虚言の罪で警邏隊に突き出すぞ」
グッと力を込めて脅すと、従弟は呻きながらゆっくりと答えた。母、祖母、妹、死んだ人間は女性ばかりだし、本屋敷の連中が殆どだ。父も重傷を負って祖父も死んだらしい。あとを継ぐ兄が生き残っているのは家として幸いと言ったところか。
「みんな、みんな死んだ…おしまいだ。うちはもう、畑を満足に回せねぇ…おしまいだ」
「何泣き言を言ってるんだ。未熟だからなんだ。お前らが腕を磨いでやり直せばいいだけの話だろうが、甘ったれるな!!」
「出て行った奴が勝手な事を言うな!」
何を言ってるんだろうな、コイツは。自分のやっていた事も忘れたのか。
「ああ、出て行ったさ。お前らに追い出されてな。だから勝手を言わせてもらう。さっさと帰って生き残りで出来る範囲の事を努力しろ。お前みたいな軟弱者が戻っても邪魔なだけかもしれないけどな。可哀そうにな。後継ぎがあんな馬鹿野郎じゃ、一族も俺以外は終わりかもしれないな」
そこまで言うと従弟も何も言い返せなくなったのか、項垂れて組合の二階に上がって去った。その十五分後だろうか。獲物の査定が終わったからと受付で代金を受け取ると、僕の横に組合長が現れた。
「やれるか?」
「まぁ、なんとか。母の仇討ちでもありますが、無理そうなら手を引きますよ」
「それでいい。済まないが頼んだ」
この組合に鋼鉄製の合成弓を引けるような奴は僕以外に居ない。単純な弓の攻撃力だけを考えても、他に倒せる面子は居ないのだ。天恵の効果はそういうところまで及ぶ。他力本願は良くないが、協力者は欲しいな。
「囮役が欲しいんですが、誰か居ませんか」
「声はかけてみるが…期待はするなよ」
「まぁ、ダメ元で構いません」
化け物相手に狙われてくれってのも、ここの村で受けてくれる人は居ないだろう。
「俺がやる!」
と、殴りかかって来た従兄弟が此処で惨状だ。いや、参上だ。腹をくくったのだろうか。
「良いのか」
「うるせえ。俺がやるって言ってんだ、文句でもあるのか」
「いや、死なないように気を付けなよ」
「お前こそ仕留め損ねるなよ」
はは、おい、こいつ。ふざけてるのか。腹に力を込めて射殺すようなめで従弟を睨んだ。
「お前、誰に言ってるんだよ」
従弟は八歳児に腰を抜かして、その場でへたり込んでしまった。本気で大丈夫かコイツ。
◇◇
季節は秋。もう刈り入れの時期だってのに、誰も畑に出ていない。黄金の麦藁畑をベッドに巨狼が身を伏せている。アレじゃ穂が潰れて使い物にならないかもな。今はそんな事よりも、囮役が役に立ってくれることを祈ろう。
従弟には悪臭爆弾を数個持たせている。どれくらい臭いかは口頭で説明したが、多分信じていないだろう。なるべく相手の目の前で割れ。可能ならばぶつけろと言ってある。本心では自分の体で叩き割って吶喊してもらいたい位だ。
風下の僕から見ていると従兄弟が走り出した。大きな盾を左手に、右手には悪臭爆弾と、腰には素焼きの器が数個見える。予備は持たせられるだけ持ったらしい。
相手は…もはや敵なしと考えているのか、未だに黄金のベッドから動いていない。あそこで出産でもする気なのかと思ってダイアウルフを観察してみたが、特にそういった変化は見て取れない。と言っても前回見たのが一年前で遠くからだったので、小さな違いに気付けるくらい記憶が鮮明って訳じゃないが。
従兄弟が標的に向かって悪臭爆弾を投函。見事着弾したかに思えたが、咄嗟にダイアウルフが飛び上がって柔らかい黄金の麦藁ベッドに着弾した。爆弾は割れず、目的は達成されなかったようだ。続いて二発目。既に四足歩行をしている相手は軽々と躱したが、風下に移動したのが失敗だろう。悪臭爆弾は割れて中身を撒き散らした。凄まじい悪臭が一瞬で僕の所にも到達するが、匂いに慣れた僕には関係ない。怯んだ隙に矢を三発。素早く撃った。
バンバンバンッ!と鋼の弦が異常な音を発しながら矢が飛んで行く。左後ろ足、脇腹、お尻と続くと、全弾命中した。風下の僕に気付いた相手はマズルに皺を寄せながらこちらを睨むが、もう遅い。次の三発を発射した後だ。
一発目。外した、と思ったが眉間を狙った矢が途中で曲がり、相手の右後ろ足に刺さる。
二発目、驚いた所に口内に突き刺さる。
三発目、動きが止まった瞬間に眉間に刺さった。これで絶命は確実だろう。
四発目を構えつつ五発目と六発目を指で持ちながら、ギリギリと鋼鉄の弦を引く。狩人の棘が7に成長した際に、三段曲射撃ちを覚えた。追尾式の多段攻撃とかチート乙と言いたくなる破壊力だ。それも、鋼の合成弓という強弓を使用しての上で、だ。ダイアウルフも倒せると確信したのはこれがあるからに過ぎない。近付かれる前に動きを止めることが出来て良かった。
だが、まだだ。相手は魔獣なのだ。首を落とすまでは油断できない。僕はそう思っていたのだが、目の前のバカはそうでもなかったらしい。隠れてみている者達も大騒ぎして大喜びだ。駆け寄ってくるバカも居るほどだ。
嫌な予感というものは当たるもので、左手に持った大きな盾を捨てて駆けよった従兄弟は何が起きたのか判らないまま、上半身が消えて無くなった。ダイアウルフの大きな口で下半身と泣き別れたらしい。
四発目を放ち再び眉間に一発、五発目を同じ軌道で、六発目を少しズラして放つと、ダイアウルフの眉間に一発、こめかみに一発が入り、今度こそ頭部を地面に倒した。見開いた目は遠目から見ても判別がつく程に黒くなっていく。瞳孔が開いて死んだらしい。七発目の矢を弓に番えながら近づいていくと、腹の呼吸が冗長になり、最後には動かなくなった。
「フゥー」
ゆっくりと矢を弓から外し、腰の山刀を構える。死んだダイアウルフの首に当てると、力強く引き裂いた。大量の血が流れ出すが、心臓が止まったせいで流れが遅い。殆どの血は体内に残るだろう。母親を食った狼なんざ食いたくも無いが。
そうして、実家の集落を襲ったダイアウルフへの仇討ちは犠牲を伴って成った。
◇◇
家族の墓に手を合わせると、傍に置いた弓などの道具が入ったリュックを背負う。これはお手製で、鹿の皮を張り合わせて、水鳥の羽毛を背中の部分に仕込んだ疲れにくいリュックだ。前世知識のお陰である。
「もう行くのか」
「ああ」
それだけ、後継ぎの長兄と会話して集落を離れた。他の面々にもある事ない事言われたが、柳に風と言わんばかりにスルーしていたので覚えていない。僕を虐めて楽しんでいたような奴らばかりが生き残った。墓参り以外で此処に来ることはもう無いだろうな。少なくとも家の敷居を跨ぐ事は無いだろう。
村落から村に向かって走ると、半日も掛からずに到着した。やはり、狩人の棘が成長した事で随分と身体能力も強化されたらしい。以前と比べて到着が早くて、体が疲れにくい。そそくさと組合で討伐の証として牙と爪、そして仇の頭部の皮を提出すると依頼達成となった。確認は組合長がやってくれたようだ。
「これからどうするんだ」
「鍛錬目的だったけど、これだけの相手を狩れるんなら他でもやっていけるからね。村を出て街に行きます。たしか、山の麓に大きな街がありましたよね」
「ああ、そうか、そうだな。お前も出て行ってしまうのか」
「ここは初心者の狩場。新人育成に向いてるんですから、サボらないでくださいよ」
「わかっている、言われずとも、な」
九歳児のガキがなに言ってやがると言わんばかりに頭をグシャグシャに撫でられた。子ども扱いも、ここまでだろうか。最近は背が伸びて小さい大人くらいには見られるようになった。顔は母親似だから、そこそこ、可愛い系で通ると思う…たぶん、きっと。
随分と長いこと居着いた宿ともお別れだ。村を離れた僕は、色々と溜まった荷物を荷車に乗せて人力車の如く、街道を駆けた。