第九話
夢でも見ているみたいだ、首を斬られたのに元に戻る、あまりにも現実離れし過ぎているーーあり得ない。
「化け物かよ」
頬を引き攣らせ、思ったままの感想を述べる。
「あら、こんな華奢な女の子に向ける言葉じゃないわね」
「華奢って言葉の意味を調べ直せ」
男一人を蹴り飛ばし、首を斬られも再生するような奴を華奢とは呼ばない、いや呼ばせない。
「気持ち悪りぃ」
死からの再生なんて、奇跡と呼ぶに相応しい偉業だが、アニメや漫画で見るのと実際に見るのとではその考えは違ってくる。
「同感ね」
アラヤと『それ』の間に割って入りながら、レイアは口を挟み、
「いい加減、ちゃんと死んで欲しいわ」
再び両手に握る剣を対峙する『それ』に向ける。
「...あなたと殺り合うのは飽きたのだけど」
『それ』の視線がレイアの後ろにへたり込むアラヤに刺さる。
「楽しみの邪魔をするなら仕方ないわね」
『それ』の周りに黒い粒子が飛び交う、そのまま右手に集まり黒色された刃が生み出される。
「また可愛がってあげますね」
ニヒルに笑い、『それ』が歩き出す。
それに迎え撃つようにレイアも前へ踏み出す。
対峙する二人の距離が近づき、あと数歩といったところでアラヤの耳をつんざく金属音が部屋中に響き渡る。
二つの剣が重なり合い鈍い金切り聲を鳴らす。
鈍く響く音は残響を残し、その音が消えてしまう前にまた新しく鋭い金属音が響く。
空中で金属音が響く中、地面では床を蹴る衝撃音が矢継ぎ早に弾ける。
ーーなんだよ、これ
アラヤにはその場を見る事しかできない、そこに入り込む余地はなく、そこに口出しする余地もない。
右手の指には感覚は無く、未だに蹴られた腹部は痛みを抱える。
ーー逃げるべきだ
目の前で起こる惨状に脳が囁く。
考えれば考える程に逃げの選択を脳が示す、しかしアラヤの身体がそれを行動に移さない。
脚の震えは治りかけている、なのに何故か動かない。
途端に金属音が聞こえなくなり、視界から消えていた二人が現れる。
一メートル程度の距離をあけ、二人は互いを見合わす。
「成長したのね」
口を開いたのは『それ』の方、右手で左肩を押さえたと思った瞬間、ボトッと音を立て、腕が落ちる。
「あなたはどんどん成長していく、だからこそ殺したくないの」
落ちた腕に興味を示さず、痛みに顔を歪ませることもなく、『それ』は慈愛の目でレイアを覗く。
「もっと強く、もっと綺麗に、もっと高潔に、もっと精錬に、もっと、もっと熟してから......食べたいの」
背筋が凍る、全身が震え出す、恐怖が津波のように押し寄せる。
その眼を見たくない、その声を聴きたくない、『それ』を全身が拒んでいる。
「...」
レイアは何も言わず、こちらに歩み寄る。
アラヤの前に立ち、目線を『それ』を向けたまま、
「大丈夫、あなたは私が護ります」
はっきりとした口調でアラヤに伝える。
声色は同じ筈なのに、その声は心の奥まで安堵を与え、温もりすらも感じる。
打ち捨てられた『それ』の腕が崩壊し、黒い粒子となり再生していく。
「どうやって倒すんだ?」
アラヤはその背中に語りかける。
「とにかく斬りまくります」
「何度も致命傷を与えれば消滅するとか?」
「分かりません、ただ真名が分からない現状、ダメージを与え続けるしか」
「真名?」
「えぇ、名有りのデモンはそれぞれ真名を持ち、それを解明しない限り、消滅させる事は出来ないと言われています」
「...」
「ですが、それ以外にも倒す道が有ると私は信じています、なので此処は私に任せて離れて」
「ーー眼鏡はどこだ?」
アラヤはその忠告を切り、頭を左右に振り、部屋全体を見回す。
最初の蹴りで吹っ飛ばされた時に一緒に飛ばされた筈の眼鏡を探す。
「あれか」
部屋の片隅にある本棚の足元にキラリと光る物体、その存在を確認し震える脚を立ち上がらせる。
「少しだけ前の奴を足止めしておいて」
「何をする気ですか?」
レイアはそのよろめきながら立つ姿を横目で見ながら、アラヤの行動に疑問を抱く。
その質問にアラヤは、
「...生きる為、勝つ為の行動」
絶望に落ちた目から希望を掴み取ろうとする決死の目に変わり、アラヤは壁を伝い前へ進む。
「何を話してるかよく分からないのだけど、もういいかしら?」
左腕を完治し、『それ』はつまらなそうな瞳でこちらを眺める。
「律儀に待ってくれてありがとな、お詫びにすぐ消滅させてやるよ」
「あら、悪い口ね。もう少しお仕置きが必要かしら」
その瞬間、心臓を鷲掴みにされる程の恐怖がアラヤに入り込む。
『それ』はアラヤの方に身体を向け、床を蹴る。
「ーーさせないわ!」
またも金属音が響く、割って入ったレイアがその突進を阻む。
ぶつかり合い鎬を削る、火花を散らし、離れたと思うと再度ぶつかり合う。
それを背後にアラヤは一歩づつ着実に足を動かし、前へ進む。
数歩の距離がやたら長く感じ、己の足の動かさに怒りを覚える。
ーー早く、早く
凄まじい剣撃の撃ち合いに無防備な背中を向け、ただ前だけを見る。
「取った」
投げ捨てられていた眼鏡を手に取り、すぐさま後ろを振り向く。
「レイア!」
その名を呼び、二人の視線を同時に浴びる。
眼鏡をかけ、『それ』を直視し、アラヤは出せる限界の声で述べる。
「ラウダ・シフラス・デ・スフェル・」
『それ』の顔が驚嘆の表情に変化し、口をわなわな震わせ、
「何故...あなたがその名を!?」
「テイラ・ファウスト・」
アラヤはその疑問に応えず、横に示される文字を読み続ける。
瞬間、ドンッと音が発生し、アラヤの目の前に黒色の剣先が視界を隠す。
「させないって言ったでしょ!」
アラヤの顔を突き刺そうとした剣先がレイアの一振りにより横に逸れた。
「邪魔よ!」
剣を弾かれたと同時に『それ』は右脚でレイアを蹴り押そうとするが、その脚をレイアは横に躱し、上げた剣を振り下ろし一刀両断する。
アラヤの目はその一部始終を見る事はなく、ただ横の文字のみを見つめ、そして、
「カナリアス・デモン」
最後の文字を読みきった。