運命の始まり
眼鏡を掛けた白髪の老貴族が男の動きへ制止の声を掛けた。
「宰相、どういうつもりだ」
「陛下の御成りだ。剣を納めていただきたい」
「っ」
男の、魔力洸の消えた魔導剣が鞘に納められた。
ザワリッと場の空気が揺れた。
数十人の近衛騎士を引連れて、豪奢な衣服を纏った太った壮年の男が現れる。
貴族や兵士達、そして開拓者達が膝を突く。
彼こそが人口四千万人を要するスス同盟国を治める主。
盟王【パペトニ世】。
威厳と傲慢さを纏った、黒い髭面に鋭く輝く黄丹色の目が俺を睥睨する。
その背後から出て来た、礼装を纏ったくすんだ金色の髪の青年が声を掛けて来た。
「馬鹿な事をしたねえ」
流麗な声に混じる呆れ。
「ハッ、何の事だかな」
思わず吐いた悪態に、横から怒鳴り声が上がった。
「お前っ!! 仮にも開拓者だろうがっ!! 開拓者総長たるイッシン卿に何たる無礼かっ!! F級が弁えろっ!!」
ボンノウの今の姿こそが。
人類の先駆者たるをその使命と掲げる、数多の国と地域を舞台に活躍する開拓者達の頂点と知られる人物。
各国の開拓者協会を取り纏める地位に在る総長。
この開拓者協会の総本部があるスス同盟国においては、国王よりも影響力を持つ男。
【天座 ボンノウ・イッシン】。
F級開拓者からすれば遥か天上の人物であり、それは横で怒鳴ったB開拓者の男にとっても同じ話。
少なからず居る、盟王へと頭を垂れたままの高位の貴族達からも、ボンノウに対する畏怖の感情が伝わって来る。
だがこれは。
(すっげえ茶番)
それ以外の何物でもない。
この貴族然とした青年はボンノウが作り出した幻。
俺の目には、その幻の中にいつもの道服を纏った、禿頭の年齢不詳の細目の男の姿が見えている。
この幻を見破るには相当に高い実力が必要であり、A級以下の実力の開拓者ではまず見破れない、らしい。
俺程度に見破られた『相当の実力者にしか見破れない高度な魔法の幻』というボンノウの説明には、聞いた時に凄い盛った話だと一笑いしてしまったが。
しかし、俺の知る限りではボンノウの真の姿に言及した人物はいない。
ボンノウの真の姿を話で振ってみても、それを知る者に会った事は無い。
世間一般では【天座 ボンノウ・イッシン】とは、開拓者協会総長が代々襲名する名として通っている。
そしてこの盟王さえも……。
まあ、それで世が何事も無く回っているなら俺が何か言う話ではないだろうと。
今ではそれも気にすることは無くなったが。
ともかくとして。
「ボンノウ、いや総長まで出張って来たか。俺は相当に不味いらしいな」
「……そうだね」
周囲の空気がピリピリとする。
盟王や総長が登場しても態度を改めない俺に対しての怒りなのだが……。
裏が透けて見えるせいか、どうにも畏まれない。
おまけにボンノウの前のせいか、一層イライラが加速する。
「さあ、さっさと死刑にしてくれ! 俺が全て仕組んでやった事だ!」
虚勢の声を張り上げる。
戦いの余韻が残り覚悟を決められた今だから、醜態を見せずに死を受け入れられる。
もしこの後に時間を置く事になったら。
俺は……、とても耐えられない。
「連れてきました」
「!?」
何で!!
どうして!?
瞳孔が開くのを感じる。
ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない!!
人垣の中から、兵士達に魔導具の鎖で拘束された、父と母、ノルマンが現れた。
ボンノウの視線を受けて、兵士が父の口枷を外す。
それへ、近衛騎士が平坦で事務的な声を掛けた。
「さあ、息子への言葉があるなら言っておけ」
蒼褪めた顔の母と、涙を流しながら口枷から唸り声を上げる弟。
父は、顔を上げて、静まり返った会場を見渡した。
そして、黒い眼を真直ぐにして、俺へと向けた。
「ヨハン、がんばったな」
重く、力強い父の言葉。
俺の零れ始めた涙が、止まらなくなった。
「父さん、俺、俺は、俺は、」
声が掠れて、口が震えて、ただヒクッ、ヒクッと嗚咽だけが零れる。
「お前は俺と母さんの誇りだ」
母が頷いた。
弟も、口枷を食いしばりながら、涙を流しながら、頷いた。
その場面で、盟王がボンノウへと声を掛けた。
「天座よ。この剣士の行いは非常に不快だったが、さてどうしたものかな」
その感情の見えない声に、ボンノウが一歩前へと出た。
「御意」
右手に握るのは、ただの鋼の白木の刀。
抜き放たれた刃は、強い照明の光に、水が滴る様にヌルリと輝く。
一瞬、爆発したような強大な覇気が放たれて。
「あっ」
恐怖さえ消し飛ばされた圧倒的な畏怖に押しつぶされながら見たのは。
天座の、軽く振られた一太刀の軌跡。
軽く弧を描き、軽く父と母と弟の首を落とした。
「お前ええええええ!!」
意識の飛ぶような慟哭、絶叫を俺の口が吐き出した。
天座に向けて殴りかかろうとするが、拘束の魔術が流れる鉄の鎖が俺を縛める。
「離せええええええ!!」
ガシャガシャガシャガシャガシャ。
首と、右手の皮膚が破れて血が流れ。
胴の骨に罅が入り。
喉から昇って来た血に、遂には噎せて地面へと倒れ込んだ。
体力は、既に底を突き。
涙とで霞む視界は朦朧として。
脳裏に浮かぶ大切な想いの情景、心の中の暖かいナニカが壊れて行く。
俺の夢。
俺の望むもの。
俺の、最も大切な、家族。
紅い。
紅い。
……紅い。
伸ばせただけの手は、俺の血で染まっただけ。
鎖に囚われた手は、家族を掴めなかった。
「ヨハンよ、墓碑に刻む異名はどうする」
ボンノウの抑揚の無い声の問い。
黒が全てを塗り潰したような静けさが心を埋めて。
あの時の父の声が耳を打った。
先生と共にペシエを旅立つときに、父から掛けられた言葉。
『ヨハン、お前ならいつかきっと俺の行けなかった場所に……』
俺の紅く染まった右手が拳を握る。
「最強無敵」
唇が出した音は、小さな風の音よりもなお小さく。
だからもう一度、この異名を言の葉に乗せる。
「【最強無敵】と、お前の頭に刻んでおけ。そう……」
俺に向けられた鋼の刃の冴える輝きに。
俺の名を叩き付ける!!
「俺は【最強無敵 ヨハン・パノス】だ―――!!」
* * *
「そうか」
向き合うボンノウは表情を動かすこと無くただそう呟き、握った刀の刃を機械のように突き出した。
正確無比な閃光の如き刃の切っ先、それが俺の喉笛へと迫り来るのがスローモーションのように見える。
「俺は」
光の欠片の動きさえ静と見える、長い刹那の時間の中で、刀へと割り込ませるように、鎖に戒められるも僅かに動く右腕を上げる。
関節も筋肉も、俺の全ての血肉を擦り切るが如き、死生を分かつ最短距離の軌道へと動かす。
鍛え抜いた俺の身体は疲弊していてもなお、ボンノウの刀が俺の喉笛を抉るよりも速く動き、その刃を鎖で受け止めた。
「お前を」
甲高い金属音が響き上がり、鎖を斬り右腕を掠めた刀が、俺の右頬の皮膚を切り逸れて行く。
魔法の鎖から自由になった右腕に魔力が通るようになり、握りしめた拳を振り下ろす。
「ぶっ殺す!!」
俺の全ての魔力を注ぎ込んだ拳、それが穿った地面が大爆発を起こす。
「「!?」」
爆発の重低音が響いてアリーナが揺れ、大量の土砂が空へと噴き上がる。
俺の身体を拘束する鎖の魔力と力が弱まり、ジャラジャラと撓み擦れる音を鳴らす。
鎖を引く様に身体を回転させると、土煙の先から悲鳴と共にその使い手達が引っ張られ現れる。
手刀の一撃で彼らの意識を刈り取ると、魔力を失った鎖は拘束力を失った。
「さてと」
視界を覆う土煙を突き抜けて飛来した、俺を狙った二十本の風魔法の槍を右手で絡め取って散らす。
潮の匂いと魔法の気配を感じて、地面を蹴って後ろへ飛び退る。
俺が元居た場所に巨大な火球が着弾し、轟音を響かせた爆風がアリーナの土煙を一掃した。
「邪魔するなら、お前らから潰してやるが」
土煙と爆炎の晴れた先には盟王とボンノウを守るようにして、赤いラインが入った特長的な鎧を身に纏う騎士が展開していた。
近衛騎士でも選りすぐりの者達で構成された特殊部隊。
通称『赤衛騎士隊』。
「逆賊を誅殺する。放て」
赤衛騎士達の持つ魔導弓の弦が引かれて、番えられた魔導矢が一斉に放たれた。
「っ」
白熱する炎や甲高い螺旋状の風を纏い、音速を遥かに超える速度で襲い掛かって来る大量の魔導矢。
万全の状態ならば何ら脅威となるものではないが、ダンプソンとの激戦を経て止血された程度の身体では、避ける為の動きにさえ身体が悲鳴を上げる。
(タイムリミットが近いな……)
視界は霞み強い痛みが続く。
激しい怒りによって分泌した脳内麻薬の効果によって、辛うじて動けている状態だが……。
「!? しまっ」
魔導矢の爆発を避け損ない、煽られた身体が地面に叩き付けられた。
その俺を地面から現れた巨大な土の手が握り締め、万力の様に拘束した。
「ガハッ、ガハッ、ガハッ」
身体が軋み、言いようの無い激痛が鳴った。
骨の何本かが折れ、痛みに意識が飛びそうになる。
「これ以上手間を掛けるな魔法無し」
赤衛騎士達の中から、羽飾りの付いた兜を付けた男が進み出て来た。
一目でこいつらのリーダー格だと分かるそいつの顔は、面頬に隠れて見えないが、侮蔑交じりの視線にはなじみのあるものだった。
「こんな屑に、末端とはいえ貴族の血が流れているというのか。本当に嘆かわしい」
俺を掴む土の腕が更に上昇し、その付け根から巨人を象った土の魔法兵が姿を現した。
「貴様の命を取るのに剣など実に勿体無い」
魔法兵に捕まれた俺は地上から十メートルの高さに在る。
普段ならどうという事は無い高さだが、満身創痍の状態でメンコのように叩き付けられれば、流石に耐えるのは無理だ。
「く、そ……」
身体は動かず、声もまともに出ない。
赤衛騎士の冷たい声が俺の最後を告げる。
「虫けらの様に潰れて無様に死ね」
* * *
「俺は【最強無敵 ヨハン・パノス】だ―――!!」
その彼の叫びで、私は立ち上がった。
握っていた手を開き、左に座る二人に声を掛ける。
「お父さん、お母さん。ごめんなさい、……後をお願い」
「え、ちょっと待て!」
ポップコーンの容器を落とした父が慌てて立ち上がる。
白い装束が動き、私に駆け寄ろうとした父を抱き止めた。
その母は、私にコクリと頷いてくれた。
「ありがとう」
座っていた席を蹴って宙を跳ぶ。
「ゼブ!」
「お嬢様どうぞ!」
父の影から現れたゼブ、彼女がその手に掴んでいた戦斧を私へと放り投げた。
回転しながら飛んできたレイン鋼製の戦斧の柄を空中で握り取る。
客席の最前列に降り立つ。
「うわっ!?」
「きゃあ!?」
後ろで誰かが驚き、席から転げ落ちた音が聞こえた。
私の周囲から騒めきが広がり、遠くから警備の兵士達の怒声が聞こえた。
その全てを捨て置いて。
目の前に立ちふさがる客席とアリーナを隔離する結界へ一呼吸を置き、数秒の時間の中で全力の百の斬撃を叩き付けた。
斧の魔導機構が過熱による白煙を吐き出し、赤熟した土錬玉にヒビが入る。
結界破壊用に特化して造り上げた戦斧の刃が過負荷によって砕け散った。
無機質な甲高い音が響き上がり、目の前の結界の一部が砕け、人が一人だけ辛うじて潜れる程度の穴が生まれる。
寸前に迫った兵士達の上げる制止の声を振り切り、結界の穴の中へと飛び込んだ。
「海鎖を解き 獄界の檻を放て」
虚空より現れた青い魔力が私を包む。
「水の聖女たるパフェラナの名において 青の門を開けよ」
今より呼び出すのは遥かな古き時代、この世界を統べる聖霊達と争った、禁忌たる古代第四文明の遺物。
終焉の化身、黄昏の獣と畏怖されし超魔導学の結晶たる魔導機兵。
その万を数えた軍勢の頂点たる八体の一角。
「出なさい」
戦いの臭いが鼻を突き抜ける。
身体は重力に引かれるままに、照明に照らされた広大なアリーナの中へと落ちて行く。
彼に向けられていた視線と闘争の気配が私をも捉える。
濡れ輝く刃のようなそれを受けながら、私は封じられし存在の開放を命じる。
「運命巧式」
私を包む青い魔力が、無機質な鎧姿をした、八メートルの青い巨人へと変わる。
巨大な青い竜翼を広げ。
左手には氷で出来た白い盾を携えて。
右手には深海の超重の水を顕した、黒い突撃槍を握る。
機体の中、その制御を司る水球に包まれて、起動の為の最後の呪文鍵を静かに唱えた。
「深海将軍 ブルー・クラーケン」




