星屑の塔 一
王城の議場は怒号で溢れていた。
「モロ国民大臣の責任は王貴党の責任だろうが! 数々のスキャンダルに加え、王国第二軍の離反と喪失! どう責任を取るつもりだ!!」
「ふざけるな!! 魔法士どもが裏で動いてたのは知ってるんだ! 貴様ら聖道国民党が飼っている女狐の手下どもがな! しかも、あ、あの、戦獣騎と一緒にな!! あの怪物の一撃で、たった一撃だぞ!? それでボトーレ山脈から向こうが割れたんだ!! 貴様はそこに在る王領の被害がどれほどが知っているのか!?」
口を開く者の誰もが唾を飛ばし、沈黙する者は怯え、震える。
「フン、たった一匹の獣人に何を怖がっている。第一軍が当たれば済む話だろうが」
「そうとも。陛下の弟君であるフォルット将軍率いる、我が国最強の第一軍なら、この騒動もすぐに鎮圧できる」
「ですよね、フォルット将軍?」
応えは無い。
「将軍?」
鍛え抜かれた体躯の巨漢が、椅子から崩れ落ちた。
「「!?」」
喧噪が断絶し、広い議場が鎮まる。
「う~ん、この魂の味は三十五点っすね。全体としてはまあまあっすけど、一部のアクが強すぎっすね。あと年喰ってるせいで、所々の筋が硬いっす」
この議場に入る事を許された、その誰のものでもない、声。
「これだったら、普通に町の屋台で食べとけばよかったっす」
虚空から現れた少女が、フォルット将軍の椅子の上に立った。
凡庸で他を圧する存在感など欠片も無い、何処にでもいる平凡な平民の姿をした、祭りで売られている『海の怪物』を模した仮面を被った、そんな普通の少女。
「「!!」」
議場を守る騎士達が抜剣し、少女へと殺到する。
弛まぬ鍛錬を積み、幾つもの実戦を潜り抜けてきた彼らは、少女が怪物だと理解していた。
「はあっ!!」
裂帛の気合が放たれ、全力を振り絞った、渾身の一撃が振るわれる。
「姐さんからはここに居る奴ら、アチキが食べていいって聞いてるっすので……」
小山を吹き飛ばす威力を持った剣は、少女の中をすり抜けていった。
少女の服と、肌を過ぎて。
血肉を斬る手応えも無く、議場の壁を吹き飛ばした。
「!?」
驚愕の中で放たれる騎士の剣の刃は、しかしただの一つも、少女に触れることさえできない。
「何だ、これは?」
「ま、幻なのか?」
「いや、確かに気配はここに在る……」
少女の左手が、一人の騎士の剣を掴んだ。
「なっ、何だと!!」
「いただきます」
騎士達が崩れ落ちた。
それを踏み越えて、少女は歩き、檀上の上へと昇る。
貴族達は動かない、いや、動けない。
少女から放たれ始めた、身体の芯から凍えるような気配に当てられて。
王の前に少女が立つ。
「貴様、何者だ?」
王は怯えを隠し、震える声を必死で抑え、絞り出すようにして、少女へと問い掛けた。
「そうっすね。まあ最後のご挨拶ってのも大切っすよね」
少女が仮面を取る。
人の顔を平均したらこうなるだろうという、整っただけの顔が露わとなる。
そして、感情の一切を見る事ができない、虚無そのものの目で、王へと笑いかけた。
「アチキの名は【スリーピー】というっす。小心者だけどとっても強い、主に仕える忠実な騎士っす」
「そうか。ならば私、いや我が国は。君達に何か、敵するような事をしたかね?」
「う~ん」
考え込む少女の姿に、王は最後の望みを見た。
「スリーピー殿。貴公がここに来られたのは、何か意図があっての事だろう? 私達を殺した後に得られるものなど、たかが知れている」
「う~ん、う~ん」
「あらゆる財宝を与えよう。そして我が国の秘奥、古代遺跡への入場も許可しよう。必要な事があれば、最大限に助力する事を約束する」
王には計算があった。
騎士が壁を壊した音で、すぐに増援が駆けつけて来ると。
そしてこの城には今、S級開拓者の【虎炎槍 マークス・オーラット】がいた。
「今日この場であった事も、不問に付そうじゃないか」
「あ、そうだったっす」
少女が亜空間の蔵庫から何かを取り出し、それを王の前に放った。
「っ!!」
床に血のラインを引いて来たそれは、S級開拓者の【虎炎槍 マークス・オーラット】の首だった。
今度こそ、完全に言葉を失った王へ、少女は楽しそうに告げる。
「ノグル公国」
その言葉に王が沈黙し、貴族達は絶望した。
誰もが理解したのだ。
決して、自分達は許されはしないと。
「そこの公王様に昔、主が世話になったそうっす」
ノグル公国を治める公王、【鉄心王 ビリャーコフ・ノグルノグル】には噂があった。
―― ある禁忌たる組織の、中枢メンバーの一人である、と。
しかし、それを誰もが信じなかった。
聞いた瞬間に一笑し、すぐに次の話題へ移った。
それ程に彼の【鉄心王】に武の才能は無く、また酷く臆病な性格であることを、ワトナ半島中の誰もが知っていたからだ。
しかもノグル公国は、ワトナ半島で一番の弱小国である。
険しい山岳と峡谷が多くを占めるこの国は人に乏しく、資源はなお乏しかった。
目ぼしいものとしては、その地下に眠る数多くの古代遺跡があったが、他の四つの国は公国の土地を無理やり租借し、遺跡から出る宝を、野盗のように奪っていった。
卓上に置かれたパイであり、食われるだけの豚。
それが他の国が持つ、公国の認識だった。
だが、そのノグル公国が怒りの牙を剥き、強国であるパンドック王国へ剣を振り下ろした事があった。
パンドック王国へ旅行に来ていた、国立学校の生徒百名が失踪して、そこにパンドック王国の関与が、MCP社によって明らかにされた時だった。
長いワトナ半島の歴史で、そのただ一度だけ、ノグル公国は戦争をしたのだ。
誰もがノグル公国は負け、パンドック王国がより強大になるものと、考えていた。
しかし結果は、パンドック王国が負けた。
誰もが恐れたパンドック王国軍は、【鉄心王】の天顕魔法によって壊滅した。
「アチキ達は、この国のバカは消えた方がいいって思ってるっす」
「あれはこのワトナ半島に必要な事だった、と言っても無理か」
「そんなの、ここにいる王と貴族だけの理屈っす」
ワトナ半島の地下に満ちる、濃密な魔力を含んだ水は、莫大な利益を生み出した。
王と貴族は豊かさに酔い、そのお零れで民衆も潤った。
だがそんなものは、生贄にされた者には関係ない。
少女が左手を向ける。
「まあ、安心してアチキに食べられるがいいっす。心配しなくても『ワトナの呪縛』は、主が倒してくれるっす」
「そうか……。ワトナ半島も終わりか」
王は思った。
この怪物の主なら、或いは、と。
微睡みの中に溶けるように、王の魂は怪物に喰われて、消えていった。
玉座にもたれる様にして、王はその生涯を終えた。
顔に遺された表情は、とても安らかなものだった。
「俺様登場!!」
「!?」
ドゴンッ!!
轟音を立てて天井の一画が爆ぜ、粉塵と共に、大小の破片が床へと落ちる。
「ハッ」
その穴から飛び込んで来た影が、クリーム色の長い髪をなびかせて、檀上の上に颯爽と着地を決める。
「俺様こそは【戦獣騎】兄貴の一の舎弟、【破魔銀拳 ジョバンニ・ハルクンス】だ! 年貢の納め時だぜ、クソ野郎どもっ、て、あれ?」
「あーあ」
堂々と口上を述べて、ポカンと口を開けたアフガンハウンド型の犬獣人の姿。
スリーピーは面倒の臭いを感じて、それを振り払うように頭を振った。