零時
ワトナ半島の地下深くには、巨大な洞窟が広がっている。
それはまるで生物の身体の中を走る血管のように、ワトナ半島全域を巡っている。
その中を膨大な量の地下水が流れているが、無明の闇を住処とする悪食の虫でさえ、その水には触れようとはしない。
何故ならば、矮小な存在は水に触れたが最後、その中に溶け込む膨大な魔力によって、魔獣化することなく、溶けて消えてしまうからだ。
しかし工業的には有用で、ワトナ五国の何もが、地下水を汲み上げて、自国の産業の為に使っていた。
だからこれは。
『グルルルッ』
『……』
『アヒャヒャヒャ』
洞窟の中を、両腕が剣になった男や、首から上が無数の小さな剣を乗せる剣山のようになった男、身体中の穴から剣を生やした女が徘徊する。
『剣化獣』と呼ばれる、魔剣獣の魔力に汚染され、生物としての形を破壊された者達だ。
寝食を必要とせず半ば不死であり、ただ暴力的な殺人欲を抱えて彷徨う、憐れな化け物となった存在だ。
『グル?』
『……?』
『アヒャ?』
一瞬だけ、風が流れた。
冷たく熱く、まるで殺意と歓喜が交じり合ったような、吐息のような風。
剣化獣達が走り出す。
そして洞窟の道が合わさる度に、倍、さらに倍と、乗数的に数が増えていく。
剣化獣達が暴走する。
その足踏みは地面を揺らし、地下を揺らし、ワトナ半島を揺らした。
地表では、まるでこの世の終末のように大地の地鳴りが唸りを上げ、怯えるように激しく震えた。
川が割れ、湖が干上がり、崩れて消えた山が幾つもあった。
崩れ落ちる建物を前に、多くの者達が聖霊へ、救いの祈りを行った。
そして時計の針が午前零時を指した時、全てが止まった。
夜には白く輝く『魔の月』が美しく、災禍を逃れた多くの者達が、魅入られるようにして、仰ぎ見た。
「聖霊よ、ありがとうございます」
床にへたり込んだ神官が、その言葉を放ったのと同じ時。
パンドック王国の首都ルーネの地下に。
ルーネよりもなお広い、広大な空洞の中を埋め尽くす程に、剣化獣達がひしめいていた。
彼らはただ静かに、宙を見上げていた。
ワトナ半島の地下大洞窟、その中を巡る地下水脈の、始まりである場所を。
虚空を網の目のように走る水の流れは、その中心にある巨大な水球の渦の中より生み出されている。
しかし今、その渦が、徐々に体積を小さくしていた。
風が吹いた。
それは生き物の吐息のように、生臭いものだった。
ドクンッと、空洞の中が揺れた。
それは生き物の、心臓の鼓動のようであった。
大洞窟の中の水が全て消えた。
それは巨大な化け物に、貪り喰われたかのようであった。
そして遂に渦が消え、中から一つの太刀が現れた。
そこから莫大な、濁った汚泥のような魔力が溢れ出し。
美しい青い太刀が。
獰猛な咆哮を上げて。
獣となった。