長い夢 四
少女の力が破られていく。
(「オトネ、正面上と左が三十、後ろから速度上げて十。距離十五、十八、二十」)
「はあっ!」
オトネの黄金の魔剣が極大の光を放ち、それに触れた触手は中の呪詛ごと消滅した。
(何なの、これ)
少女が本気を出してから二時間が経った。
なのにオトネの動きはどんどん速く、鋭くなっていく。
空を舞う彼女の死角、刃を持たない足を狙い、触手を襲わせるが。
「このっ! って、ウチも触手の場所が分かるようになったわ。コツは、カンね!」
足の先からも自在に現れる魔剣に斬り飛ばされてしまう。
(空間魔法。しかも凄い使い手。)
更に襲い掛からせようと新しく出した触手を、蛇竜の灼熱の吐息が焼き払った。
(「ヤパス、数十本が束で左上、距離三十」)
「了解。中心が近くなると、流石に攻撃も倍の倍だ。裏方のボクとしては、背筋の凍る思いだよ」
ヤパスは弾切れになった魔導連弩を捨て、新しく出したミニガン型の魔導銃をぶっ放す。
しかし触手に穴は空けども千切れるまでには至らず。
もっぱらヤパスが魔導球から生み出した蛇竜達が、彼の代わりに触手を倒していった。
(多分こいつは錬金術師。本人は脅威ではないどけ、あの蛇竜はマズい)
(「カブト、全周囲、速いぞ!」)
「問題無い」
虫の翅を広げて飛ぶカブトが、その手に握る太刀で触手を斬り裂いていく。
本来なら脅威になるものでは無いが、しかし彼の一撃を受けた触手は魔力を失い、消滅していった。
(あの曲がった剣は厄介。魔剣じゃないようだけど、何なんだろう?)
そして、リーダーと目される灰毛頭の少年は、右肩に竜の子供を乗せて、剣を振る素振りさえ見せない。
いや、少女には解かっているのだ。
(呪詛の巡りが悪くなっている。しかも切り口から出る呪詛は、直ぐに消滅してしまう。原因は、)
少年がその手に持つ、闇夜をくり貫いて作られたような、金の刃を持つ黒い魔剣。
(あれだ)
少女は他の触手の勢いを弱め、ヨハンへと一気に触手を集中させた。
不可視で気配のない、十万の触手がヨハンへと襲い掛かる。
(え?)
それが一瞬で雲散霧消した。
「やった、さすがヨハン! 剣技複合も完全にマスターだね!」
「ああ。これで先生の宿題もクリアだ」
(……ありえない)
* * *
かつて王国の王都があった町。
かつて少女の姉が死んだ場所
曇天渦巻く空を、巨大な海月の透明な体が覆う。
少女に退路は無い。
だから彼女は、その本体を出した全力で以て、ヨハン達へと襲い掛かった。
『消えろ!』
膨大な魔力で作った猛毒の豪雨を放つ。
しかし、町を覆い、大瀑布のように襲ったそれが斬り裂かれ、虚空を走った黄金の光が、少女の身体に突き刺さった。
『ぐ!?』
少女の持つ『溟』の力は、オトネが持つ黎明の王の力に対して、絶対的に相性が悪かったのだ。
「夢幻を壊せ【呱々丸】!!」
カブトの太刀から迸った音の津波が、強酸の豪雨を消し去った。
「さて、詰めだね」
ヤパスの蛇竜が宙を舞い、襲い来る触手を蹴散らして道を開く。
「頼んだよヨハン」
「貴公ならできる。悪夢を終わらせろ」
「「いっけ―――――――――!!」」
一匹の蛇竜が天へと昇る。
「我が剣に 光よ言祝ぎ 輝よあれ」
「我が刃に 追い風よ走り 煌めきと共にあれ」
「陣風御免」
「【呵々絶衝】」
その頭上に在るのは、嵐を纏った神蝕の王を下段に構える、ヨハンの姿。
「術者を取り込む特殊型の天顕魔法。俺がお前を助けられるかは分からない。けど、」
ヨハンの魔力の質が変わる。
無色の魔力は、さらにその彩りを失い、透徹したものへと成る。
『来るな――――――――――――――――――――――!!』
少女が絶叫と共に、ありったけの魔力を込めた、超高圧、超強酸の砲撃を放った。
「五手乃剣・第四手」
神蝕の王の黒が、恒星の輝きを解き放つ。
「清雷」
雷鳴を響かせて、剣の光が天空を翔けて行った。
* * *
少女の放った、最後の魔法が消えていく。
『死ぬのか』
あの日、姉を失った瞬間から、とても長い年月が過ぎた。
故郷の景色も、父や母やポット、友人達の顔も忘れてしまった。
怪物となって、怪物として生きて。
『やっと終わる』
そう口に出した瞬間に、ほっとした。
もう生きなくていいと。
もう、みんなの所に逝けるから、と。
『綺麗……』
最後に見た少年の剣は、これまで見たどんなものよりも美しかった。
だから、受け入れた。
『みんな』
身体の中を、懐かしい暖かさが満たした。
『お姉ちゃん』
悪夢が、星の光を連れた風の中に消えていった。
* * *
光を感じて、少女は目を覚ました。
「あれ?」
身体を起こすと、寝台の上に居ることに気付いた。
「やあやあ、お目覚めだね、お嬢さん」
横に座っているヤパスが少女の脈を取り、身体の状態を手早くチェックしていく。
「魔法の一部は残っているけど、うん、完全に戻っている」
「……」
「大丈夫。君はもう、人に帰って来たんだ」
呆然とする少女の頭を、優しくヤパスが撫でた。
「特殊型の天顕魔法に取り込まれ、戻って来られた者はいない。ヨハンじゃなけりゃ君、一生あのままだったよ?」
「は、はい……」
「やっていい無茶と、やっちゃダメな無茶がある。君の事情を知らず、ズケズケ言うけど、先輩としてのアドバイスだ。覚えておいてくれると、ボクは嬉しい」
「は、はい」
「ははっ、ごめんごめん。さて、身体の調子はどうだい?」
「えっと」
少女は自分の身体へと視線を向ける。
目に映るのは透明な海月ではなく、白い寝間着を羽織った人の身体。
―― 遠い昔に失ったものが返って来た。
少女の瞳から涙が零れ、頬を伝い、寝間着の上にポタリと落ちていった。
「っ、っ、わ、わたし。わたしはっ」
両手で顔を覆い、その指の隙間からは途切れることなく、少女の涙と嗚咽が溢れていく。
「っひく、グスッ、っひく、グスッ」
「お嬢さん、ハンカチをどうぞ」
少女が落ち着いた頃を見計らって、ヤパスがハンカチを差し出した。
「グスッ、あ、っひく、ありがとう、グスッ」
ズビ――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!
「ご、ごめんなさい!!」
ドロドロになったハンカチに慌て、少女が謝罪した。
「気にする事はないよ。問題無しさ」
ヤパスが指をパチンッと鳴らしたと同時、少女の手の中にあるハンカチの汚れが消えて、ハンカチは綺麗に折りたたまれた姿となっていた。
「ま、魔法、ですよね?」
「うん。まあ手慰み程度のものだけどね」
非常に精密で、何より魔法効果の完了までが凄まじく速い。
少女が怪物となる前、そしてなった後にも、ここまでの魔法は見た事が無かった。
「あなたは、高名な冒険者の方でしょうか?」
「いやいや、ボクは……。っと自己紹介がまだだったね」
椅子から立ち上がったヤパスは、一度クルクルとターンをし、手に胸を当て丁寧に頭を下げた。
「改めまして、ボクは錬金術師【竜眼 ヤパス】と申します。私部隊『星屑の塔』にて裏方を務める影なる者です。以後お見知り置きを」
「は、はい。わたしは……。あれ、わたしは……………………」
名前が出てこない。
生まれてから家族と過ごした、穏やかで幸せな村での生活、父や母、姉やポット記憶はある。
騎士に連れられ、魔法使いに酷い扱いを受け、兵器として使われた記憶はある。
そして姉と最後に出会った、あの日の記憶も、ある。
ただ一つ、自分の名前だけが、記憶の中に見付からない。
「わたしの、名前が、思い出せない……」
「ふむ。これはボクも初めてのケースなので、推測になるのだけど、」
「……」
「君は天顕魔法の顕現体と根源から融合して、以前の君とは別の存在になった。だから君の魂を形作る要因の一つである名前も、魂と共に変質してしまったんじゃないかな」
ヤパスはエメラルド・タブレットを取り出し、少女へと渡した。
「魔法の呪文作成に使うものだよ。これで解析すれば君の名前も分かる。ああ、非表示設定で君の頭の中に直接出力されるから、ボクが君の『真の名』を知る事はないよ」
「……」
少女はヤパスに聞きながら、慣れない手つきでタブレットを操作する。
「あっ」
「出たようだね、君の名前が」
「はい」
―― ルナフィリア。
「これが、私の名前なんですね」
少女の頭の中に浮かんだ文字は、直ぐに消えていった。
「存在の在り方を魔力に依るもの程、真の名が自らに及ぼす影響は大きくなるんだ。だから君は、それを決して他人に知られてはいけないよ」
「はい」
バタンッとドアが開いた。
そこから現れたオトネがズンズンと近付いて来る。
「あ、あの……」
少女を金色の瞳が見つめる。
「よし! もういいみたいね!」
「?」
首を傾げる少女。
それに苦笑して、ヤパスが説明を始める。
「彼女の名前は【無影の羽 オトネ・ネルクロム】。我らが『星屑の塔』の副長を務める、手練れの『忍び』だよ。彼女が持つ魔眼は、人の精神を『炎』として捉える事ができるんだ」
「ウチの事は気軽に『オトネお姉ちゃん』って呼んでね♪ で、あなたの精神、マジで消える寸前の火の粉みたいだったんだから!」
「え、えっと……」
「こんな可愛い子が死ぬなんて世界の損失よ!! もしそうなったら、ウチはヨハンを膾切りにするつもりだったんだから!!」
「酷いな、オイ」
私服姿のヨハンと、鎧姿のカブトも部屋へと入って来る。
「そこらの駄剣ならともかく、神蝕の王を使って清雷を失敗するわけないだろうが」
「左様。仮にヨハンが失敗したとすればオトネよりも先に、神蝕の王の化身であるサヨが殺りに行くであろうな」
「おいやめろ。冗談になってねえぞ」
ハッハッハと笑うカブトの腹を、ヨハンが肘で軽く小突く。
「ったく、ここは病室なのよ! 五月蝿くしちゃダメでしょ!!」
「いや、オトネの方が」
バサッとオトネの白い翼が広がる。
威嚇のポーズを取るオトネにヨハンは両手を上げて、降参の意を示した。
「うんうん。反省しなさいな」
「……」
「騒がしくてすまないね。気に障ったかい?」
「ううん……」
少女は目に熱を感じ、両手で顔を覆った。
顔と掌の隙間から、止め切れなかった涙が零れ落ちて、布団を濡らした。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
オトネの両手が少女を抱き締め、翼が優しくその身体を包み込んだ。
「うわ――――――――――――――――――――――――――――ん!!」
少女の泣き声が、部屋中に響き渡った。
そこにはもう覚めぬ悪夢に囚われた、怪物の姿はなかった。




