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第六話 僕がこんなにもうろたえるわけ

第六話 僕がこんなにもうろたえるわけ


「うぅ寒いなぁ・・・」

 それは紅葉の季節も終わり、くすんで赤茶色になった葉っぱが木々から落ち散っていく十二月の初めの頃だった。今日は特に寒い日だ。僕はテレビもラジオもパソコンもスマートフォンも持っていない。いや収入がないせいで持てないんだ。僕の手にあるものは従来型の折り畳み式の携帯電話だけだ。だから、この寒波がいつまで居座り、いつから去っていくのかも情報が入らないから、何も知ることはできない。

 今日も今日とて僕は職業安定所に向かっていたんだ。世間はそろそろクリスマスだの、冬休みだのと、騒がしくなる頃だ。だけど僕にはそんなものは全く関係のないことだった。僕は愛車に跨った。職業安定所に向かうには、街のほうまで坂道を下るだけだ。だけど、今日は職業安定所に向かっていたときとは違う道で、途中から違う道へ逸れて路地を入っていく。

「ふん♪ふ~ん♪、ふん♪ふ~ん♪」

 でも、今日の僕はちょっと機嫌がいいんだ。なんでかって?それは志望した会社の『面接を受ける』ことができたからだ。それは一週間前のことで、僕は職業安定所の電話口でその会社の採用担当の人から門前払いされなかったんだ。

 三日前に黒いスーツを着て電車でその面接会場に行ってきた。あの黒いスーツに袖を通すなんて、ほんとに学生時代の頃から数えて、三十年ぶりぐらいのことだったよ。面接は僕の主観では上々の感じだった。合否通知は今日から数えて三日後に僕の携帯電話に電話がかかってくることになっている。だから今日の僕はほんとに久方ぶりに外食がしたかったんだ。目的地は以前梨原君と一緒に食べた、あのラーメン屋だ。

「―――♪」

 僕は上機嫌で自転車を走らせていた―――だから、それに気が付かなかったんだ。

「ッ!!」

 握り締めても愛車のブレーキが効かないことに気が付いたときにはもう手遅れだった。昨日降った雨でできた地面の水溜りが、こんな季節外れの大寒波で凍っていたわけだ。

「わわっ!?」

 凍った水溜りにゴム製の自転車タイヤが取られて、制動を失った僕の愛車はつるっと滑りそしてガードレールに接触―――気が付いたら僕は地面で盛大にこけていた。

「うぅ・・・」

 僕はガードレールを支えになんとかよろよろと起き上がった。幸い通行人や走っている車に衝突することはなかった。だから僕の愛車も無事だ。無事じゃないのは僕だけだった。でも、人様に迷惑をかけない自損事故でほんとによかったよ・・・。

 脚を擦りむいた僕の長ズボンには大きなやぶれと、脚には血が出ていた。でもこれぐらいの怪我なら大丈夫だ。むしろ愛車が壊れて再起不能になることのほうが僕にとっては恐ろしかったんだ。

 僕はぱんぱんとお尻と脚を手で払うと、今度は愛車に跨らずに押して歩いていく。

「あれ・・・?あれは・・・梨原君」

 僕が向かう先―――ラーメン屋の近くになったところで、ふと僕の見知った相手がいるのに気が付いたんだ。彼と会うのはほんとに僕が倉庫を辞めたとき以来だ。

「あれ?茂部さん?」

 梨原君も僕の存在に気が付いたみたいだ。

「やあこんにちは、梨原君。元気にしてたかい?」

「あ、はい」

 梨原君は人懐っこく、にこっと笑みをこぼした。

「梨原君どうして?今日は休み?」

「あ、はい。なんかぼく急にラーメンを食べたくなったんです」

「奇遇だね。僕もだよ」

 そうして僕は梨原君と一緒にラーメン屋の暖簾を潜ったんだ。

「茂部さん。なんか前より痩せてませんか?」

 梨原君はラーメンをずずっとすすった。ちなみ梨原君が今回注文したのは、こってり豚骨ラーメン定食だ。僕も今日は胃とお金を奮発させて梨原君と同じものを注文してある。

「そうかい? まぁそう見えても仕方がないかも」

 僕も脂が浮いたラーメンをすすった。

「茂部さん、ちゃんと食べてます?食べないと元気出ないですよ?」

「うん。お金があったらね・・・」

 僕は微妙な笑みを浮かべたたんだ。

「茂部さん」

「なんだい、梨原君?」

「その・・・会社を辞めた今、ちゃんと働いてます?」

 それにしても、ほんとに梨原君は言いたいことをずばっと言うよね。梨原君の質問に対して僕は―――

「ううん」

 梨原君の問いかけに僕は首を左右に振る。

「じゃあ、もう一回倉庫に戻ってきます? 僕も倉庫長も茂部さんなら大歓迎ですよ」

 またも梨原君は人懐っこく笑う。ほんと梨原君は優しい人だ。

「え? それは嬉しいんだけど―――」

 僕に戻れって言うことは、誰かが辞めて人員に空きが出たってことだ。もしくは業務拡張―――ってそれはないか。

「誰か辞めたのかい?」

「はい」

 梨原君は眉間に少し皺を寄せ、複雑そうな顔をした。そうしてややあって口を開く。

「芦原さんが辞めたんですよ。しかもいきなりです」

「―――え」

 僕が梨原君の言葉を頭の中で反芻し、それをすることでようやっと梨原君の言葉を理解できたんだ。

「そ、れはどうしてだい? 梨原君は芦原さんに理由を訊いた?」

 僕は努めて動揺を顔に出さずに隠した。

「あぁ、なんか。えっとあれは確か先月の十一月十一日のことだったんです。突然倉庫に一本の電話が芦原さんからかかってきて『私辞めます』って」

「へ、へぇ・・・」

 なんだそれ。芦原さん・・・きみは―――。

「なんか、倉庫長が芦原さんに折り返し電話をしたんですけど、なんか以前から付き合っていた男性が芦原さんにはいたみたいで、その男性が重い物で身体を壊すような仕事を辞めるように芦原さんに言ったらしいですよ」

「ふ、ふ~ん。なんかでも突然辞めるなんて芦原さんらしいね」

 う、うそだろ?芦原さんって付き合っていた彼氏がいたのか―――。じゃあ僕はなんのために倉庫を辞めたんだろうか。そんな『彼氏がいる』なんてそんなことを芦原さんは、誰にも言わなかったよ?

「だからぼくとしては茂部さんに倉庫にかえってきてほしいんですよ。どうですか?」

 いつの間にか梨原君は麺を平らげていて、炒飯をもぐもぐと頬張っていたんだ。

「ちょっと待ってくれるかい、梨原君。まだ僕気持ちの整理がつかなくて・・・」

「え、まぁいいですけど、早めに返事がほしいです。あれですか、同僚にはやっぱ会いづらいですか?」

 違う。そんなことで僕の気持ちに整理がつかないんじゃなくて―――・・・芦原さんへの―――付き合っている男性がいたという、彼女に対しての僕の気持ちの整理だ。

「あ、うん。そんなところかな。ちょっと決心がね」

 僕は適当に言葉を濁す。もちろん芦原さんのことは衝撃的なことだった。それ以外に僕の心にはあるものというのは。

 もし面接に行った会社が受かって、倉庫と―――ダブルブッキングしたら困るし、なによりも僕が数日前の面接のことを梨原君に言うことで、梨原君に面接の会社と『二股』をかけていることを知られたくなかったんだ。

「あ、じゃあ僕の電話にメールしてくださいね」

「うん。解ったよ、ありがとういろいろと梨原君」

「これぐらいどうってことないですよ、茂部さん。またぼく茂部さんとラーメン一緒に食べに行きたいです」

「うん」

 そうして食べ終え、会計を終わらせた僕達は店の前で別れた。僕は坂を登って家へと、梨原君はまだ用事があるらしいよ。だから、彼はそのまま電車に乗ってどこかへ行った。


 三日後。面接に行った会社から待ちに待った、合否通知の日がやってきたんだ。そんな朝の十時頃のこと―――

「ッ」

 僕はほんとに小心者だ。面接に行ったときに着信音からマナーモードに設定したそのままの僕の携帯電話はぶぶぶぶっと震えたんだ。

 緊張した面もちで僕は自分の携帯電話をパカッと開く。

「え?」

 それは電話のほうの着信振動じゃなくて携帯電話会社からの通知のメールだった。

「なになに・・・?」

 僕はそのメールを開いて中身を読んでみた。すると、その内容は―――

「・・・」

 3Gのサービスが近々終了のお知らせメールだった。使用する機種をスマートフォンに変更してくれ、とのことだ。

「そ、そんなこと言われても僕には・・・お金がないし―――」

 僕はガクッと肩を落としたんだ。はぁ、ほんとうにこの世の中はお金がないと生きていけないんだな・・・。

 そんなこんなで結局僕は携帯電話を前にしたまま、昼になってもそわそわとそこから遠くに動くことができなかったんだ。十二時になってもまだ面接先の会社から電話はかかってこない。会社の昼休みの時間は電話なんてかかってこないだろう。

「っと」

 僕は座っていたり、寝ころんだりしていた体勢からむくっと起き上がり、台所に向かったんだ。冷蔵庫を開けば、もうスーパーでまとめ買いしていた食料も残り少なくなっている。当然、通帳の残高もしかり。

「安上がりな油飯でいいか」

 僕はガスレンジのつまみを回して、それと同時にフライパンを火にかけた。そこに残り少なくなっていたサラダ油を少し入れて加熱する。炊きだめしていた冷ご飯を冷蔵庫から取り出し、熱したフライパンに投入する。それをかき混ぜながら、味付けは塩とコショウをぱらぱらと。これで油飯の完成だ。

 僕はそれを平たい皿に盛り付けた。そしてぱくぱくと僕は油飯を食べていったんだ。

「遅いなぁ・・・」

 もう十五時だ。それでも合否通知の電話はない。そして十六時半頃のこと―――。

「ッ!!」

 ついに待ちに待った僕の携帯電話が震えた。僕は携帯電話をパカッと開いて耳元に当てた。

「も、もしもし茂部です」

 うぅやっぱり、面接のときと同じで緊張するなぁ。

「あ、私採用担当の者ですが、今回は縁がなかったということで」

 えっ―――!? そ、そんな不合格なんて―――・・・。

「あ、あのっ」

 僕はなにか言おうと、というかせめてどういった理由で僕が不合格になったのか知りたかったんだ。

「はい、それでは。ツーツーツー・・・」

 でも、採用担当の人にすげなく電話を切られてしまった。そうだ、もう一回電話を折り返しかけてみようかな―――と僕は着信履歴を見てみた。でも―――

「えっ!?」

 僕の古い携帯電話の液晶画面には『非通知設定』の文字―――これじゃあ電話をかけてみようにもかけることはできない。

「仕方ないよね」

 これは全て僕の力不足のせいだ。でも、まだ僕は天に見放されてはいない。僕には梨原君がいる。梨原君は三日前、ラーメン屋で僕に戻ってきてほしいと言っていた。だから、さっそく僕は持っていた携帯電話をその手に持ち、梨原君にメールを打とうと思ったんだ。

 梨原君のメールアドレスは僕の携帯電話に登録されてある。僕はアドレス帳から梨原君の項目を出してさっそくメールを打ったんだ。


XX/12/08/ 16:42

To 梨原君


こんにちは梨原君。梨原君が三日前に、僕に話してくれた話を受けようと思うんだ。僕、倉庫に戻るよ。これからまたいろいろとよろしくお願いします。



 僕は梨原君の電話にメールを送った。すぐに返信があるなんてことはないだろう。彼は正社員だしね。きっと夜か明日だなぁ・・・。

 僕は心身の力を使い果たしかのように、ぼろアパートの畳の床で大の字になって寝転がった。右手に掴んでいるのは僕の古びた年季の入った携帯電話だ。

「―――いろいろあったよなぁ、あの倉庫で」

 僕は倉庫に入った頃の思い出、勤め始めた頃、梨原君との出会い、芦原さん、今池君、川田君、的場君、その他のみんなのことを思い出す。そうして僕の目蓋が徐々に重くなって僕は、引きっぱなしにしてある、せんべい布団までごろごろと転がるように移動すると、僕はその中に潜り込んだんだ―――。


 ふぅっと目が覚める。もう、朝になっていた。

「ん・・・うぅ・・・」

 僕は近くに転がっている携帯電話を手探りで掴んで引き寄せ、時間を確認する。朝の六時十三分だった。ずいぶんと朝早い。

「あ、あれ・・・?」

 僕は液晶画面にメール着信のお知らせがあることに気が付いて急速に眠気が醒めていった。

「そうだ、梨原君にメールを送ったんだ・・・!!」

 僕は梨原君からの受信メールを開いてみた。するとそこには。『すいません茂部さん。昨日の十六時半頃に新しい人が面接にきまして倉庫長がその人をそく採用してしまったんです。一応確認のためにぼくが茂部さんの電話に電話しても、茂部さん話し中で出られなかったので。すいません、茂部さん。あの話はなかったことに』」

 それは梨原君からのわずか数行のメールだったんだ―――

「―――・・・」

 僕の右手から携帯電話がずり落ちて布団の上に、ぼとりとすべり落ちた。また、あの職業安定所に通いつめないといけなくなったな・・・。

「はぁ・・・―――」

 僕はがくっと項垂れたんだ―――

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