第四話 僕の夕食が久々ににぎやかだったわけ
第四話 僕の夕食が久々ににぎやかだったわけ
「茂部さん」
それはある日のこと、僕が『あと三十分であがりか』と思っていたときのことだった。梨原君がふらふらと僕のところにやってきたんだ。ちなみに今日の僕は的場さんと一緒の梱包作業だ。今池君と一緒になっての作業じゃなくて本当に良かったよ。
「どうかしたの、梨原君?」
僕は、僕の名前を呼んできた。梨原君に視線を向けてそう言ったんだ。
「茂部さん。今日なんか、荷物が多いんで二十二時まで残業ってできます?」
「―――・・・」
二十二時までかぁ・・・僕は一瞬考えた。確かに早く帰りたいけど・・・お金も欲しいし、・・・でも、なにより梨原君は困って僕に声を掛けてくれたんだ。なら―――
「うん。二十二時だね?いいよ、梨原君」
「助かりますよぉ、茂部さん。じゃあお願いしますね」
イケメンの梨原君は人懐っこく笑った。
「うん、任せてよ」
「はい、お願いします茂部さん」
梨原君の僕への用事は終わったようで、彼はふらふらとまたどこかの作業場へと歩いていった。それを見届け、僕は今日の相棒の的場さんと梱包作業を続けていったんだ。
「おつかれさまです、的場さん」
「うん。おつかれー、茂部さん」
今日の仕事も終わりそして、僕と梨原君との約束の二十二時になった。僕は一緒に作業をしていた的場さんに声をかけると更衣室に向かう。的場さんも二十二時で終わるから、的場さんと僕は一緒に更衣室まで行く。この二十二時を境にこの勤務先の倉庫は深夜操業に変わり、深夜勤務の人と入れ替わるように、僕達昼勤のシフトに入っている従業員は帰り支度を始めるんだ。でも、今池君はいろいろできて優秀な子だから、夜通し仕事をしているときも多い。僕と違って今池君は頭がいい子だからね。僕は平凡以下のしがない、まるで社会の底辺を這い回る地虫のような存在だ。だから僕にそんな深夜残業の声がかかるなんてことはない。未だかつて声がかかったことはない。
「おつかれさまです茂部さん」
「あれ?梨原君?」
そんな僕が帰るために倉庫の出入り口を開けて外に出たときだった。梨原君が扉の外に立っていたんだ。梨原君は倉庫の外で僕を待っていた?のかな、と僕は思った。
僕の視界に、夜の漆黒の闇の海が見えるのを背にして梨原君がスマートフォンをいじっていたんだ。倉庫から出てきた僕に気づいた梨原君はスマートフォンの電源を落としてズボンのポケットに仕舞った。
「茂部さん。今日久々に駅前商店街でラーメンでも食べていきませんか?」
梨原君は人懐っこく笑みを浮かべた。
「え? でもお金ないからダメだって」
「ぼくの驕りです」
梨原君はにこりと笑う。
「―――・・・」
いや、でもそんな梨原君に奢ってもらうのも悪いしなぁ・・・。僕がそんなことを思っていたとき、また梨原君の口が開く。
「大丈夫ですよ。ぼくの話に茂部さんが付き合ってくれるっていう手間賃みたいなもんっですよ。食べに行きましょうよ、茂部さん」
「う、うん。それなら、行こうか梨原君」
「そうこなくっちゃ」
梨原君は満面の笑みを浮かべたんだ。
「ちょっと待っててね、自転車を取りに行ってくるから」
僕は梨原君にそう告げると、倉庫の端にある駐輪場へと向かった。その駐輪場は倉庫の街灯の明かりの光に煌々と照らされていて、僕は愛用の自転車を取り違えることもない。僕は愛用の愛車である僕の自転車の鍵を解き、梨原君と合流したんだ。
「で、そんなことを言ってたんですよ、彼は」
僕は梨原君の話に適当に相槌を打ちながら・・・僕達は歩いて駅へと向かっている。
「ふ~ん」
梨原君という子はほんとに世間話が好きな子で、今話題の世間話を僕に聞かせてくれた。でも、梨原君の好きな話は世間話ばかりでもない。そこいらの手短な世間話以外にもたくさんの話を、ようするに彼は多趣味なんだ。車の話から歌手やカメラ、旅の話、自分の田舎の話やら、放置林を有意義な果樹園化する話から、はては宇宙開発まで、ほんとに梨原君は博識でその知識はとても幅広い面にまで及んでいる。彼は将来的に大物になる男だと、僕は思っている。
「―――」
梨原君に比べ僕は―――僕はこのままいっても頑張っても頑張っても、まるでこの底辺を這い回るような地虫から抜け出すことはできないだろう。古い昔の人も言っていた、なぜ人は生まれながらにして境遇が決まっているのだろう、と。皇帝の子として生まれる者もいれば、奴隷の子として生まれる者がなぜいるのだろう、と。
「―――」
「聞いてます?茂部さん」
「あ、うん。聞いてるよ、梨原君」
僕は顔を上げた。もうすでに僕達がいるところは倉庫街じゃなくなっていて、駅前へとつながる商店街にいる。
「あそこのラーメン屋でしょ?」
僕は電飾で彩られたラーメン屋の看板を指さした。
「そうです。ぼく今日はちょっと変わった汁なし麺を食べたいんですよっ」
梨原君は嬉しそうに破顔一笑する。
「あそこのラーメン屋っておいしいよね?」
僕は、まだ母さんが存命中の頃に、よくこの梨原君と一緒にこのラーメン屋でラーメンを食べていたんだ。その頃の梨原君はまだアルバイトの身分で、仕事終わりにあがる時間も一緒だったから、こうして今のように帰り際にはよくこのラーメン屋でラーメンを食べたもんだ。
そうして僕達はラーメン屋の暖簾をくぐったんだ。
「なんでも注文してくれていいですよ?」
「うん」
そんな僕に奢ってくれるなんてうれしいことを梨原君は言ってくれる。でも僕は梨原君にちゃんとお金を払うつもりだ。それに梨原君は僕より十歳近く若いしね。梨原君は、立場上は僕の上司だけど、僕のほうが年上だ。
それに奢りっていうのはうれしいものだけど、自分が食べる分はちゃんと自分で払いたい。
「へい、おまち」
「汁なし麺、うまそうです」
かっこいいいわゆるイケメンの部類に入る梨原君の前に汁なし麺が到着する。それは深みのあるお皿に汁のとても少ない文字通りの汁なし麺が乗っている。麺の色は小麦色で、脂とごくわずかのつゆで、麺はてらてらと輝いていた。しかも梨原君は定食で注文したから、その横にあつあつの香ばしいきつね色の餃子一人前とほくほくとした炒飯も一緒についている。
そうして注文を待つこと数分後、僕の目の前にも、僕が頼んだ餃子つきのタンメン定食が到着した。
「茂部さんタンメンなんですか?」
僕の頼んだタンメン定食を見て、梨原君はきょとんとした顔になった。
「うん」
「前はもっとギトギトなあぶら麺定食を頼んでませんでした?茂部さん。しかも炒飯にご飯つきでニンニクつきのスタミナあぶら麺定食を」
梨原君は僕が注文したタンメン定食を興味深そうに眺めた。
「いや、それは若いときの話だって。今の僕はもう若くないおっさんだから野菜たっぷりの健康的なタンメン定食がちょうどいいかなぁってさ」
「まだ四十代でなにを言ってるんですか・・・茂部さん。茂部さんはまだまだ若いですよ」
梨原君ははぁっと呆れたようなため息を僕につくと、今度は期待するような眼差しで自分の汁なし麺に視線を落とした。それから梨原君は割箸を割ってふと僕にまた視線を戻した。
「そういえば茂部さん知ってますか?」
「なにを?」
僕も梨原君に遅れること数秒、手にした割箸をパチンと割ってそれを右手に持った。
「なんか今会社で『宝くじ』が流行ってるらしいんですよ」
梨原君は汁なし麺をおいしそうにちゅるちゅると吸い込んだ。
「へぇ・・・初耳だよ」
うん。僕は人とあんまり話をしないし、話しかけられることもあまりないからね。そんな梨原君の言う、宝くじの話が僕の職場で流行っているなんて話は、僕は聞いたことがなかった。
「なんか、川田さんが二万五千円と三十万円当たったらしいんすよ。いやぁいいですよねぇ。ぼくも欲しいですよ」
「ほんとに?そりゃすごいね、川田さん」
川田さんっていう男の人は僕の倉庫の同僚の人で、彼は人当たりがよくいろんな人と話をしているところをよく見かける。僕は川田さんとあんまり、いやほとんど喋ったことはないけど、少なくとも川田さんの悪いことを言う人は僕の知っているかぎりじゃ倉庫の中にはいない。そんな人なんだ、川田さんという男の人は。この今僕の目の前に座っている梨原君も人当たりがいい人だけど、川田さんは梨原君とは違う感じで人当たりがいい人物だ。川田さんの笑みは、梨原君のそれとは違っていてほんとにすがすがしい笑みをよく浮かべる人なんだ、川田さんは。
「なんか、そのお金でいろいろと自分の持ち物を更新するらしいですよ、川田さん」
「へぇ・・・僕なら生活費に充てるかなぁ・・・」
そこで梨原君ははぁっと呆れるようにため息をついた。まるで僕に当てつけるように。いつの間にか、梨原君が左手に持っていた水の入ったコップが、黄金色のビールが入ったジョッキに変わっている。
「生活費に充てるなんてってシケてますね、茂部さんは。不労所得なんてもっとぱぁっと使いましょうよ、茂部さん」
「みんなそんなものなのかなぁ・・・」
徐々に酒がまわってきたのか梨原君の目がとろんとしてきて、言葉の端々、語頭と語尾も崩れてきているようだ。
「そうですよ。日本一周旅行とか。あ、ぼく、日本全国の岬回りをして岬の写真をカメラで撮っていきたいんですよ。北から宗谷岬でしょ?納沙布岬でしょ?塩屋崎でしょ?犬吠埼でしょ?洲崎でしょ?石廊崎でしょ?御前崎でしょ?潮岬でしょ?生石鼻でしょ?鵜崎でしょ?松帆の浦でしょ?雁子岬でしょ?室戸岬でしょ?足摺岬でしょ?佐田岬でしょ?そこから九州に上陸して佐多岬―――」
お酒が入った梨原君の口は止まることを知らない口だ。
「いやぁ、行ってみたいです。ぼく」
日本全国ぐるっと一周主要な岬を言い終えて、梨原君はそのきらきらした眼差しを僕に向けた。
「それじゃあ、三十万円ときかないね・・・」
「それでもいいんっすよ。回って写真に収めることに意義があるんっすよ」
「そんなものかなぁ・・・」
そんな他愛のない話を、いつの間にか酒の入っていた梨原君とうだうだ話をしながらその夜は更けていった。
「梨原君、気を付けて帰りなよ?終電を逃がしたダメだよ?」
「あ、はい。わかってますよ。茂部さんも気を付けて帰ってくださいね」
僕はほろ酔いの梨原君を駅まで送り届けた。彼の家はこの駅から数駅向こうの駅にある。ほろ酔いでいい気分の梨原君が駅構内へと消えていく姿を見届けた僕は、そこから踵を返した。駅舎を出て、駅のロータリーに着くと僕は自転車のサドルに跨った。ちなみに僕は、梨原君と違って酒を一滴も飲んでいない。生活費に充てるためのお金をこれ以上使いたくなかったからだ。それと自転車でも飲酒運転になるしね。
僕の山の麓にある新居へと続いていく道はこの駅から、徐々に角度がついてきて上り坂になっていく。
「久しぶりににぎやかな夕食だったなぁ・・・それにお腹もいっぱいになったし」
僕は満腹になった腹をさすると、自転車を漕ぎはじめ帰路についたんだ。それにしてもさっき梨原君が言っていた一攫千金の話―――。
「宝くじかぁ」
僕はこれまで宝くじなんて買ったことはない。しかも梨原君の話によると、宝くじにもいくつか種類があるみたいで、当選金額は低いけど当たりやすいもの、当選金額は高額だけど当たりにくいもの。あとは削って当たりか外れかをその場で見るものなど。他にもいっぱい。
「―――買っちゃおうかなぁ?僕も」
そんな梨原君から聞いた話のことを胸に秘め、僕は徐々に角度が急になってくる上り坂を自転車で漕ぎ続けたんだ。
次の日、いつもの出勤時間より三十分ほど早く家を出た僕は、駅前にある宝くじ売り場を目指して自転車を漕ぎだした。僕の新居から駅へと続く道は下り坂だからほんとに楽ちんだ。僕は自転車で風を切るように駅前に向かう。家を三十分も前に早く出たのは、僕は宝くじを買うなんてことは初めてのことで自信がなかったから、うんそうだ。
自転車を宝くじ売り場の邪魔にならない位置に停めた僕は、宝くじ売り場の前に貼りだされた広告を、穴が空くほどじぃっと見つめた。
「ほんといろんな種類があるんだなぁ・・・」
一口三百円の宝くじが多いけど、中には一口二百円のもある。削って当落が分かるものは一口二百円だ。
「うん。やっぱここは―――」
当選確率の低い宝くじがそうそう当たることなんてないだろうけど、やっぱり僕は一攫千金を狙ってみたい。もし、七億円が当選すれば、僕は、僕は―――でも、やっぱりこの今の倉庫内作業の仕事を続けていると思う。まぁ、でも家はもっといいところにかわるかもしれないけどね。それから弟夫婦や妹夫婦に少しくらいはあげてもいいかなぁって思う。僕には子供がいないっていうか嫁さんはおろか彼女もいないし、付き合った女の子も今まで誰もいない。今は、す、好きな子っていうか、見ていて安らぐ女の子が職場にいる。
「あぁ、僕は何を言っているんだろう・・・っ」
周りの人が僕を見ればにやにやしている変質者に見えるんだろうなぁ。僕は表情を改めた。えっとそうそう、だから、甥っ子や姪っ子は僕にとってはかわいい子達だ。その子達に僕のお金が使われるなら、まぁ本望だ。
店員さんに七つの数字を選ぶ宝くじの書き方を教えてもらいながら、僕は七つの数字を選んで書いていったんだ。
「これ一口お願いします」
僕は店員さんに三百円と選んだ数字を書いた紙を渡した。そして、僕は店員さんから僕の選んだ数字が印字された一枚の券を引き替えに受け取る。それを財布の中にねじ込むように押し込んだ僕はその足で職場の倉庫に向かったんだ―――