97話 聖女は報告を受ける
「樹歌の力が弱まっていないか、ですか?」
「そうよ。心当たりはないかしら?」
向けられた問いかけに、フィオーラは目をまたたかせた。
目の前にいるセライナから、聖女の座を引き継いでから数か月ほどが経っている。
世界樹であるアルムのおかげもあり、フィオーラの聖女としての仕事は順調だったはずだ。
「いえ、特には……。むしろ練習を重ねたことで、前より上手く、樹歌を扱えるようになっていると思います」
樹歌とは即ち、世界樹の奏でる歌である。
人の言葉ならざる歌詞。奇跡をもたらす旋律。
人知を超えた領域だが、稀に樹歌の意味を解し自ら歌うことができる人間、吟樹歌師と呼ばれる存在がいた。
フィオーラもその一人だ。
新しく世界樹となったアルムの主であるため、樹歌に関する素質はとても高かった。
まだ未熟で、アルムと比べると出来ないことも多いが、それでも人間の中では飛びぬけた樹歌の歌い手となっている。
「セライナ様の樹歌の力も衰えることなく、ますます磨きがかかっていますよね?」
先代の聖女であるセライナは、フィオーラに次ぐ樹歌の歌い手だった。
長年研鑽を積んできただけあり、細かな制御や応用などは、フィオーラより上の部分もある。
聖女の座を退いてからもたゆまず鍛錬を行っており、樹歌に不調は見受けられていなかった。
「えぇ、私も樹歌の調子がいいわ。でも、そうじゃない吟樹師もいるみたいなの。樹歌の効果が弱くなったと、報告が来ているのよ」
「力の衰え……。原因はまだ、見つかっていないのですか?」
フィオーラはセライナへと問いかけた。
聖女であるフィオーラだが、主な仕事は樹歌を歌ったり、各地の要人と顔をつなぐことだ。
教団内の取りまとめ、吟樹師や神官たちの統率は現在、セライナが中心になり行っている。
聖女となって数か月のフィオーラ一人では手が回り切らないため、分業している形だ。
「本格的な調査はこれから行わせるつもりよ。現時点でわかっているのは、年のいった吟樹師ほど樹歌の衰えが大きい傾向にあることね。吟樹師の数自体が少なくて、報告例もまだ数件だから、よくわかっていないわ」
「……アルム、心当たりはありますか?」
声をかけるも、言葉は返ってこなかった。
フィオーラは焦ること、隣に立つアルムを見つめた。
毛先にいくにつれ緑を帯びる、人ならざる髪色。
同色のまつ毛に囲まれた瞳は、今は閉ざされ見えなかった。
瞳を閉じたアルムは無言で、ふらつくこともなく立っている。
(綺麗な蝶。マナの流れが活発になっているわ)
ひらりひらり。
アルムの周りを舞う光の蝶たち。
常人には見ることのできない、マナと呼ばれる世界を巡る力だ。
アルムから生まれ飛んでいく蝶と、反対に体へと吸い込まれていく蝶の群れ。
マナの流れを活発化させ、マナを介して情報を集めているらしかった。
蝶の羽ばたきに照らされた、神々しいまでに美しいアルムを見ることしばらく。
蝶の行きかいが緩やかになっていき、ふるりと長いまつげが震える。
若葉を思わせる、美しい緑の瞳がフィオーラへ向けられた。
目が合うと、アルムが小さく笑みを浮かべる。
それだけでフィオーラの心臓は、鼓動を早くしてしまった。
「ざっと確認してみたけど、僕の方、世界樹の側には、これといった不調は見受けられないよ」
「確認ありがとうございます。代替わりの儀の影響も、もうほとんど収まっているのですよね?」
代替わりの儀。
先代の世界樹からアルムへと、多くの力と知識を引き継いだ儀式だ。
儀式後しばらくは、いくらか力が不安定になることもあった。
「うん、ほぼ収まっているよ。力の揺らぎ自体はあるけど、それは寄せては返す波のようなもの。対処が必要なものじゃない。フィオーラの樹歌のおかげもあって、世界樹の力は安定しているよ」
「良かったです」
フィオーラはほっと息をついた。
世界樹は、大陸全土のマナの流れを整わせる力を持っている。
マナの流れが整えば、黒の獣と呼ばれる、人に仇なす存在が生まれることもなくなるのだ。
それが聖女として期待される、フィオーラに望まれる役割の一つだった。
「でも、でしたらどうして、吟樹師の方たちの樹歌が、弱まってしまったのでしょうか?」
「ズレ、じゃないかな?」
「……世界樹との?」
「そうそう。樹歌っていうのは、マナに働きかけるものだ。吟樹師はマナへの感受性が高くて、マナの流れに介入することができる人間のことだって、前に言ったことがあるだろう?」
「あ、なるほど……。新しくアルムが世界樹になって、世界を巡るマナの性質が変わったから、今までと同じように樹歌を使おうとすると、上手くいかなくなったってことですね?」
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