93話 令嬢は裏事情を知る
「なぜだ……?」
呆然としたネイザスの声を聞きながら、フィオーラは体を起こした。
「薬が効いていないのか⁉ あの聖女、約束を破って――――」
「しっかり効いていましたよ」
確かに、薬は効いていたのだ。
しかしフィオーラには、いかなる薬や毒であっても、効果を消す手段を持っていただけだ。
(アルムの血は、万能の薬だもの)
事前に分けてもらった血を小さなガラス瓶につめ、隠し持っていたのだ。
ほんの数的だったが、アルムの血の効果は劇的だった。
すっかり回復したフィオーラは動けないフリをして、リムエラたちが気持ちよくしゃべるのを聞いていたのだ。
「っ、このっ‼ 薬すら効かないなんて、おまえ、やっぱり化け物なんじゃないの⁉」
リムエラが喚き散らしながら、ネイザスの手から剣を奪い取り、フィオーラへ振り回し始めた。
「さっさと死にな――――ぎゃあっ⁉」
髪を引っ張られ、リムエラが絶叫している。
フィオーラが樹歌で生み出した蔦に捕らえられ、たちまち縛り上げられていった。
「っ、くるなくるなーーーっ⁉」
リムエラに続き、フィオーラは手早くネイザスを蔦で無力化した。
二人まとめて蔦で縛り上げ、動けないよう転がしておく。
命を狙われた以上、見逃す選択肢はないのだった。
(これで一段落。でもきっとそろそろ――――)
「あら、不細工なミノムシが二匹、ごろごろと転がっているわね」
フィオーラの予感は的中した。
ネイザスらを見下ろしながら、セライナが歩み寄ってくる。
悠々自適としたその姿に、フィオーラは拳を握り込んだ。
「……これは全部、セライナ様が仕組んだことですよね?」
「えぇ、そうよ。よく気づいたわね」
「……すごく、怪しかったですから……」
これといったきっかけもなく、セライナがフィオーラへの態度を軟化させ、世界樹の代替わりの情報をよこしてきたこと。
フィオーラをアルムから離してから、わざわざお茶に誘ってきたこと。
(……どう考えても、何か企んでいます、っていう、不自然な点ばかりだったもの)
フィオーラはため息をついてしまった。
「……セライナ様の目的は、私を試すことですよね?」
セライナは笑ったまま、肯定も否定もしなかった。
ただ愉快そうに、フィオーラの推理に耳を傾けている。
「私が紅茶を警戒し薬に気づくかどうか、気づいた薬にどう対処するのか、ネイザス陛下たちをどう無力するのか……全部観察していらっしゃったんでしょう?」
「正解よ」
セライナがにっこりと、悪戯っ子のように笑った。
「フィオーラのことが気になっている時、ちょうど陛下が、私に話を持ち掛けてきたのよ。『おまえの聖女の地位を脅かすフィオーラを始末してやるから協力しろ』って、そう接触してきたわ」
「……セライナ様はそれを逆手にとって、私を試す材料にしたんですね?」
「お馬鹿な陛下を、有効活用してあげただけよ」
私、馬鹿って嫌いなのよ、と。
セライナが呟いた。
「……ネイザス陛下本人が、直接この場にやってきたのも、セライナ様が手を回したんですか?」
「そうよ。『紅茶に薬を仕込む役割の私だけが、直接手を汚すのは嫌。陛下たちにも同じように、現場でフィオーラに手を下してください』って頼んだら、しぶしぶ了承してくれたわ」
滔々と語るセライナに、フィオーラは軽く恐怖を覚えた。
国王であるネイザスに対してさえ、セライナは全く遠慮していなかった。
「……セライナ様はどうして、そこまで手を回して、私を試そうとしたんですか?」
「あなたがアルムの主だからよ」
セライナがフィオーラをまっすぐに見つめた。
「控えめに言ってあなたの存在に、世界の運命がかかっているのよ? 気合を入れて、試したくなるに決まっているでしょう」
「……ですがその割には、一歩間違えれば、私が死んでいた試し計画に思えるのですが……」
「その時はその時よ。今回の試しを乗り越えられない人間が次期世界樹の主になるくらいなら、主の座が空の方がまだマシだと思うもの」
そう言ってセライナは、小さく肩をすくめた。
「あなたは魔導具への意見と言い、未熟で甘いところばかりだったもの。こうして試してみなきゃ、次代の世界樹を任せることなんて、とてもできないと思わないかしら?」
「それは……」
もっともな指摘に、フィオーラは黙り込んでしまった。
まだまだ足りないところばかりなのは、誰よりフィオーラ自身が自覚しているからだ。
「ふふ、可愛らしいわね。あなたは甘くて未熟だけど……。それは誇ってもいいことよ? 未熟と言うことは、成長の余地があるということ。それに、あなたの掲げる、魔導具への理想は甘ったるいけど、世の中、そんな甘い理想でさえ、掲げられない人間が大半何なんだもの」
あなたには期待してるわよ、と。
笑いながらも真剣な声で、セライナが告げたのだった。
(セライナ様の期待を裏切らないためにも、成長しないといけないわ)
フィオーラは小さく息をつくと、世界樹の幹を見つめた。
(あとは、アルムが戻って来てくれれば一段落ね……)
依然アルムは世界樹の幹に手を付けたまま、微動だにしていなかった。
「セライナ様、教えてください。どうすればアルムを、元に戻すことができるんですか?」
「触ってあげなさい」
セライナが世界樹を見つめた。
「今回、私は色々と企んでいたけど、代替わりの儀自体は本物よ。儀式が成功していれば、あなたが触れることで、アルムは元に戻るはずよ」
「私が触る……」
自らの手を、フィオーラは握り込んだ。
(……本当にそれだけで、アルムは元に戻るの?)
不安は尽きなかった。
しかし他に頼れる方法がないのも事実だ。
一つ深呼吸して息を整えると、フィオーラは世界樹へと向かっていった。