92話 令嬢は因縁を語られる
「……ネイザス陛下、なぜここに? これはいったい……」
テーブルへ頭をつけたまま、フィオーラは瞳と口だけを動かした。
ネイザスは暗い瞳で、フィオーラをじっと見下ろしていた。
「フィオーラ、よりによっておまえが、次期世界樹の主になどなるから悪いのだ」
「それ、はどういうことで――――」
「久しぶりね、フィオーラ」
フィオーラは瞳を見開いた。
聞きなれた、二度と聞きたくない声だった。
「リムエラ義母様……?」
「そうよ。随分愉快なことになっているじゃない」
毒の滴るような笑みを、リムエラはフィオーラへと差し向けた。
いささかしわが増え老け込んでいるが、瞳は爛々と輝いている。
「これでおまえも終わりよ。欲をかかず大人しくしてれば、もう少し長生きできたかもしれないのに残念ね?」
「何が、どうなっているんですか……?」
「わからない? 馬鹿な子ね」
くすくすと、心底楽しそうに、リムエラが笑い声をあげている。
「何もわからず死ぬのもかわいそうだし、最期に私が教えてあげるわ」
余裕たっぷりに、憎い相手を見下ろす快感に、リムエラは頭まで浸っていた。
「おまえはおまえの母親の出自について、どこまで知っているかしら?」
「……お母さまは平民出身の侍女で……」
「そんなの嘘っぱちよ、あの女はね、本物のお姫様だったのよ」
「え……?」
フィオーラの喉から、かすれた声が飛び出した。
信じられないと言ったその様子に、リムエラが唇を歪めた。
「そう、お姫様よ。いつだってちやほやされ可愛がられて、それを当たり前に思っていた……反吐が出るような、生まれながらの主役があの女よ」
瞳に憎悪をたぎらせながら。
リムエラは長年の恨みを、フィオーラへとぶつけていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――――フィオーラの母親・ファナは生粋のお姫様だった。
本名はファティシエーナと言い、両親はアルカシア皇国の前国王夫妻だ。
祝福され生まれ、愛されて育っていった、ファティシエーナことファナ。
体が弱かったが、両親に溺愛さて箱入りに育てられ、幸福な人生と言えたはずだ。
しかしその幸福は、ファナが十八歳の日に、粉々に砕け散ってしまった。
ネイザスの手により、両親が事故死に見せかけて殺されてしまったのだ。
命の危険を感じたファナは、身分と名前を捨て逃げることになる。
遠く遠く。異国の縁者を頼り、平民と身分を偽り逃げ伸びたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「――――そうしてファナがやってきたのが、私の実家の男爵家だったのよ」
リムエラが吐き捨てるように言葉を紡いだ。
「私の両親は、昔あの女の両親に世話になったからと、あの女を受け入れたわ。平民として雇い、私の侍女をさせていたのだけど……」
ぎり、と。
リムエラが唇を噛みしめた。
「なのにあの伯爵がっ! あんたの父親があの女にたぶらかされたのよっ‼」
あの日のことを、あの日の屈辱を、リムエラは今でも鮮明に覚えていた。
身分を偽り働いていたファナに、伯爵が一目ぼれしてしまったのだ。
『俺は、あの美しい侍女が愛人に欲しい。リムエラをうちの伯爵夫人に据えてやるから、ファナをうちへ連れてきてくれ』
そんな要求に、リムエラの両親は最初反対したが、伯爵家からの圧力には抗しきれず、ファナを手放すことになった。
ファナのついで、おまけとして、リムエラは伯爵夫人の座を手に入れたのだ。
「忌々しいわっ!! 憎くて憎くて、だから、あの女が死んだ時はせいせいとしたわ。……なのにおまえが、あの女の娘であるおまえが、また私の幸せを邪魔しようとするから! だからこんなことになったのよ‼」
テーブルに臥したフィオーラへ、リムエラは激情のままに叫んだ。
呼吸を荒げ、積年の恨みを晴らそうと激情していた。
「ふふ、あはははっ!! あはははははっ‼ 良い気持ちよぉ!! おまえはもう終わりよっ!!薬が回って、まともに舌さえ動かえないから、ご自慢の樹歌だって使えなーーーー」
「リムエラ、少し落ち着け」
甲高い叫び声にへきえきとしたのか、ネイザスがリムエラを制止した。
「おまえが優れていることは、私が認めているよ。おまえがくれた手紙のおかげで、こいつがあのファナの娘だと、確信を持つことができたからな」
ネイザスは、フィオーラと始めた会った時の衝撃を思い出した。
フィオーラは、母親のファナの生き写しだった。
ファナは箱入り姫だったため、今のところ他に気づいた人間はいなかったが、時間の問題だと気づいたのだ。
(まさかファナが生き延びていて、娘まで作っていたなんて予想外だ。しかもその娘がよりによって、次期世界樹の主になるなんてなっ……!)
一歩間違えれば、ネイザスが築き上げてきた全てが瓦解する危機だった。
どうにかフィオーラを始末しようと、必死に考えたのだった。
(……おかげでこうして何とかなりそうなのだから、天運は私にあるようだがな)
フィオーラ本人に恨みはないが、生かしておくことは出来なかった。
剣を抜き放ち、フィオーラへと向けたところで――――
「……そういうことだったんですね」
「……なっ……⁉」
むくり、と。
薬が効いているはずのフィオーラが、起き上がったのだった。