91話 令嬢は代替わりの儀を見守る
「フィオーラ、よく来てくれたわね」
セライナが指定したのは、世界樹を囲む柵の切れ目。出入りのための門の部分だった。
中心にある世界樹がとても大きいため、円周の一部である門は、ほぼ直線のように見えた。
「世界樹様の代替わりの方法は、実は簡単なことよ」
すらりと右腕を持ち上げ、セライナが世界樹を指さした。
「世界樹様の根元に行って、幹に手を触れるの。そうして今の世界樹様とつながって、認められることができれば、晴れて代替わり成功よ」
「今の世界樹様に、認められる……」
フィオーラはごくりとつばを飲み込んだ。
「今の世界樹様と、お話しすることができるのですか?」
少し意外だった。
世界樹は偉大だが、ただ黙して人々に恵みを与える存在だと、多くの人々は認識していた。
そんな世界樹と、はっきりと意思疎通ができるとは予想外だ。
「人間では難しいわ。でもアルムなら大丈夫よ。彼は世界樹様から生まれ、性質を受け継いでいるもの」
セライナは滔々と語ると、アルムへと視線を流した。
「どう? 今の世界樹様に、認められる自信はあるかしら? 今ならまだ、引きさがることができるわよ」
「……フィオーラが望むなら、僕は進むよ」
アルムの緑の瞳が、フィオーラを正面に捕らえた。
「……アルム、お願いします」
フィオーラは言いつつも、心の中では不安が居座っていた。
(アルムが次代の世界樹として認められたとしたら……。もしかしてもう人間の姿でいられなくなって、話すこともできなくなってしまうのかしら……?)
世界樹の代替わりは、記録に残る限り初めてだった。
その結果何がどうなるのか、誰もわからないのである。
(けれど、それでも……)
黒の獣の脅威を退けるためには、世界樹の力が必要だった。
フィオーラにできるのは不安を見せないようにして、アルムの手を取り進むだけだ。
「アルム、行きましょう。一緒に今の世界樹様の元へい――――」
「駄目よ」
セライナがぴしゃりと言い切った。
「今の世界樹様と次代の候補者が触れ合うと、大きな変化が訪れると伝えられているわ。その時近くに人間がいたら、余波を被って危険よ」
「そんな……」
「……わかったよ」
アルムが頷いていた。
「僕が行って、幹に手を触れてくればいいんだろう? イズーやモモも連れてきているんだ。フィオーラはイズーたちと、ここで待っていてくれ」
「アルム……」
一人送り出す形になるアルムの手を、フィオーラはぎゅっと握りしめた。
その瞬間には、ここのところの気まずい関係も忘れ、ただアルムへの思いだけが満たされていた。
「待っています。だから必ず、無事に帰って来てくださいね?」
「……あぁ、約束しよう」
アルムは一瞬、瞳を大きく見開くと、フィオーラの手を握り返した。
「僕が今の世界樹に認められれば、フィオーラの望みは叶うんだ。認められて、必ず帰って来てみせるよ」
アルムは微笑むと、世界樹へと歩いて行った。
地面に隆起する根を乗り越え進み、幹へと近づいていく。
世界樹の真下に辿り着いたアルムは枝葉を見上げ、幹へと手を伸ばして―――――
「っ!!」
瞬間、ぐわりと。
空間に何かが走っていった。
巨大な存在同士の接触の、その余波の一部のようだった。
(アルム……!)
はらはらと見守るフィオーラの先で、アルムは微動だにしなかった。
幹に手をあてたまま、ずっと黙り込んでいる。
心配になって見守っていると、フィオーラはすぐ近くに異変を見つけた。
「……イズー?」
代替わりを見届けなければ、と言うように、イズーが世界樹を見つめている。
フィオーラの呼びかけにも答えず、まるで置物のようになっていた。
(……アルムと、同じような状態なの? イズーは精霊だから、何か影響を受けているのかも……)?
不安が降り積もっていく。
フィオーラが冷や汗を流していると、セライナが声をかけてきた。
「代替わりの儀式は、それなりに時間がかかると書かれていたわ。待っている間、私とお茶でもどしましょうか」
有無を言わせぬ口調で、セライナが微笑んだ、
アルムが代替わりの儀式を行うのを待つ間。
セライナの誘われるまま、フィオーラは紅茶を口にしていた。
淹れられた紅茶は冷めきってしまったが、まだアルムに動きは無いようだ。
「ふふ、そんなに気になるのかしら?」
セライナは美しい所作で、紅茶のお代わりを傾けている。
フィオーラはただ黙り、アルムを見守っていたのだが――――
「え?」
かくり、と。
テーブルへと、頭が崩れ落ちてしまった。
「……薬が効いてきたようね」
セライナが席を立った。
「陛下、約束は果たしました。下準備は整えましたから、後はご自由にどうぞ」
「――――ご苦労だったな」
セライナの背後からネイサズが、姿を現したのだった。