90話 令嬢は世界樹の名づけを語る
「フィオーラ・リスティスです。ネイザス陛下にお目にかかり、光栄の限りです」
謁見のためにと用意された一室で、フィオーラは礼をした。
上座に座るネイザスを見ると、なぜか目を見開いている。
(もしかして何か、私の言動に失礼があったのかしら?)
次期世界樹の主であるフィオーラはある意味、国王であるネイザスよりも大きな力を持っている。
しかし、争いは避けたいため、できる限り相手の立場についても、尊重していきたいところだ。
何か粗相があったのかと不安に思っていると、ネイザスが咳ばらいをした。
「……ようこそ。我が国にいらっしゃった。フィオーラ殿の出身は、ティーディシア王国だと聞いているが、間違いはありませんな?」
「はい。陛下がお聞きしている通りです」
「……そうか」
ネイザスは何やら、気になることがあるようだった。
(どうしたのかしら?)
フィオーラは疑問に思い、ネイザスをそっと観察した。
今年五十四歳になるというネイザスは、息子であるリグルドと同じ黒髪の男性だ。
二十一年前、当時の国王夫妻が事故死したため、王弟であったネイザスが国王になったらしかった。
(特に気になる事柄はないけれど……)
フィオーラは内心首を捻りつつ、当たり障りのない会話をネイザスと交わし、謁見は終了したのだった。
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フィオーラが去った謁見の間にて。
ネイザスは額に手を置き思考に耽っていた。
「まさか、そんなことがありうるのか……?」
ぶつぶつと呟き、堂々巡りの思考を繰り返していると、
「陛下、お手紙が参っています」
「後にしろ」
言い捨てたネイザスだったが、前言を撤回することにした。
もし何か、火急の要件の手紙であれば後回しにできなかった。
手紙を受け取り、差出人を確認し内容をさらったネイザスだったが、
「なんだと……? だとしたらやはり……」
手紙に記された思いがけない事実に視線を険しくし、思考を巡らせていったのだった。
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聖女セライナに国王ネイザスという大人物と、たて続きに会話を交わしたフィオーラ。
しかしそれで何か、大きく立ち位置が変わるということも無く、千年樹教団本部での逗留を続けていた。
(……こうしている間にも、黒の獣の被害は増えているはず)
そう思うと、焦燥感が止まらなかった。
弱った衛樹の元へ向かうべきかと考えるが、それではどこまでも、対処療法にすぎなかった。
(大本の原因は、今の世界樹の力が弱まっていること。アルムに代替わりをすれば、大陸全土の黒の獣に対処できるみたいだけど……)
肝心の代替わりの方法。
どうすればアルムが、名実ともに世界樹としての力を全開にすることができるのか、見当がついていなかった。
聖女セライナの協力が得られない今、時間がただ過ぎていくばかりだ。
(アルムも代替わりの手順位ついての、詳しい知識は持っていないみたいだし……)
手詰まりだった。
本当にいざとなったら、セライナから強引に聞き出すことも考えられるが、もしそれで失敗した場合、取り返しがつかなくなってします。
(……代替わりの儀、どういったものなんだろう。アルムの知識によると、今の世界樹様が二十二年前、アルムたち次代の世界樹の種を生み出したのよね)
そしてフィオーラの母親であるファナが、どこからか世界樹の種を手に入れ、フィオーラと共に育てたのだ。
入手経路が気になるが、ファナは故人であり、他に尋ねるあてもなかった。
「……フィオーラお嬢様、もうそろそろ、リグルド殿下がいらっしゃるお時間です」
ノーラが予定を告げてきた。
リグルドは求婚活動の一環なのか、フィオーラに足しげく会いにくるのだった。
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フィオーラはリグルドと共にお茶をしながら、雑談を交わしていった。
「――――ほぅ、それでは、アルム様の名付け親は、フィオーラ様なんですね」
「名付け親というほど、大層なものではございませんが……」
軽く苦笑し、アルムの名づけの経緯を語った。
「昔、母が語ってくれた物語の、登場人物からつけているんです。本名はアルムトゥリウスと言うのですが、長くて呼びにくいので、普段はアルムと呼ばせてもらっています」
「アルムトゥリウス……?」
発音しづらいアルムの本名を、リグルドは一発で正しく口にした。
「リグルド殿下、すごいですね。昔は私も言いづらくて、結構練習したんですよ」
「そうか……。良い響きだが、確かにいささか、呼びにくい名前だな」
アルムトゥリウス、アルムトゥリウス、と。
何かを確かめるように、リグルドは名前を繰り返したのだった。
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転機となる日は、意外と早く訪れることになった。
ネイザスと面会してから十六日後。
フィオーラの元へセライナから、一通の手紙が届けられたのだ。
「世界樹の代替わりの方法を教える……?」
フィオーラは一瞬、自分の目を疑ってしまった。
もう一度手紙を見て、それでようやく、見間違いでも勘違いでもないと認識した。
「……あら、やったじゃない。これで色々と、前進するんじゃないかしら?」
手紙を覗き込み、モモが興味深そうにしている。
(嬉しいけど……。でもどうして? 何がセライナ様を、心変りさせたんだろう……)
フィオーラはまだ、セライナに認められるようなことはしていないはずだ。
「……きちんと、準備してから行かないと……」
若干の不安を覚えながらも、フィオーラはセライナの元への訪問準備を始めたのだった。