89話 令嬢は現聖女と面会する
千年樹教団における聖女の称号は、一つの家系の女性により受け継がれていた。
千年前、世界樹によって見いだされ、多くの軌跡の力と聖なる華の印、聖華を与えられた少女。
彼女こそが初代聖女であり、歴代の聖女は皆、初代聖女の末裔だった。
今の聖女は五十六代目。
セライナと言う名前の、二十六歳の女性だった。
「初めまして。私が当代の聖女を務めるセライナよ」
玲瓏たる声が、聖堂へと響いた。
長くたなびく金糸の髪に、青色の瞳の美しい女性だ。
美しい刺繍に彩られた、豪奢な白のドレスを着こなしている。
「……フィオーラ・リスティスです。次代の世界樹の主にと選ばれました」
名乗りを上げながらも、フィオーラは腰が引けそうだった。
セライナの放つ圧倒的な存在感に、気後れしてしまった。
(美人でキラキラしていて、それにとても堂々とした威厳があるわ)
茶色の髪に水色の髪。貧相な体つきのフィオーラとは、比べるべくもない神々しさだった。
「フィオーラ、あなたの活躍は聞いているわ。いくつもの精霊樹を復活させ、精霊を誕生させたのでしょう?」
「はい。アルムが助けてくれたおかげで、こうしてイズーとも出会えました」
「きゅっ‼」
イズーが元気よく鳴き声をあげた。
聖女セライナに気圧された様子が全くないあたり、さすがは精霊ということかもしれない。
「そう。噂は全て本当だったと言うことね」
こつこつと床を鳴らし、セライナがフィオーラへ歩み寄ってきた。
逃げたい、と。
反射的に思ってしまったが、フィオーラはなんとか前を向いていた。
「フィオーラ、あなたは聖女の座を望むのかしら? 十年以上、聖女として振る舞ってきた私を、蹴落とそうということ?」
「……違います」
圧力を感じながらも、フィオーラは口を開いた。
「私はアルムの力を生かすために、正式な次代の世界樹として認めて欲しいのです」
「そう。私の持つ聖女の地位なんか、眼中に無いということね」
セライナが笑みを浮かべた。
美しいが、感情の読めない笑いだった。
「あなたは次代の世界樹の力を使い、どんなことをしていきたいのかしら?」
「……黒の獣に、人々が脅かされないようにしたいです」
「それだけ? 本当にそんなことしか、あなたは望んでいないの?」
フィオーラの返答は、問題外とでも言いたげな様子だった。
「あなたはこの地にくるまでに、魔導具を扱う集団と遭遇したと聞いているわ」
「はい。サハルダ王国で出会いました」
魔導具を使い、千年樹教団を突き崩そうと動く集団。
フィオーラはあの後直接関わっていないが、ジェスらの証言を元に、今も調査と対策が行われているらしかった。
「彼らは教団に弓引き、世界そのものさえ脅かす異端よ。魔導具と黒の獣の関係について、あなたは知っているかしら?」
「……アルムから教えてもらいました」
「どの程度? 説明してちょうだい」
「魔導具を使うとマナと呼ばれる存在が変質し、変質した黒いマナから、黒の獣が生まれるということです」
それが今のフィオーラと、そしてアルムがもつ魔導具に関する知識のおおよそだ。
フィオーラの説明に、セライナは深い青の瞳を細めている。
「ふぅん。結構知識に抜けがあるのね。次代の世界樹と言っても、まだ正式にこの世界に根付いていない以上、しょうがないのかしら」
「……ならば君は、何を知っているというんだい?」
セライナの挑発じみた言葉を、アルムがまっすぐに打ち返した。
「色々と、役に立つことも役に立たないことも知っているわ。……魔導具に関してならそうね……。代々聖女の間で伝えられている事柄について、少し歴史の講義をしてあげましょうか」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――――千年の昔。
大陸中に黒の獣があふれ、人間は追い詰められていた。
爪で引き裂かれ、生活圏を奪われ、苦しみと絶望の果てに死んでいく人間たち。
悲惨な状況だが、それは人間の犯した罪の結実だ。
当時の人間は、魔導具を戦争の道具として使用していた。
やまない戦火に人口は激減し、魔導具の乱用により生まれた、数えきれない黒の獣に、牙をむかれたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「当時の人間は魔導具を使うことで空を飛び、遠く離れた人間と話すことさえできたそうだけど……争いの果てにほとんどが死に絶えてしまったわ。……そしてそんな滅亡寸前の人間を救ってくださったのが、世界樹様と言うことよ。私たち千年樹教団は千年前の悲劇が繰り返されないよう、残された魔導具を封印し、使用を禁じてきたの」
「……そんな歴史があったんですね」
「そう、歴史よ。歴史は繰り返すというでしょう? 今でも残された魔導具を使ったり、複製品を作り出した人間が、悪だくみをしているもの。懲りないわよね」
馬鹿な人たち、と。
セライナが吐き捨てるように言った。
「フィオーラ、あなたは私の話を聞いてどう思ったかしら? あなたに自由にできる権力と人材が与えられたら、魔導具にどう対処するつもり?」
「私は……」
フィオーラは少し迷い、セライナの顔色をうかがい、しかし率直な自身の意見を述べることにした。
生きるために魔導具を手に取った、ジェスのことを思い出したのだ。
「……魔導具についての正しい知識を、もっと広げるべきだと思います」
「どういうことかしら?」
セライナの眉が跳ね上がった。
「サハルダ王国の人たちは、魔導具の危険性も知らず手にして乱用してしまったんです。正しい知識があれば、その過ちは防げたと思います」
「だとしても、魔導具の知識を公にして広げれば、よりたくさんの人間が、魔導具を求めるはずよ」
「もちろん、その可能性はあります。……ですがお言葉ですが、現時点で既に、それなりの人間が、正しい知識もなく魔導具に手を出しているのですよね?」
「忌々しいけど、その通りね」
「……だとしたら。知識を秘匿し頭ごなしに禁じるより、正しい知識を広めた方が、よい結果になるかもしれないと、私は思うんです。……それに今、セライナ様は仰っていました。かつて人間が、魔導具を使い繁栄していたのなら、上手く魔導具と付き合い研究し、黒の獣の元になる物質の生成を少なくすることができたら、より多くの人間が、幸せになれるのではないでしょうか?」
「……甘ったるい理想論ね」
フィオーラの言葉を、セライナは一言で切り捨てた。
笑顔のままだが、対話の門は閉じられたようだ。
「もういいわ。私、これから予定があるの。帰ってもらえるかしら?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(セライナ様に、呆れられてしまったわ)
聖堂を出たフィオーラは、唇を噛みしめていた。
自分なりの考えを伝えたつもりだったが、セライナからすれば戯言のようだった。
「もうっ! そんなに暗い顔をしないの!」
落ち込むフィオーラの頬をぺしぺしと、モモがはたいていた。
「あっちにはあっちの考えがあるって言うだけじゃない。どっちが正しいかなんて、結果が出るまで誰にもわからないものよ」
「……ありがとうございます」
慰めてくれるモモを撫でながら、フィオーラは前を向いた。
(何年も聖女を務めてきたセライナ様に、簡単に認めてもらえなくても当然よ……)
世界樹の代替わりの儀式の詳細を知っているのは、セライナなど教団上層部の一握りだけだ。
彼女らにフィオーラは認めなてもらわなければならないが、初めから上手くいくと思うのは甘いようだった。
(まずは、自分のやるべきことを、こなしていかなくちゃいけないわ)
落ち込んでいた気分を強引に切り替えた。
この後、また大きな予定が入っている。
アルカシア皇国国王・ネイザスへの謁見だった。