84話 令嬢は光の蝶に願う
「……そんな裏事情があったのか。あいつら、魔導具の利便性を説き、耳障りのいい言葉ばかりを並べていたが……。そうそう美味い話は無いと言うことか」
魔導具と黒の獣の関係を知り、ジャシルは嘆息していた。
「私はあやうく、この国を守って来てくれたこいつに、恩を仇で返しかけていたんだな……」
「……」
フィオーラにはかける言葉が無かった。
孔雀の精霊の献身と、ジャシルの思いを知る程に辛くなってしまう。
(『精霊樹を枯らすか、精霊樹を守り孔雀の精霊を消すか』の二択を、ジャシル陛下は選ばなければならない……)
どちらを選んでも、失うものが大きい選択だった。
ジャシルの様子を伺っていると、その手の甲を、孔雀の精霊がつついていた。
「ん? どうしたんだ?」
「決断を求めているんだよ」
人の言葉を持たない孔雀の精霊の代わりに、アルムがそう言い切った。
「精霊樹を助けるためにフィオーラの樹歌を望むかどうか、早く決断しろと言っているよ」
酷な選択を迫る言葉に、ジャシルの顔が愁いを帯びた。
決断を迷うように、精霊をじっと見ている。
そんなジャシルにアルムは小さな、しかし確かな笑みを浮かべた。
「……君、かなりその精霊に好かれているんだね」
「いきなり何を言うんだ……?」
「わからないかい? 決断を君に求めていることこそ、何よりその証じゃないか」
簡単なことだよ、と。アルムが言葉を続けた。
「弱っていようとも、精霊は人間よりずっと強力な存在だ。君がどれほど無理強いしようとしたところで、その精霊が拒絶すればそれで終わりなんだ」
「そうか……。つまり、それは………」
「わかるだろう? 精霊の役割は黒の獣を退けることで、そのためには精霊樹の力を強めることが一番なんだ。その精霊だって本当は、自分が消えることになろうとも、フィオーラの樹歌を望んでいるさ。そうだろう?」
アルムの問いかけに、孔雀の精霊が頷くように首を揺らした。
「にも関わらずその精霊は、ただの人間である君に選択を委ねたんだ。……それがどれ程の重みをもつか、人間の君にはわからないかもしれないけれど……。そのことについても良く考えて、今決断をしてくれ。樹歌を望むなら、早ければ早いほどいいからね」
「……決断を……」
ジャシルが拳を握り込んだ。
内心の葛藤を、瞼をつむり抑え込んでいるようだった。
「……歌ってもらおう」
かすれた声で、しかしはっきりと、ジャシルは言葉を紡いだ。
「精霊樹の力を強めるために。フィオーラ殿に今夜、樹歌を歌ってもらおう」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……ジャシル陛下、本当にこれでよろしかったのですか?」
精霊樹のための樹歌を歌う準備を全て終え、フィオーラは最後にもう一度、ジャシルへと問いを差し向けた。
「あぁ、大丈夫だ。決断を覆す気はないからな」
「………」
「はは、そんな悲しそうな顔をしないでくれ」
ジャシルは笑うと、中庭の精霊樹を見やった。
「あいつはこの国を守って来てくれたし、私は国王なんだ。ならば選ぶべき道は、一つに決まっているじゃないか。……ずいぶんと迷い、フィオーラ殿にも迷惑をかけてしまったが……。それでも結局のところ、私はこの選択肢しか選べないし、だからこそあいつも、私に決断を委ねてくれたんだろうな」
覚悟と後悔、痛みと決断。
あらゆる感情が渦巻きぶつかり合い、その結果凪いでさえ聞こえるジャシルの言葉に、フィオーラは黙り込むしかなかった。
人間と精霊。種族を超えた交流の終着点の一つが、これから訪れるのだった。
(……ジャシル陛下は決断した。ならば私も、精一杯樹歌を奏でたいわ)
中庭へと踏み出し、弱り切った精霊樹へと手を振れる。
アルムの準備が整っていることを確認し、フィオーラは唇を開いた。
「≪巡る命、囁きの梢よ――――――》」
月明りへと、フィオーラの樹歌が溶けていく。
精霊樹に光が灯り、ひび割れた幹に潤いが満ちていった。
「あ……」
かすかな、ジャシルの声が耳に入る。
孔雀の精霊の全身が淡く輝き、光となり解けていった。
(綺麗)
光は蝶となり、上空へと羽ばたき消えていく。
儚くも美しい輝き。
きっとこれこそが、いつもアルムが見ている、マナの映る視界だ。
光をまとうクリューエルがジャシルを見ると、消え行く喉から高い声があがった。
(お別れを言っているのね……)
ジャシルは声もなく動きもなく、ただ孔雀の精霊を見つめている。
消えゆくその姿を、目に焼き付けようとするようだった。
(さようなら……)
孔雀の精霊であった光の蝶を見送りながら、フィオーラは樹歌を歌い終えたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
フィオーラの樹歌は見事、精霊樹の力を取り戻さえることに成功した。
翌日は念のため王宮に留まり精霊樹の様子を観察し、更にその翌日には、ジェスの襲撃でとん挫していた、東の衛樹の元へ向かい樹歌を奏でてきた。
(……これでひとまず、私がこの国でできることも終わりね)
王宮の一室で、フィオーラは教団から与えられた簡易地図を見つめていた。
(この国を出て、あと小国を2つ進めば、いよいよアルカシア皇国よ)
アルカシア皇国。
世界樹が根を下ろす、この大陸でもっとも大きな国だ。
千年樹教団の本部がある国であり、フィオーラの旅の目的地だった。
(……今の世界樹の力が衰えてきている証を、この旅の間に何度も見たわ)
この国、サハルダ王国だってその一つだ。
世界樹さえ健在だったなら、ジャシルと孔雀の精霊の別れは、もっと先にあるはずだった。
精霊樹や衛樹の弱体化のせいで、人々が黒の獣に襲われることも、魔導具に手を出すことも無かったはずだ。
(私が無事に、アルムを次代の世界樹にすることができれば……)
いくつもの悲劇の芽を摘むことができるはずだ。
両肩にかかる重みに喘ぎながらも、フィオーラは進むしかないのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、王宮を発つ直前。
フィオーラとアルムは、ジャシルと向かい合っていた。
「ジャシル陛下、このたびは大変お世話になりました」
「こちらこそ、フィオーラ殿が来てくれたおかげで助かったよ。……この先もフィオーラ殿とアルム殿は、色々と大変だろうが……」
ジャシルが中庭へと、孔雀の精霊のお気に入りだった場所へと目を向け、フィオーラの耳元に顔を寄せた。
「人間と精霊であっても、思いを通じ合わせることは出来たんだ。フィオーラ殿とアルム殿だってきっと、上手くいくと信じているぞ」
「……私は……」
「次に会う時にはまた、そちらのモモンガやイタチの精霊の話も聞かせてくれ」
フィオーラの答えを待つことなく、ジャシルが身を離し話題を変えた。
「フィオーラ、今なんて言われたんだい?」
どこかむっとした様子で、アルムが詰め寄ってきた。
フィオーラはアルムをなだめつつ、ジャシルの言葉を反芻していた。
(私はアルムのことを……)
特別に思っているのは間違いない。
間違いないが、その感情にまだ、名前を付けるのは怖かった。
(……アルムが次代の世界樹として正式に認められて、全てが上手くいったら私は――)
一人密かに思いを固めながら、フィオーラはサハルダ王国を後にしたのだった。