80話 令嬢は村を見つける
「それじゃあイズー、これをハルツ様の元へ運んでね」
「きゅっ‼」
フィオーラはイズーの前足へ、ハンカチを結び付けていく。
ハンカチには、樹歌で生み出した色水で、簡単にこちらの事情を記してあった。
「きゅいっふ――――‼」
行ってきます!
とばかりに尻尾をぶんぶんと振ると、イズーが崖を駆け上っていく。
四本の足を動かし風を操り、みるみる背中が小さくなっていった。
「よし、フィオーラ。こっちも出発しよう」
「はい、わかりまし……きゃっ⁉」
フィオーラが小さく悲鳴を上げた。
両足が泳ぎ、ぶらりと足先が揺れる。
腰と肩に手が回され、アルムに抱きかかえられていた。
「ど、どうしたんですか? 下してください」
「行き先は道なき道だ。フィオーラの足じゃ、石に躓いて危ないよ」
「うっ……」
アルムにそう言われては、フィオーラは下りることができなかった。
(アルムは私のことを思いやって、親切にしてくれただけよ。私が変に意識しなければ、それで問題ないわ……)
恥ずかしいのも心臓が騒ぐのも、たんにフィオーラ側だけの問題だった。
フィオーラは自分を納得させると、アルムの体にかける体重を分散させようと、アルムの首へと手をまわした。
「つかまりますね。苦しかったら教えてください」
「…………」
「アルム?」
手のかけた位置が悪かったのだろうか?
アルムに尋ねようとしたフィオーラだったが、
(耳たぶが赤い……?)
アルムの横顔、耳が赤くなっているのが見えた気がして。
「っ……‼」
フィオーラの顔にまで、赤さがうつってしまったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アルムによる魔導士の追跡は、順調に進んでいた。
フィオーラを抱えながら、舞うように岩場を駆け抜けている。
(早い……‼)
高速で後方へと流れていく風景に、フィオーラは目を丸くしていた。
アルムは小さく、樹歌を口ずさんでいる。
風をまとい風に乗って、文字通り飛ぶように足を進めていた。
(あ、また黒い蝶)
前方に、数匹の蝶が舞っていた。
黒い蝶を見かける間隔が短くなってきている。
もうじきに、魔導士に追いつくのかもしれなかった。
「あれは……」
アルムが樹歌を中断し、速度を落としていく。
フィオーラにもやがて、アルムと同じものが見えてきた。
村だ。
岩山の影に隠れるようにして、小さな村が存在しているようだった。
「黒い蝶があんなに……」
村の入口に、大量の黒い蝶に囲まれた青年がいた。
青年もフィオーラ達に気づいたのか、ぎょっと目を丸くしている。
「おまえら、なぜここに⁉ 足を滑らせて、崖から落ちたはずだろう⁉」
やはり青年が、先ほどの襲撃犯の魔導士で間違いないようだ。
黒い石のはめ込まれた籠手を掲げると、地面に亀裂が走っていく。
「今度こそ落ちろっ‼」
急速に広がる亀裂が、アルムの足元へと迫ってきたが、
「当たらないよ」
フィオーラを抱えたままあっさりと、アルムは亀裂を回避した。
風をまとい駆け抜け、青年へと肉薄する。
「ひっ⁉」
アルムの足元から伸びあがった蔦が、青年の籠手を弾き飛ばした。
右手を押さえうずくまる青年を、アルムは冷ややかに見下ろしている。
「馬鹿だな。その籠手が何を招くのか知らずに使っているのかい?」
「っ、何が言いたい⁉」
青年が、憎々しげにアルムを睨みつけた。
「おまえたち千年樹教団の関係者に、俺らの気持ちがわかるわけがないっ‼」
「……君たちの事情に興味はないよ、ただ――――」
「おい、どうしたっ⁉」
「何があったんだ⁉」
複数の叫び声。
村の中から、ばらばらと人影が飛び出してきた。
「っ、こいつだっ‼ こいつが千年樹教団の抱える化け物だつ‼」
籠手を奪われた青年が、村人たちに走り寄っていく。
するとたちどころに、村人たちの顔が険しくなった。
「そうかこいつらがっ‼」
「こいつらを倒せば俺たちもっ‼」
口々に叫びながら、槍や剣を構えてくる。
武器にはそれぞれ柄の部分に、黒い石がはめ込まれていた。
黒い石からぶわりと蝶が生まれ、黒い竜巻のようになっている。
「くらえっ‼」
「弾け飛べっ‼」
叫び声と共に、炎と雷がとんでくる。
一つ一つの炎や雷は小さいが、数は十を超えていた。
「めんどくさいな」
アルムが樹歌を奏で腕をかざすと、土の壁がせり上がってくる。
厚い土壁の表面で、全ての炎が弾け、雷が食い止められている。
「ちっ‼ これじゃダメだ‼」
「もっとどんどん打ちこめっ‼」
村人たちは諦めないようだ。
次々に黒い石のはまった武器を構え黒い蝶をまき散らしながら、アルムに攻撃を放ってくる。
その全てがアルムの樹歌により防がれるが、うっとうしそうにしていた。
「数ばかり多くて煩わしいな。いっそまとめて潰して―――――」
「アルム待ってください‼」
フィオーラは慌てて制止した。
突然の戦闘に硬直してしまっていたが、我に返ったようだ。
(こんな時のために、練習していた樹歌があるわ)
意識を集中し、思いを乗せ樹歌を歌いあげる。
「うおおっ⁉」
「何だこれっ⁉」
村人たちへ向かって、薔薇が生え蔓を伸ばしていく。
フィオーラが一番最初に使った樹歌を元にしたものだ。
蔦に巻き取られ絡めとられ、村人たちが慌てふためいていた。
「フィオーラ、いい判断だ」
動きを封じられた村人の手から、黒い石のついた武器が弾き飛ばされていく。
アルムの樹歌による風の、狙いしました攻撃だ。
蔦に囚われ武器を奪われ、村人たちは瞬く間に無力化されたのだった。
(良かった。これで少しは向こうも冷静になって、こちらの話を聞いてくれるか――――)
「フィオーラまだだ‼」
「っ⁉」
がぎん、と。
ごく間近で衝撃音が響いた。
少年だ。
黒い蝶をまとわりつかせた少年が振るった曲刀が、アルムの生み出した石壁に受け止められていた。
「ちっ‼」
少年が舌打ちし、曲刀を引き体勢を立て直そうとする。
「させないよ」
アルムが素早く樹歌を奏でた。
少年の足元から蔦が伸びあがり、地面へと引き倒していく。
「くっ……‼………駄目か……」
蔦から抜け出そうと少年はもがいたが、やがて無駄だと悟り大人しくなったのだった。