78話 令嬢は王と精霊を見守る
「夜は冷え込むのよね……」
指先を握り込み、フィオーラは息を吹きかけた。
砂漠は、人が生きるには過酷な環境だ。
昼間は遮るものもなく日差しが照り付け、夜になれば反対に、容赦なく気温が下がっていく。
フィオーラの故郷の冬ほどの低気温ではないが、日中の暑さからの落差に、くしゃみが出そうだった。
(眠れない……)
慣れない環境のせいか、昼間に精霊の寿命について聞いたせいなのか。
フィオーラにしては珍しく、その晩は寝つきが悪かった。
(私とは反対に、アルムはよく眠っているわ)
毎日の睡眠は不要なアルムだが、それでも定期的に、意識を休める必要はあった。
眠るアルムを起こさないようにして寝台を降りると、イズーが駆け寄ってくる。
「きゅきゅっ?」
「イズー、静かにね」
頭を撫でてやると、イズーが無言で体をすり寄せてきた。
夜になり気温が下がったことで、イズーは生き生きとしている。
(イズーの目が冴えているからこそ、アルムも安心して、眠っているのよね)
イズーは、フィオーラにとっての護衛でもある。
肩に乗せたまま、音を立てないようにして歩き、寝室の扉を開いた。
王宮の中であれば、自由に出歩いていいと許可を受けている。
イズーを共に、少し夜の散歩をすることにした。
(星が綺麗ね……)
天窓からのぞくのは、砂金を散りばめたような星空だ。
砂漠には雲が無く、空気が澄んでいるため、星が遮られることが無いのだった。
廊下に立つ衛兵に軽く会釈をしながら、夜の王宮を歩いて行く。
幾何学模様の浮彫の施された飾り窓に、植物の柄が織り出されたタペストリー。
フィオーラの故郷とは異なる文化の品々を眺め歩いていると、中庭にたどり着いた。
(あ……)
中庭には先客がいた。
引きずるほどに長い美しい尾羽を持つ孔雀の精霊と、傍らに寄り添うジャシルだ。
星明かりを受け、中庭に淡い影を落としていた。
「おまえは……いや、失礼した。フィオーラ殿か」
ジャシルの方も、フィオーラに気づいたようだ。
フィオーラは礼をすると、回廊から中庭へと降りて行った。
「ジャシル陛下も、眠れないのでしょうか?」
「……考え事をしていた」
ジャシルの褐色の腕が、孔雀の精霊の背中を撫でている。
「考え事がある時はいつも、こいつの近くでしているからな」
「……孔雀の精霊様と、よく親しんでいるのですね」
「長い付き合いだからな」
まなじりを柔らかくし、ジャシルが小さく笑みを浮かべた。
「こいつは黒の獣の退治の時以外は、王宮で暮らしているんだ。水を生み出す力を使って、王都に恵みをもたらしてくれている。そして気が向くと、人間の様子を見に来るんだ」
「ジャシル陛下の元にも、よくやってくるのですか?」
「あぁ、そうだ」
ジャシルは肯定すると、孔雀の精霊の首筋をかいてやった。
「私が生まれるずっと前から、こいつは王宮にいたんだ。私が幼い頃は気まぐれで遊び相手になってくれたし、今でもこうやって、傍にいてくれるからな」
「……大切な存在なんですね」
ジャシルは多くを語らなかったが、孔雀の精霊との間に、積み重ねられたたくさんの思い出があるようだ。
その証拠に孔雀の精霊は、多くの精霊から好かれやすいフィオーラではなく、今もジャシルの傍を選び羽を休めていた。
「私には家族も忠臣も国民たちもいてくれが……。それでも、こいつは特別な存在だ。人間ではないこいつに、人間相手以上の思いを抱く私は滑稽に見えるかもしれないが――――」
「そんなこと無いと思います」
ジャシルの言葉を遮るように、フィオーラは声を発していた。
「相手が精霊様、人間じゃないとしても。大切に思うことはおかしくないと……そう思います……」
途中から、フィオーラの声が小さくなっていった。
アルムのことを、思い出したからだった。
(私だってアルムのことを、特別に思っているもの……)
孔雀の精霊を慈しむジャシルの気持ちが、フィオーラにもわかる気がした。
「……そうか。フィオーラ殿は、そう言ってくれるのだな」
ジャシルは小声で呟くと、すいと立ち上がった。
「今日はもう遅い。夜更かしをしては明日に響くから、そろそろ帰った方がいいな」
「……お休みなさい」
フィオーラが頭を下げ去っていくのを、孔雀の精霊とジャシルが見守っていたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「フィオーラ様には、この国の南部に向かっていただきたいと思います」
フィオーラがアルムと朝食をとっていると、ハルツが予定を告げに来た。
「南部にある衛樹の力が弱まり、黒の獣の被害が増えているそうです。樹歌をお願いできますか?」
「わかりました」
フィオーラとしても異論は無かった。
ジャシルと孔雀の精霊が気になるが、この国の滞在期間は限られている。
時間を無駄にすることなく、自身の力を役立てていきたいところだ。
朝食を終えると身支度を整え、アルムと共に馬車へ向かった。
「フィオーラ様、よくお越しくださいました。片道だけですが、本日は私どもも、同行させてただきますね」
そう言って頭を下げたのは、この国の兵を率いる隊長だ。
フィオーラ達につけられた護衛であると同時に、フィオーラの庇護を期待しての同行だった。
(私とアルムと一緒にいれば、黒の獣を恐れなくてもいいものね)
黒の獣は、通常の武器では致命打を与えることができなかった。
剣で斬れば形が崩れるが、しばらくすると黒いもやが集まり、復活してしまうのだ。
それだけでも厄介なのに、黒の獣につけられた傷はとても治りにくい。
かすり傷であっても長く残り、完全に治すには特別な樹具を扱える、治癒師の助けが必要だった。
(……サイラスさん、元気にしているかしら)
故郷で出会った治癒師の青年は、今頃どうしているだろうか?
すぎるほどに真面目で、熱心に治癒の力を振るっていたから、過労で倒れていないか心配になるのだった。
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「へっくしょんっ‼」
突然鼻がむずがゆくなり、サイラスはくしゃみをしてしまった。
「……おかしいな。昨日はきちんと寝たし、風邪なんかは引いていないはずなんだが……」
首を捻りつつ、サイラスは教団の建物の中を歩いた。
普段より速足で、急いでいる様子だ。
(そろそろまた、ハルツから連絡が届くころだな)
ハルツは旅先から折りを見て、この国の教団に報告を送っている。
前回の報告後、予定通りに旅が進んでいるのならば、そろそろ道行きの大部分を消化した頃合いだ。
(何事も無く、進めていればいいんだが……)
友人であるハルツの顔と、そしてフィオーラの顔が思い浮かんだ。
遠い空の下の二人へ思いを馳せていると、サイラスに近づいてくる人間がいる。
「サイラス! ちょうどいいところにいた!」
「慌ててどうしたんだ?」
顔見知りの神官が、どたばたと走り寄ってきた。
「おまえ聞いたか? リムエラ様が姿を消したそうだ。行方がわからないが、おそらくもう、この国の中にはいないようだぞ」
「……何だと?」
サイラスは眉を跳ね上げた。
フィオーラの義母リムエラ。
セオドアによる誘拐事件に協力した罪で、財産の大半を没収され没落したはずだ。
(フィオーラを逆恨みするリムエラが姿を消した……)
嫌な予感しかしなかった。
(……ハルツへの返信で、注意を喚起しておかないとな)
早馬を使っているとはいえ、どうしても手紙のやりとりには時間がかかってしまうものだ。
手紙が間に合うよう、何事も起こらないようにと。
フィオーラ達から遠く離れたサイラスには、祈ることしかできないのだった。




