76話 令嬢は砂漠の王の御前に赴く
「あっ……」
樹歌で生み出された風が、空しくほどけて消えていく。
フィオーラがため息をつくと、アルムが唇を開いた。
「うん、今のは悪くないよ。この前やった時より、上達しているようだね」
「……何か、コツとかはあるんでしょうか?」
「そうだね……。あまり考えたことは無かったけれど……」
風の消えた場所を見上げ、アルムがぽつりと呟いた。
「マナに目を向けることかな」
「……マナ?」
聞きなれない言葉に、フィオーラは首を傾げた。
「マナとはなんなのですか?」
「普通、人間には見えない光の集合体さ。世界を還流する命の集まり。僕の主であるフィオーラなら、じきに見えるようになるはずさ」
「そうですか……」
アルムの見つめる先に、フィオーラは目を凝らした。
当然だがそこには、ただ青い空が広がっているだけである。
「そう焦らなくても大丈夫だよ。樹歌の練習を続ければ、ある日パッと視界が開けるように、マナが見えるようになるさ」
アルムの言葉に、フィオーラは小さく笑みを浮かべた。
(アルムの見ているものならきっと、美しいものなんだろうな……)
いつかマナをこの目で見る日のことを、フィオーラは楽しみにするのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
サハルダ王国の王都は、オアシスのほとりに築かれた都市だ。
石積みの建物が立ち並び、たまねぎのような形の屋根が、青空へといくつもそびえたっている。
異国情緒あふれる町並みだったが、フィオーラは馬車の中で首を傾げた。
(なんとなく、町に活気がないような……?)
文化の違いかもしれないが、待ちゆく人々に笑顔が少ない気がした。
気になって窓の外を観察していると、馬車はやがてひときわ大きな建築群へ、王宮へと進んでいった。
「フィオーラ殿、アルム殿。あなた方の訪れを歓迎しよう」
一行を出迎えたのは、国王のジャシルだった。
すらりとした長身で肌は褐色。年齢は二十八歳だと聞いている。
艶やかな黒い前髪を垂らし、後ろは首でゆるやかにくくっている。
彫りの深い顔立ちは端正で、切れ長の瞳には、どこか愁いを帯びた光が宿っていた。
「到着したばかりで悪いが、ぜひ見てもらいたいものがある。今時間は空いているか?」
フィオーラがハルツを視線で見ると、小さく目礼を返された。
「はい、大丈夫です。お力になれるかはわかりませんが、拝見させていただきたいと思います」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
フィオーラ達が案内されたのは王宮の一角。
静かな水音が響く、中庭のような場所だった。
「これは……」
思わずフィオーラは、うめき声を漏らしそうになった。
中庭にあるのは、この国の唯一の精霊樹だ。
背丈こそ高いが幹はやせ細り、あちこちにひび割れが走っている。
(かなり弱っているわ……)
フィオーラは旅の途中で、何本もの弱った衛樹や精霊樹を見てきた。
葉が落ちていたり、幹が傾いていたりと状態は様々だったが、目の前にある精霊樹は、今まで見てきたどの木より、状態が悪そうに見えた。
「……予想より、精霊樹の状態は良いようだね」
フィオーラだけに聞こえるよう、アルムが呟きを落とした。
「この見た目で、ですか?」
「あぁ、そうだよ。以前教えただろう? 精霊樹や衛樹にも、苦手な場所はあるんだ」
不思議な力を宿そうとも、精霊樹も衛樹も本質は木だった。
大元の世界樹が健在であれば、周りが過酷な環境であっても問題ないが、世界樹の力が弱まった今、砂漠や氷雪地帯といった地に生える衛樹は、衰弱が早く訪れると予想されるようだ。
フィオーラが知識を思い出していると、アルムが視線を右に流した。
「ここの主がやってきたようだ」
「鳥の精霊……?」
フィオーラには馴染みのない鳥の姿をした精霊だった。
体が大きく、立派な尾羽を従えている。
青から緑へと、光沢を浮かべた羽が美しく、細長い首の先の頭部には飾り羽が揺れている。
「孔雀の姿を模した精霊だね」
「孔雀……。綺麗な鳥なんですね」
言いつつもフィオーラは、ざわつきを覚えていた。
孔雀の精霊を見ていると、その輪郭が揺らぐような違和感があるのだった。
「紹介しよう。こいつは長年わが王国を守護してくれている、国の守り神と言ってもいい精霊だ」
国王ジャシルが、精霊の首に手を当てながら紹介をした。
孔雀の精霊に嫌がる様子は無く、優美な長い首を、ジャシルの褐色の腕にもたれかからせている。
(仲がいいのね……)
若き国王と守り神である精霊。
まるで一幅の絵画のような、美しくも収まりの良い一組だった。
「フィオーラ殿は樹歌を奏でることで、精霊樹の力を復活させることができると聞いている。ぜひその奇跡の力を、この地でも使ってくれないか?」
フィオーラはこくりと頷いた。
この旅は、世界樹の元へ向かうのと同時に、力の弱まった各地の衛樹や精霊樹に、樹歌を奏でてまわる旅でもあった。
深呼吸し心身を整え、樹歌を口にしようとすると、アルムが手で制止をしてくる。
今までには無かったことだ。
「アルム?」
「待ってくれ。樹歌を奏でる前に、確認しておきたいことがある」
「何だ? 言ってみるといい」
ジャシルの催促を受け、アルムの視線がジャシルへの傍らの、孔雀の精霊へと向かった。
「樹歌を奏でると、その精霊は消えることになるけど、それでいいんだね?」
「……なんだと?」
一瞬にして冷ややかさを感じさせるほどに。
ジャシルの声が低くなった。
「笑えない冗談はよしてくれ」
「ふざけてなんかいないさ。精霊を見てみるといい」
「…………」
ジャシルの傍らで、孔雀の精霊はじっと彼を見つめていた。
アルムとジャシルを交互に見て、頭を上下に一度振った。
「……彼の言っていることは、嘘ではないのか……?」
ふたたび、精霊は首を振り頷いた。
飾り羽が揺れるも、ジャシルへと向けられた瞳は揺らがなかった。
「おまえ、消えてしまうのか……?」