75話 令嬢は風を呼ばう
翌朝、フィオーラはティグルの旅立ちを見送ると、自らも馬車へと向かった。
「フィオーラ様、アルム様、こちらの馬車へ。荷物は既に積み込んであります」
「ハルツ様、ありがとうございます」
ハルツの先導に従い、用意されていた馬車に乗り込んだ。
今回の旅には、ハルツも同行することになっている。
気心が知れ、世慣れしているハルツの存在は、フィオーラにはとてもありがたかった。
「あらあら、いいクッション使っているじゃない」
馬車の長椅子の上でさっそく、モモが体を伸ばし寛いでいた。
長椅子には振動軽減のため、何本ものバネが埋められている。
弾力のある座面が面白いのか、イズーが跳ねまわっていた。
「きゅいっ‼ きゅきゅきゅきゅっ‼」
ぴょんと飛び跳ねたイズーを膝の上で受け止めると、車輪が動き始めた。
(これから、私の新しい日常が始まるのね……)
当分の間フィオーラは、旅の身の上になるのだ。
行く先に何が待ち構えているのか、車輪の音を背景に思いを馳せていく。
フィオーラ達の旅の最終目的地は、世界樹を擁するアルカシア皇国だ。
その途中でいくつかの国に滞在し、樹歌を歌ってくれと頼まれていた。
(まずはこのティーディシア王国を出て、その後は東へ向かって……)
フィオーラは頭の中に地図を思い浮かべた。
正確な地図は軍事機密として秘されているが、各国に支部を持つ教団は、それなりの精度の地図を持っている。
ハルツが教えてくれた道のりを、フィオーラは地図と重ね合わせたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
フィオーラたちの旅は、おおむね順調にすぎていった。
立ち寄った各地で樹歌を歌い、衛樹の力を強めていく。
時に黒の獣の退治を行い、人々に感謝されながら、馬車の一群は進んでいった。
「――――進路を変更したい、ですか?」
野営用の天幕の入口で、フィオーラはハルツから相談を受けていた。
「はい。この先にある街道ではここのところ、土砂崩れが頻発しているようなんです」
「……そんなに危険な街道でしたっけ?」
急ごしらえの地理の知識を思い出しながら、フィオーラはハルツへと尋ねた。
「例年通りであれば、雪崩の危険のある春先以外は安全なはずです。ただ今年は雨の降り方が悪いのか山の機嫌が悪いのか、大規模な土砂崩れが多く注意喚起がされているようです」
「そんなに危険なのですか……」
フィオーラはアルムを振り返った。
「アルムと私の力で、土砂崩れを食い止めながら進むことは出来ませんか?」
「可能だけど、おすすめはしないかな」
アルムがぐるりと、野営する一団を見やった。
馬車は十台を超え、二十人以上の人間が、おのおの安全な野営のために働いている。
「これだけの大所帯なんだ。土砂崩れの本流を止めフィオーラを守っている間に、誰かが運悪く巻き込まれるかもしれない」
アルムの力は巨大だが、基本的に彼の興味は、フィオーラ一人に向けられている。
周りの人間すべての生死までは、保証できないようだった。
「……わかりました。でしたらここは、迂回する進路でお願いしますね」
「はい、そのようにいたしますね。迂回先にあるサハルダ王国にも、先ぶれを出しておきます」
サハルダ王国。
国土の大部分を砂漠に覆われた国だ。
砂と共存してきたお国柄のため、フィオーラの生まれ育ったテーディシア王国とは、文化も大きく異なっているらしい。
(砂漠をこの目で見られるのね)
フィオーラはわくわくとしていた。
昔、生前の母が語ってくれたお気に入りの物語に、砂漠が登場したのだ。
冒険家である主人公が仲間と共に、砂漠に埋もれた宝を探す物語だった。
(……アルムの名前も、その冒険家から取っているのよね)
アルムトゥリウス。
舌を噛みそうなため、普段は愛称で呼んでいるアルムの本名であり、冒険家の名前だった。
(まさかアルムと、物語の舞台の一つの砂漠を訪れることになるなんて……)
人生、何が起こるかわからないなと思いながら、フィオーラは胸をときめかせたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
迂回路を取り、国境を越えてからしばらくして。
フィオーラは馬車の中から、じっと外の風景を眺めていた。
(想像していたのと、少し違うのよね……)
窓の外に広がるのは、岩、石、岩、岩、岩、そして時々砂地だ。
水気は無かったが、一面に砂が広がる風景を思い描いていたフィオーラの想像とは、やや様子が異なっていた。
(砂漠と一口に言っても、色々な種類があるのね)
サハルダ王国の砂漠の多くを占めるのは、岩石を主体とした砂漠、岩石砂漠という種類らしい。
馬車から見ている分には、草木の生えない山、といった風景だった。
少し落胆したフィオーラだったが、サハルダ王国に入ってから三日目、王都へ近づくにつれ、瞳を輝かせていった。
「わぁ……」
馬車から降りると、遮るもののない強い日差しが降り注いだ。
周囲を見渡すと、一面に広がる砂の海。
赤味を帯びた茶色の、粒子の細かい砂がなだらかな丘陵をなし、視界の果てまで広がっていた。
(すごい! どこを見ても砂! 砂ばっかりよ!)
物語の中で語られた光景を前に、フィオーラは上機嫌だった。
砂に手を突っ込み感触を楽しんでいると、背後からうめき声があがった。
「あ~~~つ~~~い~~~~」
「きゅぅぅ……」
イズーとモモがへばっている。
全身を毛皮に包まれているため、人間より暑さに弱いのかもしれない。
「あんた、よくこの熱気の中ではしゃげるわね……。頭の中砂漠なんじゃないの?」
モモの毒舌も、暑さのためか切れ味が鈍っている。
よろよろと立ち上がると、アルムの肩へと飛び乗った。
「あぁ、ここね。やっぱりここが涼しいわ」
「……あまりくっつかないで欲しいんだが」
首筋に体をもたれかけるモモを、アルムがうっとうしがっていた。
(アルムの傍は、いつも心地いいものね)
世界樹の化身であるせいか、アルムの周囲には基本的に、暑くも寒くもない空気がとどまっている。
灼熱の太陽が照り付ける中、モモにとってアルムは、オアシスのような存在だった。
「モモ、君だって自分で樹歌を使って、風を生み出すことができるだろう?」
「あれ、ずっとやってると疲れるのよ」
尻尾をはためかせた風を顔に当てながら、モモが気持ちよさそうな顔をしていた。
よっぽど今まで、暑さが堪えていたようだ。
(……風を生み出すの、私にもできるかしら?)
フィオーラはアルムから、いくつもの樹歌を教わっている。
世界樹に由来する力のため、植物や地面に働きかけるのはやりやすいが、風や光といった、形のないものを操るのはまだ苦手だ。
「《舞い遊ぶ風の子、見えざる腕よ―――――》」
樹歌を唇に乗せ、フィオーラは風を生み出した。
ここまではいつも通り。
上手くいくのだが――――
「あっ……」
くるくると見えざる螺旋を描き、風がとけて消えていった。
まだまだフィオーラでは、制御に難があるのだった。




